2014年12月31日水曜日

2015 新年のご挨拶

 
 新年明けましておめでとうございます。

 本年もよろしくお願いいたします。

 はやいもので、また1年が経過し、新しい年がやってきました。
 幸いにも旧年中も何事もなく無事に過ごすことができ、皆様にも感謝いたしております。

 左は今年の松飾で、例によって手作りです。種明かしをすれば、注連縄(しめなわ)は百均、裏白は農協で調達です。

 そのほかのダイダイ(代々に通ずる)、マンリョウ(万両)は自家製、松は朝の散歩道、、、、多少手抜きのそしりもありますが、まあシンプルでよしとしましょう。
 ミズヒキは紅白の左右に惑いますが、白は神に通ずる色で最も高貴なので前から見て左、、、、と確認しました。

 御鏡餅は百均注連縄の付属品をそのまま使って、ハイ出来上がりです。(右上)

 ナンテンも今回は天候不順で小さくなりましたが、きれいな赤で華やかさを演出してくれています。

 この赤い実は「難を転ずる」ことから縁起物として飾られますが、一方、ことしは昨年末の降雪にも負けず、その「雪中花」の別名そのままに白いスイセンの花がたくさん咲きそろって馥郁たる香りを放ってくれています。

 昨年はブログのカウントも50、000件を超え、ひとつの区切りではありましたが、今年も更なる継続を努力していく覚悟です。

 写真は昨年登場した木製のアヒルをバックにスナフキン( Snusmumriken )と ミイ( Lilla My )のツーショットです。
 今年もムーミン谷の仲間たちのようになかよく、健康にすごしていきたいと思います。

 もちろん皆様におかれましても、健康で幸ある年でありますように !!!

2014年12月23日火曜日

FMV-D5290 を改造 ( IDE ドライブを使う)

 家人のパソコンがおかしくなったようです。
 今使っているのは Intel Atom (CPU)を搭載したパソコンで、私が組み上げてからもう6年ほど経過しています。この CPU は大幅な省エネ設計がされており、小さなシステムにはうってつけ、、、、と大いに話題をさらったものです。もちろんOSは Windows XP でいまではサポートもありません。

 そんなわけで、家人には小型軽量で私のお気に入りサブシステムである HP compaq 6005 を使ってもらうことにしました。 勿論OSは Windows 7 です。

 一方で私のサブシステムを補完する必要が出てきました。いつも私が使うパソコン屋さんをウェブでチェックしたらタイムリーな出物がありました。
 上写真に示した FMV-D5290(富士通)です。形は不恰好で少々古い感じはしますが、CPUに Intel の Core2Duo E7500 2.93GHz を搭載しており、まだまだ現役で使えそうです。当然のことながら  Windows 7 pro がプリインストールされており、メモリーも 2GB ついています。
 ただ、キーボードとマウスが付属していないとありましたが、それらは手持ちに何組もありますので問題はまったくありません、ということで¥8kを下回る価格で入手することができました。

 我が家にやってきた実機を早速チェックしてみましたが、大変に綺麗で特に問題はありませんでした。

 カバーをあけてみましたが(右)、さすがにプロ仕様(このモデルは企業向け)だけあって手抜きもなくがっちり作られています。どこかの会社がリースの切り替え時に大量放出したものなのでしょう。マザーボードなども綺麗に掃除がしてあってホコリひとつありません。

 冒頭の写真の後面に見られるように RS-232C とプリンターポートのレガシーポート、そして PCI スロットも2本ついており、趣味でいろいろ使うには、多少遅いことを除けば十分満足できます。

 しかしながらマザーボードを見ていて(左)気がつきました、「IDE接続用のコネクターがない!!!」

 けれどもよく観察すると右のように、コネクター・ピンを取り付けるようにはなっています。
 そこで念のためコンピュータの立ち上がり時にファンクションキー・F2を押してBIOSをチェックしてみました。(下)
 一番下に IDE Port  None とあるのがそれです。もしかしてコネクター・ピンを取り付ければうまくいくかもしれません。

 IDEとは Integrated Drive Electronics の略でハードディスクドライブやCD・DVDドライブのインターフェース規格で40ピンのケーブルを使うことが通常です。しかし最近(2010以降)ではほとんどSATA( Serial ATA )
に変わってきています。

 本機も製造が 2010/03 となっていましたので、基本的にはSATAをつかうこととしてIDEコネクターの搭載をやめたのでしょう。
 でも私のように長年パソコンを趣味で使ってきたものにとって所有しているハードディスクの半数はまだIDEですので接続の可否は大きな問題です。


 上写真はおなじ Hitachi の3.5インチ・ハードディスクを上下に積み重ねたもので、上側がIDE、下側がSATAのインターフェースをそれぞれ持っていますが、信号ピンは上が40ピン、下は中央部の7ピンです。

 さっそく作業にかかりますが、左上のような道具と材料が必要です、すなわち半田ゴテ、半田吸取り器、半田吸取り網線、そして取り付けるピン( 1/10インチピッチ・2列)です。

 この作業は慣れ、感、そして忍耐が必要で、なおかつ最悪マザーボード破損というリスクを伴います、ご注意!!



 ようやくにして完成です。(右上)

 本機に搭載されていたCD・DVDドライブ(SATA)はDVD・ROMでしたので、DVDにも書き込みができる手持ちのドライブ(IDE)につけ換えたのが左写真です。

 さっそくBIOSでチェックしました。

 一番下の IDE Port のところにCD・DVDドライブが認識されました、さらにメディアを入れてのチェックもOKです。

 こんな些細なことですが、うまくいったときには思わずニコニコとしてしまいます。

2014年12月10日水曜日

ラジオの製作(3) LMF501T による現代の鉱石ラジオ

 前回のブログからしばらく経っていますが、第3回です

 私のラジオ作りはおよそ60年以上前の小学生中学年にまで遡ります。初めて作ったのはご他聞にもれず鉱石ラジオでしたが、これが現在に至るいくつかの趣味の原点です。

 順次アップするならまずは鉱石ラジオからといきたいのですが、なにせ鉱石ラジオは奥が深く?!もう少し暖めてからということで今回は現代の鉱石ラジオと銘打って LMF501T という3端子ICと使ったラジオを作ってみました。

 LMF501T というICは外見は通常の樹脂モールドのトランジスタとおなじです(右写真左 TO-92Aパッケージ)がその内部にはぎっしりと回路が詰まっています

 下にメーカー資料からの抜粋を示しますが、初段にLC共振回路のQを下げないように高インピーダンス入力回路を持ち、さらに3段の高周波増幅アンプについで検波回路もあり、出力は低周波音声信号です。 

メーカー(ミツミ)の資料から

 さらに軽微なAGCも備えており、電源電圧は1.5VでOKという優れものです。値段も安く1本¥50程で入手できます。

 誰もが気軽に少ない部品でラジオを作ることができるということで「現代の鉱石ラジオ」としたわけです。

 では早速ラジオを作ってみましょう。
メーカー(ミツミ)の資料から

 メーカーの資料に参考回路がありました(右)のであらかじめ実験してみました。
 しかしながら LMF501T からの音声信号をこのトランジスタ出力回路でスピーカーを鳴らすには、煩雑で少し無理があるようで、前回のブログでお世話になった低電圧パワーアンプIC( HT82V739 )のお世話になることにしました。

 この LMF501T を使ったラジオの記事はインターネット上にたくさんあり、先輩諸氏の記事を大いに参考にさせていただきました。

 いろいろ考慮の結果、最終的に左の回路を作り上げました。


 LC同調回路は短いバーアンテナと270P程度のポリバリコンの組み合わせで、特にタップダウンもせず、そのまま LMF501T の3番ピン(入力)に0.01μFを経由してつないでいるだけです。私はNHK第1しか聴くつもりがありませんので、この地域ではこれで十分な性能が出ています。

 低電圧パワーアンプIC( HT82V739 )はやはり3V供給が適当ですので、赤のLEDによって1.5V程度の定電圧を得たものを2kΩの抵抗(この抵抗は感度に効きます)で LMF501T に供給しています。

 右写真はブレッド・ボード上に主な部品を配置しているところです。右から、バーアンテナ、ポリバリコン、SWつきボリューム、そして左端がスピーカー・ジャックです。

 スピーカーは古いパソコン用のものを利用するので、接続用のスピーカー・ジャックが必要となります。もちろんボリュームを絞って、ここにイヤフォーンを接続して使うこともできます。

 そして完成したのが冒頭の写真です。当初は適当なケースに入れることも考えたのですが、こうしてブレッドボードの上に組み立てて使っていると、何かまた創作意欲が刺激されるような気がします、、、、

2014年12月7日日曜日

ピンポ~ンが聞こえない (VOXコントロールのパワーアンプ増設)

 左写真は Panasonic テレビドアホンで、もうかれこれ10年近く前に以前からあった呼び鈴の替わりに、セットを購入して日曜大工で設置したものです。
 左が室内にある親機で、右が門についているテレビカメラつきの子機です。

 以降故障もなく現在まで日々便利に使っています。しかしながら来訪者を知らせる「ピンポ~ン♪」は親機から発せられますので離れた場所ではよく聞き取れず、まして少し耳が遠くなってきたこのごろではなおさらです。

 幸いこの機種にはピンポ~ン♪」音を離れた場所で聞くためのモニタースピーカーを増設する端子を持っていますので早速ありあわせの小型スピーカーボックスを取り付けました。(右)

 ところがこのスピーカーのインピーダンスが合っていないのか、効率が悪いのか音が小さく本来の目的を達することなくしばらく時が経ってしまいました。

 最近になって別用途(これも電子工作)で使うための低電圧パワーアンプICを調べていて突如アイデアがひらめきました。

 動作について説明しますと、親機からのピンポ~ン♪」音は左下の入力端子から入ってきます。
 この信号を左側のマイクロチップ( Attiny13A )が24時間眠らずに!チェックしていますので、信号が入ったら3番ピンをHレベルからLレベルにすることでハイサイドスイッチの pMOS_FET をオンにし、右側の低電圧パワーアンプ( HT82V739 )へ3Vの電源を供給します。
 この瞬間にスピーカーから大きな音でピンポ~ン♪」と鳴るのです。述べてきた手順は実際には0.1秒以下で行われますので、ピンポ~ン♪」音のピの頭部分がほんの少し(0.1秒以下)削られますが実際に聞いてみた感じではほとんど判別はできませんでした、大成功です!!! この方法はVOX( voice control )と呼ばれています)

 Attiny13A は3V電源の場合消費電流は1mA以下(実測)ですので24時間稼動でも電池の消耗はほとんど無視できますし、HT82V739 は瞬間的には400mA程度消費するとは言うもののピンポ~ン♪」音を鳴らすときのみで、5秒後には電源OFFになるようにしてありますので電源に単1乾電池(マンガンがベター)2個を使えば1~2年は持続することでしょう。

 右はベークライト基板の端切れに回路を組み込んだところです。左側の Attiny13A はプログラムを更新する際に取り外せるようにソケットに装着されています。とはいってもメモリーは1kバイトしかありませんのであまり自由度はありません。

  左は個々の部品を結線したところで、これからスピーカーボックスの中に押し込むところです。

 ソフトウエアーは Arduino IDE を使いました。もっとも Attiny13A を Arduino IDE で使うには相応の努力が必要ですが、、、、
 私流でかなりいい加減ですが、スケッチを挙げておきます。
int hiside_sw = 4;
void setup() {                
  pinMode( hiside_sw, OUTPUT );     
}
void loop() {
 int sensorValue = 0;
 for ( int i=0; i < 10; i++){ sensorValue = sensorValue + analogRead(A3); delay(5);}  
   if (sensorValue >= 20){ digitalWrite( hiside_sw, LOW );delay(5000);}
   else{ digitalWrite( hiside_sw, HIGH );}
}

 ということで急ぎ取り付け、門に回ってボタンを押してみると、大きな音で ピンポ~ンが聞こえました!!!!

2014年11月23日日曜日

灰色の脳細胞

 先日、友人たちと親しく歓談していたときに「灰色の脳細胞」ってなんだろう?ということに話題が進みました。

 そうです、あのアガサクリスティーの小説に登場する名探偵エルキュール・ポアロがよく使う台詞に出てきます。
 私は彼女の小説こそ読んでいませんが、大のポアロフアンで、ことにドラマ、映画はほとんど見ていますし、中には何回目かのものもあります。

 最初は字幕版でしたが、最近は吹き替えかつディジタルリマスター版できれいな画面をストレスなく観ることができるようになりました。

 「灰色の脳細胞」の話に戻りますが、右図は脳を上から見た断面の一部の略図です。脳の表面に近いところにあるのが灰白質( Grey matter )で神経細胞の集まっている部分です。

 そのさらに中央に近いところにある白質( White matter )は神経細胞から伸びている神経線維の集まりです。
 したがってポアロが「灰色の脳細胞」(原文では little grey cells )といっているのは医学的にも正しいといえますし、日本語訳も妥当でしょう。

 エルキュール・ポアロ( Hercule Poirot )はイギリスのミステリー作家であるアガサクリスティー( Agatha Christie )の小説に登場する架空のベルギー人の名探偵です。
 劇中、ベルギーといってもフランス語圏の出身なので、名前のポアロ( Poirot )をイギリス人が発音できないのもお定まりのシーンですし、あのギリシャ神話にちなんだヘラクレスという名前のフランス語綴りのエルキュール( Hercule )を身長163cmの彼につけたのもやはりジョークなのでしょう。
 
 


 前述したように、私が好んで接するドラマシリーズは「名探偵ポワロ」(原題 Agatha Christie's Poirot )で、1989~2013年にわたって制作された全70巻です。(つい最近、最終回の「カーテン」が放映され、ポアロは永の眠りにつきました。)

 ポアロの年齢は最初に登場したスタイルズ荘の怪事件(1920年)の時点で60歳半ばなので、最後のカーテン(1975年)では120歳???

 ポアロが登場する映像の中でポアロを演じた俳優には、アルバート・フィニーピーター・ユスチノフそしてデビッド・スーシェ3名が挙げられると思います。

 アルバート・フィニーは「オリエント急行殺人事件」(1978 英)のみでしたが、あっと驚くような主役級の著名な出演者をずらりと並べて見せてくれたのには驚いたものです。この映画は私がポアロに初めて出会った映画です。またピーター・ユスチノフは「ナイル殺人事件」「地中海殺人事件」で出色でした。

 そしてドラマシリーズ「名探偵ポワロ」はもちろんあのデビッド・スーシェ( David Suchet )が4267歳の長きにわたって演じています。もちろん日本語吹き替え版の声優である熊倉一雄氏(62~87歳)も決して忘れられない存在です。

 ドラマにおいては原作の小説では出番の少ないジャップ警部やヘイスティングス大尉をほぼレギュラー並みに配し変化をつけていますし、もう一方のドラマ「シャーロックホームズ・シリーズ」とも張り合うような部分もあり楽しめます。

 そしてなりよりも楽しみなのは、映像で表現されるイギリスの時代考証です。私の見る限りではずいぶん細部にまでこだわっており、小は部屋の装飾品に始まり、自動車や列車は云うに及ばず町並み、宮殿にいたるまで何度見ても新しい発見があります、、、、ということでそろそろ灰色の脳細胞も徐々に休み始めています。

オヤスミナサイ、モナミ~

2014年11月10日月曜日

荘厳ミサ曲とスペイン料理

 親しい友人の奥様がステージに登られるということでお招きをいただきました。(左)

 今回は「名古屋市民コーラス」の創立55周年記念演奏会ということでベートーヴェンの「荘厳ミサ曲 ニ長調 Op.123 」が演奏されました。
 ミサ・ソレムニス(Missa solemnis)ともいいます。

 流石にこの合唱団は伝統と実力を誇るだけあって、今回の出演者は約220名と大人数でかつ、女声男声の人員比が2:1とほぼ理想的でありました。
 このような混声合唱団はめったにおめにかかれるものではありません、本番が楽しみです。 

 くわえて

  指揮:山下 一史
  管弦楽:名古屋フィルハーモニー交響楽団
    ヴァイオリン・ソロ:田野倉 雅秋
  ソリスト:ソプラノ 金原 聡子
       アルト  相可 佐代子
       テナー  中井 亮一
       バス   伊藤 貴之
 といった構成はなかなかのものでした。

 会場は金山総合駅から徒歩5分の「日本特殊陶業市民会館」(正式名は名古屋市民会館だが日本特殊陶業が命名権を得ている)の大ホール(フォレストホール)でした。(右上写真)









 演奏に先立って指揮者の山下一史氏がプレトークをしてくれました。

 この荘厳ミサ曲は、もともとベートーヴェンにとって唯一の作曲の弟子で、かつ友人・パトロンであったルードルフ大公の大司教昇任式典における戴冠式に演奏する予定で着手されました。しかしながら式典の行われた1820年には完成せず、ルードルフ大公にこの曲が献呈されたのは1823年とされています。

 あの「第9」が彼自らの手で初演されたのが1824年ですので、この時期当然聴力はなく、3年後には歿することになるのでまさに最晩年の時期に作曲されたものといえましょう。
 ミサ曲は本来、教会の式典と調和すべきものでしたが、徐々に楽曲の一分野として発展していき、この「荘厳ミサ曲」にいたっては彼なりの思想と宗教観に満ちたものと思われます。

 休息なしで約1時間30分にもわたる250人の演奏は圧倒的なパワーですばらしいものでした。そのようななか、Sanctusでのヴァイオリン・ソロも印象的でした。
 写真は演奏を終えてオーケストラについで退場する合唱団のみなさんです。(演奏中の撮影はできませんので、ステージの規模をイメージするために挙げました)


 せっかくの機会、、、、ということで友人ご夫妻と夕食を摂りました。場所はあらかじめ友人が予約しておいてくれた近くのスペイン料理店です。
 ミシュランで2つ星を獲得したスペインの名店「Zuberoa(スベロア)」で副料理長として腕を振るったシェフを招請し、バスク・スペイン料理を売りにしているとか、、、、

 バスクスタイルの味付けや素材の組合せによるピンチョスです。
(右)

 そしてこちら(左)はいろいろなハムの盛り合わせ、もちろんイベリコも、、、、
 でも運転手はアルコールなし!残念!!


 幾種類かの後、最後はやはりパエリアです。
 もうこのころにはおなかは「too enough !!」


 久しぶりに聴いた大音楽とおいしく・十分なスペイン料理で大満足な一日でした。

2014年11月4日火曜日

NiH電池(HHR-P104)用 充・放電器の製作


 この記事には改訂版があります。2015年3月NiH電池(HHR-P104)用 充・放電器の製作(改訂版)
 いまさらNiH(ニッケル水素)電池でもないですが、先日秋葉原の秋○から左写真のようなパッケージ電池( Panasonic 3.6V830mAh )を入手しました。
 自宅のPanasonic製電話の子機を調べてみたら同じ形状でもう少し小さいもの(3.6V650mAh)が装着されていたので、これもおそらく電話の子機用なのでしょう。

 一流メーカー?品で素性もしっかりしていそうなので実験などに使ってみようと思いました。
 ということは充放電器が必要で、それも3.6V用は手持ちにありませんので、必然製作となるのは当然の成り行きです。

 蛇足ながら、この手の2次電池(充電して何度も使う電池)の分野では日本は世界を牽引しています。これらのNiH電池はもとより最近のリチウム電池も然りで、これらの技術がなかったら世界に誇りうるハイブリッド車は存在しなかったことでしょう。

 さっそく充放電器の設計に入ります。
 順序として、まずは充電ですが、右上に示すように電池の端子電圧は使用につれてなだらかに低下し、さらに使い続けると、あるところから急激に低下します。
 また使用途中で充電するとNiH電池といえども性能を低下させるメモリー効果が出てしまいます。

 そこで今回の充放電器は最初にどのような端子電圧であろうと右上に示した2.7Vまで一様かつ強制的に放電させてから充電に移るシークェンスとしました。

 充電は一般的には1/10C(この電池の場合83mA)ですることが多く、左図のように端子電圧が4.2Vになった時点で終了とします。

 このような制御とくれば当然マイクロチップの登場で、例のごとくわたしはAVR(今回は ATmega 8 )をつかいました。

 右に主要部の回路を示します。
 今回は充電、放電、それぞれのスイッチにFETを使ってみました。
 上半分が充電部、下半分が放電部です。
 
 最初に Battery voltage とある端子から電池の有無、電圧をAVRのアナログポートを使って読み込みます。
 電池電圧があれば(電池が装着されていれば)スタートボタンを押します。
 すると Discharge 端子にAVRから5Vの電圧が送られ、下側の n-FET がONになり、電池電流は50Ωの抵抗を経由してグランドに放電されます。
 50Ωのとき放電電流は初期:80mA、放電停止時:54mAとなります。

 Battery voltage 端子が2.7VになるとAVRはDischarge 端子を0Vとし、次いで Charge 端子を0Vから5Vにします。
 これによって上側の p-FET がトランジスタ経由でONとなり、充電電流はAZ1117H-adj による定電流回路ををとおり充電が始まります。なおここで使用している20オームは定電流値を約63mAとします。

 あとは Battery voltage 端子が4.2Vになったとき電源をOFFにして完了となります。

 今回の製作のこだわりは最近多くなってきた小型素子を使ってみることで、FET、トランジスタにチップサイズを使ってみました。チップFETは1A程度は問題なく、ON抵抗も小さいので発熱も問題ないと判断しました。

 左は部品を基板にハンダ付けしているところですが、ピンセットの先にあるチップFETがわかるでしょうか。
 半導体は産業の米といわれたものですがまさに米粒並です。(基板の穴と穴の間は2.54mm)

 今回はケースについても薄型にこだわってみました。無印で見つけた半透明の樹脂製です。


 まだケースの表面パネルと裏蓋がつけてありませんが、とりあえず試験中の写真を挙げておきます。
 バックライトつきの液晶がいい感じです。電池は2個搭載でき、液晶は1:、2:の2個充電中で、電池の端子電圧はともに3.74Vであることを示しています。緑色のLEDも充電中であることを示していますが、完了時には点滅に変わります。
 右側の緑ボタンはスタート、左側の赤ボタンはリセットです。

ここまでのまとめとしては、
 動作、取り扱いなどは問題なく快適です。
 ただし、2個同時に処理すると150mA以上の電流が流れるので発熱が少し多いようで今後熱対策に手を入れる必要があるようです。

2014年10月29日水曜日

仲間たちと「喜一郎と仲間たち」へ

 あの豊田佐吉翁の子息にしてトヨタ自動車の創始者である豊田喜一郎氏生誕120周年行事のひとつとして「喜一郎と仲間たち」と銘打った特別見学ツアーへの参加をあらかじめ申し込んでいましたので、つい先日友人たちと出かけてきました。

 幸い当日は天候に恵まれ晴天の心地よい一日でした。
 豊田鞍ヶ池記念館への集合時間は10時ということでしたので、少し早めに出かけて併設のアートサロンに立ち寄ってみました。

 展示内容は「日本の美・伝統と近代」と称した日本画の特集でした。










 主な出品作家は
川合玉堂 「深山抄秋」(左)、
小林古径 「菊花白猫」(下)


上村松園 「つれづれ」(下)のほか、片岡球子、前田青邨、山本丘人など見ごたえのある作品が展示してありました。

 ここ鞍ヶ池アートサロンは展示作品数はせいぜい20点程度と多くはありませんが、3ヶ月ごとに替わる展示作品のどれもがすばらしく、しかも入場無料でゆっくりと楽しむことができるのです。





 定刻となって集合したのは約20名でそれこそ老若男女幅広い年齢層です。記念館の館長さんはじめ皆さんが手分けして熱心にガイド役を務めてくださいました。

 トヨタの歴史はまずこれから、、、、ということで、左は明治29年(1896豊田佐吉翁の発明になる木鉄混製豊田動力織機で、一通りの説明を受けてからの実演です
 ガッシャンガッシャンと大きな音を立てて見事に往年の勇姿を見せてくれました。

つづいては大正13年(1924)に発明された無停止杼換式豊田自動織機(G型)です。前述の織機に比べると重厚な鉄製のフレームを持ったこの機械は格段に工業機械としての進化が見られるようです。
 なにせ横糸を紡ぐ飛び杼(とびひ)さえも糸がなくなった瞬間に新しいものに自動交換でき、縦糸も途中で切断すれば、直ちに機械が停止するようになっています。これらによって職工は一人で40台もの織機を受け持つことができたとか、、、、

 この織機の特許を英国のプラット社に売却し、自動車事業の基金とした逸話はあまりにも有名です。

 次に虹を架けた男たち ・ 豊田喜一郎、夢への挑戦」というビデオで喜一郎氏の創業期における取り組みやエピソードを学びました。 (左)



 そしてここで副館長さんの登場です。
 大柄な身体全体を使い、汗を拭き拭きの熱い説明には参加者全員拍手ものでした。

 右写真は館内説明の最初ですが、ここに展示されていた喜一郎氏の東大時代のノートを見てびっくり、詳細に整った文字でビッシリと挿絵つきで書き込まれていました。それも何冊もあるノートすべてに、、、、

 館内はひろく、かいつまんだ説明が終わった時点では1時間の予定時間をかなり超過していました。

 左の黄色の車は昭和11年(1936)に発売されたトヨタ初の生産型乗用車「トヨダAA型乗用車」です、トヨダで間違いではありません。奥に見えるブルーはトヨペットクラウン(RS型)で昭和30年(1955)に発売されましたが、これ以降日本にも国産乗用車時代が始まりました。

  さて今回のメニューの最大にして最後は、旧豊田喜一郎邸の見学です。この建物は昭和年(1933)に喜一郎氏が名古屋市郊外の八事・南山に建てたものをこの地に移築したものです。

 いつもは外側のみの見学ですが、今回は内部に入っての見学でこのような機会はめったにありません。
 しかしながら残念なことに、内部の撮影はプライバシーを理由に許可されませんでしたのでここには掲載できませんでした。

 内部も同様に、当時の和洋折衷のつくりはなかなかモダンで、センスがよく、明るく軽快な感じがしましたが、この建物は本来別邸として建てられたということでなんとなくわかるような気がします。

 右上の写真は斜面に建てられた家の最下点から観たもので、2階建てプラス地下部分とでもいったところです。右側部分は本体直結の温室です。
 こちらの写真が1階東側で、玄関は北側にあります。

 あっというまに予定の時間を過ぎてしまいました。
 そろそろお昼時なのですが、天気もよいので少し足を伸ばして、五平餅を味わうべくドライブとしゃれこみました。

 ようやく草鞋のように大きな五平餅にありつきました。
 あまりの空腹に耐えかねてか、左上の一本にはすでに一口食べた歯形が、、、、

 帰路の途中、思い立って松平東照宮に寄り道することにしました。

 このあたりはすでに秋に向かってまっしぐらのようです。




 秋によく見られる赤いミズヒキ(ミズヒキソウは俗称)とヤブランの緑色の実が面白い色の取り合わせを見せています。
 


 おもしろいものを見つけました。

 左下の紫色の実はムラサキシキブといいますが、白い実のほうはなんとシロシキブといいます、、、、ホントウです。





  
 辺りを見回しても他に花はあまり見かけませんでしたが、ツワブキだけは今が真っ盛りでした。






 この時期きれいな花ですが、何か物寂しさも感じます。
花言葉は 「愛よ甦れ・謙譲・困難に負けない」などと多様ですが、内面は強いということでしょうか。

 食欲の秋、、、、ではありませんが、あの伽羅蕗(キャラブキ)はこのツワブキを煮てつくったものです。

 あれこれ話が迷走してしまいましたが、とはいうものの楽しい秋の一日を過ごすことができました。