2017年2月15日水曜日

流氷・丹頂・カシオペア (2)

 さて一夜明けて今日は左地図の右上、ウトロから網走港へそして阿寒湖に向かいます。

 ここ知床と言えば森繁久彌が作詞・作曲を手がけた「知床旅情」が知られていますが、これは1960年、ウトロと隣り合う当時の羅臼村に長期滞在して制作された映画「地の涯に生きるもの」の打ち上げの際、羅臼の人々の前で「さらば羅臼よ」という曲名で初めて披露されたといわれています。

 下のパノラマ写真は朝起きて、ホテルの窓から目に飛び込んできた景色ですが、手前のウトロ漁港から遥か沖合いまで流氷ですべて真っ白に埋め尽くされています。
 
 左にあるお椀を伏せたような岩が「オロンコ岩」、その右が三角岩です。

 積雪で危険だと言うことで行きませんでしたが三角岩の前には前述の「知床旅情」の歌碑があるそうです。


 ホテルを出発して程なく「オシンコシンの滝」に立ち寄りました。
 オシンコシンは滝が2本あるのではなく、「川下にエゾマツが群生するところ」を意味するアイヌ語名前の由来で、落差50m、滝幅30mある日本の滝百選の一つですがなにせ厳寒の折流れているだけでも良しとしましょう。
 近くの売店の温度計はマイナス5℃を示していましたが朝にしては暖かい、、、、




 昨日来た知床国道(334号線)を西へ網走に向け走行中車窓右側に接岸したばかりの流氷を観ることが出来ました。

 よく観ると小さな氷片と海水が混在しているのがわかります、これらが徐々に厚い氷になり一面の氷原になるのも間近なのでしょう。


 沖合いの流氷原に曇天の雲の切れ間から一条の陽が差しています。

 景色もきれいですが、天気予報どおり好天に向かっているようで気持ちも晴れやかになってきました。




 網走港の近くまで来たときに突然バスが停車しました、前方左手奥に国の天然記念物オジロワシがいるということです。

 かなりの距離を置いてですが、黄色いくちばし、所々ある白い羽などたしかにオジロワシのようです。体長70-100cm、翼幅180-240cmそして体重3-7kgとかなり大きな鳥ですが、冬季になると集団で休息する事もある、とかでまさにそのシーンなのでしょう。


 網走港に着きました。写真は私たちが乗船する流氷観光砕氷船オーロラ号で、この船は当初から観光目的の砕氷船として建造されたものであり世界でも珍しいとのことです。

 砕氷方式は船の自重によるもので能力は80cmです。



 オホーツク海の流氷は、アムール川から流れ込んで塩分が低くなった海水が凍り、凍る過程で塩分が排出されたものだといわれています。

 流氷には植物プランクトンが付着しており、春になるとこの植物プランクトンは一気に増殖し、これを餌に動物性プランクトンもまた増えオホーツク海の漁場を豊かにするのです。  

 沿岸に流氷の接岸が確認できたそのシーズンの最初の日を「流氷接岸初日」といわれますが今年の知床での流氷接岸初日」は私たちの到着とほぼ同時だったようです。


 われらのオーロラ号は沖合いの流氷目指してどんどん近づいていきます。

 流氷帯に近くなると右写真のように海面がまだら模様になり、その中にたくさんの小さな氷片が浮いているのがわかりました。



 そろそろ接氷かと思うまもなく、ズンと小さな衝撃が船体に走り、ついでゴリゴリゴリという連続音に変わりましたが、船は何事も無かったように前進をつづけます。

 1階席にいた私たちも急ぎデッキに移動しました。

 目の前を砕かれた氷が次々と流れていきます。乗客は皆この珍しい体験に少々興奮気味で、それぞれ感嘆の声を上げていました。

 氷は直径2~5mの大きさに砕かれ、中には上下反転して裏側を上にするものもありました。
 流氷の表側は積雪のため真っ白できれいですが、裏側はたしかに藻類などで少し汚れた色が見られました。

 アッパーデッキを船尾へ移動してみました。

 網走港を出発して約30分ほど経ったでしょうかそろそろ帰港のために反転が始まったようで、航跡が弧を描いています。

 真っ白な流氷原の中に緑の航跡、翻る日の丸の旗、晴れ間の見える空そして遠く網走の地が望めます。



 流氷原を抜けると再び氷のシャーベットがマダラになっているところに出てきました。

 遠くに見えてきたのは網走海岸の北にある能取岬(のとろみさき)ですが雪に化粧されたその姿はイギリスのケント州にあるドーバー海峡に面した白亜のホワイト・クリフ)を彷彿とさせます。


 網走市内で昼食後阿寒湖に向けて出発しました。

 写真は途中車窓から観た網走駅の看板です。網走で赤レンガと縦書きの看板で連想されるのは、そうです「網走番外地」、、、、







 右は網走川を隔てて対岸に見える網走刑務所で、赤レンガの永い壁の向こう側に件の建物が見えています。

 番外地の由来としてはは、不動産登記のされていない土地、たとえば国有地などには、必ずしも地番が付くとは限らないので、網走刑務所の住所は「網走市字三眺官有無番地」となっており、これが語源でしょう。


 網走に別れを告げ、小清水国道(391号線)を南下し、阿寒国立公園に入ると峠の上から大きな湖が見えてきました。

 この屈斜路湖(くっしゃろこ)は北海道の東部、弟子屈町(てしかがちょう)にある日本最大のカルデラ湖(火口湖・周囲長57 km平均水深28.4 m最大水深117.0 m)ですが、まだ全面結氷には至っていないようです。
 湖中央部(写真右手)には、日本最大の湖中である中島がみえています。

摩周湖(パノラマ写真)
 屈斜路湖をあとに東に進路をとると今度は摩周湖です。

 摩周湖(ましゅうこ)も同じく弟子屈町にあるカルデラ湖(火口湖・周囲長19.8 km・平均水深137.5 m・最大水深211.5 m)で日本でもっとも透明度の高い湖です。
 現在は19mとされていますが、1930年にバイカル湖の40.5m(1911年調査)をしのぐ41.6mの透明度(世界最高)記録したこともあります。

 めずらしくこの湖は流入・流出河川がない閉鎖湖で、河川法による「湖」ではないので国交省の管理ではなく単なる水溜りとして国が管理しているとか、、、、それにしては大きな水溜り!
 また摩周湖と聞けば布施明の『霧の摩周湖』(1966年)を連想するのが私たち世代ですが、霧が発生しやすいのは夏のシーズンで今回は雪に囲まれた「摩周ブルー」の絶景を観ることが出来ました。

、、、ということで傾きかけた陽に染まった雄阿寒岳の方向にある阿寒湖畔の宿を目指してバスはひた走ります。

   ―― つづく 

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