2014年2月26日水曜日

腕時計形時計の電池交換

 長年愛用している置時計が止まってしまったとの家人からの話を聞き、ではまた時計屋さんへ出向いて、、、、と思っていました。

 置物はボーンチャイナ製で、中央に腕時計用のムーブメントをあしらった可愛らしいもので、友人からのいただきものです。

 たまたま偶然同じ時期にもうひとつのムーブメントも止まってしまいましたが、寒さの厳しさがつのり電池の起電力が急激に低下したことによるものなのでしょう。

 電池交換はけっこう費用がかかり、一個につき野口英世さん一枚は必要です。

持ち前の好奇心も手伝ってそれぞれの時計を開けてみました。右写真の右側が左上写真のものです。

 電池は Sony と Maxell が装着されていましたが、型番は SR626SW とありました。これは直径約5mmの腕時計用 1.55V 酸化銀電池に間違いありません。
 さらにふと気付いて、私がよく利用する通販(○マゾン)で調べてみて驚きました。

 まずは品数の多さで、次いでその安さに驚きました。腕時計の電池を自分で交換しようという人はずいぶん多いということでしょうか。

 左写真は配送された電池5個のパックです。なんと送料無料で、一個当たり約60円也!!!

 右写真の左側がパッケージ表、右上が裏です。

 購入したのは Maxell のものですが、パッケージのいたるところに JAPAN の文字が見えます。
たしかに China 製の電池は多いですが、これほどまでに JAPAN が謳ってあるところをみるとおそらく海外ではゆるぎない地位を確立しているものと思われます、が、、、、よく調べてみるとどこにも Maxell の表示はありません。しかし電池には刻印してあります。もしかして再パッケージ品?

 左写真の左から今回購入品、中央が交換した Sony 製そして右が交換した Maxell です。







ということで無事に電池交換完了で、時計は何事もなかったようにまた動き始めました。電池はまだ3個あまっていますし、賞味期限は 2016/12 となっていますので、ほかの腕時計も機会があったらチャレンジすることにしましょう。

 たまたまこのブログを書いている最中に遠路香港から Bluetooth 3.0 のマウスが到着しました。(右写真)
 ロープロファイルのデザインとあいまって、このマウスと、先回ブログでお話したこれも Bluetooth 3.0 のキーボードつきのカバーが揃い、ようやく思い描いてきた Nexus 7 タブレット端末環境が完成しました。
 このマウスも送料無料で、野口英世さん一枚に満たないという国内調達の3分の1なのです。恐るべし通販、、、、

2014年2月18日火曜日

nexus7 の使い心地

 左写真は過日のブログ「新年のご挨拶」で登場した nexus7 です。
 使い始めて1ヶ月強経過しましたので、私なりの工夫をしながらの使い心地をご紹介しましょう。

 ところで、この機会によく友人から受ける質問に「なぜ nexus7 を選択したの?」というのがあります。
 たしかに、android系では nexus7 が抜け出していますが、iPAD miniとの比較においては、かつてカメラでライカか、コンタックスかといった議論があったのを思い出すほどにそれぞれの意見が伯仲して興味深いものがあります。

 私の結論は、「好み」です。iPAD いや apple は自らの主張が強く、システム全体を囲い込む傾向があるような気がします。それに対してandroid系はあくまでもオープンで、みんなの力でアメーバ的に発展しようとしているように見えます。
 このことは 初期のappleコンピュータとIBM-PCの争いを思い出しますが、多くの点から見てappleは完敗したと思いますが、いまだに人気があるのはやはり「好み」なのだと思います。

 私は、自分の趣味を反映させるために少しでもシステムの中に入り込みたいので、android系(Linux)を選択しました。自分でアプリをつくったり、 nexus7 で電子回路を動かしたり、、、、

 家人はすでに2年前からiPADをつかっていますし、私も使わせてもらっています。
 上の写真は iPAD(左)と nexus7(右)を比較したものです。画面の面積では iPAD の3分の1くらいですが、持ち運びの利便性を考慮すれば、 nexus7でもなんとか我慢、、、、

 移動先で使うときに(もちろん机上で)ソフトキーボードではキビシイものがありますので、本体のカバーを兼ねたキーボードがあるのを知り、価格がリーズナブルであったのも手伝ってさっそく入手しました。

 右写真のキーボードは左写真のようにピッタリとまるで純正部品のように納まります。
 ただし、カバーをしたときの重量は少し重くなりますが、不快なほどではありません。


 そしてキーボードに本体をセットしたときの様子が右写真です。

 さらにOTGケーブル経由でUSBマウスをつなげば、これはもう小型のラップトップ、、、、 画面上で左写真のようにポインターも使えます。


 nexus7 にマウスをつないだり、SDカードを読ませたりするためにはOTGケーブルなるものを使います。これはマイクロUSB端子の4番ピンが GND に接続してあるもので、普通のUSBケーブルを改造してOKでしたが、なんと百均(seria)でも売られていました。 
 右写真の10cmくらいのケーブルがそれです。そのケーブルの先にあるのがこれも百均のカードリーダで、一緒に写っているSDカードと比較して大きさがわかります。
 ちなみにその上の写真にあるUSBオプティカルマウスも百均で購いましたがさすがにこれは300円、でも百均も侮れない、、、、

 SDカードのデータを読みこませるには左の「 Nexus Media Importer 」なるアプリ(有料)が必要となります。当初は不具合もあったようですが、私の場合なんら問題なく動いています。

 内部のファイル操作はPCに接続すれば(この場合は通常のUSBケーブル使用)可能ですが、私は左の「ESファイルエクスプローラー」というアプリ(無料)を使っていますが、機能も多く便利です。

 私の nexus7 にはLTEがついています。最近は安価で、解約も自由なsimがあちこちで販売されるようになり、外出したときの車中やウォーキングで有効です。もっとも将来的には WiFi がいたるところで使用可能になるとは思いますが、、、、

 ということで使い始めてまだ1ヶ月強しか経過していませんが楽しく使っています。
 特にお気に入りなのが、「青空プロバイダ」と「縦書きビューワ」のアプリの組み合わせで何千冊もの本が無料で閲覧できる青空文庫です。(もちろん著作権の切れたもの、、、、)

 過日、1モデル前から nexus7 LTE をつかっている愚息に、バッテリーが切れたら交換できるのか、、、、という質問をしたら、これは基本的に使い捨てのもの、3・4年後には買い換えて、、、、のご託宣。

2014年2月4日火曜日

なつかしのEOS 20Dを救出

 つい先日、急ぎの写真プリントをするために近くのカメラ屋さんに出かけました。しばし後、プリントを受け取って帰ろうとしたそのとき、何かが私を呼んでいるような気がしました。

 振り向いてショウウインドウの片隅を見ると往年のディジタル一眼レフ 「キヤノン EOS 20D」が「処分品 ¥1000」のカードとともにあったのです。

 店員さんに説明を受けましたが、「動作はしますが、バッテリーその他付属品は何もありません」とのことでした。バッテリーは私が所蔵しているEOS 5Dと共通なので問題なく、取扱説明書や付属のソフトなどはキヤノンのホームページからダウンロードできます、、、、ということでボデーキャップすらない EOS 20D を家につれて帰りました。 

 さっそく適合バッテリーBP-511A」(右写真)をいれ、CFメモリーをセットし、適当なレンズを装着して試写しましたが、特に問題は見られませんでしたし、ファームウエアも最終版の2.0.3が入っていました。

 EOS 20Dは、2004(平成16)発売されたキヤノンのディジタル1眼レフ(たしかボディのみで約20万円)は従来の銀塩フィルムカメラからディジタルカメラに時代が大きく変わる時点に出現した大変エポックメーキングな機種だと思っています。そしてこのとき以降キャノンの独走が始まったのです。

 ボディはシャシーにステンレス合金を、外装カバーにマグネシウム合金を多用していますし、何よりもうれしいのは視野率95のファインダーにペンタプリズム使用しており、視た目が非常に美しいことと、1/8,000,X=1/250シャッターは機械式であることです。このことはそれまでの、今ではクラカメ(クラシック・カメラ)と称される機械式カメラのテイストそのままで、クラカメを経てきた私にはたまりません。

 そしてディジタルカメラとしては今でこそ撮像素子APS-Cサイズ有効820万画素3,504×2,336ピクセル)と少なく思えますが、A3サイズの作品をつくるわけではなく(そのときはEOS 5Dの登場)、お散歩カメラとしては0.2秒の高速起動とあいまって十分だとおもっています。

 本体を再度改めてみましたが、落下や当たりによる傷は見られず、ストロボシュー(左写真上部)と底面手前(下写真手前)に使い込みによると思われる摩れがみられました。これらはクラカメマニアにいわせれば「景色」と称し使い込んだ証だとか、、、、

 後はCCDの傷と、オートフォーカスのチェックです。CCDはとりあえずの意味で、白紙を撮影し、観察しましたが異常はありませんでした。

 フォーカスチェックは以前にカメラ屋さんに「下手なチャートを使うより、新聞紙で十分」と聴いた記憶があり、壁に貼った新聞紙を左写真のように約1.5mのところから中央重点AFで撮影して、これを各部位ごとに500%にして見てみました。



左写真は中央部の拡大(500%)、


 右写真は左上部の拡大(500%)ですが問題ないと思われます。
 他の部分もほぼ同じですが、これ以上の追求はむしろレンズの性能に及び当初の目的からピントはずれ?



 左は先回投稿したブログの写真ですが、実はこのカメラで撮影したものです。


 私は久しぶりに楽しい思いをしましたが、「またゴミをふやして」の声が聞こえてきそう、、、、

2014年2月1日土曜日

早春の庭

 しばらくタイにでかけていましたので、ブログが少し空いてしまいました。(タイについてはまたアップします。)

 お正月も過ぎ、日の沈む時間も徐々に遅くなり、耳を澄ませばかすかに春の足音が聞こえてくるようですが、ふと気がつけば我家の庭にもその萌しはありました。
 その一番は左写真のダイダイです。
 ダイダイは実が熟しても落実せず、次の年に新しい実がついてもまだ在る、、、、「代を重ねる」ということでこの名がついたとされています。ダイダイ色をしているからダイダイではないんですね!

 そのダイダイの色が徐々に濃くなり、青空にくっきりと映えてくるのも兆しのひとつです。

 ダイダイ以上にさらに見上げる高さにあるのが、我家のシンボルツリーのクロガネモチです。

 例年ならそろそろヒヨドリが集団でやってきて、あっという間にこの赤い実を食べつくしてしまうのですが、何故か今年はまだ実は無事?に残っています。(右)

 そして足元に目をやれば、クロガネモチによく似た赤い実をつけたマンリョウがあります。葉の下に垂れるように実をつけるのがマンリョウで、センリョウは枝の先端上部に実をつけます。(左)

 最後の一仕事、、、、とばかりに咲いているのはサザンカです。サザンカは樹によって咲く時期がずいぶん違いますが、この生垣のサザンカはまだ頑張っています。(右)

 


 この冬の寒空の中、健気に花を咲かせてくれたのはバラです。寒々とした冬の庭でこれほど美しい花があるでしょうか、、、、
 白のミニバラも負けじと咲いています。





 右写真はこれまで何度も紹介した、ウェルカムフラワーのアリッサムです。
 幸いこの花は一年を通して咲き、お客様に元気に歓迎のご挨拶をしています。


 近くにあるローズマリーも可憐な小さな花をつけて朝陽に輝いています。(左)


 右写真はブルースターです。この薄くきれいな青色は冬の庭といえども、ほっとした暖かさを感じさせてくれるのが何か不思議な気がします。


 そして春告げ花としてもっともふさわしいのがスイセンです。
 庭のあちこちの一株、一株に蕾がつき、白い花がぽつぽつと見られるようになれば、まさに春遠からじ、、、、といった風情でしょう。










 クリスマスローズも春に咲く花ですが、庭のあちこちを観て歩いた末、葉の重なり合った奥に、スポットライトで照らし出されたようにクリスマスローズの開花し始めた蕾を見つけました。

 クリスマスローズもスイセンと同様に株は庭のあちこちにあるのですが、さすがにこのようなものはなく、もしかして「アワテモノ、、、、」

2014年1月7日火曜日

カンボジアへお寺参り (その7 ハノイ・ハロン湾クルーズ)

 昨夕ハノイに到着、一夜明けて今日はハノイから左図の右上にあるハロン湾へ移動です。
 そこでクルージングしながら一泊し、明日またハノイに帰り、市内観光後、深夜便にて帰国となります。

 ホテルを出発の際には、ドア・ボーイならぬドア・ガールがお見送りです。彼女の顔を見ていたら、、、、アンコール遺跡にあった観音様を思い出しました。





 ここハノイは急成長の真っ只中で、バスの窓からも近代的なビルの建設ラッシュですし、日本からのビジネスマンともお会いしました。

 でもそれは一部のことで、従来どうりの生活もあり、それが発展途上の国でよく見られるように、共存しています。


 ハロン湾までは一般道路で、一車線しかなく(拡幅工事中のところが何箇所もありました。)、バスで約3時間強かかりました。

 
 ようやくハロン湾の島々が遠くに見えてきましたが、ハノイに入ってからは天候も下り坂で、霞んで見えています。


 港に到着し、早速乗船です。客室は18室で2階建ての、こちらでは中型船?そのためか、船客は私たち以外にはなく、貸切、、、、ということでした。早速キャビンに入ってみましたが、狭いですが何とか寝られそうです。

 船のデッキに上がって周りを見てみると、私たちと同じような船があちこちに浮かんでいます。




 しばらくして、出港です。危惧していた揺れはまったくなく、快適そのものです。船首にたって前方を見てみました。赤地に星ひとつはベトナムの国旗です。ちなみに赤地に鎌のマークは共産党の旗だそうです。


 ハロン湾とは空飛ぶ龍が降り立った場所」という意味だそうで、大小2000を超える島々はもちろん世界遺産で、映画「007シリーズ」でもよく使われているのを思い出しました。



 午後は水上生活の人々の見学です。
 近くに到着すると、そこから4人ずつ小さな手漕ぎボートに分乗して遠くに見えている村?へ出かけました。

 ライフジャケットが物々しいですが、着用が徹底されていました。
 家々は船の上に住居を構えたよく見られるものでしたが、私たちは、保育園を見学させてもらいました。

 子供たちは身軽に船の上(といっても板が広く敷いてある)を元気に駆け回って、遊んでいました。
 現地ガイドさんに教えられてみてみると、日本からの援助の痕跡が、、、、(写真左下)。

 途中、よくPR資料に見られた、岩の下にポッカリとあいた大きな水路がありました。



 これらの手漕ぎボートは二本の櫂を両手でうまく操って漕ぐものですが、オール(またはパドル)のように水を掻いて進むのではなく、日本で見られる和船の櫓のように水を切って進むのです。

 このことを見つけて感激しました、やはり東南アジアは日本とは縁が深いです。


 本船に帰ってきました。右側が船首で、二階船首側がレストランになっています。


 船の上では、いろいろと催しを考えてくれていました。
 左写真は春巻きを巻く(もちろん亭主連が)ための下準備です。さまざまな形のものができましたが、うまく揚げてもらっておいしくいただきました。
 ディナーの中の1品です。お皿に船名「ブハヤ(Bhaya)」が書かれていました。

 ここでのビールは、もちろん「ハノイ・ビール」です。

 食後のアトラクションに、タオルやナプキンを使っていろいろなものを作って見せてくれました。

 犬に見えますか?



 そして夜も次第に更けていき、デッキへ出て驚きました。煌煌とライトをつけたクルーズ船が、次々と集まってきていました。
 なるほどここは錨地(船のパーキングエリア)なのでしょう。
 まだイカ釣りなどの行事もあったようですが、疲れもあり早々にキャビンに行き、おやすみなさい。

 今日こそは!!と念じつつ早起きをしましたが、残念ながら空は曇りで、昨日のサンセットも、今朝のサンライズも観ることができませんでした。
 右写真はわずかに明るくなった東の空ですが、昨夜見た船(上写真)も見えています。
 2000余りあるという島々の景色は、瀬戸内海を思い出しましたが、規模はそれよりもずっと大きなものです。


 さらに周りにはたくさんの船が、、、、



 私たちがいるのを見つけてか、舟が何艘もあつまってきました。物売り舟です。

 よくみると(拡大してみてください)、面白そうな貝殻や真珠などで作った装身具などが広げてありました。
 写真のように長いさおの先につけたかごの中に商品やお金を入れてやり取りをするようです。
 
 右写真は物売りも一段落した売り子さんたちが停泊中のクルーズ船を背に朝食中です。

 朝食後、今度は少し大型の渡し舟に乗り換えて鍾乳洞見物に出かけました。
 前方に私たちのグループの先行船が見えています。

 島の中ほどに見えているのが鍾乳洞で、一巡りするのに階段を300段あまり登らなければならないと聞いて、一瞬「大丈夫かな?」。


 ようやくにして鍾乳洞の入り口にたどり着きました。

 振り向いてはるか見下ろすと、きれいな景色です。これで天候が快晴だったら、、、、


 鍾乳洞の内部は、種々の色照明がいたるところにされており、見るべきものも見えないありさまでした。




 左上写真は写真をモノクロにしてみましたが、左上の穴ボコ状の鍾乳石が珍しいとのこと、、、、
 右写真は出口から中を振り返ったところです。小さく写っている人に比べて、規模がわかります。(照明も)

ということで船に帰り、昼食後港からハノイへの帰途に着きました。

 写真はバスの車窓から見た、典型的な(都市部でも、農村部でも)ベトナムの住宅です。

 どの家も間口が狭く・一定で、奥行きと、高さで容量を変えるしかないようです。

 ハノイ市内の繁華街で懐かしい看板を目にしました。マリリン・モンローです。
 ここは共産主義国家だっけ?でもあなたはいつでもどこでも輝いています。

 市内で最初に行ったのは世界遺産のタンロン遺跡です。左写真は城門で、大勢の学生?が何か集まっています。卒業祝いでしょうか。

 タンロン(昇龍)はハノイの旧称で、紀元1010年から約800年間、ベトナム諸王朝がここに都を置いたのでそれぞれの時代の遺跡が重なっているのが特徴で

 広場には男女が楽しそうにそれぞれ時を過ごしていますが、右後方に目をやると、旧ソ連のミグ戦闘機です。
ベトナム戦争の戦勝記念でもあるのでしょうか。



 左写真はかつて王宮の階段を飾ったと思われる龍の彫刻です。左右一対の左側ですが、世界遺産といわれなければ気付かない存在です。

 これも古い時代の城門です。(右写真)
 数人の女性がこちらに歩いてきますが、アオザイを着ていません。先ほどの広場の女性はみな白いアオザイを着ていました(独身)が、、、、
 次に私たちは、ホーチミン廟をおとずれました。
 すでに夕闇が迫っていましたが訪れる人は後を絶ちません。遠くに衛兵に護られたホーチミン廟を背にベンチに腰掛けた若い恋人たちは何を語り合っているのでしょうか。

 最後にこの地方の伝統芸能である、水上人形劇を鑑賞しました。

 ベトナムには各地に水上人形劇があるそうですが、ここハノイのホアンキエム湖の湖畔にあるタンロン水上人形劇はつとに有名で人気が高いそうです。

 舞台は、階段状の観客席の前に見下ろされるように設置されており、両側の演奏者席で奏でられる民族楽器と唄にあわせて中央のプールの中で演じられます。
 人形はイチジクの木で作られており、日本の操り人形のように舞台の後ろ側から操作するものと思われます。

 もちろん仕掛けなどは水面下にあり観客には一切見えない工夫と技があります。

 演目は、ベトナムの民話・伝説・神話など題材としたもので情緒のあるベトナム民謡の調べや女性歌手の歌声にのせ速いテンポとコミカルな人形さばきで私たちを楽しませてくれました。


 上写真は「田植え」です。

 演技終了後、演者がそろってご挨拶です。(舞台の大きさがわかります)


 このあと、レストランに移動し、これまでの無事を祝って、シャンパンで乾杯、その後深夜便にて日本への帰国の途に着きました。

 
 今回の旅は、アンコール遺跡を主体に考えていたのですが、その他いろいろな文化に触れることができ、大変楽しく、有意義でした。同じツアーでお世話になった方々にも感謝したいと思います。

                     ----- 完 -----