今日はひな祭り(雛祭り)です。
ひな祭りはひな人形(雛人形)あっての行事ですが、歴史は平安の昔に遡ります。
京の都で平安貴族の子女たちの雅びた「遊びごと」が存在したとされていますが、一方で川へ紙で作った人形を流す「流し雛」があり、雛人形は「災厄よけ」の「守り雛」としても祀られることとなりました。
江戸・天正年間以降には女子の「人形遊び」と「節句の儀式」が結びつき「雛あそび」が節句としての「雛祭り」として全国に広がったようです。
それでも桃の節句ともなると小さいながら思い出のあるひな人形が家のあちこちに出現します。
左上写真は家人が三十年ほど前?に製作した木目込み人形ですが初めてにしては、、、、
これは、お手玉に顔をつけたような人形?ですが、おき場所を適当に変えてやると、あたかも人形たちが声を上げて楽しく遊んでいるようです。
右写真は、奈良の一刀彫のひな人形です。
段飾り雛が娘のところに行ったのちに、寂しいからといって、わざわざ奈良まで出かけて購ったものです。
詳しいことは良くわかりませんが、伝統をふまえていて、顔を見ただけで作者がわかるとか、、、、
注目すべきは男雛の足元にある超ミニサイズのお雛様です。
拡大写真を下に示しますが、なかなかのものです。もしかしたらこのミニ雛は大きな一刀彫に勝っているかもしれません。
先日、親しい友人たちと内裏様の男雛・女雛の座の左右について話をしました。現在はほとんどが男雛は前から見て左、すなわち右座です、が時折逆に飾ってあるのも見かけます。
本来、壇上の内裏雛は内裏の宮中の並び方を模しているので、古来日本では「左」が上位であり男雛は左座(正面から見て右)に立っていました。
右写真は徳川美術館で展示された尾張徳川家に関わるひな人形ですが、たしかに内裏様の位置が逆です。現在でも畿内や西日本を中心に旧来の配置を続けているところもあるようです。(京雛など)
でも「左大臣・右大臣」や「左近の桜、右近の橘」は従来どうり左座が上位のまま飾ってあります、、、、
でも「左大臣・右大臣」や「左近の桜、右近の橘」は従来どうり左座が上位のまま飾ってあります、、、、
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