2026年5月20日水曜日

もう夏です、我が家の庭、、、2026

  ここのところ、空は青く澄み渡り、気温も30℃を上回る、、、などと5月も半ばだというのに、もう夏です!

 我が家の庭で夏の到来を告げるものの一つが、左写真の「ジューン・ベリー」で、数mmの実があかくいろづいてきました。
 ジューン・ベリーは北米が原産のバラ科落葉中高木で、春は白い可憐な花、5月に赤い実をつけ、秋にはきれいな紅葉となり、一年中楽しむことができます。
 赤い実は黒っぽくなってきたら食べごろで、そのまま口に入れると小さな種が少し気になりますが、素直な甘さが落ち着いた気分にしてくれます。

 さすがにこのおいしい実を小鳥たちが見逃すわけはなく、朝早くから幾種類もの鳴き声が聞こえています。
 そんななか、小鳥たちと競うようにして、黒く熟した実のいく粒かをほおばってから朝の散歩に出かけるのがこのところの日課となっています。
 ちなみに花言葉を調べてみました、「穏やかな表情、穏やかな笑顔」とありました。

 もう一方で、これも我が家のシンボルツリーである、「キーウイ」も花が真っ盛りです。
 キーウイは雌雄別株で、オスの花が少し早く咲き、次いでメスの花が咲きます。そして花が終わった後には写真右上にみられるような赤ちゃんキーウイが沢山見て取れます。

 ある時期以降、ミツバチなどの昆虫をあまり見かけなくなりましたが、何事もなく例年結実していますので、キーウイは風媒花なのかもしれません。

 このキーウイはもう60歳にはなり、私たちの子供と同じような年齢なのです。そして秋に熟したたくさんの実を、親子孫ひ孫の4代のそれぞれが食べる、、、という、うれしいシンボルツリーなのです。

 今年はまた一段と多くの花をつけた、「スター・ジャスミン」です。
 名前はジャスミンとなってはいますが、本当はキョウチクトウの仲間で、香りがジャスミンに似ているところからこの名前になったようです。

 白い5弁の花は楚々として美しく、香りも馥郁としたものがありますが、これらは猛毒で、一切口に入れてはならず、この木の傷口から分泌される白い樹液にも要注意です。

 このスタージャスミンは、幼少からの友人にもらったものですが、今年の初めに彼の訃報に接しました。同級生であったということでとりわけ親しくしていたのですが、残念です。

 このスタージャスミンのカーテンが毎年この時期に彼のことを思い出させてくれることでしょう。

 白い花と言えば、今この「レース・フラワー」またの名を「ホワイト・レース・フラワー」もきれいに咲いています。英名では Queen Anne's Lace (アン女王のレース)で、女王がレース作りに堪能だったことにちなんだようです。














 この花の和名はなぜか「ドクゼリモドキ」だとかで、綺麗な花には毒がある? でも実際は毒性はないそうで、単に花の形が似ているから、、、、
 ちなみに花言葉は、「可憐な恋、繊細」!!

 左上写真は、アジサイが花をつけ始めたところです。手前が普通のアジサイ、右上が葉が柏に似ているところから「カシワバアジサイ」、原産地は北アメリカ東部です。

 玄関先で綺麗に咲いているのは「ブルースター」です。
 花嫁が身に着けると幸せを呼ぶという「サムシングブルー」で知られるこの花は通称ブルースターですが、本名?は「ルリトウワタ(瑠璃等綿)」でこれもキョウチクトウの親戚、、、、南アメリカ原産です。

 細かいことはさておき、このような美しいブルーの花は魅力的です。
 今年は家人の丹精あってか、立派に育ちたくさんの花をつけ、ウエルカム・フラワーとして道行く人の目を楽しませています。





 これは花ではありません、そう、「アスパラガス」です。
 今年で3年目になりますが、丹精の結果、今年の収穫は現在までで約100本(この一株だけで)となりました。
 しっかり手入れすれば、あと10年はOK?とか、、、さて来年が楽しみです。

 またまた話は変わりますが、、、、
 我が家の玄関先に「キンモクセイ」の木があり、毎年秋になるとその香りで季節を知らせてくれます。

 3週間ほど前から、朝方散歩のために外へ出るたびにヒヨドリが大騒ぎで、このキンモクセイから飛び立つようになりました。
 不審に思った家人が、樹の内側に作られた鳥の巣を発見しました。中には卵が3個あり、大きさとその模様などからヒヨドリの巣と卵だと判明しました。

 もちろん卵に触れたり、巣を壊すことは法律で禁じられていますのでそっとしておくことにしましたが、こんな場所で果たして営巣ができるのか?と案じていました。
 
 その後ヒヨドリの姿も徐々に見かけなくなり、昨日、巣の中を確認したら、卵は3個ともなくなっていました。

 鳥が卵を運ぶというのは聞いたこともありませんので、カラスか蛇か何か他の動物に襲われたと考えるのが妥当でしょう。でもその痕跡は、巣や木の下などには何もありませんでした、不思議です、、、、

 今年も季節が廻り来たって、夏となり、我が家の小さな庭にもいろいろなことが起こっています。このような自然の事象にかかわっていける健康に感謝しています。

2026年5月9日土曜日

9年ぶりに完成しました・・・ANRITSU製 ATT

  左写真は、ANRITSU製の、おそらくStandard Signal Generator:標準信号発生器から取り外されたと思はれる、ATT(信号減衰器)です。

 手持ち部品を整理していたらこれが出てきたのです。  思い返すと、 このブログの2017年1月23日に

 (クリックでこのページへジャンプ)

として掲載していたものです。
 この部品の詳細や解析結果、実際の駆動方法などが書かれていますが、装置として使うための実装がされていませんでした。

 私のように、解析や実験により興味を持つ者にとって、ケースをつくり、実装して実用装置の形まで作業を進めることはかなりハードルが高いようですが、この機会に完成形まで、、、、と一念発起しました。

 私は実験結果をノートに努めて残すようにしていますので、上記ブログの日付(2017年1月23日)からノートを遡ってみました。

 ありました! 数ページにわたって詳細に記録されており、この時の arduino のスケッチもパソコンの中から探し当てられました。

 コンピュータのプログラムのようなものは別として、実験ノートのようなものは、いわゆる大学ノートに日付順に書き込んでいくだけのほうが使いやすいと私は思っています。(化石人間???
) 
 そんなわけでこの実験ノートも一年で約1冊のペースで、今では33冊目となっていますが、どの記事がどこにあるかの、いはゆる検索が苦手ですので、出来上がったものにはその日付を必ず入れておくようにしています。







 








 上写真が、今回作成したケースで、1mmのアルミニウム板を切断・曲げ加工したものです。
 左側が、ベース側(下側)で表示、ATTコントロールなどの機能部分が搭載されています。右側はATT本体を固定してあり、上からかぶせるようにして一体化します。
 これらはできる限り小型にしたかったため、各所の寸法がギリギリで、組み立てにはかなり苦労しました。

 7セグメントの4桁表示器(使っているのは3桁)とATTの制御基板をそれぞれ駆動するための回路で、ATMega 88 を使っています。(左図)

 表示器は上下逆さにして、ドットを10の位の表示に使いますので、左下図のように、黒字の A B C ・・・を赤字の A B C ・・・に接続を変える必要があります。













 右写真はその実態写真でかなりゴタゴタしており、お恥ずかしい限りです。



 左写真は正面からのもので、左右の金色 SMC コネクタは ATT に直付けされたものそのままで、スペースと性能低下に配慮したものです。

 ツマミを回すと中央の3桁7セグ LED の数字が変化して ATT の減衰量 ーdB を表示しますが、右回転で数字を小さくし、 減衰量が少なくなるようにしてあります。

 写真では ー123dB が表示されています。また今回使用した、ロータリーエンコーダにはプッシュスイッチがついていますので、ツマミを押すと10の位のドットが点灯し、10の位を変化させることができるようになり、再度押すとこのモードは解消されます。

 ということで、9年の月日を経てようやく実用できるようになりました。
 電源の15Vを必要としますが、比較的小型でツマミも軽く、かつ節度も良く、カチカチと気持ちよく作動してくれます。

 念のため製作日時も書きこみました、これで故障時の対応も万全です!!!

2026年3月31日火曜日

ひさしぶりの小旅行 長浜・近江八幡 その2

 その1は中途半端に終わりました、長浜出発以降がその2になります。

  ホテルは琵琶湖大橋の近くにありますので、長浜からは約50㎞の距離、ルートはさざ波街道を使い、約1時間半で到着しました。












 チェックインの後、少し休息してから早めの夕食です。 



 雨は昼過ぎには上がっていましたが、12階のレストランから観る琵琶湖大橋の遠景はかすんで見えていました。
 




 料理はメニューから OHMI CUISINE の GRILL COURSE を選びました。
 CUISINE(クイジーン)は特定の地域や文化の料理を意味しますので、近江郷土料理とでもいいましょうか、とにかくこだわっているようです。
 
 先ずは赤のグラスワインで乾杯、

APPETIZER(右写真左上)は寒ブリのカルパッチョと冬野菜のサラダ。

FISH は甘鯛と冬野菜のポトフ仕立て、200℃以上で使えるカルタファタで包んであった。

GRILL は黒毛和牛ひれ肉のグリル、

DESSERTはホワイトチョコレートのガトー、HAPPY Anniversary はホテルが気を利かせてくれました。

 食後、温泉浴場でゆっくりと疲れを癒しました。お湯は赤茶色で、ホテルのすぐそばで湧き出た美崎温泉(低張性弱アルカリ性温泉)のものとか、一般的には温泉をもっと大きく宣伝するのに、、、、温泉があったとは知りませんでした。

一夜明けて

 朝食は例によってビュッフェスタイルです。朝7時の開店時刻に行きましたが、すでに20人近くの東洋系外国語を話す人たちが並んでいました。
 幸い、多少狭いながらも、琵琶湖に面した席に案内され、いざスタート!!

 写真は2人分です、これでも随分自制したつもりですが、、、、 でも料理はどれも素晴らしくおいしいものばかりでした、お昼は抜きかな??

 朝食後、室内温水プールに出かけましたが、25mあるこれも立派なもので、水もきれいに管理されていました。

 チェックアウト間近に出発しました、次の目的地は近江八幡市にある八幡山城跡で、昨日来たさざ波街道を約20分、16kmほど戻ったところにあります。

 八幡山城跡のふもとには日牟禮八幡宮があります。古くから近江商人の信仰を集めており、近江八幡市の市名の由来となりました。

 神社内には菅原道真の天神様も祭られ、また下写真の右側に屋根が見えている、立派な能舞台もありました。

 八幡山城
へはロープウエイで登ります。









 振り返ると、琵琶湖と近江八幡の町が一望です。同乗した小学生たちと写真をパシャリ、、、、








 八幡山城
西の丸址から琵琶湖を遠望したパノラマ写真です、遠い山並み中央で高く尖って見えているのが比叡山です。

この八幡山城は豊臣秀次が築城したとされています。
 秀次は秀吉の姉の子で甥にあたりますが、子に恵まれない秀吉が後に養子としました。
 信長の死後、秀吉が台頭していく中で功績のあった秀次がこの地を得、八幡山城を築城したのですが、その際、住民や建物を含め多くを安土から移し、街を繁栄させたことも知られています。
 しかしながら秀次事件で秀次が世を去ってのち、築城してわずか10年後八幡山城は廃城となってしまいました。
 今では残された石垣からも木々が生え、、、、兵どもが夢の跡。














 険しい城跡を上り下りしたせいかおなかが空いてきましたので、昼食場所を探しながら、近江八幡の町を散歩してみることにしました。
 上左写真は、八幡堀で、琵琶湖とつながったこの水運で商業都市として発展し近江商人を生み出したのです。
 上右写真は、近江八幡社入口の大鳥居越しに「白雲館」を観たものです。白雲館は、明治10年近江商人たちが子女の教育のため資金を出し合って設立した八幡東学校が前身です。

 町並みは
国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されているだけあって、落ち着いた佇まいです。

 遠く左側に白い四角の「メンターム」と書いた看板がありますがここに近江兄弟社があるようです。「メンターム」は現在の近江兄弟社の商品名で、我々世代になじみの「メンソレータム」は、1974年に倒産する以前の近江兄弟社が米・メンソレータム社から輸入またはライセンス製造していたものです。(今はロート製薬)

 右にそれぞれのシンボルマークを挙げましたが、左が「リトルナース」、右が「メンターム・キッド」というらしいです。

 しばらく歩いて、家人が素晴らしい店を見つけました。八幡堀近くの郷土料理屋「喜兵衛」と言う店です。

 この店は江戸・享保年間から270年続いて、両替商、肥料商などを営んできた家を平成6年に
郷土料理屋へ改装したとのこと。 
 写真右下は店内にあった古き時代の絵です。

 店内は昔ながらの和室にイスとテーブルが置いてあり、楽に食事ができるようになっていました。見上げると、年を経ていい味が出た見事な欄間があり、見とれてしまいました。

 また、ここの郷土料理は、板前さんではなくて、ご近所のおばさんたちが集まって作っているとか、、、、

 私たちは、喜兵衛膳と別皿として「鯉の煮つけ」をオーダーしました。

 右写真の左にあるのが、別皿の「鯉の煮つけ」です。お腹が卵でいっぱいに詰まった、見るからに大きな鯉を輪切りにしたものを甘辛く煮た、かつての懐かしい料理です。

 メニューによれば、本膳の中には「黒和牛の冷しゃぶ・赤こんにゃく・丁字麩・琵琶湖の小魚(三種)・丁稚羊かん・その他」があり、おいしく、楽しくいただきました。

 また庭も素晴らしく、非日常の時間を十分に楽しむことができました。






 期待していた桜の花には出会えませんでしたが、幸い天候に恵まれ琵琶湖を背景に、時間を忘れ「豊臣兄弟」の時代を思い返しながら、観・聞き・味わうことのできた楽しい小旅行でした。
 健康に留意してまた新しい旅にチャレンジしたいと思います。

2026年3月30日月曜日

ひさしぶりの小旅行 長浜・近江八幡 その1

 大河ドラマもいよいよ盛り上がってきたようです。(左写真はその宣伝ポスター)
 それにあやかったわけではありませんが、久しぶりに琵琶湖へ一泊旅行をしてきました。 
 というのも琵琶湖の東岸にはかの時代に思いを巡らせることのできる有名な城跡が比較的多く存在するのです。 
 右下の地図に、琵琶湖東岸にある三英傑時代の城とそれにかかわりの深い人物を記載してみました。




 今回はその中の、長浜と近江八幡を訪れました。
 桜の花にも期待をしていましたが、この地方はどこも開花寸前ということで、今回の旅行ではお目にかかることはできませんでした。

 古来琵琶湖は北国と京の都との重要な流通ルートで、時の権力者は水運支配に注力していたようです。
 かの平清盛は琵琶湖から日本海への運河開削を計画していたとの歴史的事実もありますし、織田信長も水運支配権に加え、京への要衝の地としても着目し、天下布武を成し遂げました。(最近の理解では、天下=畿内)

 当日の天候は雨に向かっての曇天でしたが幸い気温はそれほど低くはありませんでした。

 さっそく長浜城跡近くに建てられた長浜城歴史博物館を訪れました。

 もちろん長浜城は、秀吉が羽柴秀吉時代に築城したものですが、築城に当たっての資材を、攻め落とした浅井長政の小谷城から運び流用したことが知られています。
 また関ヶ原の合戦以降に長浜城は廃城とされその資材は彦根城に多く使われた、、、、というのも歴史ですネ、、、、

 最上階のデッキから琵琶湖を展望しました。
 眼下の公園内に、紅白の梅の花?が見えています。

 館内はすべて撮影禁止だったので何も掲載できませんが、多くの資料が丁寧に展示されており、多くの知識を得ることができました。
 

 長浜市の観光スポット・黒壁スクエアへの道筋に豊国神社がありました。

 もちろん豊国神社は秀吉が亡くなったのち、このゆかりの地に建立されたものですが、徳川政権下では存続が許されず、廃止。
 しかし住民の意志は固く、「えびす宮」「ゆたか宮」と名を変え、明治になってようやく「豊国神社」が復活したという逸話があります。
 写真右端にある石柱に「長浜恵比寿宮」とあるのはその所以です。

 黒壁スクエアは江戸時代から明治にかけての伝統的な和風建造物が多い北国街道と美濃谷汲街道が交差するあたりの町おこし地域の呼称で、その美濃谷汲街道の西側からのアーケイドの入口に、写真のようなレリーフのような造形が掲げてありました。
 歌舞伎の連獅子のようです。








 幸いにもこの日は小雨がぱらついていましたので、アーケイドは大助かりでした。





 右写真が札ノ辻(北国街道と美濃谷汲街道の交差点)の北東にある旧・国立第百三十銀行長浜支店(別名 黒壁銀行)で黒壁1號館、黒漆喰が印象的です。
ちなみに黒壁館は、30號館以上あるようです。



 そろそろお昼時です、「湖のスコーレ」という店?を見つけました。
 スコーレはギリシャ語で学校を意味し、湖国の暮らしの知恵を学ぶ場所として広々としたストアに喫茶室、チーズの製造室や醸造所、ギャラリー、体験教室など学びのきっかけを散りばめた商業文化施設だそうです。
 この喫茶室でランチセットを選び、家人は「おうみ海老の濃厚海老ぽた坦々うどん」を、私は「近江牛の伊吹山発酵カレー」をオーダーしました。サラダ、デザート、コーヒーもついて量も適当でおいしくいただきました。

 食後の散策中に左写真の建物を目にしました、
長浜曳山祭で使用される曳山(または山車)のいわば車庫のようなものだそうです。
 長浜曳山祭は、長浜市で毎年4月に開催される祭で、京都の祇園祭、高山市の高山祭と並んで日本三大山車祭の一つとされているとか、、、、ちなみに曳山の数は合計13あるそうです。

 途中で「芋きんつば」なるものを見過ごせず、即お買い上げ、、、、

 いったん駐車場へ戻り、行き先を模索したところ、近くに「慶雲館」なる場所を発見、訪れることにしました。

 明治20年2月、明治天皇皇后両陛下が京都行幸の帰路、大津から船を利用し長浜に上陸、鉄道への乗り換え時間に滞留する施設が無く、長浜の実業家・浅見又蔵氏が私財1万円を投じ3ヶ月余りの突貫工事で完成させたとのこと。
 ちなみにその時の滞在時間は1時間だった、、、、

 慶雲館の名前は伊藤博文によるもの、、、、左写真上に彼の筆による扁額がありました。(これはコピーとのこと)

 ただし別部屋にあった犬養毅による扁額は実物でした。(左写真下)
 この「天行健」は古代中国の「易経」にある言葉で、「天の運行は規則正しく、健やかである」という意味で、君子もこの天の精神に倣い、自ら努めて向上し、絶えず努力し続けるべきだという教えです。

 当時使われた玉座がありました。向かって右が天皇の御座ですが、大正以降は西洋に倣って左右の座が入れ替わります。






 この部屋の群鶴図襖や梅の花をかたどった照明器具も明治時代に製作されたものとのこと。


 巨石を多く使った広大な庭もたまたま工事中とのことで、十分には拝観できませんでしたが、立派なものでした。







 左写真は、推定20トンはある自然石の石灯篭で、滋賀郡志賀町から船で湖上を運ばれたといいます。



 慶館を後にして、ふと前を見て驚きました、なにせ目の前にあるのは旧・長浜駅舎なのですから。

 正式には「長浜鉄道スクエア」といい、鉄道フアンなら誰でも一度は訪れてみたいところなのです。
 このスクエアは「旧・長浜駅舎」に加え「長浜鉄道文化館」・「北陸線電化記念館」の3館で構成されており、ゆっくりと見学したかったのですがホテルのチェックイン時間が気になって、またの機会とすることにしました。

つづきは その2 にて、、、、