いよいよ最後の国、(といっても最初に北欧へ入ったのはデンマークへの乗り継ぎではありますが、フィンランドのヘルシンキですが)フィンランドへ出発です。
ストックホルムとヘルシンキの間にはタリンクシリヤラインの巨大フェリーが就航しています。(途中オーランドに寄航)
私たちが乗船する船は「 シリヤ・シンフォニー号 」で全長203m、58,000tもある巨大船です。客室は995室あり、船客定員も2,852人を収容できますが、船種はやはりフェリーでスウェーデン籍です。
船の入口ではマスコットのムーミンがお出迎えです。ちなみにシリヤラインのシンボルはアシカのマークで、船の煙突にもかかれていました。
例によって船は17時定刻に音もなく出航です。屋上デッキに立って景色を見ていても動いていることに気がつかないほどです。
ふと壁にある時計を見て驚きました、時針が二本あるようです。目をこすって再度見ましたが、まちがいありません。さらに見ると進んでいる針にはフィンランドの国旗が、もうひとつにはスウェーデンのそれが小さくデザインされています。
わかりました!このフェリーはその2カ国専用なので、1時間の時差をそのまま表示しているのです、、、、
今回の夕食もやはりビュッフェスタイルでしたが、何せ船客が多いのでビュッフェスタンドも広く、多種類もの料理がおいてありました。
中でも好評だったのは、ワイン、ビールが飲み放題だったことです。(サーバーは左から、赤ワイン、白ワインそしてビールです)
左写真は船の中央スペースで、140mほどあろうかというプロムナードです。
ここ7階部分はショップ、レストランで左手前には白いピアノがあり、先方左ではバンドがなにか演奏していますし、そして背高人が二人散歩しています。
8階以上は客室になっていて、いわゆる海側ではない部屋の窓がたくさん見えています。
天井までは10m以上の高さがありそうでずいぶん広い感じがします。プロムナードの人も徐々に増えてきました。
遠くにディーゼルエンジンの音を夢心地に聞きながらの静かな航海でした。
朝食に出かけたのですが、昨晩に比べてずいぶん空いていました。入口では厳密にチェックしていましたので、もしかして朝食も無条件でのサービスではなかったみたいです。おかげさまで静かな時間をたっぷりと過ごせました。
ヘルシンキの港に近づくと沿岸要塞跡がいくつも見えてきました。
船の前方に港が見えてきました。
何艘もの大きな船も見えています。
ヘルシンキに到着後、私たちは大聖堂、シベリウス公園、テンペリアウキオ教会などに立ち寄り、最後にエスプラナーデ通りで散策をした後、帰国の途に着きます。
左はヘルシンキの地図ですが、① が港です。
陸側を見ると教会の尖塔が見えます、この形はおそらくドイツ教会でしょう。
港を後にしてヘルシンキ大聖堂に向かいます。
途中で古い灯船が係留してあるのを目にしました。
フィンランドは一世紀以上にわたりロシア帝国の支配を受けていますが、この大聖堂は1917年にフィンランドが独立するまでは「聖ニコラウス教会」と呼ばれていました。
大聖堂前の大広場に建つ銅像はロシア皇帝アレクサンダー2世の像ですが、かつての支配者だった皇帝の像が現存するのは彼がこの地で善政を施したことによるものとされています。
近くを走っているのは観光用の、トロッコ車両を引いた市外電車です。
なぜかバスの色も皆同じように塗ってありましたので、突然ロシア人と思われるご婦人が間違えて乗り込んでこられたのも理解できました。この広場には同じような色のバスが何台も駐車していたのです。
左はオリンピックスタジアムです。
1952年(昭和27年)、日本にとって16年ぶり(第二次世界大戦後初)の夏季オリンピックの参加となった場所です。
このときはレスリング(フリースタイル・バンタム級)の石井庄八選手が唯一金メダルを獲得してます。小さく5輪マークが見えています。
ついで私たちはシベリウス公園に行きました。
シベリウスはフィンランドの英雄的作曲家で、1900年に発表された交響詩「フィンランディア」は、愛国的な感情を呼び覚ますとされ、当時支配を受けていたロシア当局の弾圧を受けたほどです。
左上写真は金属製のパイプオルガンを思わせるモニュメント、右上写真の右下には彼の頭部像があります。
テンペリアウキオ教会は1969年にデザイン・コンペで選ばれた作品です。
氷河で削られた固い岩石を約10m掘り下げ、天井は直径24mの銅製フレームのガラスドームで囲まれた円柱状の半地下教会で、「岩の教会」とも呼ばれています。
右写真は後方の入口付近から内部を見たもので、左前方が祭壇です。
当初の計画が変更され、むき出しになった岩の壁はこの空間をより音響的に優れたものとし、今ではコンサートがしばしば開かれているとか、、、、
ということで、あとはエスプラナーデ通りでの散策です。
まずはマリメッコへ直行です。(右は入口、左上は内部)
最近日本でも良く見られるようですが、そのデザイン、色使いはマリメッコならではです。
通りにはヘラジカもいました。
ヘルシンキの老舗デパート、ストックマンです。一階のショウウインドウに50%offの張り紙が見えています、サマーバーゲン、どこも同じです、、、、
左写真はストックマンの近くの広場にあった群像です。なにか労働を象徴しているようですが、よくわかりません。
その足下でゆっくり休息している人がいます。
その後集合時間となって一路空港へ。
途中で見かけた道路建設の様子ですが、足場から何からすべてが材木で組んであり、まるでマッチ細工のようです。確かに北欧は森林と湖の国々です。
、、、、無事日本に帰ってほっとしている間にずいぶん時間が経ってしまいました。
ブログも簡単に済ますつもりが、ついつい13回も続いてしまいました、もっともいつものことですが。
今回の北欧4ヶ国の旅はこれまで以上に楽しむことができましたし、帰国してからのブログ作成でさらに楽しみました。
左写真は連れて帰ったムーミンとトロールそしてストックホルム市庁舎のブックエンドです。
こうしていられるのも日々の健康管理のおかげです、感謝、、、、そして最後までブログにお付き合いいただいた方々にも感謝です。
(完)
例によって船は17時定刻に音もなく出航です。屋上デッキに立って景色を見ていても動いていることに気がつかないほどです。
ふと壁にある時計を見て驚きました、時針が二本あるようです。目をこすって再度見ましたが、まちがいありません。さらに見ると進んでいる針にはフィンランドの国旗が、もうひとつにはスウェーデンのそれが小さくデザインされています。
わかりました!このフェリーはその2カ国専用なので、1時間の時差をそのまま表示しているのです、、、、
今回の夕食もやはりビュッフェスタイルでしたが、何せ船客が多いのでビュッフェスタンドも広く、多種類もの料理がおいてありました。
中でも好評だったのは、ワイン、ビールが飲み放題だったことです。(サーバーは左から、赤ワイン、白ワインそしてビールです)
左写真は船の中央スペースで、140mほどあろうかというプロムナードです。
ここ7階部分はショップ、レストランで左手前には白いピアノがあり、先方左ではバンドがなにか演奏していますし、そして背高人が二人散歩しています。
8階以上は客室になっていて、いわゆる海側ではない部屋の窓がたくさん見えています。
天井までは10m以上の高さがありそうでずいぶん広い感じがします。プロムナードの人も徐々に増えてきました。
ホールのステージではショーが始まっていましたが、この色彩感覚と理解できない言葉では早々に引き上げるしかありませんでした。
遠くにディーゼルエンジンの音を夢心地に聞きながらの静かな航海でした。
朝食に出かけたのですが、昨晩に比べてずいぶん空いていました。入口では厳密にチェックしていましたので、もしかして朝食も無条件でのサービスではなかったみたいです。おかげさまで静かな時間をたっぷりと過ごせました。
ヘルシンキの港に近づくと沿岸要塞跡がいくつも見えてきました。
船の前方に港が見えてきました。
何艘もの大きな船も見えています。
ヘルシンキに到着後、私たちは大聖堂、シベリウス公園、テンペリアウキオ教会などに立ち寄り、最後にエスプラナーデ通りで散策をした後、帰国の途に着きます。
左はヘルシンキの地図ですが、① が港です。
陸側を見ると教会の尖塔が見えます、この形はおそらくドイツ教会でしょう。
港を後にしてヘルシンキ大聖堂に向かいます。
途中で古い灯船が係留してあるのを目にしました。
フィンランドは一世紀以上にわたりロシア帝国の支配を受けていますが、この大聖堂は1917年にフィンランドが独立するまでは「聖ニコラウス教会」と呼ばれていました。
大聖堂前の大広場に建つ銅像はロシア皇帝アレクサンダー2世の像ですが、かつての支配者だった皇帝の像が現存するのは彼がこの地で善政を施したことによるものとされています。
近くを走っているのは観光用の、トロッコ車両を引いた市外電車です。
なぜかバスの色も皆同じように塗ってありましたので、突然ロシア人と思われるご婦人が間違えて乗り込んでこられたのも理解できました。この広場には同じような色のバスが何台も駐車していたのです。
左はオリンピックスタジアムです。
1952年(昭和27年)、日本にとって16年ぶり(第二次世界大戦後初)の夏季オリンピックの参加となった場所です。
このときはレスリング(フリースタイル・バンタム級)の石井庄八選手が唯一金メダルを獲得してます。小さく5輪マークが見えています。
ついで私たちはシベリウス公園に行きました。
シベリウスはフィンランドの英雄的作曲家で、1900年に発表された交響詩「フィンランディア」は、愛国的な感情を呼び覚ますとされ、当時支配を受けていたロシア当局の弾圧を受けたほどです。
左上写真は金属製のパイプオルガンを思わせるモニュメント、右上写真の右下には彼の頭部像があります。
テンペリアウキオ教会は1969年にデザイン・コンペで選ばれた作品です。
氷河で削られた固い岩石を約10m掘り下げ、天井は直径24mの銅製フレームのガラスドームで囲まれた円柱状の半地下教会で、「岩の教会」とも呼ばれています。
右写真は後方の入口付近から内部を見たもので、左前方が祭壇です。
当初の計画が変更され、むき出しになった岩の壁はこの空間をより音響的に優れたものとし、今ではコンサートがしばしば開かれているとか、、、、
ということで、あとはエスプラナーデ通りでの散策です。
ヘルシンキ中心部にあるエスプラナーデ通りは、フィンランドを代表するマリメッコなどのデザインショップや、ストックマンなどの老舗大型デパートなどが連なる一大ショッピングスポットなのです。
まずはマリメッコへ直行です。(右は入口、左上は内部)
最近日本でも良く見られるようですが、そのデザイン、色使いはマリメッコならではです。
通りにはヘラジカもいました。
ヘルシンキの老舗デパート、ストックマンです。一階のショウウインドウに50%offの張り紙が見えています、サマーバーゲン、どこも同じです、、、、
左写真はストックマンの近くの広場にあった群像です。なにか労働を象徴しているようですが、よくわかりません。
その足下でゆっくり休息している人がいます。
その後集合時間となって一路空港へ。
途中で見かけた道路建設の様子ですが、足場から何からすべてが材木で組んであり、まるでマッチ細工のようです。確かに北欧は森林と湖の国々です。
、、、、無事日本に帰ってほっとしている間にずいぶん時間が経ってしまいました。
ブログも簡単に済ますつもりが、ついつい13回も続いてしまいました、もっともいつものことですが。
今回の北欧4ヶ国の旅はこれまで以上に楽しむことができましたし、帰国してからのブログ作成でさらに楽しみました。
左写真は連れて帰ったムーミンとトロールそしてストックホルム市庁舎のブックエンドです。
こうしていられるのも日々の健康管理のおかげです、感謝、、、、そして最後までブログにお付き合いいただいた方々にも感謝です。
(完)
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