2026年3月30日月曜日

ひさしぶりの小旅行 長浜・近江八幡 その1

 大河ドラマもいよいよ盛り上がってきたようです。(左写真はその宣伝ポスター)
 それにあやかったわけではありませんが、久しぶりに琵琶湖へ一泊旅行をしてきました。 
 というのも琵琶湖の東岸にはかの時代に思いを巡らせることのできる有名な城跡が比較的多く存在するのです。 
 右下の地図に、琵琶湖東岸にある三英傑時代の城とそれにかかわりの深い人物を記載してみました。




 今回はその中の、長浜と近江八幡を訪れました。
 桜の花にも期待をしていましたが、この地方はどこも開花寸前ということで、今回の旅行ではお目にかかることはできませんでした。

 古来琵琶湖は北国と京の都との重要な流通ルートで、時の権力者は水運支配に注力していたようです。
 かの平清盛は琵琶湖から日本海への運河開削を計画していたとの歴史的事実もありますし、織田信長も水運支配権に加え、京への要衝の地としても着目し、天下布武を成し遂げました。(最近の理解では、天下=畿内)

 当日の天候は雨に向かっての曇天でしたが幸い気温はそれほど低くはありませんでした。

 さっそく長浜城跡近くに建てられた長浜城歴史博物館を訪れました。

 もちろん長浜城は、秀吉が羽柴秀吉時代に築城したものですが、築城に当たっての資材を、攻め落とした浅井長政の小谷城から運び流用したことが知られています。
 また関ヶ原の合戦以降に長浜城は廃城とされその資材は彦根城に多く使われた、、、、というのも歴史ですネ、、、、

 最上階のデッキから琵琶湖を展望しました。
 眼下の公園内に、紅白の梅の花?が見えています。

 館内はすべて撮影禁止だったので何も掲載できませんが、多くの資料が丁寧に展示されており、多くの知識を得ることができました。
 

 長浜市の観光スポット・黒壁スクエアへの道筋に豊国神社がありました。

 もちろん豊国神社は秀吉が亡くなったのち、このゆかりの地に建立されたものですが、徳川政権下では存続が許されず、廃止。
 しかし住民の意志は固く、「えびす宮」「ゆたか宮」と名を変え、明治になってようやく「豊国神社」が復活したという逸話があります。
 写真右端にある石柱に「長浜恵比寿宮」とあるのはその所以です。

 黒壁スクエアは江戸時代から明治にかけての伝統的な和風建造物が多い北国街道と美濃谷汲街道が交差するあたりの町おこし地域の呼称で、その美濃谷汲街道の西側からのアーケイドの入口に、写真のようなレリーフのような造形が掲げてありました。
 歌舞伎の連獅子のようです。








 幸いにもこの日は小雨がぱらついていましたので、アーケイドは大助かりでした。





 右写真が札ノ辻(北国街道と美濃谷汲街道の交差点)の北東にある旧・国立第百三十銀行長浜支店(別名 黒壁銀行)で黒壁1號館、黒漆喰が印象的です。
ちなみに黒壁館は、30號館以上あるようです。



 そろそろお昼時です、「湖のスコーレ」という店?を見つけました。
 スコーレはギリシャ語で学校を意味し、湖国の暮らしの知恵を学ぶ場所として広々としたストアに喫茶室、チーズの製造室や醸造所、ギャラリー、体験教室など学びのきっかけを散りばめた商業文化施設だそうです。
 この喫茶室でランチセットを選び、家人は「おうみ海老の濃厚海老ぽた坦々うどん」を、私は「近江牛の伊吹山発酵カレー」をオーダーしました。サラダ、デザート、コーヒーもついて量も適当でおいしくいただきました。

 食後の散策中に左写真の建物を目にしました、
長浜曳山祭で使用される曳山(または山車)のいわば車庫のようなものだそうです。
 長浜曳山祭は、長浜市で毎年4月に開催される祭で、京都の祇園祭、高山市の高山祭と並んで日本三大山車祭の一つとされているとか、、、、ちなみに曳山の数は合計13あるそうです。

 途中で「芋きんつば」なるものを見過ごせず、即お買い上げ、、、、

 いったん駐車場へ戻り、行き先を模索したところ、近くに「慶雲館」なる場所を発見、訪れることにしました。

 明治20年2月、明治天皇皇后両陛下が京都行幸の帰路、大津から船を利用し長浜に上陸、鉄道への乗り換え時間に滞留する施設が無く、長浜の実業家・浅見又蔵氏が私財1万円を投じ3ヶ月余りの突貫工事で完成させたとのこと。
 ちなみにその時の滞在時間は1時間だった、、、、

 慶雲館の名前は伊藤博文によるもの、、、、左写真上に彼の筆による扁額がありました。(これはコピーとのこと)

 ただし別部屋にあった犬養毅による扁額は実物でした。(左写真下)
 この「天行健」は古代中国の「易経」にある言葉で、「天の運行は規則正しく、健やかである」という意味で、君子もこの天の精神に倣い、自ら努めて向上し、絶えず努力し続けるべきだという教えです。

 当時使われた玉座がありました。向かって右が天皇の御座ですが、大正以降は西洋に倣って左右の座が入れ替わります。






 この部屋の群鶴図襖や梅の花をかたどった照明器具も明治時代に製作されたものとのこと。


 巨石を多く使った広大な庭もたまたま工事中とのことで、十分には拝観できませんでしたが、立派なものでした。







 左写真は、推定20トンはある自然石の石灯篭で、滋賀郡志賀町から船で湖上を運ばれたといいます。



 慶館を後にして、ふと前を見て驚きました、なにせ目の前にあるのは旧・長浜駅舎なのですから。

 正式には「長浜鉄道スクエア」といい、鉄道フアンなら誰でも一度は訪れてみたいところなのです。
 このスクエアは「旧・長浜駅舎」に加え「長浜鉄道文化館」・「北陸線電化記念館」の3館で構成されており、ゆっくりと見学したかったのですがホテルのチェックイン時間が気になって、またの機会とすることにしました。

つづきは その2 にて、、、、

2026年3月17日火曜日

エコノミークラス症候群対策用タイマーの製作

  最近のテレビ番組は、「健康」をテーマにしたものが多いようです。たまたま「エコノミークラス症候群」について解説をしていました。
 長時間同じ姿勢でいることで下肢の静脈に血栓ができ、それが肺の血管に詰まる危険な疾患であるということで、以前にも何回も耳にしたことがあります。

 私自身、机に向かってパソコンとのやり取りや、はんだごてを握っての電子工作は、時間の経過も忘れて何時間も没頭するのはほぼ日常です。

 いまさらのことながら、何とかしようという気持ちになってきたのを幸い、対策を思案しましたが、早い話、1時間ごとに立ち上がって体操をすればいいということのようでした。

 そこで思いつくままに手元の部品を集め、加工して30分タイマーを製作しました。(冒頭写真) 
タイマーということなら、身の回りにいくらでもありそうですが、自作品ならば、より愛着がわき使いやすいと思ったからです。

 使う場所が机上ですので、電源はパソコンのUSB 端子から得れば回路はより簡単になります。
 より小型にするために、FRISK のケースを使い、手持ちの古いAVRマイコンチップの ATTiny13A を内蔵 9.6MHz の8分周で動かしました、回路を上に挙げておきました。
 緑色のリセットボタンを押し、スタートさせると5秒に1回赤色の LED が極短時間フラッシュし続け、動作していることを示しながら、30分経過したら圧電ブザーを6回鳴らして時間が来たのを知らせる仕組みです、、、、、そこで私は、やおら立ち上がり、踵落としやスクワットをこなして再度座りなおすと同時にタイマーのリセットボタンを押す、、、、ということになります。

 プログラムは arduino IDE で作りました、右にスケッチを示します。時間は5sec X 360 で30分としたのですが、最終的には実測してループを 340 回としてほぼ30分となりました。


















 蛇足ながら内部写真を示します、中央の黒く丸い部品が圧電ブザー、その下の黒い四角のものが AVR マイコンチップの ATTiny13A 、上の黒い四角はリセットスイッチです。

 こうしてブログをアップしている最中にも3回ほどタイマーが注意喚起してくれました。思ったより時間は短く感じ、頻度は多くなりますが、そのつどの体操は健康のため!!と考え使い続けていこうと思っています。

2026年3月14日土曜日

早春のさと川 中馬のおひなさんとランチ

 過日このブログでも紹介した古民家カフェ・さと川に出かけてきました。(ハルさんカフェへ出かけてきました

 2月の終わりには暖かく、春はもうすぐだと思っていましたが、ここのところ寒さが盛り返し、3月中旬だというのに気候は2月下旬だと報じられています。

 幸い天気も良く、暖かそうな日となり、軽いロングドライブにでも、、、、となったわけです。
 目的地は、紅葉で有名な香嵐渓のある足助を抜け、さらにこの中馬街道を少し北上したところにあります。


 蛇足ながら、この中馬街道の足助は、岡崎から信州へ塩を、また信州から米や山の産物を岡崎へとそれぞれ運ぶ中継地で、かつては大いに栄えた、、、、ようです。
 さすがにこの辺りは標高も高く、山間の白梅も、遅い時期ながらも真っ盛りで出迎えてくれました。





 店に入り、その華やかさにビックリです!
 すでに桃の節句は過ぎていましたが、まだ展示されたお雛様はそのままでした。ラッキー!!

 


 ここ足助では、並みの民家や商家に、古くから伝わるおひなさんや土びな(土人形)を玄関先や店内に華やかに飾り、道行く人々に町並み散策を楽しんでもらおうと始まった足助のイベント「中馬のおひなさん」があり、これはその名残でありました。

 七福神や武者などの土人形も一堂に、、、、



 さすがに桃というわけにはいきませんが、梅と椿を背にした、かわいらしい土雛です。
 下写真はかなり古そうです。



 






 段飾りのお雛様もありました、でもほとんどの内裏雛は男雛が向かって左に飾ってあります。はて、、、?

 この「男雛が向かって左」は明治以降の新しい飾り方で、今上天皇の令和即位の時もこの並びでした。

 それ以前の日本古来の並びは、男雛が向かって右」で、上方中心の「京雛」がそうです。もう一方の男雛が向かって左」は「東雛」ということになります。

 古い内裏様の顔と新しい内裏様の顔を並べてみました。(並びはそれぞれ逆でしたが、、、、)





 とはいうもののどちらもとてもいいお顔です。
 ・・・たくさんの中から一部を紹介しました。

 で、本命のランチです。さと川のランチはおにぎりランチのみで、総菜はメンチカツと鰺のフライとのこと、後者を選びました。
 おにぎりは、しぐれと蕗味噌です。

 コーヒー・紅茶・ほうじ茶のフリーサービスや小さいながらもデザートケーキもついて北里柴三郎さん一枚はまずまずです。

 帰路の途中、足助の町中にある和菓子屋「加東屋」に立ち寄りました。

 ここの建屋は古く、この一帯はすべて江戸時代の造り酒屋「白木屋」で、その一部が今の加東屋になっています。
 天保の昔、この地方に起こった加茂一揆のとき床柱についた刀傷が今でも残っているそうです。

 空は青く晴れ渡り、比較的あたたかな天候に恵まれた静かな平日ドライブでした。

2026年3月4日水曜日

いよいよ春です

 いよいよ春です、我が家の標準花?である、クロッカスが開花しました。
 
 ブログを振り返ってみるとやはり昨年も同じ時期に開花していました。












 今年の春も天候不順?というのか、寒暖の差が激しく、少し不安だったのですが、おかげさまで四季は順調に推移しているようです。



 左写真の水仙は、昨年の暮れあたりから少しずつ咲き冬の庭を彩ってくれていましたが、まだ元気に咲いています。

 最初のクロッカスが開花して、2~3日後にはそろって咲いていました。





 


 ただ残念なのは、この花の寿命は比較的短く、せいぜい3~4日で、それこそ「春の到来」を告げるためにのみ姿を現したように感じられます。
 




 これからは次から次へといろいろな花々が開花していきますが、次はクリスマスローズたちの番です。
 左写真は、我が家には珍しい八重のクリスマスローズです。種子が飛んで思いもかけぬところに新顔さんがを出すというハプニングもあります、、、、

 これから季節が穏やかでありますように。

 中東の紛争ニュースを聞きながら、、、、

2026年2月16日月曜日

ごんぎつねとカブトビール

  過日、と言ってももう一ヶ月も前の正月明けに、以前から一度訪れてみたいと思っていた、愛知県半田市にある、新美南吉記念館に出かけてきました。
 併せてその近くにある杉本健吉の杉本美術館も、、、、と思っていましたが、こちらはもう5年も前に閉館になっていました、残念!!

 左写真は、新美南吉記念館のホームページから引用したもので、一見してわかるように建物はほとんど地下にあり、綺麗な芝生でおおわれています。(もっとも私が訪れたのは冬の最中でこんなではありませんでしたが)

 新美南吉は愛知県半田市の1913年(大正2年)生まれで、幼くして母を亡くし、寂しい幼年期を過ごしました。
 しかしながら旧制半田中学時代には童謡や物語の創作を始め、北原白秋に師事、18歳で『赤い鳥』に名作『ごん狐』を発表しました。

 東京外国語学校を卒業後、病気と闘いながら、多くの童話・詩・短歌・俳句を執筆しましたが、結核のため29歳の若さで死去しています。
 必ずしも幸福ではなかったと思はれる彼ですが、その作品は爽やかで、庶民の生活、愛と悲しみ、ユーモアが巧みに表現された素晴らしいものだと思います。

右の写真は記念館の入口近くにあった、彼の童話「手袋を買ひに」の主人公であるキツネ母子の石像です。


 1月初めの、それも平日ということで記念館の入館者はほとんど見かけませんでした。左写真の左半分にある入場券は、「半田赤レンガ建物」との共通券です、後ほど立ち寄ってみます。右は記念スタンプです、空いていましたので時間をかけて丁寧に押しました。

 南吉のブロンズの胸像がありました。しっかりと前方を見つめた端正な横顔に難病と闘っている意志の強さが感じられました。








 記念館の内部は右写真のように美しくアレンジされ、清掃も行き届き、居心地の良い雰囲気でした。

 左写真は、明り取りの高窓から見下ろしている「ごん狐」です。
 床にも展示順方向を案内するための足跡があしらってあったりしてユーモアにも気配りがありました。










 右写真の、南吉の作品を展示してあるコーナーで、南吉が「赤い鳥」に寄稿した「ごん狐」の貴重な草稿を発見しました!(左側のページ)最初の行に「権狐」「赤い鳥に投ず」と読み取れました












 南吉の童話は各国語に翻訳されて世界中で読まれていますが、上写真はその一例が展示されている様子です。
 下列の右端が、「手袋を買ひに」の日本語版、その二つ飛んで中国語版、次がドイツ語版です。また、下列中央が「ごん狐」の日本語版、その右がフランス語版です。

 左写真は、
南吉が29歳の時、出版した初めての童話集である「おぢいさんのランプ」の6話中の1話「おぢいさんのランプ」の一場面をイメージした、一本の木にたくさんのランプを吊るした造形です。

 写真の右側に挿入してあるのは当時の卓上ランプとそれを棟方志功が写生した絵です。


 この童話集のあとがきに南吉は棟方志功について、插絵と装幀はすぐれた画家棟方志功さんが受けもつて下さいました。、、、と記しています。








 新美南吉記念館は単に南吉のことだけではなく、当時の時代背景についても年代別にジオラマが作られ解説されていました。

 左写真は、私たちが生まれた年代のここ半田の村祭り風景が表現されたジオラマです、なつかしい、、、、

 右写真は、南吉の下宿部屋を再現したもので、高窓のみ本物だとか。
 この3畳の、窓も小さく、裸電球一つの部屋で多くの傑作童話が生まれたのかと思うと感無量です。








 この記念館を辞すにあたって南吉の童話集を一冊購入しました、ゆっくり味わいたいと思います。

 蛇足ながら、2010年(平成22年)6月には当時の明仁天皇・美智子皇后夫妻が来訪されている旨の記念碑を目にしました。

 少し時間が早めですが、昼食のため移動することにしました。場所は記念館から30分ほどの美浜町にある「新鮮で安い」が売り物の大衆海鮮食堂です。

 写真を撮り忘れて、すでに料理に手がついていますが。
  手前が私の煮魚定食(魚はホウボウ)、奥が家人のフグ定食、右上が追加の一皿、カキフライ、、、です

 確かに、看板に偽りなく、新鮮で安く、そしておいしくいただきました。

 
すぐ近くの海岸に出てみました。さすがにこの季節どうり、太陽は暖かいですが、風は強く冷たく感じます。
 遠くに見えているのは、三河湾佐久島です。

 一息ついたところで、新見南吉記念館とセットになっている、赤レンガ建物に立ち寄ってみることにしました。場所も新見南吉記念館の近くにあります。

 この赤レンガ建物というのは1898年(明治31年)に造られたカブトビールの製造工場のことで(カブトビールは加冨登麦酒)、国の登録有形文化財になっているそうです。

 確かにこの半田の地は、江戸時代に江戸と上方を結ぶ海運業における重要な中継地点であり、現在でもいくつかのつくり酒屋が現存し、その名残を示していますが、そのような地に、ビール工場を造ろう、、、、と地元の起業家たちが立ち上がったのも自然の流れであったのでしょう。

 赤レンガ建物の内部は、左写真のような、博物館のような、赤レンガ建物に関連する展示スペースと、なつかしいカブトビールの復刻版などなどのお土産の販売スペース、そしてレストランスペース(休業期間中でした)からなっていました。

 左写真は建築に使用された、赤レンガとその製造に関する展示で、右下部は手動のレンガ成型機です(うーむレトロ!)。

 右写真はビールの蒸留器の展示ゾーンです。
カブトビールは兜ビールとばかり思っていましたが、、、、加冨登ビールでした。








 左写真のポスターは、1900年(明治33年)に開催された、パリ万博で金牌(金賞)を受賞した時のもので、古き良き時代が感じられます。

ということで冬場のドライブでしたが天候にも恵まれ、十分に楽しめました。
新実南吉の童話集とカブトビールをお土産に家路につきました。