思い立って安曇野に出かけてきました。
安曇野は長野県松本市の北側にあり、分水嶺のある塩尻に発する梓川と奈良井川が合流して犀川となる地点にあります。
犀川はさらに千曲川と合流し日本一長い川・信濃川となって日本海に注ぎます。
また安曇野は糸魚川と松本を結ぶ千国街道にあり、この街道は「塩の道」とも言い、かつて上杉謙信が武田信玄に塩を送ったことで有名です。
私たちは長野自動車道を北上し梓川SAで早い昼食後、ここのスマートICから安曇野入りすることにしました、ここは前述した梓川と奈良井川の合流点の近くです。
SA内の木陰にテーブルとベンチを見つけ早速昼食です。
同行の友人が携えてきたおおきなバスケットを開けると、、、、そうです、手作り弁当のお披露目です、竹皮に包んだおにぎりは何年振りでしょうか。
くわえて天候に恵まれた青い空と新緑、そしてさわやかな薫風も伴ってまたとない至福の時間です。
そして西側には常念岳をはじめ2000mを超える北アルプスの山々がまだ雪を頂いて連なっていました。
今回の小旅行はこれといった目的があったわけではなかったのですが、直前に親しい友人から道祖神のことを聞き、穂高駅周辺を散策することにしました。
道祖神とは、厄災の侵入防止や子孫繁栄、旅の安全等を祈願するために村の境界や道の辻などに石碑や石像の形態で祀られる神様なのです。
とりわけ安曇野市には約400体の石像道祖神があり、市町村単位での数が日本一であるとか、、、、
左案内図の穂高駅を始点とし、水色の破線を右回りに穂高神社まで散策しました、図上番号の赤丸は道祖神に出会った場所です。
街中には写真のような面白そうなお店がありましたが日曜日の午後にもかかわらず閑散としていました、ゴールデン・ウィークのあとだったからでしょうか。
JR大糸線のこの穂高駅はなかなかおしゃれに造ってありますが、列車はほぼ1時間に一本です。
駅舎の近くにあった子孫繁栄を願う双体像です。
でもここには3体も祀られています、左は双体像、中央は庚申塔そして右は二十三夜塔です。
庚申塔は道祖神ではありませんが庚申講を3年間(18回)続けた記念に建てられたものです。
庚申講とは庚(かのえ)申(さる)の日に、人間の身体から三匹の虫が抜け出して人間の悪行を神様に告げ口するのを、皆が集まって徹夜をして妨げた講だそうで、もちろん夜っぴて宴会をしていたのでしょう。この三匹の虫は「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿に見立てられており、猿田彦を通じてこの猿が路を守ることから庚申塔が道祖神と同じ場所に設置される事が多かったようです。
二十三夜塔も庚申講と同様民間信仰のひとつで、月を信仰の対象した「二十三夜講」を行い、その記念や供養のあかしとして建てられたものです。
街中を歩いていると面白い街路灯を目にしました、右側はワサビでしょうが、左側はなんでしょう?
右写真は道祖神③です。
道路に面した個人のお宅の庭にありました、花々できれいにしてもらって双体像もしあわせそうです。
左写真は道祖神②と③の間で見かけた「あづみ野バザール若松屋」です、安曇野出身の自由民権家「松沢求策」の築120年越えの生家を利用した雑貨屋・喫茶店です。店内は無国籍、無時間、無ジャンルでなんとも不思議なお店でした。
穂高神社の表参道からの入口です。
穂高神社はこの地の本宮(里宮)のほか、上高地に奥宮、奥穂高岳山頂に嶺宮があることから、「日本アルプスの総鎮守」の通称があるそうで、厳かな雰囲気です。
左は境内にある大きな欅の木です。これには昭和45年に川端康成、東山魁夷、井上靖の3巨匠が揃ってご夫妻で参拝された折に大絶賛されたと言う逸話があり、のちに井上靖が短編小説「欅の木」でモデルにしたとか、、、
境内には「塩の道道祖神」と称して多くの道祖神や石塔が集められていました。(右写真)
流石にここは道祖神それも双体像が多いようでした。
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