2019年11月30日土曜日

松平東照宮の紅葉

 11月もそろそろ終わりという日に、松平東照宮の紅葉を観るべく、親しい友人ご夫妻と出かけてきました。

 今年の夏の気候は、ただひたすらに暑い暑いの毎日でしたので、秋の到来もあまり感じないままにもう紅葉も終わりかけていました。

 松平東照宮はこれまでに何度か来たことがありましたが、この季節は初めてです。

 とはいえ赤く色付いたモミジはいつ見ても安らぎを感じます。ここ松平の地は比較的植物の種類も多く、モミジの赤に始まって、黄、黄緑、緑がそれぞれに映え美しい錦を織り成していました。





 左写真は、松平東照宮の手前に巡らされた、堀と石垣ですが、水面に浮かぶモミジの葉と黄色いイチョウの葉がゆったりとした流れに乗って移動していく様は、春の花筏に負けず劣らずの感があります。


 右写真は堀にオーバーハングしたモミジですが、色のグラデーションがきれいです。これで秋の高い青空があれば、、、は期待しすぎ?









 大鳥居の左手奥にある手水舎(ちょうずや 参詣の際に手を清める)の屋根を見て驚きました。屋根に降り積もったイチョウの葉が折からの雲間の陽に輝いて、まるで黄金で葺かれた屋根のように見えました。






 大鳥居をくぐりぬけて、振り返ると写真の同好会のメンバーなのでしょう、何人もの人が、手に手にカメラや三脚を持って傑作をモノしようと被写体に向かっていました。

 かくいう私も同類ですが、、、、




 境内の片隅には御宮の修復の際に出たものか、、、三つ葉葵の紋どころを打った瓦類が積んでありました。

 東照宮とは、1616年に徳川家康が駿府城で没した際、遺言で柩が近郊の久能山に収められ東照社となり、日光にも社が造営され、この2社に朝廷より東照大権現の神号が宣下され、家康も神格化されました。

 その後、日本各地の大名などが東照大権現の御分霊をいただきお祀りし500社以上の東照宮が日本各地に造営された、とあります。

 ここ松平東照宮も同様に、久能山東照宮から御分霊をいただきお祀りしてあるとのこと、、、、



 この神社の一角に、家康が産湯をつかった時の井戸があるとのことで、少し脇道に入って行きました。
(写真左)




 このように少し奥まった所は、常緑の木々も多く、その中にあるモミジは、ハッと驚くような、いっそう鮮やかなコントラストを見せてくれます。

























 次いで私たちは、さらに奥にある松平氏の菩提寺、高月院を目指しました。

 その途中にある、松平氏の祖、松平太郎左衛門親氏の銅像も紅葉に彩られていました。



 さらに少し行ったところに、行きつけの天下茶屋があります。
 この地を訪れるときは立ち寄って一休みすることが多いですが、今回も少し早いですが昼食をとることにしました。

 人気メニューは「麦飯とろろと半そば定食」なので、今回はこれに五平餅を一本追加しました。

 五平餅(ごへいもち 御幣餅)は、中部地方の山間部に伝わる郷土料理で、粒が残る程度に半搗きにした粳米(うるちまいめし)にタレをつけ、串焼きにしたものです。

 
 かたちも上写真の御幣型、団子型、それを平たくしたものなどいろいろありますが、たれも各地独自のものがあります。
 ここの五平餅は団子を御幣型にし、団子のたれをかけたようなもので、あっさりしたものでした。







 高月院への参詣道の脇に小さなせせらぎがあり、水音を聞きながらその水際の石段を歩くのも一興でした。(左写真)




 松平東照宮から高月院までは約200mの緩やかな登り道ですが、こちらのほうも綺麗に紅葉していました。「右写真)


 傍らの足元に目をやると、モミジの葉の絨毯ができていました。



 
 今年の天候不順の話にも触れましたが、下の写真は、季節外れのツツジです、紅葉モミジとツツジのツーショットは珍しいかも、、、、








 





 季節はずれはツツジだけではありません。
 こちらはシャクナゲです。ただ花は小さく、房咲きにはなっていません。





 高月院とある扁額を掲げた山門です。








 高月院は元は南北朝時代に静寂寺として建立されたものが、前出の松平氏の祖、松平太郎左衛門親氏が本尊阿弥陀仏をはじめ、堂・塔のすべてを寄進して高月院と改め、松平氏の菩提寺としたとされています。




















 幸い心配された雨も降らず、帰途につく頃には少し青空も見えるようになりました。
 モミジを背景にした、残り柿の木は懐かしい子供時代も思い出させます。

 久しぶりに友人とともに山里の秋に接し、ゆったりとした時間を共有することができました。お互い健康であることに感謝、、、です。

2019年11月23日土曜日

FRG-7 のリペア(1) メインダイヤルシャフト修理

 ひさしぶりに受信機の修理です。
 取り上げたのは八重洲無線のFRG-7という受信機です。(左のカタログ写真参照)

 これは1976に発売された、ゼネラルカバレッジ(500kHz~30MHz)のBCL受信機です。(BCLは Broadcasting Listening の略で、放送(特に短波による国際放送)を受信して楽しむ趣味を指します)

 受信方式は、以前このブログでも紹介した、「DRAKE SSR-1 受信機のリペア」とおなじワドレー・ループ方式で、受信モードはAM/SSB/CWとありますがCWはUSBモードと兼用になっています。

 40年も経った今でも人気が高いのは
1. 人気機種ということで回路図を含め、ハードの情報が多い
2. 器械的な構造部分に信頼性がある。(糸などを使ったメカはない)
3. 部品がディスクリートで、修理・改良が比較的楽(この後継機種FRG-7000ではデジタル回路が使われている)
  、、、などの理由によると私は思っています。

 今回リペアするFRG-7は、まだ動作確認ができておらず、さらなる不安要因には、メインダイヤルシャフトがブラブラで、使用できない状態になっていました。(右写真)


 さっそく分解して原因を確認する必要があります。ところがその過程で、中から、からから音がして、小さな鋼球がいくつか転がり出てきたのです。

 とりあえず注意して鋼球を回収しておき、不具合場所を観察しました。

 左写真がメインダイヤルシャフトが繋がっているVFO部分です。


 この部分を子細に観察したところ、右写真で見られるようにシャフトを固定しているべき鋼球がすべてはずれて、シャフトがブラブラになっていたのです。

 鋼球はすべて回収できたわけではなく、すでになくなってしまったものがいくつかあるようです。
 ノギスで直径を計ってみると3mmでした。


 と、ここで同様な使い方をしてあるのがバリコンだと気がつきました。
 手持ちのバリコンを幾つか調べてみると古いものに3mmの鋼球が使われているのを発見しました。

 これも注意深く分解して必要な数の鋼球を取り出し、バリコンは少ない鋼球のまま、再組み立てしましたが、ガタもなくこれはこれで使えそうです、ラッキー!!

 右写真はバリコンの鋼球とFRG-から回収した鋼球をまとめて観たところですが、材質など細かいことを言わなければ問題なく使えそうです。

 左写真は、無事組みつけが終わったVFO用のバリコンを駆動するメインシャフトを示します。
 中央左に見られるように、鋼球がきれいに並んでいます。

 組みつけに当たってはバックラッシュ防止用のスプリング付きギヤとの噛み合わせ、シャフトを右に回しきったときにバリコンの羽が全て入った状態にする、、、などの注意が必要でした。

 、、、、ということで、再組み立てをして、初めての動作確認です。

 結果、
 ・ワドレー・ループの制御は出来ているようです。
 ・A バンド(中波帯)は動いており、地元のNHKがきれいに鳴ってくれました。
 ・ランプはほとんど断線していました。
 ・B、C、Dバンドは受信できず。
    ということがとりあえず分かりましたので順次手を入れていきたいと思います。

2019年10月15日火曜日

「太平洋ひとりぼっち」の電波方向探知器

 あの堀江謙一氏の「太平洋ひとりぼっち」の映画化で、主人公を演じているのは石原裕次郎ですが、このシーンは日本を出発して太平洋に乗り出した際、電波方向探知器を使って自艇の位置を割り出しているところです。

 先日、ネットサーフィン中にはからずもこの器械と同種のものを見つけ、懐かしさを言い訳に入手しまいた。もう50年も経た絶滅種なのであまり識る人もなかったのでしょう、容易に手に入りました。

 外観は右写真になりますが、さすが年を経ただけあって、みすぼらしく、電池の液漏れも甚だしく、まさに本物のジャンクでありました。

 正面下部には KS-555 DIRECTION FINDER 会社名は Koden Electronics Co., Ltd とあります、この会社は「株式会社 光電製作所」で、現存します。プロフィールによれば、「旧海軍技術研究所と、電波運用の中心的役割を担った逓信省および国際電気通信株式会社の技術者たちが集まって、昭和22/1947年に創業」とありますので、血統正しい会社なのでしょう。

 電波方向探知器というと、何か難しい感じがしますが、基本は普通のラジオです。
 ただ本体上部(左写真)に360°回転可能なアンテナがあり、これを動かすことで電波の飛来する方向を知ることができるのです。

 










 上写真はアンテナ部分の裏側ですが(何本かのビスが取れて本体との接続金具がぶらぶらになっていました)、細長いフェライトに電線がぐるぐると巻きつけてあるのが、アンテナ本体です。

 このアンテナは左図に示すように、放送局からの電波が、アンテナの長さ方向の直角方向から来た時に最大感度になり、また、長さ方向からの電波には最小感度となります。

 したがって、ラジオ放送を聞きながら、右写真のインジケータの指針の振れが最小になる点を探せば、アンテナの矢印方向(またはその反対方向)に放送局があることになります。

 冒頭の映画のシーンは自艇が房総沖にあることを確認した場面ですが、たとえばあらかじめ地図上に送信所の位置が記されており、かつ其々の周波数かわかっていれば、左図のように位置の測定が可能です。(もちろん方位磁石で電波方向探知器の真北を合わせておく必要があります)

 GPSでたちどころに位置情報がcm単位で得られる今と違って、当時はこのような手段が最新技術だったのでしょう。

 この器械は主となる中波帯(520 - 1.600 kHz)に加えて、長波帯(150 - 400 kHz)、マリンバンド(1.6 MHz - 4.6 MHz)を受信するようになっていますが、現在ではそれらに対するサービス(たとえば長波のロラン局)は廃止されてもうありません。


 さて前置きはこれくらいにして、この器械のリペアをせねばなりません。
 右写真は下カバーを開けた状態を示していますが、この時が一番緊張します。なぜなら稀に中の部品がなかった(一部または多くの)、、、とか、汚れや腐食で見る影もない、、、などのケースもないわけではないようなのですから。

 今回のケースは、電池からの液漏れによる電池ターミナルの腐食、AF基板の一部腐食、アルミ筐体の腐食、、、程度に収まっており、ひとまず安心しました。これらに比べればパネル照明用ランプのスイッチ破損くらいは何でもありません。

 とくに受信機の場合、中央部に見られるバリコン(可変コンデンサ)の汚れ具合が一番気になりましたが、思いのほか綺麗でホッとしました。

 構造を観ると、防水・防食設計にはなっていませんが、バリコンをはじめ、部品面がすべて下向きになっており、この点ホコリ対策にはなっています。中波の到達距離も200km程度ですので、この機器は沿岸を走るお金持ちのヨットやクルーザで多くもちいられたのではないでしょうか?

 こちらは取り出したRF(高周波)ユニットです。なんと2SB350というゲルマニウム高周波トランジスタが3本使用されています。

 高周波1段増幅で、局部発振は独立しており、中間周波数は455kHzです。

 前述の長波、中波、マリンの3バンドはスイッチで切り替えるようになっています。またマリンバンドではクリスタルを3個使えるようになっており、調べたところ 2637kHz、3093kHz、3193kHzの3本で今もネットで入手可能です。(局がないので挿しても何も聞こえない?)

 とりあえず動いているようなので、清掃のみしてコンデンサの交換は必要に応じ後程としました。

 右はIF・AFユニットですが、液漏れの影響を受けてプリント基板の銅箔が腐食して無くなって」いる部分がありました。前ユーザが修理した形跡がありますが、そののちも腐食は進み、配線も何箇所か断線していましたので、クリーンアップ、再配線したのが右下写真です。

 トランジスタはゲルマニウム高周波トランジスタ2SA12が5本(IFおよびSメータ)使用されています 

 AFは2SB75、2SB77、2SB89(2本)とこれもゲルマニウムタイプです。




 電池は単1乾電池を6本(9V)使うようになっていましたが、液漏れ腐食でターミナルは全滅でした。
 手持ちのリン青銅などを使ってリペアした結果が左写真です。





 パーツをバラバラにして清掃していく過程で、面白いものを発見しました。

 前述のフロントパネル下部のプレートを外したらフロントパネルに直接印刷した別のロゴがありました、Bendix DIRECTION FINDER  NAVIGATOR 555 です。

 ネットではBendixまたはBenmerの555モデルがはるかに有名で、これはおそらく光電製作所がBendixにOEMで製品を輸出していたのでしょう。一方、光電製作所も同じものをKS-555として販売していたのだと思います。

 あとは各コイルの再調整をしてそこそこの感度を出すことができました、左写真は出来上がりの姿です。

実際に使用してみての感想ですが、長波は実用になりませんし、マリンバンドも3925kHzのラジオ日経が受信できましたが、バーニア機構無しでは実際には使えず、クリスタルを使うようになっているのが理解できました。

 これに対し中波は驚くほどの高性能です。帯域幅を狭くするためにIFTが2個ずつセットで2か所使ってありますし、手動でのゲイン調節(AGCではないという意味)との組み合わせで、こんなにたくさんの局があったのかと思われるほど海外を含め多くを聞く事が出来ました。

 今から50年以上も前に堀江謙一氏がヨットに搭載する機材を集めていたとき、ヨット本体が約20数万円だったのに対し、この電波方向探知器は5.7万円、それも半日粘って数百円値引きしてもらったそうで、いかに高価なものであったかが分かります。

 この絶滅種に再び命を吹き込んで、少し暗くなった部屋で、遠くのラジオ局を聞きながら当時のそんな事などに思いをはせることができるのは至福と言うにつきましょう。

2019年9月8日日曜日

ライカ (LEICA IIIf) 救出

 先月の末、久しぶりにカメラ屋さんに出かけてきました、と言ってもついでに立ち寄ったというべきでしょう。

 カメラ屋さんではありますが、今はデジカメプリントが主で、カメラの販売スペースはずいぶん狭くなりました。
 私のお目当てはさらに狭いスペースにある中古カメラゾーンですが、ここには時々掘り出し物が並びますので覗いてみる楽しみがあります。

 この日もハッセルブラッドのプロシェードやプリズムファインダーなど心惹かれるものがありましたが、、、我慢です。と、その奥にじっとこちらを見ているものがありました、それが冒頭写真のライカ(LEICA IIIf)でした。値札をチラと見ると¥35kをありましたので、まあそんなものかな、、、と帰りかけましたが、何かがおかしいのです。値札の最後の0が一つ少ないのです、¥3.5k!!!

 このライカ(LEICA IIIf)は開発者のオスカー・バルナック氏にちなんで、「バルナックライカ」または「バルナック型」と呼ばれます。これは氏がドイツの名門「カール・ツァイス」から「エルンスト・ライツ(現ライカ)」に転職し、1914ライカ24×36mmカメラを試作し、1955年ごろに新しいモデルのMシリーズが出るまで続いた伝説の名品なのです。

 さっそく手にとってチェックしました。巻き上げは少し硬いもののシャッターは切れます。ファインダーはまあまあ、距離計の2重像はダメでした。スプールも入っているし、大きな問題はありません。

 店員いわく、修理にお金がかかりすぎるので、AS-ISで飾り物にでもして頂くつもりの値付けです、とか。これは飾り物としても破格の安値です、勿論連れ帰りました。






 不具合箇所が分かっているので、さっそく分解整備にかかります。ほとんどがネジで固定されていますので、小さなマイナスドライバーで分解できますが、スペシャルツールを使うと便利な場所もあります。

 右はトップカバーを外したときに内部のボデーに刻印してあるシリアルナンバーをチェックしているところです。(ナンバーの一部は隠してあります)

 この番号の一致で先ずは一安心です。ライツ社はこの番号を管理していますので、さっそく資料を調べてみました。それによれば、このライカは1951~1952に造られたIIIf型であるとされていました。
 また、トップカバーのシンクロメモリが黒色で刻印されており、セルフタイマーも付いていません。

 こんな感じでどんどん分解していきます。










 このカメラが造られた1951年と言えば戦後復興に注力していた時期ですが、世界で珍重されたこのライカが外貨獲得に一役買ったのは間違いありません。

 




 左写真に見られる、ファインダー用のプリズムを観ても、造りの良さにほれぼれするほど技術は優れており、その時点ではまだ日本のメーカーは足元にも及ばない時期だったと思います。




 布でできた、シャッター幕を透かして見ると、コーティングされたゴムが剥がれ落ち、すだれ状になっています。70年の歳月がしのばれます。



 シャッターのリボンはまだ健在でしたので、幕のみ手持ちの新しいものに取り換えました。

 左下にシャッター幕の新旧をあげておきます。











 距離計のハーフミラーは、表面に蒸着した金属が見事に劣化していました、これではまともに2重像は観られません。

 このミラーは約7x9mmの小さなものです、手持ちのハーフミラーからガラス切りで切り出しましたが、小さいがゆえに結構難しい作業でした。

 ことのついでにスローシャッター用のガバナーも取り出して、清掃しておきました、ジーッという作動音も何か懐かしい感じがします。



 最後に整備後のボディーにお定まりのレンズである、沈胴エルマー、f=5.0cm 1:3.5を装着した晴れ姿を掲げました。

 これでまた1台仲間が増えてしまいましたが、久しぶりのカメラいじりに至福の時を過ごし、絶滅保護種が救出できたことに満足しています。

2019年8月27日火曜日

ひさしぶりの オステリア・カンパーロ

 ひさしぶりに オステリア・カンパーロに出かけてきました、先回のブログで確かめたら、5年ぶりになります。

 幸い道も間違えることなく、無事に到着しました。
 この前の時にはイタリア国旗は掲げてなかったようです。




 入口には右写真のような立派なエンブレムがありました。

 そして店内の正面には見覚えのある、一面にワインのボトルをあしらった壁があります、お久しぶり、、、

 このレストランは人気は高く、幸い予約が取れたのですが、店内は4人席x4、2人席x4とそれほど広くはなく、予約で満席状態でした。









 この店のルーツが横山農園ということで、メニューをオーダーしたら、オリジナルのトマトジュースをお好きなだけどうぞ、、、と勧められました。さっそくいただきましたが、めったに味わえないほどのおいしいジュースでしたので、おかわりをしてしまいました。

 前菜は2種類あって、左上は鴨肉のサラダ、左下は前菜盛り合わせでしたが、メロンの生ハム添えはおいしそうだった、、、

 パスタは選択制でしたのでフィットチーネ(ナスとベーコンのトマトソース)(上)とジャガイモの自家製ニョッキ(自家製ミートソース)(下)をそれぞれ選びました。














 店内は相変わらず、清楚で明るく、上品で落着きがあり、私たちにとってゆったりと落ち着ける空間を供してくれます。






 窓際にあるドライフラワー風の飾りもなかなかいいです。

 メインディッシュもいくつかの中から選べましたが、魚のソテー・トマトソース(上)と豚肩ロースの甘口バルサミコソテー(下)にしました。

 最後のデザートは、しっとりとしたスポンジに軽やかなバタークリームとフレッシュなぶどうをサンドした、ぶどうのフレジュ自家製ジャムを添えたヨーグルトでした。

 例によって、突然思い立ってのランチ行でしたが、いい時間を過ごすことができました。