2017年10月30日月曜日

IKEAに行きました

 IKEAに行きました。
 事の起こりは、十月はじめに左写真にある分厚いIKEA2018カタログが、我家の郵便箱に入っていたことによります。
 そういえばそろそろ開店の時期だったんだ、、、、しっかり包装はしてあるし、だけど宛名はない、、、、誰が入れていったんだろう、、、、

 ご近所様でも受け取った人はいないようでしたが、とにもかくにもIKEAが呼んでいる!!!

 我家とIKEAとのかかわりは、ソファーやチェスト、机などを子供たちのために購入した、50年以上昔からで、そのデザインと、機能そして廉価さがお気に入りでした。

 右写真は、イケア長久手の出店PRに使われたイラストですが、この10月11日の開店時の姿はまさにこのままでした。この右手奥が2005愛知万博跡になります。

 待ちに待った愛知県へのIKEA出店は、全国で9番目ですが、東のイケア港北(横浜)と西のイケア鶴浜(大阪)の間のブランクがようやく塞がったと言うことでしょうか。

 当日はこの10月にしては気持ちのよい晴天で、屋上にある駐車場から愛・地球博記念公園にある観覧車がよく見えました。

 ちなみに愛・地球博は愛称、愛知万博は略称、正式名は2005年日本国際博覧会でした、ややこしい、、、、

 IKEA(イケア)は日本でも人気のあるスウェーデン発祥の世界最大規模の家具メーカーです。

 また、IKEAという名前は、創業者である「ngvar amprad 」氏のイニシャルと、氏が育った農場の名前「lmtaryd」、育った村「gunnaryd 」の頭文字をとって名づけられたとされています。過日北欧に旅行したときもそうでしたが、スウェーデン語はとても読めません。 
 
 右写真のブルーにイエローのマークはもちろんスウェーデン国旗と同じ色です。
 まだ開店してから間がないので、土日は避けて平日の朝出かけたのですが、この1箇所しかない入口には長蛇の列で、入店には30分余待つことになりました。


 入店後は、先に2階にあがり家具など比較的大きな商品は数多くあるショールーム(右写真)で商品を確認した後、1階に降りて大きな商品ラックから商品を取り出してレジへ、、、、

 またカーテンや小型のキッチン用品や食器なども1階においてありました。

 下写真は倉庫を思わせる大きな商品ラック群です。

 そろそろクリスマス・シーズンと言うことで関連商品も見られました。


 右に掲げた写真の他にもLED照明を使ったオーナメント類にも面白いものが多くありました。


 店は過日訪れた横浜のイケア港北店に比べると小さい感じがしますが、それでもすべてみて廻るのは大変です。



 左写真は出口にずらりと並んだレジです、数えてみたら20ほどありました。

 さすがに最近スーパーで見られるような自動ではなく、欧米スタイルでした。



 購入した商品を客がベルトコンベアーにのせて、キャッシャーに送るとキャッシャーは商品のバーコードを次々と読み取り、合計金額の支払いが終わると客は先に送られた商品をピックアップする、、、、と言うものです。

 右は発売されてから30年経つというイケアのブルーバッグで、デザイン、機能、品質というイケアの信念のすべてが入っているのだそうです。

 レジでの支払いが終わったあと、それぞれ購入した商品をこの袋に入れ、駐車場まで幸せそうに帰って行きます。

 左写真は入店後早々に見つけた、¥50のソフトクリームです。
 帰り際になってしまいましたが、ようやくにしてゲット、量も味も満足の行くものでした、既に左側は一口分減っています。

 今回はひとまず様子見と言うことで出かけてきましたが、なかなかよい感じの店で、今後又訪れたいとおもいました。

 しばらくは人気で混雑するでしょうから、平日の2時過ぎが狙い目かもしれません。

 イケアの家具は必ずしも高級と言うわけではありませんが、デザインのよさと、家に持って帰って自分で組み立てる、、、、といったところが理解できないと近寄りがたいかもしれません、わたしはお気に入りですが、、、、

 左は今回の数少ない戦利品の一部です、左はスウェーデンの伝統工芸品である「幸せを運ぶ馬(ダーラナホース)」をモチィーフにしたコースターとチョコレートです。

 3個ずつのチョコが1個足りないのはすでにしかるべきところに納まっているからです。

2017年10月18日水曜日

EPROM プログラマの製作

 過日のブログ「私のジャンク箱から(3) EPROM をもう一度使ってみる」の最後に、EPROMプログラマを製作しようという意図、、、と書きこんでおいたように、急ぎつくってみました。

 そこで述べたように手持ちのEPROMは多くの種類がありますが、下の表に示してあるもののうち、2708と2716は今ではきわめて実用性に乏しく(メモリ容量が少ない、アクセススピードが遅い)、今回のプログラマの対象とするのは27322764271282725627512の5種類とすることにしました。

 2732も、これだけ24ピンパッケージで除外したかったのですが、過去に多く使用したこともあって残しました。

 まず、基本的な構想をまとめるために代表的な27256を例にとって読み出し、書込みそれぞれのタイミングについて確認しました。右はデータ・シートから引用したタイミングチャートです。

読み出し(上図)
 アドレス(A0~A14)を確定し、CE(チップ選択)をLOWレベルにし、さらにOE(出力可)をLOWレベルにすれば、データ・バス(D0~D7)にデータが出力されます。

書込み(下図)
 Vpp(書き込み電圧、Vprg)12vを加え、アドレス(A0~A14)を確定し、データ・バス(D0~D7)にデータを確定し、CE(チップ選択)を約100uS(要検討)の間LOWレベルにすることで書込みされます。

 これらの制御をお馴染みのArduinoを使うことでおこないますが、問題はアドレスが最大16A0~A15)、データ・バスが
(D0~D7)、その他の制御(CE,OE,I2C)にと多くのポートが必要で使い慣れたArduino Unoではとても足りません。

 Arduino Megaを使おうかとも思いましたが、小型のArduino Pro Miniにマイクロチップ社のI/OエキスパンダIC・MCP23017を組み合わせて使うことにしました。

 さいわいアドレスは16と多いものの、すべて出力ポートですのでMCP23017で十分につかえます。74HC595を2個使う方法もあるのですが、MCP23017はI2Cで制御できますし、何よりも秋月で@100と安価です、但し少し遅い。(写真)
 
各ピンの接続は
I2Cのアドレスは、A0、A1、A2をGNDにおとして0x20とします。
・SLC→Arduino A5、SDA→Arduino A4
・RESET、VDD→5v VSS→GND
・INTA、INTBは無接続
・GPA0A0、GPA1A1あと順にGPA7A7
GPB0A8、GPB1A9あと順にGPB7A15

 左にMCP23017の制御部分のSketchを掲げました、拡大してみてください。

書き込み電圧生成回路
 EPROMの書込みに特有なことは、書込み電圧(プログラム電圧、Vpp、Vprg)が12vまたは21vとチップ供給電圧(VCC)の5vより高いことです。

 ここでは実績のあるIC(34063)によるステップアップ・コンバータを使いました。出力電圧の選択は抵抗値を変化させることで容易に出来ます。

 この電圧は書き込むEPROMの種類によって選択する必要がありますが、後述する他のピン選択と同様にピンヘッダーをジャンパーピンでショートする方法を採ることにしました。回路図を右に示します。

 図中ジャンパーピン2の選択で14vを選択できるようにしてありますが、これは将来、電気的消去ができるEEROMを使用する時の備えです。
 


 左は書き込むEPROMを選択するための各ピンヘッダーへの接続を理解するための図です。


 ピン1、27、26、22の4本の接続をEPROMの種類にあわせて、その都度ジャンパーピンを差し替える必要があります。

 またピン20はソフトで制御に使います。

 図中、右下に27256を例としたジャンパーピンの接続を示しておきました。


 左に今回製作したEPROMプログラマーの写真を掲げます。

 左上のステップアップコンバータの右が電圧選択部で、その下がEPROM選択ピン群です。

 左中央がArduino Pro Miniで、当然のことながらUSB-シリアル・コンバータ経由でパソコンに接続しますが電源も同時に供給されます。

 左下のゼロプレッシャー・ICソケットに刺さっているのはI2CEEROMです。

 当初アセンブラから出力されたファイル(intel HEX または BIN)をパソコンからEPROMプログラマに直接転送するつもりでしたが、メモリ容量の小さなArduinoを選択してしまったためうまくいかず、時間も無かったので、パソコンで別途I2CEEROMにファイルを書き込み、このI2CEEROMをEPROMプログラマに装着して使用することにしたのです。

 右は Tera Termから今回製作したEPROMプログラマを使っているところです。

 このプログラマは独りよがり、かつ思い込み先行で作っています。今のところ無事に動いていますが今後どうなるかは保障できません、アマチュアが趣味に使うということでご勘弁を。

2017年10月9日月曜日

欧風家庭料理ランチ

 そろそろ秋もたけなわとなる休日、親しい友人と昼食の時間を過ごすために、郊外のレストランで待ち合わせましたが、初めての場所と言うこともあり、私たちは少し遅刻をしてしまいました。



 

 
 写真に見られるように、アプローチに庭を配した、なかなかおしゃれな店です。

 入口の看板には小さく「 欧風家庭料理 ラ・プリマベーラ 」とありました。

 ラ・プリマベーラはイタリア語で春( La Primavera )を意味しますが、あの有名な画家、ボッティチェリの描く絵画がすぐに連想されます。












 右写真は入口でアンティークの立派なドアが目に入りました。

 上写真は入口からアプローチを振り返って観た様子です。 春の花の季節には、華やかな光景が見られることでしょう。

 フロアーはそれほど広くありませんが、テーブルが6~7個ゆったりと置いてありました。









 それらテーブルのいくつかや部屋のあちこちに見られる調度品が英国風アンティークなのであとで確かめたところ、私たちがお世話になっている同じアンティーク屋さんから仕入れたものであることが分かりました。

 料理はイタリアン、メニューはいづれもコースでお定まりのAコースとBコースの二種類でしたが、久々の事だから、、、ということで前菜つきのBコースをオーダーしました。 
 右写真がその前菜です、手前左がアナゴ、右がアワビで初手から優雅な気分になりました。 スープに次ぐメインディッシュは魚と肉がありましたが、それぞれの家族で2種類を味わうことにしました。





 肉も魚もそれぞれおいしく、特にソースの味がよく、量もそこそこあり堪能しました。


 ただ魚の種類やソースなどの説明が料理を運んできたシェフからあるのですが、説明の声がだんだん小さくなり、徐々に逃げるように後ずさりしてしまうのでほとんど理解できませんでした。よほどシャイなのでしょう、、、、

 途中で追加された自家製のパンとリゾットもことのほかおいしく、ひさしぶりの会話も弾み、時間を忘れました。

 そしてデザートとなりましたが、巨峰のシャーベットとサツマイモ入りのケーキでした。
 サツマイモが入ったケーキははじめて味わいましたが、その味はやはりイタリアではなく、ふるさとの遠い味でしたが家庭料理には違いありません。

 食後のコーヒーをじっくり味わったのちお店をあとにしましたが、この日はお客さんが少なく、私たちが入ったときに一組出て行き、途中でもう一組が出て行って以後は私たちだけになってしまいました。

 お店の佇まいと料理をあわせ考えると少し不思議でしたが、隣地の工事の都合でしばらく休業していた、、、、と聞いて納得です。


 このあと食後の腹ごなしのために近くの公園を散策しましたが、この自然に満ちた公園の中で貴重なものに出会いました。

 そうです、絶滅危惧II類に指定されているシラタマホシクサです。このあたりは宅地化に伴って湿地が乾燥地に変わる環境の変化によって消滅したはずなのに、よくぞ生き延びていたものです。

 ということで楽しい週末を過ごすことができました、このような機会を与えてくれた友人に感謝です。

2017年9月25日月曜日

御殿場・箱根 初秋の小旅行

 箱根への一泊小旅行をしてきました。

 家人と勇んで出かけたひさしぶりの御殿場プレミアム・アウトレットもなんら収穫は無く、なんとなく後ろ髪をひかれる思いで宿泊地である芦ノ湖の湖尻を目指して出発した直後、左写真の案内板が偶然目にとまりました。

 二十年以上も前に、御殿場インター近くの虎屋で、想像を絶する甘~い善哉を必死に食べた記憶があり、この案内板に反応したのでしょうか、、、、

 車をUターンして駐車場に入れ、よく見ると「とらや工房」とあります。あとで分かったのですが、パンフレットには、
 ・ 「和菓子屋の原点」を今の時代に再現してみたい
 ・ ここは、自然を想い、和菓子を想うひとときをお客さまと作り手がともに過ごす場所です
 ・ まんじゅう、大福、どら焼きなどをお楽しみいただきながらどうぞご自由にお寛ぎください
 、、、、とありました。


 また、右側にある「東山旧岸邸」はかつて内閣総理大臣を務めた岸信介氏が晩年の17年を過ごした屋敷で、今は御殿場市が所有し、虎屋が管理を任されており、冒頭の案内板となっているのです。

 右写真・左下の入口から林の中を散策しながら「とらや工房」へ立ち寄り、さらには「東山旧岸邸」へも足を伸ばしてみることにしました。


 左写真は通り抜けた山門を振り返って観た様子で、左側の竹林が見事で京都の趣があります。

 しばらく進むと、前方の開けたところに扇形に湾曲した「とらや工房」が見えてきました。


 ここでは前述したように、まんじゅう、大福、どら焼きなどが職人さんの手でつくられており、その厨房の様子はガラス越しに垣間見ることができるようになっています。
 そして、この出来立てのお菓子は、となりにある下町風情の販売所で小さな木の箱に入れ、ならべてありましたが、お菓子に木の香が移らないようにサワラ材が使ってあるとのことでした。



 店内は左写真のようになっており、何人かのお客さんがお菓子を味わいながら時間を楽しんでいました。
 奥にはテラスもあり、気候によってはお日様を楽しむこともできそうです。


 私たちはどら焼きとお茶(お代わりあり)のセットを注文しました。

 右写真のようにふっくらとした厚みのあるカステラの表面は程よく焼き色がついており、押された焼印の富士に「と」の字のデザインもなかなかです。その味は、、、、言うまでもありません。


 しばし休息ののち、味の余韻を楽しみながら「東山旧岸邸」に向かいました。








 途中、道祖神がお祭りしてあり、際に彼岸花が一輪ひっそりと咲いていました。




 ここ、「東山旧岸邸」は1969年の竣工ですから、ほぼ50年近く経っています。とはいうもののデザイン、機能共に今でもすばらしい建物です。

 内部は、公用、私用、管理の三つに別れ、引退後の晩年とは言いながら、大きな影響力を及ぼしていたのは容易に想像できます。


 一方、この建物が有名なのは、近代数寄屋建築で名をはせた建築家で、文化勲章受章者の吉田五十八氏の晩年の傑作であることです。

 ちなみに彼は2009年に焼失した大磯の吉田茂邸も手がけています。

 1969年といえば東名高速道路が全通した年ですし(ここ御殿場・東山はICの間近)、工業化も進んで新素材(アルミ、樹脂など)が実用化されつつあった時代で、これらの工業製品の機能性を伝統的な数寄屋建築の随所に、それもさりげなく溶け込ませた建築手法は今でも高く評価され、多くの建築家がここを訪れるそうです。


 上写真は居間で、岸信介氏は中央奥の椅子に座って庭を眺めるのがお気に入りだったそうです。

 こちらも食堂のお気に入りの席で、庭が広く見渡せるように軒を高くして、見えないように設計されています。


 数奇屋のイメージでもある、すっきり感、ほっそり感を出すための工夫がいたる所にしてありますが、この畳の縁も襖の枠と同じ幅にしてあります。

 左は和室に掛けられていた書ですが、信介とサインがしてありました。



 ということで「東山旧岸邸」を後にしましたが、私たちを孔子さま、と思しき像が見送ってくれました。




 

 ホテルは週末にもかかわらず、比較的空いていましたが、それにも増してこのホテルは静かで日本語以外を聴くことがないのが何よりです。

 残念ながらホテルからの眺望は、木々が生長したせいか、よくありませんでしたが、左写真のように芦ノ湖をわずかに垣間見ることができました。











 翌日は、当初の予報では雨とありましたが、夜半の内に通り過ぎてしまったようです、家人いわく私は照る女、、、、






 「ウゥム、、こんなに良い天気になるとは思わなかった」とは
スゥエーデンの著名な彫刻家、カール・ミレスの代表作「神の手」。
 でもこれが仏の手だったら彼は孫悟空?








 ギリシャ神話の英雄ヘラクレスが怪鳥を今まさに射止めようとする瞬間を表現した「弓を引くヘラクレス」です。

 作者のアントワーヌ・ブールデルはロダンのアトリエで助手を務めたこともありますが、ロダンのロマンティシズムから徐々に離れ、ギリシャ彫刻やロマネスク彫刻のような堅牢さを自らの作品の中に吸収しようと努めたとされます。

 右写真は後方からの構図を試みたものです。


  野外美術館である「彫刻の森美術館」を遠くまで見渡せる場所で300度(写真は11枚)の写真を合成したパノラマ写真です、ブログ上では小さくなってしまいましたが、拡大してみてください。

 右下写真のポイントもいくつかの作品を同時に観ることができます。

・中央には オシップ・ザッキンの「住まい」
・左手には 伊藤隆道の「16本の回転する曲がった棒」
・右手には ナウム・ガボの「球型のテーマ」
・奥には  流 政之の「風の刻印」
がそれぞれ観られます。

 

 左写真はガブリエル・ロアールの「幸せを呼ぶシンフォニー彫刻」です。

 高さ18メートル、内径8メートルの塔で、厚さ23センチメートルの分厚いガラスを槌で手割にした破片で作られたステン・ドグラスが全面にはめ込まれ、外からの光を受けて幻想的な美しい世界を創造しています。

 中には螺旋階段があって塔頂まで登ることが出来ますので、歳甲斐も無く二人して一気に登り切りましたが、その報いは直ちに、、、、

 右写真はその内部で、ステンド・グラスが朝日できれいでした。

 そしてお目当てのピカソ館へ足を伸ばし、お気に入りの闘牛子供のそれぞれをテーマとしてあるゾーンを中心に鑑賞しました。

 闘牛についてはピカソは「一つのものを仕上げるとは、それを終えること、それを破壊すること、それからその魂を奪い去ること、闘牛場の牛みたいにそれに『とどめ』を刺すということだ。」と述べていました。

 また子供については「妙な話だが、僕は子供らしい絵を描いたことがないんだよ、一度もね。ほんの小さい時からそうだった。」とありました。

 さらには館内のあちらこちらにあったピカソの日常生活の一面を記録した写真の存在も、彼をわずかながらではありますが、理解するための助けになりました。








 野外展示場を一回りしてくると最後に出会うのは、フランソワ・ザビエとクロード・ラランヌというフランス人夫妻の作品「嘆きの天使」です。
 「水面に映った自分自身の姿に恋して、水仙の花に生まれ変わったという、ギリシャ神話の青年ナルシスのように、この天使も陶酔した表情を水面に映し出します」と作者は言っていますが、緑の髪と絶えずあふれ出る涙は印象に残ります。

 ということで、あとはレストラン(彫刻の森ダイニング)に入ってのランチです。メニューは「彫刻の森クラブサンド」と「シーフード・サラダ」を選びました。注文の際、量が多いですがいいですか?と念を押されましたがしっかりと完食!!

 今回の旅行は二人の健康な足と胃袋そして良い天気に感謝、感謝、でした。