2014年9月14日日曜日

はからずも国宝のお城を全制覇!

姫路城(ネットより)
 とはいっても現在日本には、江戸時代までに建造され、天守が現存しているお城は12城ありますが、そのうち天守が国宝指定されているのは姫路城、松本城、彦根城そして犬山城の4城なのです。

 幸いそれと知らずに、これまで姫路城、松本城、彦根城を訪れていましたが、この夏機会があって犬山城に出かけました。

 犬山城はほかの3城ほど有名ではありませんが、かの荻生徂徠が木曽川沿いの丘上にある犬山城の佇まいを長江流域の丘上にある白帝城を詠った李白の詩「早発白帝城」(早に白帝城を発す)にたとえて白帝城と呼んだことで知られています。

松本城(ネットより)
 ちなみに姫路城は白鷺城(はくろじょう・しらさぎじょう)、松本城は深志城(ふかしじょう)烏城(からすじょう)そして彦根城は金亀城(こんきじょう)とも別名で呼ばれています。

彦根城(ネットより)
 私たちが出かけた日はあいにく小雨でしたが、かえって涼しく、見学の人も少ないといった面もありました。

 犬山城は前述のように丘の上にありますが、登り口の大きな石に犬山城とあります。

 山城ではお定まりの、そこそこ急な、曲がりくねった道を通って登っていきます。








 右写真は本丸に入る最後の門、かつての本丸門(鉄門)のあったところにある、新しく造られた門です。
 門を入ると犬山城の天守が見えてきました。
 国宝の他のお城に比べると一回りもふた回りも小さいですが、凛とした美しさが感じられます。
 そして本丸跡を抜けて天守に向かいます。




 天守の入口で傘を預け、履物を袋に入れて、手に持ちます。

 傘立てのキーには大きく犬山城と焼印が押された木の札がついていました。

 傘をおいてこのまま持って帰りたいような、、、、


 天守の中はこれもお定まりの、薄暗いそして急な階段を手すりを頼りに幾段も登って行きます。


 左写真は天守を正面から見たときに中央に見られる、美しい曲線を描く唐破風の内部です。
 かつての棟梁さんの心意気にふれるような、、、、

 ようやく天守に登って回廊から本丸跡の広場を見下ろすことができました。

 北側には木曽川が流れていますが、左写真は天守から西の方角を見た景色です。



 同じく北側の景色です。(右)
 このあたりでは鵜飼が行われているようです。

 中に入ってふと上を見上げたらこの天守の「国宝指定書」(もちろんコピー)がありました。

 文化財保護委員会が指定するんですね、昭和27年3月29日とありました。

 天守の柱に大きな木槌が飾って?ありました。
 書かれた字を読んでみると「上棟 犬山城」とありました。どんなゆかりがあるのでしょうか。

 天守の内部には多くの歴史的な資料などが展示されています。
 どれも興味は尽きないのですが、下のような「大名配置と石高調べ」なるものがありました。大きな板の左下には慶応元年(その時点の?)と読めます。

 幅が何メートルもあったので、画像編集で必要部分だけを残してあります。

 左上の白く囲って表示した部分には石高ベスト7があります。

 トップは金沢 前田さんで102万石、2位は大きく離れて鹿児島 島津さん77万石、3位仙台 伊達さん62.5万石そして、、、7位にNHKドラマでおなじみの福岡 黒田さんと続きます。

 私にゆかりの部分は、浜松の井上さん6万石、犬山の成瀬さん3.5万石そして中津川の苗木城 遠山さんはなんと最後尾1万石でありました。

ネットからの写真







 右上は前述の、荻生徂徠がこの城を白帝城と呼んだという経緯を書いたもので、これも多くの資料の中にありました。

 となれば木曽川の川辺に佇む犬山城の写真が必要なのですが、あいにくそのような撮影機会に恵まれず、ネットの写真をお借りして、いろいろな人工構築物を消し去ったイメージを作成してみました。なんとなく荻生徂徠がいうところの雰囲気がわかるような気がします。

 ということで、はからずも日本の国宝指定のお城4箇所めぐり完結のお話でした。

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