2013年8月10日土曜日

日光クラシックホテルと東照宮 (2/2)

 これはホテルの140周年記念を表すポスターの一部です。

 右写真はホテルのマークが入った灰皿と部屋の鍵です。
 ポスターも木製のキーホルダも共に近くにある神橋(しんきょう)がデザインされています。(キーホルダは擬宝珠)

 時間になったので朝食に出かけました。場所は同じダイニングでも少し違うようです。まだ人も少なく窓際の明るい席に案内されました。

 朝食は軽い洋食でしたが、ゆったりとした気持ちでおいしくいただきました。とくにここのベーコンの味は出色でした。


 食後、ホテルの案内図にあった「龍宮 Dragon Palace]
なる場所をまるで探検するようにさがしまわり、ようやく見つけました。本館の3階からさらに右写真の階段を上がっていくと龍宮です。
 今ではあまり使われていないようで、人の気配もありません。


 龍宮の前に見える浅い池はスケートリンクなのです。戦前の古い写真には多くの外国人観光客が、スケートを楽しんでいるシーンがいくつか見られましたが今は夏のせいでもあり、ガランとしています。

 さらに奥の山手に向かってホテル裏山を周遊する散策路「大黒山散策路」を登って見ることにしました。右写真は上り始めてしばらく後、龍宮を見下ろしたところです。

 緑色に見えるのはプール(今はクローズ)でその右がスケートリンクです。
 左写真は散策の途中で見かけた不動明王の像です。

 部屋へ帰ってしばし休息の後、チェックアウトして日光東照宮へ出かけることにしました。境内は広いのですが、徒歩で十分にいけるところなので、荷物はホテルに預けて、身軽になって出かけました。昼食もホテルにしようと言う気持ちもありましたので、、、、

 東照宮は徳川家康を神格化し、祀ったものですが、これは家康自身の遺言によるものとされています。死後直ちに駿府の久能山に葬り、翌年日光に移され、さらに現在見られるような規模になったのは三代将軍家光の時代、寛永の大造替によってです。

 正一位を追贈され、国家鎮護の神社(当時は東照宮・二荒山神社と寺院の輪王寺のセット)として勢いを得たため、当時は全国で数百箇所の東照宮が造営されたとのことですが、現在は少なくなったとはいえ、まだ百を越える東照宮が存在するらしい、、、、

 と言う事で、多くの東照宮と区別するために日光東照宮という名が正式となったとの事、、、、

 先ず私たちが最初に訪れたのは神橋(正式には二荒山神橋 ふたらさんしんきょう)です。

 この橋は奈良時代からその存在が伝えられ、現在の橋は、平成9年よりの大修理によるもので、平成11年に世界遺産に登録されています。




 かつての徳川将軍たちはこの橋を渡って、日光東照宮を参拝したと言う事ですが、通常は通行が出来ないようになっています。



 この橋を少し遡ったところから、私たちが昨夜宿泊したホテルの部屋が仰ぎ見られます。

 この川(大谷川 だいやがわ)の岸辺には
キスゲが咲いていました、これが本当のニッコウキスゲ、、、、


 対岸に渡り、いよいよ日光東照宮へ参拝です。
 参道にかかる最初の地点に世界遺産であることを示す記念碑がありました。

 1999年に文化遺産として登録名「日光の社寺」登録され、日光東照宮日光二荒山神社日光山輪王寺を主体として103棟の「建造物群」と、これらの建造物群を取り巻く「遺跡(文化的景観)」がその全容です。

 しばらく参道を登ってゆくと、「この地点の標高は東京スカイツリーとおなじ!!!」と言う表示に出会いました、なるほど、、、、634mね、、、、

 日光東照宮の入り口が見える地点です(前述の案内図の①)。
 まだ時間が早いせいかそれほど人出は多くありません。

 おや、これはどこかでお目にかかったような、、、、ホテルにもあったゾウ、、、、





 三神庫を遠くから見たものですが、正倉院の校倉造りを模したものだとか、極彩色の色付けが華々しい事この上もありません、これが日光なんですね~


 これが「みざる・いわざる・きかざる」で有名な神厩舎です。写真のように長押にはサルの一生を表現した木彫りのレリーフが何枚もあり、「みざる・いわざる・きかざる」の場面はその一枚です(写真左下)。「幼いときはむやみに行動しないで周りをよく観察せよ」と言う教訓です。

 サル(人の例示)が生まれて成長し、配偶者を得るわけですが、最後のおなかの大きなサルがなんとも可愛くて写真の左上に挙げておきました。

 アーティフィシャルな色使いと、左写真のような自然が妙にマッチしているのも日光です。

 右写真は御水舎(おみずや 参拝前に手を洗い清める所)の天井です。見事な彩色に思わず見とれてしまいました。

 さて次は、前々から楽しみにしていた、左甚五郎の手によると言われている「眠り猫」です。頭上の長押に小さく収まっていますので、教えられなければ見過ごしてしまうでしょう。

 ここは家康公が眠る、奥社宝塔への通路なので、眠ったふりをして守護している、とか、ネコのすぐ裏側でスズメが遊ぶ様子(右写真)が平和を表現しているとか、諸説あるようです。


ということで、さらに急な石段を登って(左写真)、奥社宝塔へすすみます。




 このなかには家康公が永眠されているとのことですが、、、、確かに周りの空気もそれなりに、、、、


 奥社の方角から本社を見た景色です。
 濃い緑に囲まれてスポットライトが当たったように見えています。(案内図③)


 途中の参道もきれいな石造りで、確かにこの規模とセンスは世界の文化遺産たる面目躍如です。


 内陣天井に描かれている鳴竜有名な本地堂(薬師堂)から工事中の陽明門方向をみたところです。
 参拝者は小・中学校の生徒がおおく、またなぜか外国人の割合が多いような気がしました。


 また鳴竜は天井と床での音の反射によるものですが、この原理を応用してJR日光駅にも造られており、帰り際にトライしたところ見事に鳴きました。

 右写真は、仙台藩主伊達政宗が、ポルトガルから鉄材を輸入し、領内の租税3年分の費用をかけて作ったと伝えられる「南蛮鉄燈籠」です。写真の右下に銘を記載しておきました。



 そろそろお昼時になり、少しくたびれて来ましたので、帰路につくことにしました。
 せっかくの事なので下野の国・一ノ宮の二荒山神社にもお参りしていくことにしました。ここには大国主命がお祭りしてあるそうです。(案内図④)



 さらに足を伸ばして、案内図⑤の日光東照宮美術館にも立ち寄りました。なかなか地味な、襖絵を主体とする美術館でした。メインは円山応挙の日輪の絵でしたが、簡略化されたなかにもさすがに迫力がありました。
 
 庭に目をやるとなにやら水音がします(右写真)。
日光の名水「ごんげん水」飲料用、、、、とありましたので、さっそく飲んでみましたが、渇きも手伝ってなかなかおいしいお水でした。流れに着いた色から判断して、鉄をはじめとしたミネラルが豊富のようです。



 再びホテルに帰りつき、遅めの昼食に「百年カレー」なるものを賞味してみました。クラシック・カレーとしては東洋軒のブラックカレーがありますが、それに比べると若干やさしい、フルーティーな味がするようですが、流石においしいと言う点では一致します。



 カレーをシッカリ味わってから、デザートのアイスクリームを食べつつ、ふと壁を見ると、JRのポスターが目に入りました。

 NIKKO is NIPPON
 「日光に宿るぬくもりは、いまもかわらない」

というキャッチコピーです。まさに今回私たちが堪能したそのままです。
 なんだか幸せな気分になってホテルをあとにしました。

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