11月も月末になり、そろそろ師走の声も聞こえる季節になりました。
流石に朝夕はめっきりと冷え込み、朝の散歩に出かける7時前はまだ日の出前です。
日々の散歩道も紅葉が真っ盛りで、ようやくにして今日、カメラを忘れずに出かけられました。
この散歩道は、むしろ春の櫻で名が知られていますが、こうして見ると紅葉もなかなかのものです。
紅葉は冬に向かって落葉する際に起こりますが、そのメカニズムは、葉の中の葉緑素が無くなっていくにつれて、赤色はアントシアンが生成されることによって発色します。一方黄色は葉緑素の消失によって従来から存在していたカロティノイドの黄色が目立つようになったことによります。
では何のためにこれらの木々は紅葉するのか?
詳しいことはまだ分かっていないようですが、紅葉色が鮮やかな樹にはアブラムシの寄生が少ないということです、、、、そういえばアブラムシはヒカリモノが苦手だっけ、、、、
しばらく歩いているとようやく東側の山々から日が登ってきました。
高みにある梢の紅葉は朝日に映えて一段と鮮やかさを増します。(右写真)
一方、こちらは黄色に色づいたカエデです。(左上写真)
もともとモミジもカエデも共に分類上はカエデ科カエデ属にあって兄弟のようなものですが、葉の切れ込みの深いものがモミジ、浅いものがカエデと一般には呼ばれているようです。
右写真はまさに古来から錦にたとえられた景色でしょう。
百人一首にある菅原道真の歌に思い至りました。
このたびは 幣(ぬさ)も取りあへず 手向(たむけ)やま
紅葉(もみぢ)の錦 神のまにまに
今度の旅は急のことで、道祖神に捧げる幣(ぬさ)も用意することができませんでした。手向けの山の紅葉を捧げるので、神よ御心のままにお受け取りください。
これらのモミジの傍らは、年中通り過ぎているのですが、改めてこうして見るとまた格別な味わいがあります、四季のある地に居ることに感謝です。
さらに日は徐々に昇り、あたり一面光に包まれました。
階段脇の木々も光り輝いています。
丸く刈り込まれたドウダン
ツツジ(満天星)も例年になく紅葉が進んできれいです。
右写真は近くの神社の側にある柿の木で、小さな実がいくつか見えていました。
最近では人も採らず、鳥たちにも人気が無いようで、朽ちるにまかせひとつ、またひとつと秋の残りの日を数えるように、数が減っていきます。
鳥居越しにお参りを済ませ、家路を急ぎます。
途中、生垣に白い山茶花が咲いていました、家人が用意してくれている朝食に思いをはせると何か心なし足が速くなったような、、、、
ひさしぶりに今日は心地よい小春日和になりそうです。
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