2018年1月15日月曜日

春信の錦絵を観てきました

 新春早々、鈴木信の錦絵(多色摺りの浮世絵木版画を観てきました、とはいっても昨年末に出かけるはずが、新年に持ち越しとなってしまったのが真相です。

 錦絵といっても数多ある中で、鈴木信の錦絵は草創期にあたり、かつ製作年数も少なかったために1版あたりの現存数が極めて少なく、そのうえ明治期にほとんどが海外流出してしまったので、今回のボストン美術館のコレクション展示は格好の鑑賞機会だったのです。

 鈴木春信は江戸時代中期の浮世絵師で江戸生まれ、1725?-1770で45歳の若さで没しています。

 宝暦10年(1760年)3月上演の芝居に基づく細判紅摺絵(柱に飾る短冊形状で紅色と緑程度の簡単な版彩色)の役者絵「市村亀蔵の曾我五郎と坂東三八の三保谷四郎」が春信の初作とされており、以降、実際に活躍したのはほんの10年の短期間ですが、のちの浮世絵の発展に大きく影響を及ぼしたとされています。


右は世界で1点しか確認されていない春信初期の作品で「見立三夕」です。
 まだ色数も少ない紅摺絵で、夕暮れを詠んだ著名な和歌「三夕」の歌人定家(右)、寂蓮(中央)、西行(左)がそれぞれ美人に置き換えられて描かれていますし、基歌も後方に小さく掲げられています。

 古今和歌集より
「見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ」(藤原定家)
「さびしさは その色としも なかりけり 真木立つ山の 秋の夕暮れ」(寂蓮)
「心なき 身にもあはれは 知られけり 鴫立つ沢の 秋の夕暮れ」(西行)


錦絵が大流行するきっかけになったのが、大身の旗本や豪商の風流人たちが催した絵暦交換会でした。
 彼らがそれぞれスポンサーとなり、構図を考え、絵師、彫師、摺師などと協力しながら、木版多色摺りの技術開発、色彩表現の可能性を追求し、様々なデザインの絵暦を競って作りあげていったのです。(絵暦とは太陰暦では、30日ある大の月・29日の小の月が毎年変わるため、絵で月の大小を表したものです)

 左は、にわか雨にあわてて洗濯物を取り込もうとする美人を題材にした「夕立」です。


 洗濯物の模様に「大、二、三、五、六、八、十」と「メイワ 二(明和2年)」の文字が示されています。


 さらに左図の帯の模様で、白丸の中に右上は「乙」、左下は「トリ」とありますので、
「明和2年は乙酉(きのととり)で大の月は、二、三、五、六、八、十月」と読み解くのです。



 またこの絵には製作者(スポンサー)伯制工(松伯制印)と画工・鈴木春信、彫工・遠藤五緑、摺工・湯本幸枝それぞれの名前が記されていますが、伯制工の字は大きく堂々としています。

 このように、趣味人がより高度な作品を求めて、紙質、版木、絵の具、版数などに費用を惜しまず投入した絵暦の時代はある意味錦絵の絶頂期でありましたが、こののち版元たちが暦の部分を削除した絵を一般向けに、大量に売り出すとともに品質は低下していきましたが、錦絵は広く生活の中に浸透していきました。

 一例として、左は同様に春信の「雪中相合傘」ですが、右側の白い着物の袖に「空摺」と言う技法が施されています。











 これは版木に絵の具をつけずに、摺師が肘などを使って強い圧力をかけながら摺って凹凸を出すもので、たとえば、雪や綿など白くふっくらとしたもの、布やその文様、輪郭戦などに立体感をもたせるための、いわゆるエンボス加工(浮き出し)です。

 この技を施すことができるのは高級和紙に限るようで、のちに現れる同様な絵柄には「空摺」はめったに見られなくなりました。

 冒頭に掲げたパンフレットの絵は、「桃の小枝を折り取る男女」と題された、若く、華奢な二人が見つめあう初恋の雰囲気漂う春信ならではの作品です。


 春信5歳での突然の死は、彼を師と仰ぐ人々をはじめとして、多くの江戸っ子たちに惜しまれました。死しても人気は衰えず、ついには作者不詳ながら「春信」とサインの入った作品まで出回ったとあります。

 左は「春信」作の「お仙と菊之丞とお藤」です。
 当時江戸で評判の実在の美人たち、中でも谷中笠森稲荷の水茶屋「鍵屋」の娘お仙、次いで浅草寺境内の楊枝屋「本柳屋」の娘お藤は、たびたび春信の錦絵の主人公となりました。
 絵中、左が柳屋お藤,右が笠森お仙、中央は歌舞伎の女形瀬川菊之丞です。


 そして右は、春信の後継者の一人でもある喜多川歌麿の「おきたとお藤」です。

 絵中、左側の「おきた」は歌麿の時代に、寛政三美人の一人と讃えられた「難波屋おきた」のことですが、右側は前述の、春信が好んだ「柳屋お藤」なのです。
 この時点で「お藤」は既婚となり、眉を落とし、お歯黒をした押しも押されぬご内儀姿です。

 「おきた」がありがたそうにいただいているのは、美貌の秘伝書ででもあるのでしょうか、、、、春信の次は私だと歌麿が世代交代をアピールしているようで大変興味があります。

 あれやこれやと2時間あまりがあっという間に過ぎ去ってしまいました。今回の春信を主とした150点の作品鑑賞で理解できたのは、ほんのサワリだけではありましたが、すばらしい「お年玉」になりました、、、、こいつは春から、、、

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