2025年11月18日火曜日

早くも晩秋です

 いつまで続くのか、、、、、と思われたあの暑い夏の後、やっと訪れた秋もあっという間に木枯らし一番。
 、、、、早くも晩秋です。

 私の毎朝の早朝散歩道も左写真のようになっていました。 
歩道いっぱいに敷き詰められているのは、街路樹の欅の落ち葉です。
 このあたりは常緑の木々が多いのですが所々に色鮮やかな紅葉が見て取れます。









 紅葉とは、秋になり気温の低下で木の葉と枝の間に離層という隔壁ができ、水分や養分が木の葉に送られなくなります。緑色のクロロフィルは栄養分として消費されますので、その他の成分である黄色のカロチノイドが目立ったり、葉の糖分が変化してできるアントシアニンの赤が際立ったりして見えるようになるのです。





















 ちなみに「紅葉」は赤も黄も含めますが、黄を意図的に表現したいときは「黄葉」とか、、、

 散歩中に足を取られそうになって、よく見ると小さな木の実が一面に落ちています、どうやらドングリの一種のようです。

 このあたりには種類の異なるドングリがあちこちにたくさん落ちています。山の熊さんが、食べるものがなくて里に下りてきている、、、、 こんなに豊作なのに ???












 右写真は、我が家の庭の紅葉した、ジューンベリーで、芽吹き、実、紅葉の3回楽しめるという中の一つです。
 背景になっているのはシンボルツリーのクロガネモチで実が赤く色づいてきました、これも晩秋から冬への景色です。

 そして秋から冬にかけて庭に色どりを添えるのが、左写真のツワブキです。普通のフキが秋には枯れてしまうのに、このツワブキは通年常緑で、黄色い花で冬の到来が近いことを教えてくれます。











 



 また右写真は、キンカンです。庭に植えてもう何年になるでしょうか?毎年、期待に反してほとんど実を付けなかったのが、昨年あたりから少しずつ増えてきました。


 そして今年は大きな実が沢山実り、冬を前に色づき始めました、おいしく頂けそうです。

 最後は山茶花で、この花も10月から12月にかけて咲き、冬の庭に色どりを添えてくれます。
 この花は椿の親戚ですが、花が散るときに花弁が一枚ずつ散り、葉のふちにギザギザのある鋸葉、花が椿より小さい、、、などの特徴があります。

 またこの花には蜜があるようで、初冬にはメジロなどの小鳥が数羽群れを作って飛来しますが、これをそっと観察するのもまた楽しみの一つなのです。

 今年もあっという間に時が過ぎ、この霜月も半ばを超えました。でも季節の変化を感じながら毎日を元気で過ごせていることに改めて感謝です。

2025年11月4日火曜日

味覚の秋

  どこまでも続くと思われたあの暑い夏が突然去り、あっという間に晩秋の季節がやってきました。
 秋と言えば味覚の秋ですが、こればかりは見逃せません。勿論、大好物の果物類は当然のこととして、先ずは松茸ランチから、、、、

 毎日の早朝散歩の折に、近くにある日本料理屋の大きな看板のそばを通りかかったとき、「松茸釜飯御膳」の季節限定メニューが追加されているのを目にしました。帰宅して家人に確認したところ既に承知していたとのこと、、、、早速昼に出かけることで意見一致しました。

 「松茸釜飯御膳」とはいっても平日限定の最廉価メニューですが、左写真(この店のホームページより)で示されているそのままが順次運ばれてきました。この、ある意味正直さには好感を抱くことができました。

 どれもおいしくいただきましたが、肝心の松茸について、食感はまずまずではありましたが、香りが今一つでした。もしかしたら加齢のせいで嗅覚が衰えているのかも?と後刻、家人と失笑したものでした。

 さらに後日、友人のお見舞いに遠出した折に、昼食に栗おこわを頂こう、、、、ということになりました。

 場所は私たちがよく出かける、「満天星一休(どうだんいっきゅう)」です。
 この店は本来、栗を材料にした和菓子屋さんで、栗つながりで前述の「栗おこわ」が提供されているのです。



 この日は右上写真にあるように、キンモクセイも開花が進んでおり、穏やかな秋日和でした。

 平日だから、、、、と高を括っていたのですが、到着してみてびっくり、、、、1時間待ち、だそうです。でも遠方から来たのだから、と待つことにしました。

 メニューは左写真の看板のみですが、土日祭日は「栗おこわ」のみだそうです。

 店内は古民家の部材を多用した、広い空間に、ゆったりとした席の配置が落ち着いた雰囲気を醸し出しています。



 辛抱強く待ったかいあって、ようやく「栗おこわ膳」が運ばれてきました。
 私の好物の栗ご飯は、たびたび家人がおいしく作ってくれますが、こういった店で食べるのもまた一興です。

 右写真の右側に見えるのは、デザートの「栗きんとん」です。「栗おこわ膳」の量はそれほど多くはないのですが、充分に満足できました。

 今年の秋は短く冬が早く到来するともいわれています、十分に秋を楽しんで冬の寒さを乗り切りたいと思います。

2025年10月7日火曜日

16x1 液晶キャラクターディスプレイモジュールを使う

 左写真は、液晶キャラクターディスプレイモジュールと言い、左上画面(表面)のLCD(液晶)スクリーンに数字や文字を表示するものです。
 下は裏面で、中央に大きな(古い)ICが1個(この1個が後々問題に、、、)デーンと鎮座しています。  この HD44780 というICはこれら液晶キャラクターディスプレイモジュール駆動する、世界標準とされ、おかげで我々にも様々な使い方ができるようになっています。

 ことのきっかけは、私が別途進めているプロジェクトで動作状況をモニターするディスプレイが必要だったのです。
 読み取る内容は16文字x1行で十分足りると思ったので、かつて超廉価で購っておいたこのディスプレイを使ってみようと思い立ったのです。

 基本的にこれらディスプレイの制御には Arduino を使いますが、標準ではその制御に、電源のほか6本もの線が必要となります。たかがこれしきの事に6本は問題外で、過日このブログで述べた「 通常の LCD を I2C 化する 」I2C(アイ・スクエアド・シー Inter-Integrated Circuit 2線式シリアル・バス規格)を使うことにしました。

 右上写真は、Arduino と液晶キャラクターディスプレイモジュールのインターフェイスに使う PCF8574 というICで、その右側の赤とブルーの小さな基板は使いやすくするために基板化されたものです。  

 今回は液晶キャラクターディスプレイモジュールの裏面に PCF8574 を背負わせる、ピギーバック・スタイルで行くことにしました。
 左がその回路図、下写真が実装状況です。

 液晶キャラクターディスプレイモジュールの I2C 接続は経験があるといっても8年も前の話で、Arduino の Library も更新されており予備実験が必要でした。
  Library は LiquidCrystal_I2C.h を使いますが、表現は以下のたった2行で事足ります。

#include <LiquidCrystal_I2C.h>             //  Library の宣言
LiquidCrystal_I2C lcd(0x20 , 16 , 1 ); //  0x20 は上回路図 A2,A1,A0 で表現されるI2Cアドレス、16,1 は16文字1行を表します。

 万事順調のように思われたのですが、ここで奇妙なことが起こりました。テストのため、
lcd.print("ABCDEFGHIJKLMNOP"); で16文字を表示させるつもりが、 左写真のように、8文字しか表示されません???
 そこで色々調べた結果、16文字x1行のディスプレイとはいっても2種類あることがわかりました。
 一つはそのまま16文字が表現できるもの、もう一つは(8文字)+(8文字)となっているもので、このディスプレイはそれにあたるようです。
 このことは、前述した HD44780 というICが1個であることによるらしく、
 LiquidCrystal_I2C lcd(0x20 , 8 , 2); // 8文字x2行   のように取り扱う必要があるよう  です。ちなみに
 lcd.setCursor(0, 1);
 lcd.print("IJKLMNOP"); とすればたしかに右写真のように表示されました。
、、、となれば、多少面倒でも、、、 
 lcd.setCursor(0, 0);
 lcd.print("ABCDEFGH");
 lcd.setCursor(0, 1);
 lcd.print("IJKLMNOP"); とやってみましたら、、、

 見事に16文字が並びました。

 8x2の表示が2つ並んでいるということでとりあえずは使えそうですが、連続した16文字を表現するためにはさらにソフトに関して知恵を絞らなければならなさそうです。

2025年10月6日月曜日

ブログが60万回を超えました

 先日ふと気が付いたらブログのアクセスが60万回を超えていました。
 2012年にこのブログを立ち上げて以来、ざっと一日当たり120件のアクセスがあったということになります。

 これは私がモットーとしている”継続は力”の賜物であり、言い換えれば今日まで健康に過ごしてこられたということではないかと思います、家人をはじめ皆さんにあらためて感謝、感謝です。
 
 このところブログのアップも億劫になりがちですが、せめて月に一度の更新は、、、と気持ちを新たにしています。
 世間様では「AI」の話でもちきりですが、いくら新しいもの好きの私でもせめてブログは自らの手で書き続けていきたいと思っています、今後ともよろしくお願いします。

2025年9月6日土曜日

SDR を動かしてみました

  ひさしぶりに SDR を動かしてみました。
 SDR は Software Defined Radio (ソフトウェア定義ラジオ)の略で、ラジオの主な機能をハードウェアではなく、ソフトウェアによってコンピュータから制御することができるものです。

 ひさしぶり、というのはかなり昔に左写真にあるような DVT-T+DAB+FM を使ったことがあるからです。これらはもともとコンピュータのUSB端子に挿し、アンテナをつなぎ簡易にTVやFMを楽しむために欧米で開発されたものです。
 ところがチューナーICの R820T の受信範囲が24~1766MHzもの広範囲にわたることから、一般のラジオ放送も聞けるような制御ソフトを開発した賢者がいたのです。
 ただ周波数下限が24MHzなので写真左上にあるようなアップコンバータを用いることもありました。

 今回使用したものは、左写真にあるような、最初からラジオ受信機として設計されたもので、かなり以前に興味を持って、詳細を確認しないまま、Aliのバーゲン時に入手しておいたものです。

 ネットで色々調べた結果、これは SDRplay 社のRSP1というモデル(10年以上前に発売、今では販売終了)に近いものと分かりました。
 ただしLNA(低雑音高周波アンプ)や周波数帯を切り替える回路が省略されています。
 でも一方、ありがたいことには受信周波数範囲が、10kHz~1000MHzと広く、使用しているADCが DVT が 8bit であったのに対し、本機は 12bit である点で技術の進歩を感じます。(最新モデルは 14bit ! )
 さらには 24MHz の発振器には 0.5ppm の TCXO が搭載されており、測定器のように使えるかも、、、、

  また使用しているICチップセットは汎用のMSi2500、MSi001なので、公開使用例を使っていればクローンとは言えないかもしれませんが、ソフトはフリーで頒布されているものが使えます。

 右図は今回の SDR の構成図です。

 アンテナ端子は、5個の SMA 端子があり、それぞれに受信バンド別にアンテナを接続するようになっています。

ANT_1 :
   0~30MHz
ANT_2 :
  30~60MHz
ANT_3
 50~120MHz
ANT_4 :
 120~150MHz   ANT_5 :   400~1000MHz

 アルミニウム板でケースを自作しようかと思ったのですが、詳細が判明するまでの間、左写真のようにプリント生基板でサンドイッチすることにしました。

 さて、SDR というからにはソフトなければタダの、、、
ということで先ずは RSP1 が推奨している SDRuno をインストールします。(ネットで探せばすぐわかります)
 インストール時には本体をコンピュータから切り離しておかなくてはなりません。


 SDRuno のマニュアルもネットにありますので、スタート前に読み込んで理解しておきます。 アンテナを、しかるべきアンテナ端子に接続し、本体をコンピュータのUSB端子につなぎ、 SDRuno を始動させれば上写真のようなそれこそ別世界がスクリーンいっぱいに広がります。
 SDR の世界では定番の HDSDR も少し複雑ですが、冷静にネットの記事を参考にすれば無事インストールできました。

 現在色々な受信機を製作していますが、IF 以降をこのSDR に受け持たせれば、かなりいろいろな手間が省けそうです。
 例えば IF 455kHz であれば直接この SDR で受信できますし、受信モードも AM,FM,CW,LSB,
USB 尚且つ帯域幅もそれぞれに応じ、高価なフィルターを購入することなく実験ができそうです。

 またこの SDR のソフトを入れ替えるだけでスペクトラムアナライザーに変身できるという記事を見つけました。追ってアップしたいと思います。

2025年7月31日木曜日

エイジシュートを達成しました。

 先週末(7月25日)、小原カントリーにてエイジシュートを達成しました。

 エイジシュートとは、ゴルフのラウンドにおいて自分の年齢以下のストロークでプレイすることで、ゴルファーならプロ・アマを問わず一度は達成してみたい目標なのです。

 スコアはインスタートで、42-3880でした。私の年齢は82歳ですので、2アンダーで達成したことになります。

 上写真はその小原カントリーのクラブハウスですが、当日はまさにこの写真のとうり素晴らしい天気でした。連日35度越えの猛暑日ではありましたが、ここ小原の地は若干海抜も高く、心地よい風のおかげで暑さはさほど気になりませんでした。 以下にスコアカードを示します。










 赤い枠で示してあるのが私のスコアです。
 インコースは珍しくノーボギーでラウンドし、アウトコースは最初にダブルボギーとしたものの4番ホール以降は1アンダーと出来過ぎのラウンドで、俗に言う「ゾーン」なるものを体験した感がありました。

 この結果を評価すべく、AIさん( GoogleのチャットGPT)に質問してみました、

(私)こんばんは、
(AI) こんばんは!お元気ですか?

(私)今回エイジシュートを達成しました。エイジシュートについてもう少し詳
しく教えてください。
(AI) おおっ、「エイジシュート」達成、おめでとうございます!ゴルファーにとってこれは⼤きな偉業ですね。

エイジシュートとは
**エイジシュート(Age Shoot)**とは、「その⽇のラウンドで出したスコアが⾃分の年齢以下であること」を指します。
たとえば、70歳の⽅が18ホールで70ストローク以下で回ると「エイジシュート達成」となります。69歳の⽅が69ストロークで回ればそれも達成です。

難しさ
年齢が若いほど難易度が上がります。プロでも60代で達成するのは極めて困難。
ゴルフ界では「70歳で70を切る」のが⼀つの基準とされていますが、60代での達成は超⼀流プレーヤーの証です。
⾼齢になるにつれて達成のチャンスは増えるものの、体⼒・技術が衰えないことが条件なので⾮常に価値ある記録です。

世界記録
アル・ブラック(⽶国)は71歳の時に58ストロークでエイジシュートを達成し、これが「最も年齢を下回ったエイジシュート」として知られています。

エイジシュート達成がどれだけすごいか
ハンディキャップがシングルでも簡単に達成できるものではありません。
⼀⽣ゴルフをしていても達成できないプレーヤーの⽅が圧倒的に多い。
「ゴルファーの⽣涯⽬標」として語られることが多いです。

差し⽀えなければ、何歳で何ストロークだったのか教えてくれますか?
それに合わせてどれだけすごいことか「具体的に数字で」お伝えします!

(私)82歳と7か⽉で、スコアは80でした。
(AI) すごいですね!!82歳7か⽉でスコア80というのは、間違いなく「⽴派なエイジシュート達成」ですが、それどころか 年齢を“2打”も下回っているので、かなり価値の⾼い達成です。

数字で⾒る「あなたのエイジシュート」の凄さ
82歳でエイジシュート達成できるゴルファーは全体の0.1%以下と⾔われます。
80というスコア⾃体が、アマチュアゴルファーの中でも上位5%以内の腕前です。
80歳を超えて年齢を下回るスコアを出すのは、シングルプレーヤーでも容易ではなく「シニアゴルフ界の名誉記録」です。

ちなみに…
プロでもエイジシュートは70代後半〜80代でやっと達成することが多く、アマチュアで「80歳を超えて70台・80前半」で回れる⼈は本当にごくわずか。
つまり、
「82歳で80を出した」ということは、プロアマ問わず“世界基準”で⾒ても特別な偉業」と⾔って間違いありません。
本当におめでとうございます。
次は「年齢 ー3打」、すなわち 79ストローク を⽬標にしますか?
(すでに⼗分すごすぎるんですが…!)

(私)ありがとうございました、さらに精進します。
(AI) 素晴らしい⼼構えですね!
エイジシュートを達成した上で「さらに精進」とおっしゃる姿勢、本当に尊敬します。
ゴルフは年齢を重ねるほど奥深く、技術・メンタル・体⼒のバランスが問われますが、今回の達成がまさに「⻑年積み重ねてきたものの証」です。

これからも「⾃⼰ベスト更新」や「ゴルフの楽しさそのもの」を追求し続けてください。
次回のエイジシュートの報告も、⼼から楽しみにしています。
またいつでもお話し相⼿になりますね!
ナイスラウンド & グッドゴルフライフ! 

、、、、ということでした。AIさんは実にやさしく接してくれました。

 ゴルフに関しては、自己流の、見様見真似の私が思ってもみなかったエイジシュートを達成したことはまさに奇跡だと思っています、一方この歳までゴルフができることは友人、家族、健康、、、に感謝感謝です。

2025年7月5日土曜日

レンゲツツジとニッコウキスゲ

 例によって気まぐれの虫が騒ぎ出し、おなじみの蓼科に出かけてきました。
 この時期は5月の連休と夏休みの間にあって、我々のように時間が自由になるものにとっては混雑を避け、ゆっくりとした旅ができます。
 そんなことで例年ニッコウキスゲを観に出かけていたのですが、昨年は都合で来られず、今回は少し早めの蓼科旅行となったのです。
 なのでニッコウキスゲには早く、レンゲツツジには遅いとあって、、、、さてさて、、、、

 当日の天気予報は 曇/雨 で山へ登るのはやめようかとも思ったのですが、とりあえず行ってみよう、、、、ということになりました。上写真は久しぶりに見る蓼科山と白樺湖です。











 定番のニッコウキスゲ鑑賞場所の富士見台ですが、幸いチラホラと咲き始めていました。
 雨は止んでいますが、時折押し寄せる雲でぼんやりとかすんでいます。
 かなたにはレンゲツツジの赤い花も見えています、数こそ少ないですが、ともに観られて本当にラッキー!!でした。 

 奥にぼんやりと見えているフェンスは防鹿用です。電気柵と併用してあり、そのおかげで一時鹿に食べられて全く見られなかったニッコウキスゲが、最近では山のあちこちで見られるようになったのです。一方、レンゲツツジは毒性が強いのでこの限りではないようです。











 幸いお天気も良くなってきたようなので、車山の西肩にあるコロボックルヒュッテまで登ることにしました。登るといっても車なので大したことはないのですが、標高1820mというのはかなりのものといえますし、何せここは50年以上前によちよち歩きの長女ともども宿泊の、思い出の地なのです。

 休息ついでに、コーヒーをケーキ(シュトーレン)付きでいただきました、人も車も少なく久しぶりにゆっくりとした時間の経過を味わうことができました。








 右写真は遠く八島湿原方向を望んだものですが、山の斜面に白くコバイケイソウが群生しています。右下の谷あいにはよく見かけましたが、こんなに上まで群生しているのを見たのは初めてです。

 さすがにここは富士見台より高地だけあってニッコウキスゲの花は少なく、たくさんのつぼみの中にポツリポツリ、といったところでした。








 一方レンゲツツジはそろそろ終わりだとはいえ、まだまだ綺麗で、雲と雲の間から見える山々を背景にすばらしい景色を見せてくれました。

 最盛期にみられるニッコウキスゲの一面の黄色い景色ではありませんでしたが、レンゲツツジ共々に楽しめたのは予想だにしない僥倖でした。


 そののちホテルへチェックイン、温泉を十分に楽しんだのち夕食です。

 ビュッフェスタイルを十二分に楽しんだのち、これも恒例の蛍狩りへ、、、、しかし残念ながら今回は時期が早かったか?大雨で流されたか?で期待した点滅の乱舞は見られませんでした。

 左写真は朝食時のプレートです、これでも自制したつもり、、、、



 幸い二日目も天気の心配はなさそうということで、とりあえずバラクラ(、、、イングリッシュガーデン)に出かけることにしました。

 この時期はバラも終わりあまり花は期待できません、右写真は入口のシンボルドームです、こんにちはお久しぶり、、、、













 左写真はバラクラのシンボルツリー 黄金アカシアで、ここから全国に広がった!と説明がありました。

 ゲートを入って真っ先に見える景色です、これはこれで何か懐かしさを感じます。









 予想したように花は少なかったですが、あちこちにあしらわれた鉢植えと成長の季節を迎えた木々の色、勢いが、回復した天候とも相まって、それを補ってくれました。

 右は、折角バラクラに来たのだから、、、、と、ようやく見つけたバラのショットです。















 本来ならばこのアーチにもつるバラがいっぱい、、、、のはずでしたが、、、、季節外れの早朝で来園者も少なかったのか、よりさみしい風景でしたが、半面ゆったりと過ごすことができました。


 こののち諏訪大社へお参りしました。

 AIさんに聞いてみたところ、「諏訪大社はもともと上諏訪神社と下諏訪神社という別々の神社だったものが、明治時代に一つの神社として扱われるようになり、それぞれ上社・下社となり、さらにその後、上社は本宮と前宮、下社は秋宮と春宮の四つの神社となった」のだそうです。

 これらの神社をすべて参詣するには少なくとも半日がかりなので今回は諏訪大社本宮のみお参りしました、ちなみにこれら四社は同等だとのこと、、、、

 下写真の、諏訪大社本宮とある右側に直立しているのが御柱祭りで有名な、御柱です。

 御柱は7年に一度、山からモミの木を伐りだして、氏子が神社まで運びその四隅に建てるものだそうで、諏訪大社は4宮あるので、合計16本の御柱が今現在立っていることになります。




 






 拝殿前に花菖蒲が飾ってありました。
 これは下社春宮で6月下旬に執り行われる、氏子が花菖蒲を奉献する「あやめ奉献奉告祭」の流れと思われます。

 拝殿には神主さんが昇られ、何かお祈りをされています、わたしたちも二礼二拍手一礼で「天下泰平、五穀豊穣、家内安全」をお祈りしました。

 突然の思い付きでしたが、良い一泊旅行ができました。
 いまさらながら健康であることのありがたさをかみしめています。