棟方志向はあの独特な創作表現であまりにも有名ですが、柳宗悦は少し理解が必要かもしれません。
柳宗悦は陶芸家の河井寬次郎、濱田庄司などとともに、1926年(大正15年)に始まった民藝運動の主催者です。
この活動は日本各地の焼き物、染織、漆器、木竹工など、無名の工人の作になる日用雑器、や遊行僧(木喰など)の仏像など、いわゆるファインアートでもなく高価な古美術品でもない、無名の職人による民衆的美術工芸の美を発掘し、世に紹介することでした。
今年の秋は、もう12月だと言うのにまだまだ暖かでしたが、ようやくにして、モミジもきれいに色づいていました。
棟方志向と柳宗悦の出会いは、1936年に国画会会場で、柳が棟方の「大和し美し」を即決で買い上げた時とされています、棟方33才、柳47才でした。
いまでこそ棟方志向の作品は国際的に評価されていますが、当時宗悦は、「志向の作品は、ひとめでそれと分かる個性の強いものではあるけれども、それが決して自意識の過剰な現れではないことに、その美しさの理由がある。自我に縛られていない彼の作品には、名を残そうなどという意思は毛頭ない職人によって、ただ一心に作られた器や道具に通じる自由さがある。」、、、と判断したようです。
以後志向は宗悦を生涯の師と仰ぎ、作品の制作に当たっては細部にわたって意見を求め、宗悦もよくこれに答えたという二人三脚の様子が、今回展示されていた二人の書簡のやり取りからも伺えました。
左(これら写真は展示会のホームページより)は「般若心経経文板画柵」で、一文字ずつ版画に彫られたものをならべてありますが、ところどころにある空白は宗悦が指示した結果なのです。
冒頭にある、「今日モアリ オホケナクモ」とある心偈頌(しんげしょう、こころうた)は宗悦が折々の心境を6、7字から多くても10字くらいの句に託したものを志向が版画にしたもの(七十二柵あり)の1枚です。
「オホケナクモ」の意味は、「勿体なくも」とか「忝じけなくも」と言う意味のようです。

この仏法の守護者は三面六臂(三つの顔に六つの腕)で表現されることが多いですが、志向はこのことを動きの表現として使っているのがおもしろいです。
まさに、阿修羅のごとく、、、、
志向は版画だけではなく、画もこなしています。
下は、倭画「曇雨御鯉魚」コイの画ですが、シンプルでかつ力強さが魅力です。
今回の「 棟方志向と柳宗悦 」特別展示は、2つの会場に亘り、当初考えていたよりはるかに多くの作品を堪能することが出来ました。
さらには志向の多岐にわたる才能と、あわせて宗悦とのかかわりを学び、当時の時代背景も思いやり、たいへん意義のある時間を持つことが出来、十分に満足でした。
ここの民芸館は敷地も広く、ようやく色付いたモミジを愛でながら散策するのもなかなかのものですが、春には数多くあるサクラを楽しむことも出来ます。
常設展示館には地域の人形や道具類が展示してあり、これはこれでまた興味が持たれます。

左はその内部で、炉辺の様子が再現され、いろいろな道具類が展示されていました。


右上は、展示されていた、土で焼かれた12個の干支です。
奥のネズミから始まって、今年のいぬ、そして一番右が来年のイノシシです。一回り見学して退館のおり、入口のガラス扉のデザインが逆光で美しく、目に留まりました。
まさにこれぞアール・デコ!!!

すばらしい展示物に夢中で、少し歩き疲れました。敷地内には勘桜亭という茶室がありますので、そこでとりあえず一休みです。

上は、茶室へのアプローチで先方に茶室が見えています。
左上は茶室内から観た外側の景色で、紅葉した木々の下には矢作川が流れています。写真内、左下にあるのは、茶菓子「紅葉」、結構なお手前、、、、でした。

暫時休息ののち、これも敷地内にある、「さなげ古窯本多記念館」に行ってみました。
事務所の方に声を掛け、鍵を開けていただき入館です。
ここは、地域の古陶磁研究家である故本多静雄氏が収集された、猿投古窯、古瀬戸などのコレクションが展示してあり、以前から気になっていたところです。
下写真のような出土品を始め、陶片など多くが展示され、詳細な説明もありました。

古墳時代から鎌倉時代にかけての約千年間操業したこの地の猿投窯は、瀬戸焼・常滑焼の源流ともなった日本屈指の大窯業地で、古くから窯業が盛んであったことを再認識しました。
もう師走に入ったというのにもかかわらず、この暖かさのおかげで、美しい紅葉と棟方志向・柳宗悦を十分に堪能できました。
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