2026年2月16日月曜日

ごんぎつねとカブトビール

  過日、と言ってももう一ヶ月も前の正月明けに、以前から一度訪れてみたいと思っていた、愛知県半田市にある、新美南吉記念館に出かけてきました。
 併せてその近くにある杉本健吉の杉本美術館も、、、、と思っていましたが、こちらはもう5年も前に閉館になっていました、残念!!

 左写真は、新美南吉記念館のホームページから引用したもので、一見してわかるように建物はほとんど地下にあり、綺麗な芝生でおおわれています。(もっとも私が訪れたのは冬の最中でこんなではありませんでしたが)

 新美南吉は愛知県半田市の1913年(大正2年)生まれで、幼くして母を亡くし、寂しい幼年期を過ごしました。
 しかしながら旧制半田中学時代には童謡や物語の創作を始め、北原白秋に師事、18歳で『赤い鳥』に名作『ごん狐』を発表しました。

 東京外国語学校を卒業後、病気と闘いながら、多くの童話・詩・短歌・俳句を執筆しましたが、結核のため29歳の若さで死去しています。
 必ずしも幸福ではなかったと思はれる彼ですが、その作品は爽やかで、庶民の生活、愛と悲しみ、ユーモアが巧みに表現された素晴らしいものだと思います。

右の写真は記念館の入口近くにあった、彼の童話「手袋を買ひに」の主人公であるキツネ母子の石像です。


 1月初めの、それも平日ということで記念館の入館者はほとんど見かけませんでした。左写真の左半分にある入場券は、「半田赤レンガ建物」との共通券です、後ほど立ち寄ってみます。右は記念スタンプです、空いていましたので時間をかけて丁寧に押しました。

 南吉のブロンズの胸像がありました。しっかりと前方を見つめた端正な横顔に難病と闘っている意志の強さが感じられました。








 記念館の内部は右写真のように美しくアレンジされ、清掃も行き届き、居心地の良い雰囲気でした。

 左写真は、明り取りの高窓から見下ろしている「ごん狐」です。
 床にも展示順方向を案内するための足跡があしらってあったりしてユーモアにも気配りがありました。










 右写真の、南吉の作品を展示してあるコーナーで、南吉が「赤い鳥」に寄稿した「ごん狐」の貴重な草稿を発見しました!(左側のページ)最初の行に「権狐」「赤い鳥に投ず」と読み取れました












 南吉の童話は各国語に翻訳されて世界中で読まれていますが、上写真はその一例が展示されている様子です。
 下列の右端が、「手袋を買ひに」の日本語版、その二つ飛んで中国語版、次がドイツ語版です。また、下列中央が「ごん狐」の日本語版、その右がフランス語版です。

 左写真は、
南吉が29歳の時、出版した初めての童話集である「おぢいさんのランプ」の6話中の1話「おぢいさんのランプ」の一場面をイメージした、一本の木にたくさんのランプを吊るした造形です。

 写真の右側に挿入してあるのは当時の卓上ランプとそれを棟方志功が写生した絵です。


 この童話集のあとがきに南吉は棟方志功について、插絵と装幀はすぐれた画家棟方志功さんが受けもつて下さいました。、、、と記しています。








 新美南吉記念館は単に南吉のことだけではなく、当時の時代背景についても年代別にジオラマが作られ解説されていました。

 左写真は、私たちが生まれた年代のここ半田の村祭り風景が表現されたジオラマです、なつかしい、、、、

 右写真は、南吉の下宿部屋を再現したもので、高窓のみ本物だとか。
 この3畳の、窓も小さく、裸電球一つの部屋で多くの傑作童話が生まれたのかと思うと感無量です。








 この記念館を辞すにあたって南吉の童話集を一冊購入しました、ゆっくり味わいたいと思います。

 蛇足ながら、2010年(平成22年)6月には当時の明仁天皇・美智子皇后夫妻が来訪されている旨の記念碑を目にしました。

 少し時間が早めですが、昼食のため移動することにしました。場所は記念館から30分ほどの美浜町にある「新鮮で安い」が売り物の大衆海鮮食堂です。

 写真を撮り忘れて、すでに料理に手がついていますが。
  手前が私の煮魚定食(魚はホウボウ)、奥が家人のフグ定食、右上が追加の一皿、カキフライ、、、です

 確かに、看板に偽りなく、新鮮で安く、そしておいしくいただきました。

 
すぐ近くの海岸に出てみました。さすがにこの季節どうり、太陽は暖かいですが、風は強く冷たく感じます。
 遠くに見えているのは、三河湾佐久島です。

 一息ついたところで、新見南吉記念館とセットになっている、赤レンガ建物に立ち寄ってみることにしました。場所も新見南吉記念館の近くにあります。

 この赤レンガ建物というのは1898年(明治31年)に造られたカブトビールの製造工場のことで(カブトビールは加冨登麦酒)、国の登録有形文化財になっているそうです。

 確かにこの半田の地は、江戸時代に江戸と上方を結ぶ海運業における重要な中継地点であり、現在でもいくつかのつくり酒屋が現存し、その名残を示していますが、そのような地に、ビール工場を造ろう、、、、と地元の起業家たちが立ち上がったのも自然の流れであったのでしょう。

 赤レンガ建物の内部は、左写真のような、博物館のような、赤レンガ建物に関連する展示スペースと、なつかしいカブトビールの復刻版などなどのお土産の販売スペース、そしてレストランスペース(休業期間中でした)からなっていました。

 左写真は建築に使用された、赤レンガとその製造に関する展示で、右下部は手動のレンガ成型機です(うーむレトロ!)。

 右写真はビールの蒸留器の展示ゾーンです。
カブトビールは兜ビールとばかり思っていましたが、、、、加冨登ビールでした。








 左写真のポスターは、1900年(明治33年)に開催された、パリ万博で金牌(金賞)を受賞した時のもので、古き良き時代が感じられます。

ということで冬場のドライブでしたが天候にも恵まれ、十分に楽しめました。
新実南吉の童話集とカブトビールをお土産に家路につきました。

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