2015年6月29日月曜日

ひさしぶりの秋葉原

 ひさしぶりに秋葉原へ出かけてきました。
 初めて秋葉原を訪れてからもう50年以上経ちますが、その変貌ぶりには目を見張るものがあります。

 いまやかつてのジャンク屋さんはほとんど無くなり、お目当てのパーツ屋さんも寂しい限りです。インターネットが発達した昨今ではいわゆるネット通販を使うことが多くなり、(送料を入れても交通費より安い)上京しても足が遠のいているのが実情です。
 そうは言っても秋葉原を耳にすると心騒ぐのは長年の習い性なのでしょう。

 今回は特にお目当てのものは無いのですが、上記の地図の番号に沿って、ぶらり部品探しのウォーキングです。

 秋葉原駅を出て①から中央通りの方角を見るとまさにこれが秋葉原!といった景色です。やはり休日ということで若い人の割合も多い??いや外国人も多そうです。


 ②は秋葉原駅ガード下にある「秋葉原ラジオセンター」で、多くの部品屋さんがありますが、この2階にあるレンタルボックスが徐々にスペースを拡大しています。

 写真のラック一段分のスペースを月極めで借りて自分の売りたいものに値札をつけて入れておく、、、、というシステムです。場所柄ビンテージ物の電気パーツ類が多く、見ていても時間を忘れます。

 ついで中央通りのガード下横断歩道を渡ると「東京ラジオデパート」が右手に見えてきます。④ ここも「秋葉原ラジオセンター」と同様パーツ屋さんが多いですが今回はパスです。

 その向かい側にあるのが「オヤイデ電気」で電線の事ならすべてOKというお店です。親切で小分けもしてくれます。③(右写真)



 ④の先の交差点を右に曲がるとこの通りにはすでに定着したメイド喫茶へお客さんを呼び込もうとするメイドさんが通りがかりの人に声をかけているのをよく見かけます。


 そしてここには⑤に「あきばおー」なる電子関連グッズを扱う比較的新しいチェーン店のひとつがあります。ここはSDメモリが安価に購入できますが、種類が多く品決めをするのに時間がかかってしまいます。

 ⑥の秋葉原では老舗のパーツ屋さんである「千石電商」を左に見つつ⑦にあるお目当ての「秋月電子通商」にたどり着きました。



 開店が11:30なのでまだ時間前ですが店前に人だかりができるほどの人気の店です。
 秋葉原のパーツ屋さんは開店時間がまちまちで早くて10:30、おそいところは13:00以降のもありますので事前にチェックが必要となりますし、巡る順序も計画的にせねばなりません。

 まだ開店までに時間がありますので、さらに先の⑧「鈴商」へ足を向けました。
 ここも古くからあるパーツ屋さんで、奥のスペースではプロユースのいわゆる本物が適価で購入できます。hp(ヒューレットパッカード)の高周波用半導体などはよくここを利用します。今回はミニサーキットの高周波トランスを購入しました。

 そうこうしているうちに「秋月電子通商」が開店したようです。
 狭い店内はまさに芋の子を洗うようで、デパートのバーゲン会場にも引けをとりません。ここではケルビンクリップ自作の参考にする目的で DE-5000 LCRmeter に使用する SMDチッププローブを入手しました。(うまくいったらブログにアップします)


 駅ビル内で軽い昼食を摂り、一休みしたのちに今日2つ目のお目当てである「aitendo」⑨へ出かけました。
 ここは通販では利用しますし、旧店舗へは何度も立ち寄ったことがあるのですが、新店舗は初めてです。店舗案内はあったのですが、従来の秋葉原とはまったく違う場所で、店がなかなかわからずに苦労しました。

 周りは静かで店らしいものは何一つありません、しばらく徘徊?したのち、ようやくにして右写真の看板を見つけました。ごく普通の街中ビルの3階にあるようです。

 エレヴェータを降りると眼前のオフィスフロアが店舗でした。ここ「aitendo」は主に中国製の部品を取り扱っている最近成長著しいパーツ屋さんで、レジのお姉さんも中国人のようです。
 今まで紹介してきたパーツ屋さんとは一味違い、ある意味自分の目で確認してからというプロセスが必要ですが、自分の常識を超えたアイデアや、驚くほどの低価格、そしてバーゲン品はそれはそれで魅力があります。

 最後の目的地⑪の「日米商事」(正式名称は「秋葉原スーパージャンク日米商事電子部」)で最北部から最南部への移動です。

 途中ふと思い出して⑩の「じゃんぱら秋葉原2号店」に立ち寄りました。ここはパソコン関連の中古パーツ屋さんです。東芝の128GB SSDが安く出ていたので予定外ですがゲット!!
 「日米商事」はこれまでの経験で開店が不規則、かつ遅いことがあったので最後にしたのです。

 滞在時間約5時間の部品探しウォーキングもそろそろ体力限界に近づきつつありましたが、いい具合に別途デパートへ出かけた家人たちから「そろそろ合流して帰ろう」コールが入りました。

 右上写真は今日の比較的当たりの成果抜粋です。左上はI2Cキャラクタ液晶モジュール(安価)、右上の40ピンICは AVR( ATMEGA16-16PU )で多少古くてスペースをとりますが、8bitx4と32本もの制御端子があり、なにかと便利、これが¥290、そして左下は3M製32ピン・ゼロプレッシャICソケット¥250でこれらの三点は「aitendo」。下中央は「日米商事」で見つけたタイト製小型エアトリマー¥33。右下は前述のSSDです。

 多少疲れはしましたが満足な秋葉原部品探しウォーキングでした。

2015年6月21日日曜日

パスタランチと書道展

 先日久しぶりに友人の書家さんから名古屋で書展を開催する旨の案内状をいただきました。

 それでは、、、、ということで友人夫婦と語らって陣中見舞いに参じることにしましたがこれまた久しぶりということでランチを共にしてから出かけることになりました。
 ランチの場所は友人に探してもらいましたが、徳川美術館北の、先月開店したばかりのイタリアンのキアーロという店です。
 キアーロ( chiaro )とは英語で言うところの clear で「明るい」とでもいいましょうか、でもイタリアの「明るい」ですからかなりの明るさなのでしょう、、、、


 大変に評判が良く、行列ができるとのことなので開店時間に合わせましたが、すでに何人かの先客が、、、、ちょうど店員が本日のメニューを出したところです。

 本日のパスタはアサリのボンゴレとカルボナーラでしたが、オプションのイタリアン前菜の盛合せがお薦めということでそれぞれをオーダーしました。

 前菜の盛合せはヴォリュームたっぷりで、オリーブオイルを使っての味付けもよくお店の評判を裏づけしています。

 アサリのボンゴレは貝の臭いもなくガーリックも少なめで、それこそクリアな味付けでした。 


 いっぽうカルボナーラはマッタリとしたチーズの味も深く美味しくいただけました。


 尽きない会話にむりやりストップをかけ、栄の展示会場へ移動です。



 この書展は2年に一度開催されるということなので、今回の16回ということは32年続いているということ、、、、さすがに伝統です。

 この会は友人である先生の門下生25名がそれぞれに腕、いや筆を振るっての参加だそうです。











 この会の作品は特に手本に習うということなく各々が感ずるままに表現するということで、個性が十分に発揮されているように感じました。
 出展者との制作時のいきさつなどの会話に花が咲き、充実した時間を持つことができました。

2015年6月16日火曜日

土着民のコンサートと桑の実摘み

 先日久しぶりに根ノ上高原の「あかまんまロッジ」に出かけてきました。
 ふるさとの有志の人たちが毎月送ってくれる「高原(やま)の郵便や通信」という写真を貼った便りが150号になったのを記念しての写真展(左がその一部)と、これにあわせて地元のフォークグループである「土着民」のコンサートの企画があったのです。

 コンサートは昼食後約1時間ということでしたが、そのあと親しい仲間が「あかまんまロッジ」に一泊して翌日桑の実摘みに繰り出そうというわけです。


 コンサートの参加者は約50人、ほぼ揃ったところでさっそく昼食です。ビュッフェ形式とはいいながらすべて手作りです。

 時節柄朴葉寿司、山菜おこわ、ぜんまいの煮物などなどおいしいものばかりでした。「朴葉寿司は一人1個だよ~」などの声が飛び交う中、山菜おこわを大盛りでお代わりしてしまいました。朴葉寿司の中身はこんな感じです。 


 皆で楽しく食事を終えたのち、いよいよコンサートの開始です。

 日本のフォーク史において忘れられることのない「全日本フォークジャンボリー」が1969年から3年間開催されたのがこの地なのですそしてその伝統を受け継いでいるのが「土着民」なるグループなのです。

 演目はすべて彼らの手になるオリジナルで、ふるさとや友情をテーマにしたものが多かったですが、ひさしぶりに昔なつかしいフォークのコードに接することができました。

 そういえば周りを見渡してみると若い人は見当たらずほとんど同年代かそれ以上の人ばかりで、、、、




 夕食までの間まだ時間があったので近くの根ノ上湖へ散歩に出かけましたが、みてびっくり、ただいま堰堤の工事中で今後約2年完成までにかかるとか。

 水はなく、灌漑用として建設された当時の景色が出現していました。


 ふと見るともなくみるとキイチゴがありました。背が低いので下から見上げるようにすると右写真のように黄橙色の小さな実がたくさんついていて、口に入れてみると比較的すっきりとした甘さがありました。

 急遽キイチゴ狩りとなりました。最盛期は少し過ぎているようでしたがそれでも1時間ほど小さな棘に悩まされながら収穫に没頭しました。まさに桑の実摘みの前夜祭と言ったところでしょうか。



 翌日は前日の曇天と打って変わってすばらしい好天でした。
 
 朝食後せっかくの機会だからということで「あかまんまロッジ」のご主人に導かれて散策に出かけました。





 春の花も一通り終わりあまり目に付くものはないとはいうもののやはりそこは自然の真っ只中、あちこちに、、、、




この時期多いのは「コアジサイ」です。
 最近巷間でよく見かける「アジサイ」は大型化もしくは西洋系のものが多く、そんな中、小ぶりで繊細かつ色も薄紫のこの「コアジサイ」には新鮮な感じがしました。そのうえこの花が山のいたるところにあるのです。


 もうひとつあちこちで見られる花が「ヤマボウシ」です。
 初夏の新緑の中でこの純白の花は本当にきれいです。

 遠目に「ヤマボウシ」のように見えても近くで見ると葉が白くなっているだけのものがありますが、これは「マタタビ」で実を猫が好むことで知られています。

 また蛇足ながら「ヤマボウシ」と「ハナミズキ」の違いはもちろん花の形も違いますが、花が先に咲くのが「ハナミズキ」で葉が出揃ってから咲くのが「ヤマボウシ」です。

 左は「ゼンマイ」の茎で作ったカタツムリ、右は同じく「ゼンマイ」の葉で作った魚の骨のクラフトです。

 こうして草木の解説などにクラフト作りや草笛吹きなどをおりまぜて時間の経つのも忘れてしまった散策でした。




 予定より少し遅れて桑の実摘みをはじめました。今年は少し数が少ないように感じましたが、それでも一粒の大きさは昨年に勝っているようでした。

 皆、指先を紫色にして黙々と実を摘んでいます。はるか過ぎ去った昔の光景を思い出しているのでしょうか、、、、

  山の畑の桑の実を
   小かごに摘んだはまぼろしか~

 さて桑の実のジャムも楽しみですが、今年はキイチゴのジャムも楽しみです。

2015年6月9日火曜日

AVRによるATTコントローラーの製作

 電子工作も高周波を扱いはじめると信号のレベルを一定量任意に減衰させる、アッテネータ( attenuator 略して ATT )が欲しくなります。
 一時は抵抗値を選別しての自作も考えたのですが、これも基本的な測定器なので信頼できるものが欲しく、過日ヴァインシェル社( Weinschel Corp )の中古ATTを入手しました。
 なにかの測定器から取り外したものなのでしょうか、型番をヴァインシェル社のカタログであたってみましたが載っていませんでした、測定器メーカへの特別仕様なのかもしれません。

 銘版には PROGRAMMABLE ATTNUATOR と 12V DC の文字と0.25から32までの8個の倍列数字と COM の計9本の端子が出ています。
 端子の結線は回路図下部に点線で囲んで示したようになっているものと思われますが、各コイル(リレーの)抵抗は約800Ωで、慎重に調べた結果極性もなく、どの端子も正常に作動しました。

 せっかく PROGRAMMABLE ATTNUATOR とあり倍列数字の端子が8本出ているのでマイクロチップでの制御をしない手はありません、さっそくAVRを使ったATTコントローラの構想をまとめました。
 ATTへの供給電圧はAVRで使う5Vとの差を小さくする(省エネ)ために8Vで使っても確実に作動することをあらかじめ確認しておきました。

 端子が8本なのでAVRからデータを8bitで並列出力すれば事足りるのですが、、、問題は使いやすさとの兼ね合いです。
 表示も最初は使い慣れたLCD(液晶)を考えたのですが、文字が小さく表示するデータも少ないので、4桁7セグメントのLED素子を使うことにしました。
 ここまで来て、ハタと考え込みました、そうですAVRのピンが足りないのです。4桁7セグメントのLED素子で12本、ATT制御に8本、ロータリーエンコーダ(RE)で2本、これではAVRを内臓発振器をつかってXtalピンを2本開放しても、、、、仕方がないので74HC595を使ってシリアル・パラレル変換を使うことにしましたが、使用するピンの自由度から多少遅いですがSPI関数ではなくshiftOut()関数をつかいました。(例によってAVRのプログラム作成には arduino IDE をつかっています)

 上写真はブレッドボードによる実験の様子で、左上の表示値 24.25に対し、出力確認用LEDは LHHL LLLH でたしかに 0+16+8+0+0+0+0+0.25=24.25 となっています。 
 右写真は完成したATTコントローラですが思ったよりコンパクトでいい感じです。
 減衰量の制御は1dB ステップをロータリーエンコーダ(RE)で、0.25 0.5 0.75dB ステップを SW 1 (黄)で、10dB ステップを SW 2 (緑)それぞれ操作するようにしました。






 ちなみに回路図でつかっているトランジスタはデジトラと称されるものでトランジスタと2個の抵抗がトランジスタと同じ形状にモールドされており、省スペースができます。
 またダイオードは手持ちの古い汎用の信号用Siダイオード( 1S593 )です。
 上記回路図には電源回路が省略されていますが、直流12Vを供給し、3端子レギュレータで先ず8Vをさらに5Vを得ています。(パスコンの0.1uFの表示も省略しています)

 上はシグナル・ジェネレータ(SG)からの 0dB の信号にATTを通しての実験写真です。
 コントローラの31.75の数字に対して自作のレベルメータは31.9を示しており、まあまあです。

 右図はATTのレスポンスをGigaSt・スペアナで0~1GHzのレンジをとったものです。

 あらかじめ正規化してありますが、こうなってくるとATTでGigaSt・スペアナをチェックしているような、、、、結果は十分満足できるものでした。

 これで更なる分野へのチャレンジがまた楽しみになりました。

2015年5月23日土曜日

中華 AD8307

 過日ネットでAD8307というICが極めて安価で入手できるという噂に接しました。

 AD8307はアナログデバイセス社( ANALOGDEVICES )で開発された対数(ログ)アンプで、規格表によればなんと直流から500MHzの広域にわたって92dBのダイナミックレンジを測定できる能力を誇っています。
 
 従来はこのプロの世界で使うようなICが例の秋月で1個¥1000強で入手できること自体がわれわれ電子工作を趣味とするものにとってありがたかったのです。

 噂を頼りにebayを調べてみると、、、、思わず目を疑いました、それもたくさんの店が競うようにしてAD8307を売っていたのです

 最安値はワンコイン強、それも10ピースで!?上海からの送料込み、、、、という経緯でオーダーしておいたものが到着しました。冒頭の写真の10個がそうです。比較でおいたチップは従来の国内入手品でチップサイズがDIPです。これに対し中華AD8307は少し小型のSOICで表面実装用ですがどちらも規格表には載っていました。(右写真参照)

 このチップが本当に使えるのか半信半疑ですが、思案投げ首だけでは始まりませんのでデータをとってみることにして、早速評価ボードを久しぶりのアイロンがけで作成です。

 左写真がそれですが、基板の設計も何もあったものではありません、単にチップが表面実装用のSOICなのでこうするのが一番手間が省けるとの判断からです。

 参考にもなりませんが、回路図を挙げておきます。ネットで探せば数多く見つかりますが、今回の回路はできる限りシンプルなものを選びました。
 入力抵抗の51オームはAD8307の入力抵抗を加味すれば52.3Ωが正しいのですが手持ちにあるもので間に合わせました。

 この評価基板にパナソニックのシンセサイズド・シグナル・ジェネレータから既知の信号を入力し、結果として得られる直流出力をケースレーのDMMで読み取りExelでグラフ化し、評価しました。

 先ずは入出力特性です。(左)10MHzと100MHzで試しましたが、規格表どうりの結果で(あたりまえ)正直ホッとしました。直線性とハイレベル側は文句なしですが、ローレベル側がこれまでの経験から、いろいろ手を尽くしてフロアノイズを下げればもう少し伸びる気がします。
 むしろ何もせず一発でこの結果ならば上々とすべきでしょう。 

 次に周波数特性を下に示します。
 -40dBmの100kHzから500MHzの広域のレスポンスをプロットしました。
 さすがに100MHzからは徐々に低下していろのがわかりますが、おそらくこれは回路と基板の技術上の問題だと考えても良いかと思います。


 いろいろな製作例を見てみると次の図に見られるような補正回路を入力部に取り入れたものも見られましたが、広域特性の補正や、フロアノイズの低減などは製作する機器の目的に合わせてそのつど工夫していけばいいと思っています。

 ちなみに左回路のL1は1/8インチ径を1tとなっていました。

 結論として今回の中華AD8307はわれわれアマチュアが使用する限りにおいてはなんら問題なくアタリだと判断しました。

 秋葉原価格の1/20、それも送料込みのような例はこれまでもいくつありましたが、まさにおそるべし、、、です。

 これで安心していろいろなAD8307の回路に鋭意挑戦できそうです。

2015年5月18日月曜日

はからずもの京都葵祭

 先日大阪に出かける予定があって、「せっかくのことだから京都に一泊しようか、、、、」ということになりました。
 いつものホテルに連絡したところ満室でキャンセル待ちとのことでしたが、直近になってOKの連絡がありました、、、、と家人が「そろそろ葵祭のころでは」、、、、そうなんです、だから混んでいたんです。おかげさまで、はからずも葵祭見物ができそうです、がもう一難ありました。当日の天気予報が雨なんです。葵祭は雨の場合順延か中止になります。

 当日の早朝インターネットで調べると催行する旨の掲示がありました。天気予報も好転しています。
 いざ出発!!と勇んで出かけました。

 葵祭の行列は左図のように京都御所を出発してゴールの上賀茂神社までの約8kmを500mもの行列がしずしずと進んでいくわけです。
 今回は急なことで観覧席というわけにも行かず、路上での見物となりますので事前にネットで調べてみました。おすすめは左図の左上、加茂川沿いの道路が良いとありましたが今回は左図上で見物場所と示した、河原町丸田町の交差点の北あたりで行列を待ち受けることにしました。

 京都御所の出発が10:30ということで11:15ごろに先頭がやってきました。
 主催者の車を先頭に、ついで男女の騎馬警官が続き雰囲気を盛り上げます。鞍には京都府警察平安騎馬隊とありました。
 はるか南のほうに本列を先導する左右各3騎の騎馬隊(乗尻 のりじり)が小さく見えています。
 天候はますます好転し(しすぎ)気温は30度近いと思われます。烏帽子などにつけた葵の枝もすでにしおれてしまってます。
 なれない装束をして、ゆっくりと全体のペースを作りながら進むのは大変です。聞けばかなりの人がアルバイトとか、、、、左写真は直垂の胸紐が結べず、先輩に結んでもらっているところです。 

 平安の昔、京都で祭りといえばこの賀茂祭上賀茂神社と下鴨神社という賀茂氏の神社で五穀豊穣を祈願する祭り)を指したほどに王朝風俗の伝統が残されている数少ない祭ですが、応仁の乱以降途絶えていたものが江戸時代(元禄7)に再興され、この時代以降行列をの葉で飾るようになって葵祭の名が定着したようです。

 この祭りの呼び物である行列はもともと勅使のためのものであったものが昭和30年代になって勅使勅使代)を中心にした本列に対し、斎王代を中心にした女人列斎王代列)が創設されたようですが、今では華やかな女人列を主役のように思う人も少なくないようです
 右上写真は本列の主役である勅使代のために用意された牛車(ぎっしゃ)で藤の花で飾られています。(詳細はネットなどで、、、、)

 本列は省略して、いよいよ斎王代です。
 重い衣装を着け、白塗りの化粧で大変ですが傘を差しかけてもらっている高級女官(命婦 みょうぶ)は幸いです。遠くに斎王代が乗った腰輿(およよ)が見えてきました。

 斎王代とは、その名称が示すとおり、斎王に代わるもの斎王の代理なので。斎王は「いつきのひめみこ」ともいい、「斎」は「潔斎して神に仕えること」を言い、かつて伊勢神宮や賀茂の神社に奉仕した未婚の内親王のことなので。平安の昔賀茂祭(いまの葵祭が国の祭であったころ、賀茂の宮には斎王がおられ祭に奉仕していました。


 現在は本物の勅使斎王が行列に加わることはないので、それぞれ勅使代・斎王代ということになります。
 今年の斎王代第60代に選ばれたのは白井 優佐さんで、斎王代に現役CAが初めて選ばれた事で話題になったとか、、、、

 腰輿(およよ)に乗って涼しげですが、豪華な十二単衣の重さは30kgもあるそうです。

 左写真は采女(うねめ)です。各国の豪族から天皇に献上された美女達で、斎院の神事を司りました。斎王代と同じく頭に日陰葛という植物に由来する「日陰糸」という組紐を垂らしています。神に仕える女性として清浄な存在である事を示すためのものだそうです。 徒歩ではありますが存在感を感じました。

 また、その後方に見える騎乗の女官は 騎女(むなのりおんな)でこれも斎王付の巫女(みかんこ)です。

 ということで約45分間、行列を堪能しました。
 印象としては、古い言葉に「箱根山駕籠(かご)に乗る人担ぐ人そのまた草鞋(わらじ)を作る人捨てた草鞋を拾う人」とあるように、階級社会絵巻でした。当時の人たちもこぞって行列を観覧したといいますが、果たして何を思ったのでしょうか。
 白丁(はくちょう)姿のアルバイトが貴族役と同一目線でさっさと先頭を歩き、目付け役の老人から観客の面前で叱責されていましたが、本人たちには何がなんだか理解できなかったようでした。

 はからずもの京都とはいえお目当ては多く 、今回も日ごろ鍛えし健脚?のチェックをする破目となってしまいました。

 葵祭の行列に間に合うよう、京都駅に10時前に到着し、地下鉄で丸太町駅へ移動。(右地図の左上)次いで徒歩にてホテルへ立ち寄り、荷物を預け、軽装にて見物場所へ急ぎ、、、、上述の次第にあるように最初の目的は無事果たしました。 

 時はすでにお昼近くなので、先回も立ち寄った祇園の貴久政へランチを摂るべく加茂川の散策道を急ぐことにしました。

 すこしあわてたせいか、地図を見間違えて四条を通り過ぎ、そして引き返すという失敗をしてしまい平謝りです。


 ようやく予約時間に間に合っておいしい昼食にありつけました。 



 ここ貴久政の出汁巻き卵は他に類を見ないほどのおいしさです。なにせ目の前で焼いたものを、湯気の立ちのぼるのを見ながら食すのですからもうこたえられません。
 4人もの料理人には少し狭いカウンター内から外人も含む満席の10人のお客さんへのサービスも心地よく、ついついビールのお代わりもしてしまいました。

 貴久政を出てほんの少し歩いたところに先回気になっていた菓子屋さんがあり、店に入ってみました。左写真の左上が由緒ありげな看板、右下が暖簾、中央下が看板にあるお菓子の豆平糖です。

 ここは「するがや祇園下里」といい、文政元年(1818)、総本家駿河屋より暖簾分けを得て創業以来、昔ながらの手作りの製法を守り続けている京御菓子司でした


 現在の店舗である建物は明治28年(1895)にお茶屋として建てられた住宅で、平成5年には京都市登録有形文化財に登録されたものだそうです早速お土産に豆平糖を買い求めました。


 ここ祇園では宅急便屋さんの店舗も趣を凝らしていました。(右)

 さらに花見小路通に出て四条通を南に下ると歌舞伎で有名なお茶屋一力亭が左側にあり、外人観光客がガイドの説明を受けていました。


 

 




 このあたりのお店の入口には何か変わったものが飾られていますがどこかで耳にした「厄除けちまき」がこれなのでしょう。

 左はとあるお店にかかっていた暖簾です。鯰と鰻が巴にデザインされています。どちらがどちらかわかりますか?ヒントはヒゲです。
 このような暖簾もあちこちで見られますがその洗練さには驚かされます。

 このあと建仁寺にチラと立ち寄って高台寺を目指しましたが例年にない暑さと長い上り坂に白旗を上げ、よくよく確かめずに飛び込んだ店が「水円」でした。

 本業は今売り出し中の京料理屋さんですが、喫茶も営んでいたのです、どうりで垢抜けた佇まいでした。

 私は黒蜜をかけたかき氷、家人はこの店自慢のつめたく冷やした胡桃餅で茶をいっぱい、、、、やっと元気を取り戻しました。

 さらに坂を登っていくと左写真のような提灯がありました。東山 高台寺 ねねの道とあります。ねね寧々、秀吉の正室北政所、高台院 みな同一人物です

 高台寺は豊臣秀吉の正室であった北政所(高台院)が秀吉の冥福を祈るため建立した寺院で、寺の名は高台院にちなんでいます。禅宗寺院ですが、秀吉と北政所を祀る霊廟としての性格をもった寺院だそうです


 さらに緑のトンネルの階段を上るとようやくにして高台寺です。

 左は玄関に飾ってあった「夢」と大書された衝立です。
    「露とおち 露と消えにし 我が身かな
           難波のことも 夢のまた夢」

 は秀吉辞世の句ですが、残された高台院もまた昔を偲んだであろうとしてのちにこの寺の八代管長が揮毫したものとか、、、、

 小堀遠州の作とされるこの庭園はところどころにゆかりのお堂などがあり広大で見事なものでした。

 ということでそろそろホテルに帰る時間です。乗り物の利用も考えたのですが、、、、やはり、歩こうか。

 四条大橋の東南角あたりにある京都南座です。ふと頭をめぐらせると北座という文字が目に飛び込んできました。
 もともと京都にはいくつかの芝居小屋があったそうで、明治時代には南座・北座の2座にまで減り、ほどなくして北座もなくなったということです。
 今ある北座は場所こそ元の場所なのですが有名な和菓子の「八つ橋」が建てた複合ビルの名前です。

 ようやく四条大橋までやってきました。そろそろ夕方の景色になりつつあり、川岸の桟敷の灯りも見分けられるようになってきました。
 そして土提の上にはパリのセーヌのように若いカップルがずらり、、、、

 春宵一刻値千金とか、われわれも健康であることに感謝しつつホテルへ、、、、