今年の夏の気候は、ただひたすらに暑い暑いの毎日でしたので、秋の到来もあまり感じないままにもう紅葉も終わりかけていました。
松平東照宮はこれまでに何度か来たことがありましたが、この季節は初めてです。
とはいえ赤く色付いたモミジはいつ見ても安らぎを感じます。ここ松平の地は比較的植物の種類も多く、モミジの赤に始まって、黄、黄緑、緑がそれぞれに映え美しい錦を織り成していました。
左写真は、松平東照宮の手前に巡らされた、堀と石垣ですが、水面に浮かぶモミジの葉と黄色いイチョウの葉がゆったりとした流れに乗って移動していく様は、春の花筏に負けず劣らずの感があります。
右写真は堀にオーバーハングしたモミジですが、色のグラデーションがきれいです。これで秋の高い青空があれば、、、は期待しすぎ?
大鳥居の左手奥にある手水舎(ちょうずや 参詣の際に手を清める)の屋根を見て驚きました。屋根に降り積もったイチョウの葉が折からの雲間の陽に輝いて、まるで黄金で葺かれた屋根のように見えました。
大鳥居をくぐりぬけて、振り返ると写真の同好会のメンバーなのでしょう、何人もの人が、手に手にカメラや三脚を持って傑作をモノしようと被写体に向かっていました。
かくいう私も同類ですが、、、、
境内の片隅には御宮の修復の際に出たものか、、、三つ葉葵の紋どころを打った瓦類が積んでありました。
東照宮とは、1616年に徳川家康が駿府城で没した際、遺言で柩が近郊の久能山に収められ東照社となり、日光にも社が造営され、この2社に朝廷より東照大権現の神号が宣下され、家康も神格化されました。
その後、日本各地の大名などが東照大権現の御分霊をいただきお祀りし500社以上の東照宮が日本各地に造営された、とあります。
ここ松平東照宮も同様に、久能山東照宮から御分霊をいただきお祀りしてあるとのこと、、、、
この神社の一角に、家康が産湯をつかった時の井戸があるとのことで、少し脇道に入って行きました。
(写真左)
このように少し奥まった所は、常緑の木々も多く、その中にあるモミジは、ハッと驚くような、いっそう鮮やかなコントラストを見せてくれます。
次いで私たちは、さらに奥にある松平氏の菩提寺、高月院を目指しました。
その途中にある、松平氏の祖、松平太郎左衛門親氏の銅像も紅葉に彩られていました。
さらに少し行ったところに、行きつけの天下茶屋があります。
この地を訪れるときは立ち寄って一休みすることが多いですが、今回も少し早いですが昼食をとることにしました。
人気メニューは「麦飯とろろと半そば定食」なので、今回はこれに五平餅を一本追加しました。
五平餅(ごへいもち 御幣餅)は、中部地方の山間部に伝わる郷土料理で、粒が残る程度に半搗きにした粳米飯(うるちまいめし)にタレをつけ、串焼きにしたものです。
かたちも上写真の御幣型、団子型、それを平たくしたものなどいろいろありますが、たれも各地独自のものがあります。
ここの五平餅は団子を御幣型にし、団子のたれをかけたようなもので、あっさりしたものでした。
高月院への参詣道の脇に小さなせせらぎがあり、水音を聞きながらその水際の石段を歩くのも一興でした。(左写真)
松平東照宮から高月院までは約200mの緩やかな登り道ですが、こちらのほうも綺麗に紅葉していました。「右写真)
傍らの足元に目をやると、モミジの葉の絨毯ができていました。
今年の天候不順の話にも触れましたが、下の写真は、季節外れのツツジです、紅葉モミジとツツジのツーショットは珍しいかも、、、、
季節はずれはツツジだけではありません。
こちらはシャクナゲです。ただ花は小さく、房咲きにはなっていません。
高月院とある扁額を掲げた山門です。
高月院は元は南北朝時代に静寂寺として建立されたものが、前出の松平氏の祖、松平太郎左衛門親氏が本尊阿弥陀仏をはじめ、堂・塔のすべてを寄進して高月院と改め、松平氏の菩提寺としたとされています。
幸い心配された雨も降らず、帰途につく頃には少し青空も見えるようになりました。
モミジを背景にした、残り柿の木は懐かしい子供時代も思い出させます。
久しぶりに友人とともに山里の秋に接し、ゆったりとした時間を共有することができました。お互い健康であることに感謝、、、です。
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