2012年12月24日月曜日

チャップリンの 「街の灯」をオーケストラ・ライブで観てきました。

この写真は合成です

 ひさびさに映画を観に出かけました。と言ってもチャップリンのモノクロ無声映画です。たまたまこの日は、午後早くに1916年ごろの映画を4本、活動写真弁士つきで鑑賞し、一時間ほど休憩してから別の会場で、こんどは京都市交響楽団によるライブシネマで「街の灯 city lights」をじっくりと楽しんだ一日でした。

 このような催しははじめてで、左のパンフレットからの合成写真にあるように、ステージに大スクリーンが設置してあり、その前のオーケストラボックスにフルメンバーのオーケストラが映画の進行に同期して音楽を演奏していくものです。
 このとき楽団員は音楽のみならず、一部の擬音もうけもち、とくにピストルの発射音は迫真の演出力でした。

 活動写真弁士つきで映画を見るなどは経験もなく、映画かドラマの中でしか様子を知りませんでしたが、今回は「澤登 翠」さんという日本を代表する現役の女流弁士によるものでした。

演目は
1917年『チャップリンの冒険』The Adventurer
1916年『チャップリンの大酔(午前一時 との訳もある)One A.M.
1916年『チャップリンの番頭』The Pawnshop
1916年『チャップリンの放浪者』The Vagabond
 の4本でした。

 彼の初演作品は1914年ころとされているので、これらはいわゆる初期の短編モノと言う事でしょうか。作品はどれもアクの強い、いわゆるドタバタ喜劇で、アクションが「これでもか!!」と言うくらい強調されており、この時代、映画が大衆に対し懸命にアピールしているような気がしました。

 弁士は出演者の科白を緩急をつけて一人で何役もこなしていくわけですが、基本的にバックグラウンドミュージックはあるわけですし、必要な科白は画面いっぱいに挿入されるので、いなくても十分映画は理解できると思います。
 むしろ、弁士が個性を前面に出し、かつて「徳川夢声」がそうであった様に、独自の世界を作り出すのがわかりやすいと感じました。「澤登 翠」さんはどちらかというと丁寧な通訳さんといった感じでした。

 チャップリンはチャールズ・スペンサー・チャップリン・ジュニア(Charles Spencer Chaplin, Jr.)といい、1889年生まれで 19771225日に没しています。チャーリーは愛称です。

 彼はれっきとしたイギリス人で、アメリカで名を成し、アメリカを追われ(後に名誉を回復)、スイスで没した、映画俳優、映画監督、コメディアン、脚本家、映画プロデューサー、作曲家です。詳しくはネットでどうぞ、、、、


 左、右下写真は「街の灯」の最後の部分で、「サイレント映画史上永遠の名シーン」と言われるところです。

 " You "「あなたでしたの」と、かつて盲目だった花売り娘ヴァージニア・チェリル
、、、、頷くチャプリン "
You can see now ? "「見えるようになったの?」
Yes, I can see now. "「ええ、見えるようになりました」

というところで THE END ですが彼女が夢見ていた相手とはまったく異なった浮浪者です。これからどうなっていくのでしょうか?   本当の物語はここから始まるのでしょう、、、、

 でも最後のシーン(右上)で困惑した表情ではありますが、彼女は彼の手を自分の胸に当てています、、、、


最終部分の科白入り総譜(プログラムより)
 この日のオーケストラは、斎藤一郎さん指揮の京都市交響楽団(響)で見事に全編の86分を休むことなく見事に演じきりました。フル編成でありながらその存在が最後までまったく意識できなかったですし、無声映画の出演者の科白にもピッタリ間が合って、映画と一体化していた、本当にすばらしい演奏でした。

 この『街の灯』City Lights は1931年の作品で、そののち1936『モダン・タイムス』Modern Times、
1952年に『ライムライト』Limelight と続いていきますが、やはりチャップリンはこの『街の灯』に尽きる、と私は思います。

 そして、この映画のなかでたびたび流れるテーマはフランスのシャンソン、「花売り娘」原題は「ラ・ヴィオレテラ "La Violetera"(すみれの花売り娘)」で作曲はJose Padillaですが、これを世紀の歌姫ナナ・ムスクーリの澄んだ歌声で聴くのもまた、、、、

 そんなことでこの暮れに思いがけない時間を持ち、興奮の一日でした。このようないい企画を見つけてくれた家人に感謝です。

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