2013年4月16日火曜日

春の苗木城址


 暖かい春の日差しに誘われて、ひさびさに中津川にある苗木城址へ地元の友人と会って昼食を摂るべく出かけました。高速道路ではなく、足助、稲武、を経由して、途中春の景色を楽しみながら旧中仙道を北上しました。花には少し遅いですが、山櫻はまだまだいたる所にあり、それ以上に、木々が芽吹いて一斉に明るくなる「山笑う」を実感できました。
 苗木城は鎌倉時代女城主で有名な岩村城の遠山氏が苗木に北方進出のため砦を築いたことに始まります。
 戦国時代に城となりましたが豊臣方の森長可に城を落とされ時の城主遠山友忠は徳川家康を頼りました
 しかし関が原の戦いの折、その子友政が奪還、戦役後あらためて1万石余りをもって苗木に封じられ苗木遠山氏の初代となり、以後12代、明治になるまで存続しました。現在は国の史跡に指定されています

 苗木城は「赤壁城」の別名があって、城の壁は白漆喰ではなく赤土がむき出しになっていたと伝えられています

 その理由については、木曽川に住む竜が白い色を嫌い、何度漆喰を塗り直しても嵐を起こしてはぎ取ってしまったという話が残されていますが、実際には、苗木藩が経済的に弱体で漆喰を塗る経費が捻出できなかったというのが本当のところとされています。


 地図の左下から登り始めますが、途中山櫻やツツジがきれいに咲いていました。





 登り口から風吹門を見たところです。門の向こうに櫻が見えています。








 櫻と石垣の組み合わせもまた絵になります。

 土井晩翠の「荒城の月」の歌詞の4番に 「天上影は変はらねど 栄枯(えいこ)は移る世の姿~ 」 とありますが、まさにそのままです。


 風吹門を入ったところが三之郭あとの広場になっています。ちいさな女の子がお母さんと来ていました。



 右上写真は風吹門の左手にある大矢倉を見上げたところです。チラホラと人影が見えます。日曜日なのに何故かあまり人は多くありませんでした。

 右写真は三之郭あとの広場にある「花桃」です、気のせいか楚々と咲いているような、、、、










 白い花が見えているのは「馬酔木」です。この城内には多くあり気のせいか香りもよりふくよかでした。






 いよいよ本郭に上がっていきます。この城はいわゆる山城で、とりわけ巨大な自然石が多くの場所で使用されているのが特徴だそうです。






 頂上から見た景色です。遠くに見えるのは恵那山でこの地方ではもっとも南にある2000m級の山です。つい先日の寒波のせいで降った雪がまだ所々残っています。

 眼下の瑠璃色に見える流れは木曽川です。この少し下流が恵那峡下りの始点になります。

 今は春、山は薄く霞み、山々の木々は一斉に色とりどりの若芽を吹き出しています。本当にこうして眺めていると時を忘れてしまいます。
 ちなみにここの高低差は150mもあるとか、、、、




 こちらは先ほどの大矢倉の跡です。こうして見下ろしてみると南米の遺跡のように複雑な石組みがみて取れます。



 ちょうどお昼時になりました。地元の友人が丹精してお弁当を作ってきてくれました。まるい重箱の三段重ねです。


 おにぎりは3種類、海苔巻き、高菜巻きそして「オコギ(木の若芽)」のまぜごはん、一方、お惣菜は、タケノコ、ワラビ、黒豆、オコギ、エシャロットなどなどみな手作りの心こもったものばかりです。

 程よい運動の後とて、あっというまもなく食べてしまいました。


 暖かい春の日差しと、心地よいそよ風、そして久方ぶりのふるさとの景色、、、、なんと言う贅沢な昼食でしょう。

 私たちの弾む会話に、ホオジロも頭上に割り込んでさえずり始めました。





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