ベルゲンはノルウェー第二の都市で、人口は首都オスロの57万人に次ぐ約27万人ですがノルウェーの人口が510万人ほどですからここでは大都会となりましょう。
ベルゲンは1217年から1299年までノルウェーの首都であったこともあります。13世紀後半からはハンザ同盟都市の一員となって、ベルゲンは18世紀後半までノルウェー北部と国外の仲介交易の独占権を謳歌していたという歴史ある港町です。
ベルゲンの街では、今日の夕刻と明日の午前中にホテル周辺を散策して、お昼ごろ出発の飛行機でスウェーデンのストックホルムに出発する予定です。
夕刻ベルゲンに到着した私たちは、ホテルの部屋に荷物を置き、ベルゲンを一望にできるというフロイエン山にケーブルカーで登り、山頂のレストランで夕食をとることになっています。
夕刻ベルゲンに到着した私たちは、ホテルの部屋に荷物を置き、ベルゲンを一望にできるというフロイエン山にケーブルカーで登り、山頂のレストランで夕食をとることになっています。
左写真は山頂への線路で、ケーブルカーが小さく見えています。
右写真の道路の突き当たりの白い小さな建物がケーブルカーの駅です。
右写真の道路の突き当たりの白い小さな建物がケーブルカーの駅です。
道路の下のトンネル部分が登りと下りの交換部分になっていました。
標高320mの山頂からの景色はすばらしいものでしたが、ちょうど日没間近で眩しい太陽が真正面です。二つ見えている入り江の右側の入り江の奥がホテル周辺です、上の地図で確認してみてください。
白い建物がレストランでしたがこの folkerestaurant はそこそこ有名のようでした。
今日の夕食のメインディッシュはステーキでした。一斉に目の前に運ばれてきたお皿を見て、全員口々に「大きい」「食べられそうもない」などの声が上がりました。
今日の夕食のメインディッシュはステーキでした。一斉に目の前に運ばれてきたお皿を見て、全員口々に「大きい」「食べられそうもない」などの声が上がりました。
たしかに見かけ以上に厚さのある(2cm以上)立派なステーキでしたが、前評判どうり、おいしく、やわらかく結局大半の人はきれいに完食でした。
ホテルに帰ってもまだ日没までに間があり、明日の午前中の自由時間のために下見に出かけることにしました。
右写真は、ホテルの建物(左のレンガ造りのビル)に沿って海(南)のほうに下っていくと、、、、ヨットの帆柱が見えてきました。
ホテルに帰ってもまだ日没までに間があり、明日の午前中の自由時間のために下見に出かけることにしました。
右写真は、ホテルの建物(左のレンガ造りのビル)に沿って海(南)のほうに下っていくと、、、、ヨットの帆柱が見えてきました。
海岸通りに出て、夕陽を受けて輝いている、東の方角を見ています。
遠くに見えている尖塔はベルゲン十字架教会です。
十字架教会というのは上空から見たとき教会が十字架の形をしていることから来ています、ちなみにこの教会は12世紀のものですが、1896年に最近の改修がされています。
塔の時計は9時44分をさしています。
遠くに見えている尖塔はベルゲン十字架教会です。
十字架教会というのは上空から見たとき教会が十字架の形をしていることから来ています、ちなみにこの教会は12世紀のものですが、1896年に最近の改修がされています。
塔の時計は9時44分をさしています。
魚市場です。想像していたよりはるかに狭く、築地市場や錦市場をイメージしていたのとは大違い、何せ人口27万人。
もう夜の10時過ぎですから、ほとんどの店は閉まっていますが、雰囲気だけはわかりました。
ということで、やってきた道を引き返します。
ブリッケン地区の建物が夕陽を受けて光っているのが見えます。
中央に見えるチョコレート色の三角屋根を3個持った建物が宿泊したホテルです。もっとも入口は反対側の北側にあります。
ということで、やってきた道を引き返します。
ブリッケン地区の建物が夕陽を受けて光っているのが見えます。
中央に見えるチョコレート色の三角屋根を3個持った建物が宿泊したホテルです。もっとも入口は反対側の北側にあります。
ということで、下見はこのくらいにしてホテルに帰ることにしました。
部屋は狭く、三角屋根の勾配が始まる、いわば屋根裏部屋で、窓も一つしかありませんが、それにも増して古いホテルの雰囲気が勝り、むしろ楽しさを感じました。
一夜明けて今日は午前中、といってもストックホルム行きの飛行機は12時なのでそれほど時間はありませんが、ベルゲンの散策です。
ブリッケンも全体写真をとることができませんでしたので、ネットからのものを上に示します。PR用のためか、少し色が誇張されているようです。
例によって左は、けさの朝食です。
今の時期どの食事にもスイカは用意してありました、日本のものほど甘くはありませんがおいしくいただけました。
食後一休みした後、ブリッケン地区へ出かけました。昨夜は気がつかなかったのですが、大きく立派な世界遺産の標識が立っていました。
部屋は狭く、三角屋根の勾配が始まる、いわば屋根裏部屋で、窓も一つしかありませんが、それにも増して古いホテルの雰囲気が勝り、むしろ楽しさを感じました。
ブリッケンの広報資料より |
ブリッケンも全体写真をとることができませんでしたので、ネットからのものを上に示します。PR用のためか、少し色が誇張されているようです。
例によって左は、けさの朝食です。
今の時期どの食事にもスイカは用意してありました、日本のものほど甘くはありませんがおいしくいただけました。
食後一休みした後、ブリッケン地区へ出かけました。昨夜は気がつかなかったのですが、大きく立派な世界遺産の標識が立っていました。
ブリッケンはノルウェー語で埠頭(ふとう)の意味で、ハンザ同盟時代ドイツ人街だったこの地区に、カラフルで奥行の深い木造倉庫がならんでいます。1979年に世界遺産として登録されました。
下写真のように建物は現在も商店やレストランなどとして使用されています。
「木造建築なのと、地盤が軟らかいせいで建物全体がゆがんで、入口が斜めになってしまって、、、、でも扉は開きます。」添乗さんの説明に皆さん頷いたりカメラを構えたり、、、、
でも世界遺産なので、基本的に現状維持で修復せねばならず、また建物の構造も昔のままの伝統的な技法で修復されています。
建物はすべて奥に細長くなっています。グーグルの地図を参照しました、一目瞭然です。(左) 左下が海側、すなわち正面です。
細く長い通路をさらに奥に進むと図中に示した中庭に出ます。(右)
そして小さなレストランもありましたが、まだ開店前でした。
土産物屋さんもまだ開いていないので魚市場に行ってみることにしました。
途中見つけたマンホールの蓋です。ベルゲンらしいデザインです。
海側(正面)に出るとたくさんの椅子が並んでいます。
この椅子も上の google 写真に写っています。
魚市場近くのレストランの看板ですが、うまく雰囲気をかもしだしています。
魚市場もまだ開店前の店がほとんどです。
でも魚市場って朝早くから、、、、でもここはベルゲンです。
ようやく魚市場のお店らしい写真が撮れました。
サーモンやタラの値段が見て取れますが、これの20倍として、¥4000!ずいぶん高価です。
お土産用にはチューブに入った魚やキャビアのペーストがたくさんおいてありましたが、、、、
ブリッケンに名残を惜しむために対岸に移動しました。
あとは開店したお店で少し買い物でもして、ヘルシンキへ出発です。
細く長い通路をさらに奥に進むと図中に示した中庭に出ます。(右)
そして小さなレストランもありましたが、まだ開店前でした。
土産物屋さんもまだ開いていないので魚市場に行ってみることにしました。
途中見つけたマンホールの蓋です。ベルゲンらしいデザインです。
海側(正面)に出るとたくさんの椅子が並んでいます。
この椅子も上の google 写真に写っています。
魚市場近くのレストランの看板ですが、うまく雰囲気をかもしだしています。
魚市場もまだ開店前の店がほとんどです。
でも魚市場って朝早くから、、、、でもここはベルゲンです。
ようやく魚市場のお店らしい写真が撮れました。
サーモンやタラの値段が見て取れますが、これの20倍として、¥4000!ずいぶん高価です。
お土産用にはチューブに入った魚やキャビアのペーストがたくさんおいてありましたが、、、、
ブリッケンに名残を惜しむために対岸に移動しました。
あとは開店したお店で少し買い物でもして、ヘルシンキへ出発です。
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