2024年7月12日金曜日

低周波用ステップアッテネータを作りました

 最近は高周波関連が多く、低周波の実験は少なくなっていますが、それでも時折必要となるのが低周波発振器です。
 かつてはいろいろな回路で自作しましたが、最近ではパソコンのソフトからも信号が得られるようです。

 左写真は Hewlett-Packard 社の低周波発振器、HP-209A のマニュアルの表紙です。もともと HP  好きな私にとってこの低周波発振器はお気に入りで、もう発売後50年以上にもなろうというモデルですが、今でも元気に働いています。

 もっとも、より正確な波形を求めるならばファンクション・ジェネレータというオプションも有していますが、手軽にさっとデータを取るには小型軽量の HP-209A に手が伸びてしまいます。
 正弦波出力は 4Hz~2MHz と広範囲で、600Ω負荷に対して 5 V RMS あり、矩形波出力も別端子で持っています。

 しかしながら実際に使用した時、出力を 0~5V のツマミ一つで調整するにはかなり無理があり、低周波用ステップアッテネータを作ることにしました。回路図を右に示します。

 パイ型のアッテネータ(それぞれ -10dB 、-20dB 、-40dB )を3段直列にし、出力に 600Ω の負荷をかけることが出来るようにしました。
 カナメは R10 ~ R42 までの9本の正確な抵抗を用意することです。私は手持ちの100本入り(日常の使用で多少数は少ないですが)抵抗セットの中からマルチメータで測定し、選別しました。

 回路図中、緑の線で囲った目的とする抵抗値は、1本では得られませんので、抵抗を直列(+で表示)、または並列(//で表示)に接続して目的の抵抗値とし、数値は3桁まで合わせ込みました。

 右写真は、ステップアッテネータ本体のケースです。1.5 mm 厚のガラスエポキシ両面プリント基板を切り出し、半田付けで作りました。上面の丸穴はスナップスイッチを取り付け、側面の丸穴は INPUT ( BNC-P )、OUTPUT ( BNC-J ) のコネクタがそれぞれ取り付けてあります。






 蛇足になりますが、左写真は秋葉原の〇月電子で見つけた変換コネクタの特価品です。左が BNC-J TNC-J 右が BNC-P ↔ RCA-P で、どちらも一袋10個入がなんと¥100!!!でした。
 この材質は半田付けが出来ましたし、切断しても使えますのでアマチュア的用途には大福音です。




 必要な部品を取り付けた様子を右写真に示します。







 左はステップアッテネータの内部を示します。ケースの半田付け、抵抗の取り付け、入出力端子の固定方法など参考にしてください。





















 上左写真は今回作った低周波用ステップアッテネータと BNC-J ↔ バナナ端子 変換コネクタです。この変換コネクタは上右写真のように、実際に使う場合スマートに接続が出来、自画自賛モノです。
 通常は出力の 600Ω 負荷スイッチをON にし、必要なアッテネータスイッチをON にします。(たとえば -30 dB が必要なら、 -10 dB と -20 dB を ON に、また -60 dB が必要なら、 -20 dB と -40 dB を ON にします)
 当然、最大減衰量は -70 dB です。

 毎日の熱い中好きなことに熱中できるのは何と幸せなことでしょう。

2024年6月18日火曜日

Arduino の自動電源 Off 回路

 相変わらず日々、Arduino を使った電子工作などを楽しんでいます。
 最近の技術の発達は目覚ましいものがあり、電子工作の世界にもその恩恵がもたらされています。その最たるものは小型化、高性能化でしょう。
 おかげで最近では虫眼鏡なしではものつくりが出来ません、いわゆるSMD( Surface Mount Device )です、でも消費電力も小さくなり電池駆動でも十分に働いてくれるのは有難いことです。

 しかしながら貧乏性の故か、電池の消耗が気になって落ち着きません。
 そんな時、一定時間が経過したなら、自ら電源を落とすようにしてやればよい、、、と気付きました。

 もちろん世の中ではそんな仕組みは当たり前なのですが、自分の工作の中で実用化する、というのはそれはそれで意味のあることだ、、、と取り組んでみました。

 最初に考えたのは、右上回路です。
 仕組みは、電源スイッチを押すと上側のトランジスタ(2SA1015)の E (Emitter)から C (Colecter) へ電流が流れ、すなわちバッテリーからArduino へ電源が供給されます。
 電源を得た Arduino はただちに Arduino Port を HIGH レベルにすることで下側のトランジスタ(2SC1815)をオンにして、電源スイッチから手を放してもバッテリーからの電流が途絶えないように、すなわち電源スイッチ‐オンの状態を保持します。

 あとは Arduino が一定の仕事をしたのちに Arduino Port を LOW レベルにすれば電源スイッチ‐オフの状態に戻ります。以下にArduinoのスケッチの要点を記述してみました。

 
  取り敢えずはこれで動いたのですが、上の回路図では電源‐ONの状態で、トランジスタ(2SA1015)の E-C 間で約0.6Vの電圧降下があります。

 3~5Vの電源での0.6Vは場合によっては大きいといえますので、右に示すようにトランジスタ(2SA1015)を FET (2SJ168) に置き換えました、これで電圧降下はほとんどなくなりました。
 また回路図中の S-G 間にある100kΩは省略してもうまく動いてくれています。
 
 ということで少々強引ですが、自動電源Off回路を動かすことが出来るようになりました。今回は P-N-P と N-P-N の素子をうまく使えたということでしょう、この回路を標準として今後、私の作品の中で使っていきたいと思っています。

2024年5月18日土曜日

Sweeperino なるものを実験してみました

  2000年の初めごろと言えばもうかなりまえになりますが、FRMS(Frequency Response Measuring System)という自作測定器がアマチュア間で話題になりました。今でいうネットアナで秋月のDDSキットをPICで操作し、その出力をコンポーネントや回路に与え、そのレスポンスをAD8307というログアンプで読み取り、パソコンのスクリーンに図示するというものでした。

 このキットはCYTECさんから発売されており、今でもFRMS2として品揃えの中にあります。左上写真はそこからの引用です。

 ありがたいことに回路図、部品表、基板データさらにはPICに焼きこむファーム・ウエアやパソコンで使用するソフトまでの一揃いを我々アマチュアがフリーで使用できるようになっており、私も何回か製作し実験に使ってきました、感謝です。

 最近になってネットサーフイン中に、少し古いですが気になるサイトを見つけました。(右画面) 著者は Ashhar Farhan さんで VU2ESE のコールサインからインドの方と思われます。


 ここでいう Sweeperino のコンセプトはケースであるキャンディー缶の右上にあるツマミを回し、目的周波数(AD570 による発振)に合わせ、回路からのレスポンス・パワーをやはり AD8307 で読み取る、、、といったもので FRMS によく似ています。
 私が着目したのはもう一つの機能で、マイコンのソフトで、回路の周波数特性を読み取り図示するという FRMS と同様の機能です。

今回作成した部分の回路図を示します。(パソコン専用のため LCD は省略)そのため回路は極めて簡単で、これをベースにいろいろなものが出来そうな予感がしますが、今回は基本的なところの動作確認としました。
 主体となるブロックは、ひとつは右下の Si5351 発振器です。オリジナル回路は Si570 が使ってあり、 Si5351 でも使えるように Arduino のスケッチが作ってありますがいまではより低周波側から使える超安価な中華 Si5351 発振器が入手できますので選択の余地はないと思います。
 もう一つのブロックは上側にある AD8307 を使ったパワー計で、この二つを Arduino_Nano でコントロールするものです。これらの情報はネットの GitHub を探せばより詳しく見つけられます。

 そしてある意味カナメのパソコンソフトは「 specan_ui.exe 」を使います。当初 GitHub に同梱されていたものは、win10 との相性のためか?動いてくれませんでしたが、より新しいものを探したところ無事動きました。

 前述の回路図中の CLK OUT と Signal Input の間に自作の 10MHz バンドパス・フィルタを入れて測定した結果です。

 Si5351 発振器のクリスタルは 25MHz のままででオリジナルの 27MHzには代えてありませんし、電力レベルも校正してありません、取り合えずのマンマです。  
 このきわめてシンプルな GUI はパッと観で操作できますが、このままでは最大中心周波数99.999MHz、最大スパン50MHz の制限がありますが FRMS に比べれば、、、、

 左写真は実験中の写真で、左から Arduino UNO 互換ボード、中華 Si5351 発振器、AD8307 パワーユニットとなっていますが各ユニット間の結線が極めて少ないのが面白いです。

2024年4月17日水曜日

久しぶりのお花見

 少し遅いと思っていた櫻の便りも、ここにきて一気に列島を北上していき、 この辺りではすでに満開を過ぎようとしています。

 例によって突然に、櫻を観にいこう、、、と思い立って、古い友人に声をかけたところ、「明日でもOK、花見と昼食の場所は任せろ、、、」とのあり難いお言葉に甘え、さっそく出かけました。

 当日は雲が少し多めでしたが薄く、空気は爽やかで春を満喫できそうな天候でした、これぞ「花曇り?」







 行先は中津川、標高があがるにつれて少しずつ先行した春に追いつくように景色が微妙に変わっていくのを楽しみました。
 「ソメイヨシノ」はもちろんのこと、色とりどりのヤマザクラや新緑で笑っている山々などなど、、、、

 友人宅へ到着し、奥さん手づくりの櫻茶とカラスミで一服させていただきました。カラスミ、、、と言っても例のボラの卵巣ではなく、米粉で作ったもので、もともとは雛菓子なのですが、この地の春の季節菓子となっています。
 断面が富士山の形をしているのも特徴です。

 この日の予定は、花見を木曽川の北側にある苗木城址の北に面した「さくら公園」で、昼食は馬籠の「萩乃屋」とあらかじめ用意してくれていました、感謝感謝、、、です。

 苗木城址へは何度も訪れていますが、この公園のことはよく知りませんでした。
 中津川市の広報では、サクラの数700本とありましたが、それらの木々は樹齢が比較的若いように見受けました。
 それゆえにいわゆる櫻の名所の雰囲気とは異なり、若さと勢いが感ぜられました。

 花はほぼ満開に近い状態でしたが、まだ花弁もほとんど散っておらず最高の状態でした。









 幸い訪れたのが平日とあって駐車場も一番奥まで乗り入れが可能で、なおかつ空いていました。

 公園内のサクラの木に何やら短冊のようなものが下がっているのを多く見かけました。
 近寄ってみると、○○子さん入学祝とか○○会還暦記念などといった文字が見られます。








 公園を開放していろいろな記念行事に植林をすることにしたのでしょう、いいアイデアだと思いました。







 ほとんどのサクラは「ソメイヨシノ」でしたが、枝垂桜の数本が一カ所に植えられている場所もありました。(上写真) これもまた趣があって奇麗です。

 また数少ないですが、ツツジも花開いてアクセントとなっています。(右写真)



 私どものイメージではツツジはサクラが終わってから咲くものと思っていましたが、近年ではほとんど同時期にみられるようになりました。

 さくら公園の小高い丘の上に見晴らし台がありました、何はともあれ登らねば、、、○○と○○は高いところへ、、、

 遠くに見える左側の尖った山は中津川市と恵那市の境にある笠置山(1128m)でしょう。

 あいにくの花曇りですが、手前のサクラとのコラボはなかなかのものです。

 近い将来この景色の下をリニア新幹線が走るようです。

 人混みを気にせず、マイペースでしばらく散策を楽しんだのち、昼食のために馬籠へ移動しました。目的地は「萩乃屋」という日本料理屋さんです。













 実はこのおみせは以前にも来たことがありますが、その後ミシュランガイド愛知・岐阜・三重2019版で、「ビブグルマン」に選ばれたとか、、、
 「ビブグルマン」というのは価格以上の満足感が得られる料理という意味だそうです。

 ここではメニューは多くなく、昼のみ提供される定番?の「萩乃屋ランチ」をオーダーしました。写真は、料理が先付け、煮物、焼き物、揚げ物と出た後での、香の物付き なめこ雑炊 で、この後シャーベットで終わりました。













 右写真は、「萩乃屋」のちかくにあった「コブシ」です。





 たまたまの思い付きとはいいながら、久しぶりに花見をすることが出来ました。

 若々しい花たちから元気をもらい、ゆっくりとした時間の中での古き友人との食事や会話のなかで、やはり健康であることが肝要であるということを改めてかみしめた一日でした。

 来年もまた出かけよう!

2024年4月12日金曜日

ようやく春が来ました


  ようやく春が来ました。

 今年は例年になく花の咲くのが早い???などとの声が盛んに飛び交いましたが、直前になって一日伸ばし、、、
 気が付いてみれば例年並みで、入学式にもめでたく花を添えられた、、、という結末でした。

 とはいうものの我が家の庭花たちにとっては何かすっきりとせず、開花の時期と種類があまり判然としませんでしたが、それでも毎年の馴染みの姿を披露してくれました。

 すでに終わってしまいましたのでここでは取り上げませんでしたが、「ワスイセン」は例年のごとく、春になる前の庭を覆いつくすように咲き乱れ、清々しい白色と芳香で満たしてくれました。

 そしてこの時期に庭のあちこちに咲き誇っているのは「クリスマスローズ」です。

その中でも濃い目の赤紫色のそれが一番多くみられます。(写真左上) 

右上の白はどちらかというと減少の一途ですが、まだまだ頑張っています。

右下の黒は好評で、引く手数多です。

そして時々、左下のような変わり者が顔を見せる時があり、これもまた楽しみの一つです。










 次の定番は「ムスカリ」で、左写真にあるきれいな群青色は思わず目を見張らせるものがあります。

 そして右写真は「ムスカリ」と「ベロニカオックスフォードブルー」が大きな鉢に植えてある様子です。白い壁をバックでの取り合わせは、この時期強くなってきた陽の光を浴びて輝いており、ウェルカムフラワーの役割を十分に果たしています。

 次の「イワヤツデ」は中くらいの鉢に植えてあるのですが、秋の終わりには枯れてしまって(休眠)何も植わっていないかのようですが、また春が巡ってくると、、、写真のように花開きます。

 先日友人にこの写真を見せたら、即座に「タンチョウソウ」、、、と言われました。
 なるほど、赤い点をタンチョウヅルの赤い頭に見立てたのでしょう、でもこのほうが一般名のようです。









 左写真は「バイモユリ」です。
 漢字では「貝母百合」を充てるようですが、これは球根の形が貝のようであることによるようです。(写真右下)

 このエキゾチックな花は古くから茶花として使われてきたようで、家人のお気に入りの一つです。



 今の時期、白い小さな花が群生して庭の一部でアピールしています。
 そうです、「スノーフレーク」です。
 よく似た花に「スノウドロップ」がありますが、こちらは我が家では早い時期にいなくなってしまいました。











 「ワスイセン」は前述しましたが、黄色い花弁の水仙(「糸スイセン」「ラッパスイセン」「黄スイセン」などの洋系、和系にはない)もほぼ終わったところです。

 写真は切り花にするための水仙をバードバスに置いてあるの図、、、です。








 この季節に草花ではありませんが、樹木にも花が咲きます。とはいってもサクラやコブシ、モクレンなどではなく、わが庭にあるのはジューンベリー(右写真)とブルーベリー(下写真)です。









 共通しているのはそれぞれに美味しい実がなることです。花はブルーベリーが早かったのですが、実の収穫はジューンベリーのほうが早いです。 また紅葉がきれいなのも共通しています。 もちろん花も奇麗です、、、
 
 春が、、、花が、、、早くても遅くても必ずやってくることの嬉しさは年々増してきているように思われます。
 健康に留意して、春を、花をもっともっと楽しまねばと思っています。

2024年3月26日火曜日

国立科学博物館へ行ってきました

 かねてから一度訪れたいと思っていた国立科学博物館へ行ってきました。 国立科学博物館はあちこちに散在していますが、目指したのは東京の上野恩賜公園にある上野本館です。
 JR上野駅の公園口を出てまっすぐに進みます、上野駅も久しぶりです。

 公園入口に案内図があったので早速撮っておきます。

 中ほど左下の公園口からまっすぐに進み、最初の交差点を右折したところにあり、近くてわかりやすいところです。






 幸い天候に恵まれ、春の日本晴れで雲一つありません。
 この右側に国立西洋美術館があります、折角ですので前庭の彫刻に久方ぶりのご挨拶です。

ここにはオーギュスト・ロダンの彫刻が多く、左側の群像が「カレーの市民」右奥にみられるのはダンテの新曲をモデルにしたとされる「地獄の門」とその両側に「アダム」(左)、「イブ」(右)があり、右手前には「考える人」がいます。
 遠く中央の入口近くにはブルーデルの「弓を弾くヘラクレス」も見られます。

 また、この国立西洋美術館の建物は、かのコルビュジェが設計したものでは日本由一のものとか、、、、

 交差点を右折し、しばらく行くと右側に蒸気機関車「D51 231」がありました、これも博物館の展示物なのでしょう。

 「D51 231」は動輪を4個有する、旅客、貨物両用蒸気機関車でその231番目に造られました。
 電化で引退した最終の蒸気機関車群に属し、その昭和50年末までに約216万km(地球を54周)を走破した強者です。
 すぐ先に国立科学博物館の入口が見えています。

右写真が目指す国立科学博物館なのですが、前々から興味があったのは展示物もさることながら、この建物にも興味があったからなのです。
 右下に上空からの写真を添付しておきましたが、左右に翼を広げた古い飛行機のような形をしています。

 この建物が国立科学博物館(日本館)で、前身は「東京科学博物館本館」(重要文化財)で関東大震災の復興に合わせ、1931年(昭和6年)に完成しており、そろそろ100歳の声を聴きます。

 偶々、「海生無脊椎動物の世界」というテーマでの展示中でした。

 最初に観たものは「フーコーの振り子」です、ただ細いワイヤーでつるされた錘が揺れているだけのものですが、この現象が、地球の自転と、緯度の関係を表しており、このことを野にあった科学者フーコーが発見したのは大変な出来事だったと思います。

 この建物の見どころの一つ階段です、幾種類かの石材の用い方、ランタンやアイアンのデザインも素晴らしい。
 そして壁にはめ込まれたステンドグラスも、、、、







 圧巻は中央吹き抜けの天井です。
 ドームの頂点には美しいステンドグラスがあり、四方にもステンドグラスがあしらわれています。




 これらは昭和初期に活躍した日本の建築家やステンドグラス作家の手によるものらしく、荒れ果ててしまっていたものを後になって後継者の人たちが修復したもののようです。


 いかに国立科学博物館とはいっても(現在は国立という名前でも法人、対外上のやり取りにNational の文字が必要だったので残したとか)規模の大きさは欧米のそれに比べるべくもありませんが、それでも細部まで見て回る体力は私にはありません。

 以下たまたま興味をそそられた部分についてのみ挙げていきます。(1か月毎日通えば何とかなるかも、、)

 上写真は突然目に飛び込んできた「ヒグマ」です、実に大きい!
 日本にもまだこんなに大きな生き物がいたんだ! 過日話題になった「OSO 18」のことが思い出されます。

 次の写真は日本に落下した隕石・隕鉄です。中央に見える大きな隕石は、「気仙隕石」と言い135kg(研究用試料を採取する前)あったそうですが、重さだけで比較するとその右にある「田山隕鉄」で175kgあります(日本一)。ちなみに世界一の隕石は、アフリカのナミビアで発見された「ホバ」隕石で63tもあるそうです。

 左の「フタバスズキリュウ」は1968年(昭和43年)に福島県いわき市で当時高校生の 鈴木 直さんが発見したことは古い記憶に残っていました。いわゆる恐竜ではありませんが、流石に迫力があります。
 骨格模型の下にある発掘当時の骨のレプリカも素晴らしい。

 次々と現れる珍しく面白い展示物に誘われてこれまでの建物(日本館)から知らぬ間に別の建物(地球館)に入り込んでいました。

 展示場面積はこちらのほうが大きいかも、、、、

 しかしながら体力的に、、、で、見学もつまみ食い状態です。

 そんな中ふと目に留まったのは、「忠犬ハチ公」と「ジロ」です。忠犬ハチ公がこんなところではく製になっているとは夢にも思いませんでしたし、会えるなんて、、、館内案内のボランティアさん曰く、今時の若い人はハチ公のお話を知らない人が多いですよ、むしろ外人さんのほうが、、、、
 南極で極寒を生き抜いた樺太犬「ジロ」には「タロ」という相棒がいたはずで、その消息を聴いたら、北海道大学にあります、、、とのこと。

 恐竜と言えば「ティラノ・サウルス」と言われるくらいですが、左写真は「アロ・サウルス」です。
 一見よく似ていますが、この「アロ・サウルス」は「ティラノ・サウルス」より数千万年も前の時代に生息していたので、お互い相手を見ることはなかったと思われます。
 もしお互いが戦えば?の架空議論があるようですが、「ティラノ・サウルス」が重く強いようです。

 こんなものもありました、真空管を使った電子計算機です。
 これは富士写真フィルム(株)の岡崎文次さんがレンズ設計計算の省力化のために1956年(昭和31年)に7年かけて完成したという「FUJIC」です。

 興味があって後刻 Wikipedia で調べました。岡崎さんはこの道の専門家ではなく、アマチュア的なところがあり、ほとんど一人で、それも本業の業務とは別の時間を使って製作し、部品調達のためも秋葉原へ出かけた、、、、
 それでいてコンセプトは最先端を行っており、得た特許はIBMにもライセンスした、、、、などなどすばらしい!!!

 ついに力尽き、エネルギー補給のために地球館中二階の「レストラン・ムーセイオン」に入りました。ちなみにムーセイオンとは古代ギリシャ語で学堂を意味し、これがミュージアムの語源となったとのこと。

 午後3時近くだったのですが、平日のせいで比較的空いていました。
 注文したのはケーキセット、ケーキはフォンダンショコラです、美味しくいただきました!!


 ほんの2時間にも満たない時間でしたが、久しぶりに多くのものに出逢い、語り合い、楽しい時間を過ごすことが出来ました。

 機会あれば何度でも来館したい気持ちです。

 出口では名物の体長30m、重さ150tのシロナガスクジラのレィディ(原寸大)が見送ってくれました。