2019年8月21日水曜日

夏季連休の小旅行(白州-萌木の村-シルクロード)

 
 テレビ・ラジオで交通渋滞が例年のごとく報じられる夏季連休中に、八ヶ岳周辺へ一泊旅行をしてきました。

 台風の襲来も予想される中、天候もまあまあ、道路も比較的順調で、最初の目的地、山梨県北杜市白州町にある「サントリー 白州蒸溜所」に到着です。振り返って八ヶ岳を観ると頂上付近には雲がかかっていました。

 あらかじめ申し込んである見学ツアーの出発時間までに、昼食を済ませ、周りの遊歩道を少し散歩しました。



 真夏で、列島が連日35度を超えるなかで、さすがこの地は標高710mということで、とくに木陰に入ればほとんど暑さは感じられません。

 花の少ないこの時期、キキョウとヤマジノホトトギスを見つけました。後者は何かしらユーモアを感じる形をしています。

  見学で観た蒸留器(ポットスチル)群ですが、このところの日本産ウイスキーブームで何器か増設されたとのこと、、、、


 ウイスキーの製造工程では、麦芽を発酵させて、蒸留器でアルコールを濃縮するまでは比較的短時間でいいのですが、次の熟成工程に圧倒的な時間がかかります。


 原酒の入ったたくさんの酒樽が貯蔵庫の中に寝かせてありました。そのせいか、はたまた夏という季節のせいか、貯蔵庫に入った時の香りはきわめて強く、呼吸しているうちに酩酊してしまうのではないかと気遣うほどでした。

 さて、見学ツアーの最後はお待ちかねのウイスキーのティスティングです。(今回は私は運転を免除されていました、念のため)

「白州」や希少なモルトウイスキー原酒(非売品)がいくつかのコップに用意されており、味や香りを比較したり、水や炭酸水で割ったりしているうちにすっかりいい気分になってしまいました、、、、今日はここまで


 今回のホテルは標高1200mということで、100mあたり0.6度気温が下がるとすると、平地で35度のとき28度程度となり非常に快適でした。

 早朝窓からは、八ヶ岳連峰をほぼ望むことができました。(上写真)

 朝ホテルを出発する際、傍らで桃や李を軽トラックで持ち込んで販売している人がいました。
 そういえばホテルのイベントの一つにこのことが記されていました。

 桃は私たちが最近食す種類のものではなく、少し昔の、わずかに渋い懐かしい味の桃で、大半は少し痛んでおりコンポート用と称して1箱売りでしたが、宿泊客が次々と買っていました。

 今日は、午前に清里・「萌木の村」、午後は「平山郁夫シルクロード美術館」をそれぞれ周る予定にしています。

 萌木の村は、清里の森に、おしゃれで個性的なショップ、レストラン、オルゴール博物館などが点在する、一大観光エリアです。

 大自然の中をゆっくりと散策したり、地元の新鮮な食材を使用した料理を堪能したり、他では手に入らないおみやげを探したりと、さまざまな楽しみ方があります。クラフト製作や、オルゴール製作の体験メニューも人気です。年間を通じてさまざまなイベントが開催されており、季節を問わずに楽しめます、、、とPRの一節から。

 私たちは案内図(上)の右下の南駐車場に車を置きました。










 案内図中、右端が左写真で、緑色の小型トラクターがありました。 奥に見えているのは左から、自然木工房、手作りオルゴール屋さん、紙わざの店ですが、どれも興味をひかれました。

 下は、にある、ランチと自家製ケーキの店「キャロルです。この店には一回りした後、昼食を摂るために戻ってきました。キッシュとチーズケーキを頼みましたが美味でした。



 は、かおりをテーマにしたグッズの店「フェアーヘブンです。












 にはガーデンスクール「ツールシェッド」があります。下写真は、入口の看板です。


 字が薄くてよく見えませんが、白い羊の形の中に「GARDEN SCHOOL」「TOOL SHED. GARDEN ROOMS」とあります。この石段を上がっていくと建物がありましたがこの日は閉まっていました。





 ここで、このスクールを開講しているポール・スミザーさんを少し紹介します。

 彼は八ヶ岳南麓に在住のイギリス人でランドスケープデザイナー(園芸家)です。八ヶ岳の自然と共生する庭づくりが注目されており、この「萌木の村」にも彼のデザインが多く採用されています。
 右上は、スクール開催のチラシに彼の写真と右下にシンボルマークのカエルを重ねてみました。


 左は彼のデザインの一部と思われる写真です。










 右はの「ナチュラルガーデンカフェ」にある木組みで、作家さんが大海を渡る筏をイメージしたとか、、、


 左はにある「開拓の鐘」です。

 これは約37年前に、今から90年以上前のアメリカ大陸横断鉄道の機関車の先頭についていた鐘を萌木の村村長さんが萌木の村を見渡せる場所に設置したものだそうです。時折カーン、カーンと聞こえてくる鐘の音は、辺りにさらなる静寂をもたらします。


 小物とドッグ・グッズの店「エレン」です。






  にある、「森のメリーゴーラウンド」です。
 このナチュラルガーデンの中央の小高い場所にあるので、下からもよく見えますが、写真のように森の中からみるとメリーゴーラウンドの電飾が昼間でも美しく、何かノスタルジックな気持ちになります。




 テディベア専門店とおしゃれな雑貨のお店「メイフェア」です。

 
 昼食にはほんの少し早いとはいうものの、のどの渇きに耐えかねて、最初に気にしていた高原の草花に囲まれてティータイムが楽しめるというの「フェアリーテイルズ」という小さなガーデンカフェに入りました。


 広角レンズがなかったので、お店のPR写真を使わせていただきましたが、実際とあまり変わらず綺麗に手入れされていました。

 職人さんがいて、バラの苗や宿根草も販売していました。



 ジュース、ソフトクリームなど其々好みのものをオーダーし、花々に囲まれた白いパラソルの下で至福の時間を楽しみました。

 ガーデンは裏山に接しているせいか、思ったより広大で、かつ入口が少し分かりにくいせいか、他のお客さんもほとんどなく、静かでした。

 右写真はの「てんつくりん」の店先に展示してあった風鈴です。

 昼食後、平山郁夫シルクロード美術館」を目指しました。


 平山郁夫シルクロード美術館は、かつて平山郁夫が鎌倉に創設した「シルクロード研究所」が、彼の妻である平山美知子がこの地(JR甲斐小泉駅前)に設立した「八ヶ岳シルクロードミュージアム」へ移動し、改めて20044「八ヶ岳シルクロードミュージアム」を「平山郁夫シルクロード美術館」に改称したといういきさつがあります。

 奥にある駐車場から降り立ったとき、頭上を見上げたら、そこはJR小海線の甲斐小泉駅で電車が止まっていました。

 写真右端の白いものが美術館で、まさに目と鼻の距離です。



 この美術館は平山郁夫の絵画作品やシルクロードコレクションがあり、現館長は平山美知子氏です。

 また平山郁夫が生まれ育った広島県尾道市生口島瀬戸田町にある「平山郁夫美術館」は、画家としての平山作品だけではなく、幼少期のスケッチや体験談(広島原爆被爆等)や若年期の学校時代の写真など、平山の人物像をも展示しているのが特徴です、館長は実弟の平山助成氏。


 現在のイベントは平山郁夫 没後10年記念 <前編> 群青の世界」ということで、彼の生涯の作品について理解を深めることができました。

 また欧州旅行時のスケッチを巻物にしたものが展示されていましたが、素晴らしいものでした。

 さすがシルクロード博物館と銘打つだけあって関連する展示物(仏像、彫刻、貨幣、織物など)も興味が尽きず、再度訪問したいと思うほどでした。






 帰りがけに、ミュージアムショップであれこれ品定めをしていたら、「館長のおすすめ」と書かれたネックレスを見つけました。
何の説明書もなく2本置かれていましたが、そのうちの一本にひきつけられてしまいました。(右写真の左中、左下は飾り玉の拡大写真))
 帰宅してのち調べたら以下のことが判明しました。 平山郁夫シルクロード美術館 News No.19にある 蒐集日和 18(平山美知子)(右写真の下図)に次の文章を見つけました。(赤く囲った部分を以下に再掲)

私がショップの為に何かを作ろうと思ったのは、私達が日本 の神社やお寺へおまいりをすると必ずといってよい程、家内安全、身体健全などのお守りを買ひます。それと同じように我が身や家族を守る為の印に、シルクロードで集めた印章や貴石、ガラスでお守りとなる様なネックレスを作ろうと思ひましたけれども、 こんな事は誰も教えてくれません。数年前、山田礼子先生、喜田先生に彫金を習った事があるので、思いつきで作り始めみました。それから17年がたちます。よい材料は少なくなり、私も年をとり、上手になったとは思えません。ですが、疲れ時にガラス ビーズ、印章を手にとると「ま何かしようか」といふ気持ちにな るのです。私がこれらに救(たす)けられているのかもしれません。

 ということで、このネックレスは、平山郁夫と芸大で主席を競ったといわれた妻の平山美知子の作品だと思われます、いいものを手に入れました。

 そしてなにげなくTVのスイッチを入れた時に現れたのが、NHKのシルクロード 「絲綢之路」でした。あまりにも偶然でしたが石坂浩二の語りを喜多郎の音楽をバックに終わりまでついつい聞いてしまいました。

 もう一度行きたい!!!

2019年8月5日月曜日

猛暑で我家の標準時計がダウン

 連日の猛暑で、我家の標準時計がダウンしてしまいました。

 標準時計とはいっても単なる電波時計ですが、十数年まえに何かの記念で家族が買ってくれたもので、私の研究室?に掛けてあり、事あるごとに視線をやり、重宝していました。
 それが突然停止(秒針が止まっている!)しているのに気づいたのです。




 秒針付きの時計は、やはりラジオの時報とともに、秒針が真上を指さねばならず、このためには電波時計である必要があるのです。

 電波時計とは、時計内のラジオで右図に示される、電波送信所のどちらかの標準電波を受信して、誤差を自動修正する機能を持つ時計のことです。

 と、いうことはラジオが故障したのか、時計機能がダメになったかのどちらかでしょう。そんなことを考えながらさっそく分解です。


 最初にすべきは、時計の裏面、左写真のように外周に沿った6本のネジを外します。すると時計本体とガラスケースの2つに分離されますから、下右写真のように秒針、分針、時針と順に外していき、最後に写真右下にあるように、丸型の雌ネジを外します。



 下左写真はこれまでの作業を終えた時計を改めて正面から見たものですが、写真中に赤丸で示したあたりの、文字盤(紙?)の下に4本のネジがあり、これも外します。





 下右写真はこの様子を示したものです。




 


 ようやくにして、電波時計の内側が見えるようになりました。(左写真)

 上部には標準電波を受信するためのラジオ部、中央には時計部、両サイドには単3電池を格納する電池ホルダーがそれぞれあります。

 この段階で、何か異変がないか、眼を皿のようにして子細に観察しました。
 ありました!!左写真の左側の赤丸で示した電池ホルダーの端子が緑色に変色しています。まさに典型的な乾電池の液漏れです。



 乾電池の液漏れは、液体が内部から流れ出るような極端な例だけではなく、正常な発電プロセスの中で発生するガスが、電池の内部圧力が高くなりすぎないよう外部に放出させる場合にも、内部の電解質をも漏れ出させてしまうことがあり、端子や電線を腐食させてしまいます。

 右写真は、腐食した部分のクローズアップ写真です。

 左写真上は腐食した乾電池ホルダーの端子、下は腐食部分をヤスリ掛けして電線とのはんだ付けをやり直したものです。
 あとは先ほど述べた分解プロセスを、注意深くさかのぼって組み立てを完了すればOKです。
 一抹の不安はありましたが、電池を入れ替え、リセットをかけたら、無事に何事もなかったように時を刻み始めました、やれやれ、この程度でよかった、、、

 乾電池の液漏れはなかなか避けられないようで、対策としては
1. 使い終わったら電池を抜いておく 2. 長く使うような機器には信頼性のありそうな電池をつかう  くらいでしょうか。
 
 ここで家人からの一言「さっそくブログに書かなきゃね!」

2019年7月24日水曜日

有松へ出かけてきました

 有松へ出かけてきました。
 有松は名古屋市の南東、あの桶狭間の古戦場のあるところで、旧東海道53次の40番目の宿、鳴海の東隣にあたります。

 この有松・鳴海の地は、江戸時代以降、国内における絞り製品の大半を生産していたことで知られており、あの有名な歌川広重による版画「東海道五拾三次之内 鳴海 名物有松絞」にもその存在があります。


 もともとは名古屋城築城のために九州の地から来ていた人々が着用していた絞り染めの衣装にヒントを得て、当時生産が始められていた三河木綿に絞り染めを施した手ぬぐいを東海道を行きかう人々に土産として売るようになったのが始まりといわれています。

 さらにこの産品を御三家である尾張藩が、有松絞りの保護のため有松の業者に絞りの営業独占権を与えたことから、明治になって日本各地で絞りが生産されるようになるまで有松は繁栄を謳歌したのです。


 この有松地区の東海道沿道(名鉄 有松駅の南側約数100m)は、卯建(うだつ)を設けた和瓦の屋根、塗籠造(ぬりごめづくり)、虫籠窓(むしこまど)といった特徴を持つ伝統的建築物が町並みを形成しています。

 これら絞商の豪壮な屋敷構えと、絞りに関わる人々の住む町家が混在して建ち並ぶ特色ある町並みが評価され、国が選定する「重要伝統的建造物群保存地区」に選ばれていますし、20195には、「江戸時代の情緒に触れる絞りの産地~藍染が風にゆれる町 有松」として、文化庁より『日本遺産』に認定されています。


 右は西側の服部家「井桁家」から分家した絞り商「井桁一」の建物(明治28年)で、金属製の丸棒がはめられた二階の窓は「虫籠窓」です。

 下の写真は服部家「井桁家」で、この町では数少ない卯建(うだつ)のあがった家です。

 また、下右写真はもう一軒の卯建(うだつ)のあがった家、「小塚家」で、卯建の構造がよくわかります。















 町並みの家々の瓦屋根には興味深いものが多くありました。

 右写真上左は、山田与吉郎家の軒瓦で、「山ヨ」マークがあります。

 同じく上中と上右は、棚橋家で鷹?と鐘馗様

 下左は、竹田嘉兵衛商店にある、明治時代のガス燈

 下中は、同商店の屋根組

 下右は、岡家の屋根の裏側に見られる、漆喰で塗られた波型の軒裏


などなど其々がいろいろこだわりを持っていたのがわかりました。

 この古い町にもご多分にもれず立派な山車(だし)がありました、「布袋車(東町)」、「唐子車(中町)」、「神功皇后車(西町)」の3台の山車です。

 これらは、有松の氏神様、有松天満社の秋季大祭に曳き出されるとのことで、左写真左は「唐子車(中町)」の山車庫です。

 右は有松山車会館と言って上記の山車を毎年順にひとつづつ展示する場所だそうです。(東町、西町の山車庫は観られませんでした。)

 広報資料から有松天満社の秋季大祭における上記山車の様子を知ることができました、さすがに立派なものだと思いました。

 左から「布袋車(東町)」、「唐子車(中町)」、「神功皇后車(西町)」の順になります。

 まちを歩いていてふと見上げるとお医者様の看板も、おおーアンティーク!!

 でも古いものだけに拘るだけではなく、絞りは新しいものにも挑戦しているようです。


 右写真には提灯に絞りのカバーが掛けてあります。

 照明器具の名は「Shizuku(しずく)」でこの会社はドイツのデュッセルドルフに本社があり、この製品はヨーロッパに輸出され好評だとか、、、
 

 冒頭にあるとりどりの絞り手拭いに惹かれて訪れた店は、なんと過日東京の伊勢丹で開催されていた絞りの出店で出会った絞り職人(工芸家)さんの店でした。

 その時彼もドイツに行って勉強しているとのことで、先程の話とつながりました。

 上にある代表的な有松絞の柄を生かした手拭いがことのほか新鮮に見え、さっそく家人がお買い上げ、、、「右)

 荒川叶江(arakawa kanae)さんという作家さんの「雁木杢目絞り」で、藍と柄がうまくマッチして、どこか凛とした美しさを感じます。


 そののち少し早めの昼食を寿限無といううどん屋さん」で摂りましたが、この店は、皿うどんが得手のようで、「梅ころ」と「天ころ」をオーダーしました。

 わずか半日の有松訪問でしたが、中身は充実していました。

2019年7月14日日曜日

新しいパソコン(EPSON Endeavor AT992E Corei5 4440)の立ち上げ

 先々回のブログで、NECの一体型パソコンMATEの蘇生を紹介しましたが、来年1月に到達する Windows 7 のサポート期限終了についていろいろ考えを巡らせていました。

 あわせて手持ちのパソコンのスペックなどを吟味して、来たるべき Windows 10 時代(Windows 10 もこの春 1903 バージョンになって安定したとも言われています)への打つべき対応を考えていました。

 現用パソコンのCPUは
 Core 2 duo E8600 3.33GHz (2008発売) 、Core i5 680 3.6GHz (2010発売)と、その時点では最高ランクのCPUではありましたが、Core i5 680は、Core i5シリーズでは初代であり、この2019ではなんと第9代目の製品が発表されています。

 技術の進歩とともに、毎年のように発表される製品に追従する必要はありませんが、HDDをSSDに換装することで、ブログの閲覧、電子メール、OFFICEによる書類作成などでは何ら不自由を感ずることなく、ボーッと過ごしてきたことも事実です。

 そんな中、最近の情勢を学習するつもりでのネット・サーフィンで格好の出物を発見しました、左上写真にあるEPSON Endeavor AT992E Core i5 4440 です。いろいろ調べた結果、約5年前に発売されたもので、CPUは第4世代のCore i5 4440 (2013発売)が搭載されています。
 同じ型のものが何台かでていましたので、どこかの会社または組織からの出物で、その証拠にメモリとHDDはなし(OSなし)ということでした。


 それゆえか価格は極めて、極めて廉価で入手でき、Core i5 4440を単品で購入するのと同じくらいでした

 上写真はリア・パネルですが、驚いたことに、RS232C端子のみでもありがたいのに、その左横の赤い細長い端子はプリンタ・ポートとも言われるパラレルポートですし、中央下部の緑と紫の端子はPS2でしょう、これらのレガシーポートと呼ばれるものは最近のパソコンではほとんど見られませんが、電子工作好きの私にとってはこたえられません!!。

 それもそのはず、2018に発売されたEPSON Endeavor AT994E の紹介ページには、「AT900 シリーズの歴史」というのがあって、2004~2018までの14年間、ケースサイズとインターフェースは変えていません!!と豪語?してありました。

 また DVD Multi Drive はもちろん、左写真にあるUSB3 x2 のPCIカードも装備されていました、ラッキー!!


 さっそく内部のチェックです。状態は数年間使われていた割には、想像していたよりきれいで、コンデンサなども特に異常は見られません。
 写真の左下に見られる、メモリスロットは2本とも空ですし、HDDもなくすべて想定内です。

 メモリはPC3タイプの4GBを2本、HDDは120GBのSSDをそれぞれ手持ちの中から用意しました。(左写真)


 慎重にマウス、キーボード、ディスプレイそして電源コードを接続したのちに電源スイッチを押しました。

 少し時間をおいて、右写真上のようにディスプレイ中央部にEPSONの文字が映し出されてすぐに消えました。ここからBIOSに入らねばなりませんが、エントリー・キーがわかりません、いろいろ試した結果Deleteキーだとわかりました。
 
 再度最初からやりなおして、EPSONの文字が現れた瞬間にDeleteキーを押した結果、右写真下のようにBIOSに入ることができました。ここからこのコンピュータの詳細を知ることができ、またいろいろな設定をすることができますが、このコンピュータが正常であることがわかり一安心です


 さっそくBIOSでBOOT順序を、1. DVD Multi Drive  2. HDD と設定してOSのインストールです。とりあえず勝手のわかったWindows 7 64bit を入れてみました。(左)

 次のステップは、各種ドライバーの設定ですが、何よりもインターネットへの接続が最優先でこれさえできれば後は簡単です。

 インターネットが使える別のコンピュータを使って、ネットで「EPSON AT992 ドライバー」と検索をかければ目指すドライバーが入手できました。

 、、、、といういことで、思わぬ機会に恵まれて、我が家のメインコンピュータを少しだけ若返らせることができました、あとはアップグレードした Windows 10 に馴染んで世の中に遅れないようついていきたいと思います(もちろんサブ機の Windows 7 も残して)

 ちなみにこのパソコンの Endeavor という名前は、努力とか精進という意味だと思いますがぜひ私もあやかって、、、、