2019年10月15日火曜日

「太平洋ひとりぼっち」の電波方向探知器

 あの堀江謙一氏の「太平洋ひとりぼっち」の映画化で、主人公を演じているのは石原裕次郎ですが、このシーンは日本を出発して太平洋に乗り出した際、電波方向探知器を使って自艇の位置を割り出しているところです。

 先日、ネットサーフィン中にはからずもこの器械と同種のものを見つけ、懐かしさを言い訳に入手しまいた。もう50年も経た絶滅種なのであまり識る人もなかったのでしょう、容易に手に入りました。

 外観は右写真になりますが、さすが年を経ただけあって、みすぼらしく、電池の液漏れも甚だしく、まさに本物のジャンクでありました。

 正面下部には KS-555 DIRECTION FINDER 会社名は Koden Electronics Co., Ltd とあります、この会社は「株式会社 光電製作所」で、現存します。プロフィールによれば、「旧海軍技術研究所と、電波運用の中心的役割を担った逓信省および国際電気通信株式会社の技術者たちが集まって、昭和22/1947年に創業」とありますので、血統正しい会社なのでしょう。

 電波方向探知器というと、何か難しい感じがしますが、基本は普通のラジオです。
 ただ本体上部(左写真)に360°回転可能なアンテナがあり、これを動かすことで電波の飛来する方向を知ることができるのです。

 










 上写真はアンテナ部分の裏側ですが(何本かのビスが取れて本体との接続金具がぶらぶらになっていました)、細長いフェライトに電線がぐるぐると巻きつけてあるのが、アンテナ本体です。

 このアンテナは左図に示すように、放送局からの電波が、アンテナの長さ方向の直角方向から来た時に最大感度になり、また、長さ方向からの電波には最小感度となります。

 したがって、ラジオ放送を聞きながら、右写真のインジケータの指針の振れが最小になる点を探せば、アンテナの矢印方向(またはその反対方向)に放送局があることになります。

 冒頭の映画のシーンは自艇が房総沖にあることを確認した場面ですが、たとえばあらかじめ地図上に送信所の位置が記されており、かつ其々の周波数かわかっていれば、左図のように位置の測定が可能です。(もちろん方位磁石で電波方向探知器の真北を合わせておく必要があります)

 GPSでたちどころに位置情報がcm単位で得られる今と違って、当時はこのような手段が最新技術だったのでしょう。

 この器械は主となる中波帯(520 - 1.600 kHz)に加えて、長波帯(150 - 400 kHz)、マリンバンド(1.6 MHz - 4.6 MHz)を受信するようになっていますが、現在ではそれらに対するサービス(たとえば長波のロラン局)は廃止されてもうありません。


 さて前置きはこれくらいにして、この器械のリペアをせねばなりません。
 右写真は下カバーを開けた状態を示していますが、この時が一番緊張します。なぜなら稀に中の部品がなかった(一部または多くの)、、、とか、汚れや腐食で見る影もない、、、などのケースもないわけではないようなのですから。

 今回のケースは、電池からの液漏れによる電池ターミナルの腐食、AF基板の一部腐食、アルミ筐体の腐食、、、程度に収まっており、ひとまず安心しました。これらに比べればパネル照明用ランプのスイッチ破損くらいは何でもありません。

 とくに受信機の場合、中央部に見られるバリコン(可変コンデンサ)の汚れ具合が一番気になりましたが、思いのほか綺麗でホッとしました。

 構造を観ると、防水・防食設計にはなっていませんが、バリコンをはじめ、部品面がすべて下向きになっており、この点ホコリ対策にはなっています。中波の到達距離も200km程度ですので、この機器は沿岸を走るお金持ちのヨットやクルーザで多くもちいられたのではないでしょうか?

 こちらは取り出したRF(高周波)ユニットです。なんと2SB350というゲルマニウム高周波トランジスタが3本使用されています。

 高周波1段増幅で、局部発振は独立しており、中間周波数は455kHzです。

 前述の長波、中波、マリンの3バンドはスイッチで切り替えるようになっています。またマリンバンドではクリスタルを3個使えるようになっており、調べたところ 2637kHz、3093kHz、3193kHzの3本で今もネットで入手可能です。(局がないので挿しても何も聞こえない?)

 とりあえず動いているようなので、清掃のみしてコンデンサの交換は必要に応じ後程としました。

 右はIF・AFユニットですが、液漏れの影響を受けてプリント基板の銅箔が腐食して無くなって」いる部分がありました。前ユーザが修理した形跡がありますが、そののちも腐食は進み、配線も何箇所か断線していましたので、クリーンアップ、再配線したのが右下写真です。

 トランジスタはゲルマニウム高周波トランジスタ2SA12が5本(IFおよびSメータ)使用されています 

 AFは2SB75、2SB77、2SB89(2本)とこれもゲルマニウムタイプです。




 電池は単1乾電池を6本(9V)使うようになっていましたが、液漏れ腐食でターミナルは全滅でした。
 手持ちのリン青銅などを使ってリペアした結果が左写真です。





 パーツをバラバラにして清掃していく過程で、面白いものを発見しました。

 前述のフロントパネル下部のプレートを外したらフロントパネルに直接印刷した別のロゴがありました、Bendix DIRECTION FINDER  NAVIGATOR 555 です。

 ネットではBendixまたはBenmerの555モデルがはるかに有名で、これはおそらく光電製作所がBendixにOEMで製品を輸出していたのでしょう。一方、光電製作所も同じものをKS-555として販売していたのだと思います。

 あとは各コイルの再調整をしてそこそこの感度を出すことができました、左写真は出来上がりの姿です。

実際に使用してみての感想ですが、長波は実用になりませんし、マリンバンドも3925kHzのラジオ日経が受信できましたが、バーニア機構無しでは実際には使えず、クリスタルを使うようになっているのが理解できました。

 これに対し中波は驚くほどの高性能です。帯域幅を狭くするためにIFTが2個ずつセットで2か所使ってありますし、手動でのゲイン調節(AGCではないという意味)との組み合わせで、こんなにたくさんの局があったのかと思われるほど海外を含め多くを聞く事が出来ました。

 今から50年以上も前に堀江謙一氏がヨットに搭載する機材を集めていたとき、ヨット本体が約20数万円だったのに対し、この電波方向探知器は5.7万円、それも半日粘って数百円値引きしてもらったそうで、いかに高価なものであったかが分かります。

 この絶滅種に再び命を吹き込んで、少し暗くなった部屋で、遠くのラジオ局を聞きながら当時のそんな事などに思いをはせることができるのは至福と言うにつきましょう。

2019年9月8日日曜日

ライカ (LEICA IIIf) 救出

 先月の末、久しぶりにカメラ屋さんに出かけてきました、と言ってもついでに立ち寄ったというべきでしょう。

 カメラ屋さんではありますが、今はデジカメプリントが主で、カメラの販売スペースはずいぶん狭くなりました。
 私のお目当てはさらに狭いスペースにある中古カメラゾーンですが、ここには時々掘り出し物が並びますので覗いてみる楽しみがあります。

 この日もハッセルブラッドのプロシェードやプリズムファインダーなど心惹かれるものがありましたが、、、我慢です。と、その奥にじっとこちらを見ているものがありました、それが冒頭写真のライカ(LEICA IIIf)でした。値札をチラと見ると¥35kをありましたので、まあそんなものかな、、、と帰りかけましたが、何かがおかしいのです。値札の最後の0が一つ少ないのです、¥3.5k!!!

 このライカ(LEICA IIIf)は開発者のオスカー・バルナック氏にちなんで、「バルナックライカ」または「バルナック型」と呼ばれます。これは氏がドイツの名門「カール・ツァイス」から「エルンスト・ライツ(現ライカ)」に転職し、1914ライカ24×36mmカメラを試作し、1955年ごろに新しいモデルのMシリーズが出るまで続いた伝説の名品なのです。

 さっそく手にとってチェックしました。巻き上げは少し硬いもののシャッターは切れます。ファインダーはまあまあ、距離計の2重像はダメでした。スプールも入っているし、大きな問題はありません。

 店員いわく、修理にお金がかかりすぎるので、AS-ISで飾り物にでもして頂くつもりの値付けです、とか。これは飾り物としても破格の安値です、勿論連れ帰りました。






 不具合箇所が分かっているので、さっそく分解整備にかかります。ほとんどがネジで固定されていますので、小さなマイナスドライバーで分解できますが、スペシャルツールを使うと便利な場所もあります。

 右はトップカバーを外したときに内部のボデーに刻印してあるシリアルナンバーをチェックしているところです。(ナンバーの一部は隠してあります)

 この番号の一致で先ずは一安心です。ライツ社はこの番号を管理していますので、さっそく資料を調べてみました。それによれば、このライカは1951~1952に造られたIIIf型であるとされていました。
 また、トップカバーのシンクロメモリが黒色で刻印されており、セルフタイマーも付いていません。

 こんな感じでどんどん分解していきます。










 このカメラが造られた1951年と言えば戦後復興に注力していた時期ですが、世界で珍重されたこのライカが外貨獲得に一役買ったのは間違いありません。

 




 左写真に見られる、ファインダー用のプリズムを観ても、造りの良さにほれぼれするほど技術は優れており、その時点ではまだ日本のメーカーは足元にも及ばない時期だったと思います。




 布でできた、シャッター幕を透かして見ると、コーティングされたゴムが剥がれ落ち、すだれ状になっています。70年の歳月がしのばれます。



 シャッターのリボンはまだ健在でしたので、幕のみ手持ちの新しいものに取り換えました。

 左下にシャッター幕の新旧をあげておきます。











 距離計のハーフミラーは、表面に蒸着した金属が見事に劣化していました、これではまともに2重像は観られません。

 このミラーは約7x9mmの小さなものです、手持ちのハーフミラーからガラス切りで切り出しましたが、小さいがゆえに結構難しい作業でした。

 ことのついでにスローシャッター用のガバナーも取り出して、清掃しておきました、ジーッという作動音も何か懐かしい感じがします。



 最後に整備後のボディーにお定まりのレンズである、沈胴エルマー、f=5.0cm 1:3.5を装着した晴れ姿を掲げました。

 これでまた1台仲間が増えてしまいましたが、久しぶりのカメラいじりに至福の時を過ごし、絶滅保護種が救出できたことに満足しています。

2019年8月27日火曜日

ひさしぶりの オステリア・カンパーロ

 ひさしぶりに オステリア・カンパーロに出かけてきました、先回のブログで確かめたら、5年ぶりになります。

 幸い道も間違えることなく、無事に到着しました。
 この前の時にはイタリア国旗は掲げてなかったようです。




 入口には右写真のような立派なエンブレムがありました。

 そして店内の正面には見覚えのある、一面にワインのボトルをあしらった壁があります、お久しぶり、、、

 このレストランは人気は高く、幸い予約が取れたのですが、店内は4人席x4、2人席x4とそれほど広くはなく、予約で満席状態でした。









 この店のルーツが横山農園ということで、メニューをオーダーしたら、オリジナルのトマトジュースをお好きなだけどうぞ、、、と勧められました。さっそくいただきましたが、めったに味わえないほどのおいしいジュースでしたので、おかわりをしてしまいました。

 前菜は2種類あって、左上は鴨肉のサラダ、左下は前菜盛り合わせでしたが、メロンの生ハム添えはおいしそうだった、、、

 パスタは選択制でしたのでフィットチーネ(ナスとベーコンのトマトソース)(上)とジャガイモの自家製ニョッキ(自家製ミートソース)(下)をそれぞれ選びました。














 店内は相変わらず、清楚で明るく、上品で落着きがあり、私たちにとってゆったりと落ち着ける空間を供してくれます。






 窓際にあるドライフラワー風の飾りもなかなかいいです。

 メインディッシュもいくつかの中から選べましたが、魚のソテー・トマトソース(上)と豚肩ロースの甘口バルサミコソテー(下)にしました。

 最後のデザートは、しっとりとしたスポンジに軽やかなバタークリームとフレッシュなぶどうをサンドした、ぶどうのフレジュ自家製ジャムを添えたヨーグルトでした。

 例によって、突然思い立ってのランチ行でしたが、いい時間を過ごすことができました。

2019年8月21日水曜日

夏季連休の小旅行(白州-萌木の村-シルクロード)

 
 テレビ・ラジオで交通渋滞が例年のごとく報じられる夏季連休中に、八ヶ岳周辺へ一泊旅行をしてきました。

 台風の襲来も予想される中、天候もまあまあ、道路も比較的順調で、最初の目的地、山梨県北杜市白州町にある「サントリー 白州蒸溜所」に到着です。振り返って八ヶ岳を観ると頂上付近には雲がかかっていました。

 あらかじめ申し込んである見学ツアーの出発時間までに、昼食を済ませ、周りの遊歩道を少し散歩しました。



 真夏で、列島が連日35度を超えるなかで、さすがこの地は標高710mということで、とくに木陰に入ればほとんど暑さは感じられません。

 花の少ないこの時期、キキョウとヤマジノホトトギスを見つけました。後者は何かしらユーモアを感じる形をしています。

  見学で観た蒸留器(ポットスチル)群ですが、このところの日本産ウイスキーブームで何器か増設されたとのこと、、、、


 ウイスキーの製造工程では、麦芽を発酵させて、蒸留器でアルコールを濃縮するまでは比較的短時間でいいのですが、次の熟成工程に圧倒的な時間がかかります。


 原酒の入ったたくさんの酒樽が貯蔵庫の中に寝かせてありました。そのせいか、はたまた夏という季節のせいか、貯蔵庫に入った時の香りはきわめて強く、呼吸しているうちに酩酊してしまうのではないかと気遣うほどでした。

 さて、見学ツアーの最後はお待ちかねのウイスキーのティスティングです。(今回は私は運転を免除されていました、念のため)

「白州」や希少なモルトウイスキー原酒(非売品)がいくつかのコップに用意されており、味や香りを比較したり、水や炭酸水で割ったりしているうちにすっかりいい気分になってしまいました、、、、今日はここまで


 今回のホテルは標高1200mということで、100mあたり0.6度気温が下がるとすると、平地で35度のとき28度程度となり非常に快適でした。

 早朝窓からは、八ヶ岳連峰をほぼ望むことができました。(上写真)

 朝ホテルを出発する際、傍らで桃や李を軽トラックで持ち込んで販売している人がいました。
 そういえばホテルのイベントの一つにこのことが記されていました。

 桃は私たちが最近食す種類のものではなく、少し昔の、わずかに渋い懐かしい味の桃で、大半は少し痛んでおりコンポート用と称して1箱売りでしたが、宿泊客が次々と買っていました。

 今日は、午前に清里・「萌木の村」、午後は「平山郁夫シルクロード美術館」をそれぞれ周る予定にしています。

 萌木の村は、清里の森に、おしゃれで個性的なショップ、レストラン、オルゴール博物館などが点在する、一大観光エリアです。

 大自然の中をゆっくりと散策したり、地元の新鮮な食材を使用した料理を堪能したり、他では手に入らないおみやげを探したりと、さまざまな楽しみ方があります。クラフト製作や、オルゴール製作の体験メニューも人気です。年間を通じてさまざまなイベントが開催されており、季節を問わずに楽しめます、、、とPRの一節から。

 私たちは案内図(上)の右下の南駐車場に車を置きました。










 案内図中、右端が左写真で、緑色の小型トラクターがありました。 奥に見えているのは左から、自然木工房、手作りオルゴール屋さん、紙わざの店ですが、どれも興味をひかれました。

 下は、にある、ランチと自家製ケーキの店「キャロルです。この店には一回りした後、昼食を摂るために戻ってきました。キッシュとチーズケーキを頼みましたが美味でした。



 は、かおりをテーマにしたグッズの店「フェアーヘブンです。












 にはガーデンスクール「ツールシェッド」があります。下写真は、入口の看板です。


 字が薄くてよく見えませんが、白い羊の形の中に「GARDEN SCHOOL」「TOOL SHED. GARDEN ROOMS」とあります。この石段を上がっていくと建物がありましたがこの日は閉まっていました。





 ここで、このスクールを開講しているポール・スミザーさんを少し紹介します。

 彼は八ヶ岳南麓に在住のイギリス人でランドスケープデザイナー(園芸家)です。八ヶ岳の自然と共生する庭づくりが注目されており、この「萌木の村」にも彼のデザインが多く採用されています。
 右上は、スクール開催のチラシに彼の写真と右下にシンボルマークのカエルを重ねてみました。


 左は彼のデザインの一部と思われる写真です。










 右はの「ナチュラルガーデンカフェ」にある木組みで、作家さんが大海を渡る筏をイメージしたとか、、、


 左はにある「開拓の鐘」です。

 これは約37年前に、今から90年以上前のアメリカ大陸横断鉄道の機関車の先頭についていた鐘を萌木の村村長さんが萌木の村を見渡せる場所に設置したものだそうです。時折カーン、カーンと聞こえてくる鐘の音は、辺りにさらなる静寂をもたらします。


 小物とドッグ・グッズの店「エレン」です。






  にある、「森のメリーゴーラウンド」です。
 このナチュラルガーデンの中央の小高い場所にあるので、下からもよく見えますが、写真のように森の中からみるとメリーゴーラウンドの電飾が昼間でも美しく、何かノスタルジックな気持ちになります。




 テディベア専門店とおしゃれな雑貨のお店「メイフェア」です。

 
 昼食にはほんの少し早いとはいうものの、のどの渇きに耐えかねて、最初に気にしていた高原の草花に囲まれてティータイムが楽しめるというの「フェアリーテイルズ」という小さなガーデンカフェに入りました。


 広角レンズがなかったので、お店のPR写真を使わせていただきましたが、実際とあまり変わらず綺麗に手入れされていました。

 職人さんがいて、バラの苗や宿根草も販売していました。



 ジュース、ソフトクリームなど其々好みのものをオーダーし、花々に囲まれた白いパラソルの下で至福の時間を楽しみました。

 ガーデンは裏山に接しているせいか、思ったより広大で、かつ入口が少し分かりにくいせいか、他のお客さんもほとんどなく、静かでした。

 右写真はの「てんつくりん」の店先に展示してあった風鈴です。

 昼食後、平山郁夫シルクロード美術館」を目指しました。


 平山郁夫シルクロード美術館は、かつて平山郁夫が鎌倉に創設した「シルクロード研究所」が、彼の妻である平山美知子がこの地(JR甲斐小泉駅前)に設立した「八ヶ岳シルクロードミュージアム」へ移動し、改めて20044「八ヶ岳シルクロードミュージアム」を「平山郁夫シルクロード美術館」に改称したといういきさつがあります。

 奥にある駐車場から降り立ったとき、頭上を見上げたら、そこはJR小海線の甲斐小泉駅で電車が止まっていました。

 写真右端の白いものが美術館で、まさに目と鼻の距離です。



 この美術館は平山郁夫の絵画作品やシルクロードコレクションがあり、現館長は平山美知子氏です。

 また平山郁夫が生まれ育った広島県尾道市生口島瀬戸田町にある「平山郁夫美術館」は、画家としての平山作品だけではなく、幼少期のスケッチや体験談(広島原爆被爆等)や若年期の学校時代の写真など、平山の人物像をも展示しているのが特徴です、館長は実弟の平山助成氏。


 現在のイベントは平山郁夫 没後10年記念 <前編> 群青の世界」ということで、彼の生涯の作品について理解を深めることができました。

 また欧州旅行時のスケッチを巻物にしたものが展示されていましたが、素晴らしいものでした。

 さすがシルクロード博物館と銘打つだけあって関連する展示物(仏像、彫刻、貨幣、織物など)も興味が尽きず、再度訪問したいと思うほどでした。






 帰りがけに、ミュージアムショップであれこれ品定めをしていたら、「館長のおすすめ」と書かれたネックレスを見つけました。
何の説明書もなく2本置かれていましたが、そのうちの一本にひきつけられてしまいました。(右写真の左中、左下は飾り玉の拡大写真))
 帰宅してのち調べたら以下のことが判明しました。 平山郁夫シルクロード美術館 News No.19にある 蒐集日和 18(平山美知子)(右写真の下図)に次の文章を見つけました。(赤く囲った部分を以下に再掲)

私がショップの為に何かを作ろうと思ったのは、私達が日本 の神社やお寺へおまいりをすると必ずといってよい程、家内安全、身体健全などのお守りを買ひます。それと同じように我が身や家族を守る為の印に、シルクロードで集めた印章や貴石、ガラスでお守りとなる様なネックレスを作ろうと思ひましたけれども、 こんな事は誰も教えてくれません。数年前、山田礼子先生、喜田先生に彫金を習った事があるので、思いつきで作り始めみました。それから17年がたちます。よい材料は少なくなり、私も年をとり、上手になったとは思えません。ですが、疲れ時にガラス ビーズ、印章を手にとると「ま何かしようか」といふ気持ちにな るのです。私がこれらに救(たす)けられているのかもしれません。

 ということで、このネックレスは、平山郁夫と芸大で主席を競ったといわれた妻の平山美知子の作品だと思われます、いいものを手に入れました。

 そしてなにげなくTVのスイッチを入れた時に現れたのが、NHKのシルクロード 「絲綢之路」でした。あまりにも偶然でしたが石坂浩二の語りを喜多郎の音楽をバックに終わりまでついつい聞いてしまいました。

 もう一度行きたい!!!