2026年3月31日火曜日

ひさしぶりの小旅行 長浜・近江八幡 その2

 その1は中途半端に終わりました、長浜出発以降がその2になります。

  ホテルは琵琶湖大橋の近くにありますので、長浜からは約50㎞の距離、ルートはさざ波街道を使い、約1時間半で到着しました。












 チェックインの後、少し休息してから早めの夕食です。 



 雨は昼過ぎには上がっていましたが、12階のレストランから観る琵琶湖大橋の遠景はかすんで見えていました。
 




 料理はメニューから OHMI CUISINE の GRILL COURSE を選びました。
 CUISINE(クイジーン)は特定の地域や文化の料理を意味しますので、近江郷土料理とでもいいましょうか、とにかくこだわっているようです。
 
 先ずは赤のグラスワインで乾杯、

APPETIZER(右写真左上)は寒ブリのカルパッチョと冬野菜のサラダ。

FISH は甘鯛と冬野菜のポトフ仕立て、200℃以上で使えるカルタファタで包んであった。

GRILL は黒毛和牛ひれ肉のグリル、

DESSERTはホワイトチョコレートのガトー、HAPPY Anniversary はホテルが気を利かせてくれました。

 食後、温泉浴場でゆっくりと疲れを癒しました。お湯は赤茶色で、ホテルのすぐそばで湧き出た美崎温泉(低張性弱アルカリ性温泉)のものとか、一般的には温泉をもっと大きく宣伝するのに、、、、温泉があったとは知りませんでした。

一夜明けて

 朝食は例によってビュッフェスタイルです。朝7時の開店時刻に行きましたが、すでに20人近くの東洋系外国語を話す人たちが並んでいました。
 幸い、多少狭いながらも、琵琶湖に面した席に案内され、いざスタート!!

 写真は2人分です、これでも随分自制したつもりですが、、、、 でも料理はどれも素晴らしくおいしいものばかりでした、お昼は抜きかな??

 朝食後、室内温水プールに出かけましたが、25mあるこれも立派なもので、水もきれいに管理されていました。

 チェックアウト間近に出発しました、次の目的地は近江八幡市にある八幡山城跡で、昨日来たさざ波街道を約20分、16kmほど戻ったところにあります。

 八幡山城跡のふもとには日牟禮八幡宮があります。古くから近江商人の信仰を集めており、近江八幡市の市名の由来となりました。

 神社内には菅原道真の天神様も祭られ、また下写真の右側に屋根が見えている、立派な能舞台もありました。

 八幡山城
へはロープウエイで登ります。









 振り返ると、琵琶湖と近江八幡の町が一望です。同乗した小学生たちと写真をパシャリ、、、、








 八幡山城
西の丸址から琵琶湖を遠望したパノラマ写真です、遠い山並み中央で高く尖って見えているのが比叡山です。

この八幡山城は豊臣秀次が築城したとされています。
 秀次は秀吉の姉の子で甥にあたりますが、子に恵まれない秀吉が後に養子としました。
 信長の死後、秀吉が台頭していく中で功績のあった秀次がこの地を得、八幡山城を築城したのですが、その際、住民や建物を含め多くを安土から移し、街を繁栄させたことも知られています。
 しかしながら秀次事件で秀次が世を去ってのち、築城してわずか10年後八幡山城は廃城となってしまいました。
 今では残された石垣からも木々が生え、、、、兵どもが夢の跡。














 険しい城跡を上り下りしたせいかおなかが空いてきましたので、昼食場所を探しながら、近江八幡の町を散歩してみることにしました。
 上左写真は、八幡堀で、琵琶湖とつながったこの水運で商業都市として発展し近江商人を生み出したのです。
 上右写真は、近江八幡社入口の大鳥居越しに「白雲館」を観たものです。白雲館は、明治10年近江商人たちが子女の教育のため資金を出し合って設立した八幡東学校が前身です。

 町並みは
国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されているだけあって、落ち着いた佇まいです。

 遠く左側に白い四角の「メンターム」と書いた看板がありますがここに近江兄弟社があるようです。「メンターム」は現在の近江兄弟社の商品名で、我々世代になじみの「メンソレータム」は、1974年に倒産する以前の近江兄弟社が米・メンソレータム社から輸入またはライセンス製造していたものです。(今はロート製薬)

 右にそれぞれのシンボルマークを挙げましたが、左が「リトルナース」、右が「メンターム・キッド」というらしいです。

 しばらく歩いて、家人が素晴らしい店を見つけました。八幡堀近くの郷土料理屋「喜兵衛」と言う店です。

 この店は江戸・享保年間から270年続いて、両替商、肥料商などを営んできた家を平成6年に
郷土料理屋へ改装したとのこと。 
 写真右下は店内にあった古き時代の絵です。

 店内は昔ながらの和室にイスとテーブルが置いてあり、楽に食事ができるようになっていました。見上げると、年を経ていい味が出た見事な欄間があり、見とれてしまいました。

 また、ここの郷土料理は、板前さんではなくて、ご近所のおばさんたちが集まって作っているとか、、、、

 私たちは、喜兵衛膳と別皿として「鯉の煮つけ」をオーダーしました。

 右写真の左にあるのが、別皿の「鯉の煮つけ」です。お腹が卵でいっぱいに詰まった、見るからに大きな鯉を輪切りにしたものを甘辛く煮た、かつての懐かしい料理です。

 メニューによれば、本膳の中には「黒和牛の冷しゃぶ・赤こんにゃく・丁字麩・琵琶湖の小魚(三種)・丁稚羊かん・その他」があり、おいしく、楽しくいただきました。

 また庭も素晴らしく、非日常の時間を十分に楽しむことができました。






 期待していた桜の花には出会えませんでしたが、幸い天候に恵まれ琵琶湖を背景に、時間を忘れ「豊臣兄弟」の時代を思い返しながら、観・聞き・味わうことのできた楽しい小旅行でした。
 健康に留意してまた新しい旅にチャレンジしたいと思います。

2026年3月30日月曜日

ひさしぶりの小旅行 長浜・近江八幡 その1

 大河ドラマもいよいよ盛り上がってきたようです。(左写真はその宣伝ポスター)
 それにあやかったわけではありませんが、久しぶりに琵琶湖へ一泊旅行をしてきました。 
 というのも琵琶湖の東岸にはかの時代に思いを巡らせることのできる有名な城跡が比較的多く存在するのです。 
 右下の地図に、琵琶湖東岸にある三英傑時代の城とそれにかかわりの深い人物を記載してみました。




 今回はその中の、長浜と近江八幡を訪れました。
 桜の花にも期待をしていましたが、この地方はどこも開花寸前ということで、今回の旅行ではお目にかかることはできませんでした。

 古来琵琶湖は北国と京の都との重要な流通ルートで、時の権力者は水運支配に注力していたようです。
 かの平清盛は琵琶湖から日本海への運河開削を計画していたとの歴史的事実もありますし、織田信長も水運支配権に加え、京への要衝の地としても着目し、天下布武を成し遂げました。(最近の理解では、天下=畿内)

 当日の天候は雨に向かっての曇天でしたが幸い気温はそれほど低くはありませんでした。

 さっそく長浜城跡近くに建てられた長浜城歴史博物館を訪れました。

 もちろん長浜城は、秀吉が羽柴秀吉時代に築城したものですが、築城に当たっての資材を、攻め落とした浅井長政の小谷城から運び流用したことが知られています。
 また関ヶ原の合戦以降に長浜城は廃城とされその資材は彦根城に多く使われた、、、、というのも歴史ですネ、、、、

 最上階のデッキから琵琶湖を展望しました。
 眼下の公園内に、紅白の梅の花?が見えています。

 館内はすべて撮影禁止だったので何も掲載できませんが、多くの資料が丁寧に展示されており、多くの知識を得ることができました。
 

 長浜市の観光スポット・黒壁スクエアへの道筋に豊国神社がありました。

 もちろん豊国神社は秀吉が亡くなったのち、このゆかりの地に建立されたものですが、徳川政権下では存続が許されず、廃止。
 しかし住民の意志は固く、「えびす宮」「ゆたか宮」と名を変え、明治になってようやく「豊国神社」が復活したという逸話があります。
 写真右端にある石柱に「長浜恵比寿宮」とあるのはその所以です。

 黒壁スクエアは江戸時代から明治にかけての伝統的な和風建造物が多い北国街道と美濃谷汲街道が交差するあたりの町おこし地域の呼称で、その美濃谷汲街道の西側からのアーケイドの入口に、写真のようなレリーフのような造形が掲げてありました。
 歌舞伎の連獅子のようです。








 幸いにもこの日は小雨がぱらついていましたので、アーケイドは大助かりでした。





 右写真が札ノ辻(北国街道と美濃谷汲街道の交差点)の北東にある旧・国立第百三十銀行長浜支店(別名 黒壁銀行)で黒壁1號館、黒漆喰が印象的です。
ちなみに黒壁館は、30號館以上あるようです。



 そろそろお昼時です、「湖のスコーレ」という店?を見つけました。
 スコーレはギリシャ語で学校を意味し、湖国の暮らしの知恵を学ぶ場所として広々としたストアに喫茶室、チーズの製造室や醸造所、ギャラリー、体験教室など学びのきっかけを散りばめた商業文化施設だそうです。
 この喫茶室でランチセットを選び、家人は「おうみ海老の濃厚海老ぽた坦々うどん」を、私は「近江牛の伊吹山発酵カレー」をオーダーしました。サラダ、デザート、コーヒーもついて量も適当でおいしくいただきました。

 食後の散策中に左写真の建物を目にしました、
長浜曳山祭で使用される曳山(または山車)のいわば車庫のようなものだそうです。
 長浜曳山祭は、長浜市で毎年4月に開催される祭で、京都の祇園祭、高山市の高山祭と並んで日本三大山車祭の一つとされているとか、、、、ちなみに曳山の数は合計13あるそうです。

 途中で「芋きんつば」なるものを見過ごせず、即お買い上げ、、、、

 いったん駐車場へ戻り、行き先を模索したところ、近くに「慶雲館」なる場所を発見、訪れることにしました。

 明治20年2月、明治天皇皇后両陛下が京都行幸の帰路、大津から船を利用し長浜に上陸、鉄道への乗り換え時間に滞留する施設が無く、長浜の実業家・浅見又蔵氏が私財1万円を投じ3ヶ月余りの突貫工事で完成させたとのこと。
 ちなみにその時の滞在時間は1時間だった、、、、

 慶雲館の名前は伊藤博文によるもの、、、、左写真上に彼の筆による扁額がありました。(これはコピーとのこと)

 ただし別部屋にあった犬養毅による扁額は実物でした。(左写真下)
 この「天行健」は古代中国の「易経」にある言葉で、「天の運行は規則正しく、健やかである」という意味で、君子もこの天の精神に倣い、自ら努めて向上し、絶えず努力し続けるべきだという教えです。

 当時使われた玉座がありました。向かって右が天皇の御座ですが、大正以降は西洋に倣って左右の座が入れ替わります。






 この部屋の群鶴図襖や梅の花をかたどった照明器具も明治時代に製作されたものとのこと。


 巨石を多く使った広大な庭もたまたま工事中とのことで、十分には拝観できませんでしたが、立派なものでした。







 左写真は、推定20トンはある自然石の石灯篭で、滋賀郡志賀町から船で湖上を運ばれたといいます。



 慶館を後にして、ふと前を見て驚きました、なにせ目の前にあるのは旧・長浜駅舎なのですから。

 正式には「長浜鉄道スクエア」といい、鉄道フアンなら誰でも一度は訪れてみたいところなのです。
 このスクエアは「旧・長浜駅舎」に加え「長浜鉄道文化館」・「北陸線電化記念館」の3館で構成されており、ゆっくりと見学したかったのですがホテルのチェックイン時間が気になって、またの機会とすることにしました。

つづきは その2 にて、、、、

2026年3月17日火曜日

エコノミークラス症候群対策用タイマーの製作

  最近のテレビ番組は、「健康」をテーマにしたものが多いようです。たまたま「エコノミークラス症候群」について解説をしていました。
 長時間同じ姿勢でいることで下肢の静脈に血栓ができ、それが肺の血管に詰まる危険な疾患であるということで、以前にも何回も耳にしたことがあります。

 私自身、机に向かってパソコンとのやり取りや、はんだごてを握っての電子工作は、時間の経過も忘れて何時間も没頭するのはほぼ日常です。

 いまさらのことながら、何とかしようという気持ちになってきたのを幸い、対策を思案しましたが、早い話、1時間ごとに立ち上がって体操をすればいいということのようでした。

 そこで思いつくままに手元の部品を集め、加工して30分タイマーを製作しました。(冒頭写真) 
タイマーということなら、身の回りにいくらでもありそうですが、自作品ならば、より愛着がわき使いやすいと思ったからです。

 使う場所が机上ですので、電源はパソコンのUSB 端子から得れば回路はより簡単になります。
 より小型にするために、FRISK のケースを使い、手持ちの古いAVRマイコンチップの ATTiny13A を内蔵 9.6MHz の8分周で動かしました、回路を上に挙げておきました。
 緑色のリセットボタンを押し、スタートさせると5秒に1回赤色の LED が極短時間フラッシュし続け、動作していることを示しながら、30分経過したら圧電ブザーを6回鳴らして時間が来たのを知らせる仕組みです、、、、、そこで私は、やおら立ち上がり、踵落としやスクワットをこなして再度座りなおすと同時にタイマーのリセットボタンを押す、、、、ということになります。

 プログラムは arduino IDE で作りました、右にスケッチを示します。時間は5sec X 360 で30分としたのですが、最終的には実測してループを 340 回としてほぼ30分となりました。


















 蛇足ながら内部写真を示します、中央の黒く丸い部品が圧電ブザー、その下の黒い四角のものが AVR マイコンチップの ATTiny13A 、上の黒い四角はリセットスイッチです。

 こうしてブログをアップしている最中にも3回ほどタイマーが注意喚起してくれました。思ったより時間は短く感じ、頻度は多くなりますが、そのつどの体操は健康のため!!と考え使い続けていこうと思っています。

2026年3月14日土曜日

早春のさと川 中馬のおひなさんとランチ

 過日このブログでも紹介した古民家カフェ・さと川に出かけてきました。(ハルさんカフェへ出かけてきました

 2月の終わりには暖かく、春はもうすぐだと思っていましたが、ここのところ寒さが盛り返し、3月中旬だというのに気候は2月下旬だと報じられています。

 幸い天気も良く、暖かそうな日となり、軽いロングドライブにでも、、、、となったわけです。
 目的地は、紅葉で有名な香嵐渓のある足助を抜け、さらにこの中馬街道を少し北上したところにあります。


 蛇足ながら、この中馬街道の足助は、岡崎から信州へ塩を、また信州から米や山の産物を岡崎へとそれぞれ運ぶ中継地で、かつては大いに栄えた、、、、ようです。
 さすがにこの辺りは標高も高く、山間の白梅も、遅い時期ながらも真っ盛りで出迎えてくれました。





 店に入り、その華やかさにビックリです!
 すでに桃の節句は過ぎていましたが、まだ展示されたお雛様はそのままでした。ラッキー!!

 


 ここ足助では、並みの民家や商家に、古くから伝わるおひなさんや土びな(土人形)を玄関先や店内に華やかに飾り、道行く人々に町並み散策を楽しんでもらおうと始まった足助のイベント「中馬のおひなさん」があり、これはその名残でありました。

 七福神や武者などの土人形も一堂に、、、、



 さすがに桃というわけにはいきませんが、梅と椿を背にした、かわいらしい土雛です。
 下写真はかなり古そうです。



 






 段飾りのお雛様もありました、でもほとんどの内裏雛は男雛が向かって左に飾ってあります。はて、、、?

 この「男雛が向かって左」は明治以降の新しい飾り方で、今上天皇の令和即位の時もこの並びでした。

 それ以前の日本古来の並びは、男雛が向かって右」で、上方中心の「京雛」がそうです。もう一方の男雛が向かって左」は「東雛」ということになります。

 古い内裏様の顔と新しい内裏様の顔を並べてみました。(並びはそれぞれ逆でしたが、、、、)





 とはいうもののどちらもとてもいいお顔です。
 ・・・たくさんの中から一部を紹介しました。

 で、本命のランチです。さと川のランチはおにぎりランチのみで、総菜はメンチカツと鰺のフライとのこと、後者を選びました。
 おにぎりは、しぐれと蕗味噌です。

 コーヒー・紅茶・ほうじ茶のフリーサービスや小さいながらもデザートケーキもついて北里柴三郎さん一枚はまずまずです。

 帰路の途中、足助の町中にある和菓子屋「加東屋」に立ち寄りました。

 ここの建屋は古く、この一帯はすべて江戸時代の造り酒屋「白木屋」で、その一部が今の加東屋になっています。
 天保の昔、この地方に起こった加茂一揆のとき床柱についた刀傷が今でも残っているそうです。

 空は青く晴れ渡り、比較的あたたかな天候に恵まれた静かな平日ドライブでした。