2019年7月24日水曜日

有松へ出かけてきました

 有松へ出かけてきました。
 有松は名古屋市の南東、あの桶狭間の古戦場のあるところで、旧東海道53次の40番目の宿、鳴海の東隣にあたります。

 この有松・鳴海の地は、江戸時代以降、国内における絞り製品の大半を生産していたことで知られており、あの有名な歌川広重による版画「東海道五拾三次之内 鳴海 名物有松絞」にもその存在があります。


 もともとは名古屋城築城のために九州の地から来ていた人々が着用していた絞り染めの衣装にヒントを得て、当時生産が始められていた三河木綿に絞り染めを施した手ぬぐいを東海道を行きかう人々に土産として売るようになったのが始まりといわれています。

 さらにこの産品を御三家である尾張藩が、有松絞りの保護のため有松の業者に絞りの営業独占権を与えたことから、明治になって日本各地で絞りが生産されるようになるまで有松は繁栄を謳歌したのです。


 この有松地区の東海道沿道(名鉄 有松駅の南側約数100m)は、卯建(うだつ)を設けた和瓦の屋根、塗籠造(ぬりごめづくり)、虫籠窓(むしこまど)といった特徴を持つ伝統的建築物が町並みを形成しています。

 これら絞商の豪壮な屋敷構えと、絞りに関わる人々の住む町家が混在して建ち並ぶ特色ある町並みが評価され、国が選定する「重要伝統的建造物群保存地区」に選ばれていますし、20195には、「江戸時代の情緒に触れる絞りの産地~藍染が風にゆれる町 有松」として、文化庁より『日本遺産』に認定されています。


 右は西側の服部家「井桁家」から分家した絞り商「井桁一」の建物(明治28年)で、金属製の丸棒がはめられた二階の窓は「虫籠窓」です。

 下の写真は服部家「井桁家」で、この町では数少ない卯建(うだつ)のあがった家です。

 また、下右写真はもう一軒の卯建(うだつ)のあがった家、「小塚家」で、卯建の構造がよくわかります。















 町並みの家々の瓦屋根には興味深いものが多くありました。

 右写真上左は、山田与吉郎家の軒瓦で、「山ヨ」マークがあります。

 同じく上中と上右は、棚橋家で鷹?と鐘馗様

 下左は、竹田嘉兵衛商店にある、明治時代のガス燈

 下中は、同商店の屋根組

 下右は、岡家の屋根の裏側に見られる、漆喰で塗られた波型の軒裏


などなど其々がいろいろこだわりを持っていたのがわかりました。

 この古い町にもご多分にもれず立派な山車(だし)がありました、「布袋車(東町)」、「唐子車(中町)」、「神功皇后車(西町)」の3台の山車です。

 これらは、有松の氏神様、有松天満社の秋季大祭に曳き出されるとのことで、左写真左は「唐子車(中町)」の山車庫です。

 右は有松山車会館と言って上記の山車を毎年順にひとつづつ展示する場所だそうです。(東町、西町の山車庫は観られませんでした。)

 広報資料から有松天満社の秋季大祭における上記山車の様子を知ることができました、さすがに立派なものだと思いました。

 左から「布袋車(東町)」、「唐子車(中町)」、「神功皇后車(西町)」の順になります。

 まちを歩いていてふと見上げるとお医者様の看板も、おおーアンティーク!!

 でも古いものだけに拘るだけではなく、絞りは新しいものにも挑戦しているようです。


 右写真には提灯に絞りのカバーが掛けてあります。

 照明器具の名は「Shizuku(しずく)」でこの会社はドイツのデュッセルドルフに本社があり、この製品はヨーロッパに輸出され好評だとか、、、
 

 冒頭にあるとりどりの絞り手拭いに惹かれて訪れた店は、なんと過日東京の伊勢丹で開催されていた絞りの出店で出会った絞り職人(工芸家)さんの店でした。

 その時彼もドイツに行って勉強しているとのことで、先程の話とつながりました。

 上にある代表的な有松絞の柄を生かした手拭いがことのほか新鮮に見え、さっそく家人がお買い上げ、、、「右)

 荒川叶江(arakawa kanae)さんという作家さんの「雁木杢目絞り」で、藍と柄がうまくマッチして、どこか凛とした美しさを感じます。


 そののち少し早めの昼食を寿限無といううどん屋さん」で摂りましたが、この店は、皿うどんが得手のようで、「梅ころ」と「天ころ」をオーダーしました。

 わずか半日の有松訪問でしたが、中身は充実していました。

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