2017年2月21日火曜日

流氷・丹頂・カシオペア (3)

 約215kmを走行してバスは夕刻に阿寒湖畔のホテルに到着しました。

 このホテルの広いロビーはアイヌの生活やクマなどの動物などをテーマとした彫刻家藤戸竹喜氏の作品が所狭しと展示してありました。




 称してロビーギャラリー「イランカラプテ」(アイヌ語でこんにちは)
 それぞれの彫刻は木彫りで、精緻に彫られており、迫力満点です。




 今夜は「阿寒氷上フェスティバル」が開催中とのことで食後に出かけようと決めました、楽しみです。

 この時点で阿寒湖は完全結氷しており、雪で踏み固められた湖までの路も滑りやすく、また寒さ対策でぽってりと着込んでのヨチヨチあるきはペンギンの集団移動よろしくホテルの案内人のあとを行列して進みました。

 阿寒氷上フェスティバルの会場では大きなシマフクロウの雪像があり雰囲気を盛り上げていました。この像は村の守り神とされているコタンコロカムイのようです。

 このあたりではシマフクロウのカムイへの信仰が篤いですが、もっと南に向かうとクマのカムイへの信仰が篤くなるとか、、、、

 アイヌ男性による火の儀式などあり、フィナーレは打上花火です。規模は大きくはありませんでしたが、澄んだ空に開く花火は美しいものでした。

 会場アナウンスが「現在の気温はマイナス14℃」と告げていましたが体感はそれほどでもありませんでした。


 花火が終わった後の空には北斗七星が大きく見えていました、そしてカシオペアも

 ホテルへの帰り道、阿寒湖温泉街の目抜き通りです。私たちの目の前で若い女性が空中で一回転するようにスッテンコロリ、何事も無かったようで、、、、よかった。

 翌朝ホテルのレストランから阿寒湖越しに雄阿寒岳を眺めつつ朝食です。

 このあたりの地形を整理すると下地図のようになりますが、右写真はホテルから矢印方向を観ています。

 白い長円で囲まれた部分は阿寒カルデラと言われ更新世中期(約50万年前)に大きな火山活動ののち陥没によって形成されたもの外輪山をたどる長径20km短径13kmの長円形になります。

 このカルデラは後にできた雄阿寒岳(1,370 m)、雌阿寒岳(1,499m 日本百名山)などにより埋められたようで、こうしてみると特別天然記念物のマリモで知られる阿寒湖もかつてはもっと大きかったかもしれませんが、今ではなんとなく窮屈そうです。

 朝日を浴びた雄阿寒岳です、きれいな山ですが、日本百名山には入っていません。
 従来休火山とされていましたが近年の見直しで今では活火山です。

 一方の雌阿寒岳は後方にあり、この場所からは同時に見られません、こちらは今でも噴煙を上げている活火山です。
 
 写真中ほどの桟橋の向こうに色とりどりの小さなテントがたくさん見えていますが、ワカサギ釣りのテントです。

 今日は阿寒湖-釧路をバス、釧路-札幌をJR、そして札幌からカシオペアと長距離を移動しますので出発は少しはやめの8時です。

 昨晩はマイナス18℃まで冷え込んだとかで、途中たくさんの樹氷が車窓から見えました。
 朝日にキラキラと輝く景色は初めて見る私たちにとっては別世界のようでみな口々に歓声をあげていました。


 途中タンチョウを観るために鶴居村に立ち寄ることになっていますがその途中、広く真っ白な雪原の彼方に雄阿寒岳が見えていました。
 このような雪原はいたるところに見られます。



 これらの雪原には動物の足跡があちこちに見られました、右写真は車窓からたまたま観たエゾシカと思われる道路の近くの足跡です。

 ほかにキタキツネやウサギの足跡などを昔よく読んだお気に入りの「シートン動物記」をおもい出しながら推察しました。これもまた楽しいひとときでしたが残念なことに今回は動物たちを一度も見ることができませんでした。


 今の季節、200羽以上集まると言うことで期待に胸ときめかせて鶴居村に到着しましたが、村の名前に反し鶴見台には一羽も飛来していませんでした。
 言い訳では給餌時間は朝と午後の2回ですが、今朝は寒かったので出勤が遅いのだろうとのことです。


 バスの運転手さんが気を利かせて、往路チラと見えた川岸のタンチョウを再度戻って見せてくれたのが左写真です。



 これも釧路駅に急ぐ途中で立ち寄った、釧路湿原北斗展望台からの景色です。

 釧路湿原は釧路平野にある日本最大の湿原で、シーズンには遊歩道を歩いたりカヌーによる川下りで湿原の観察ができるそうで是非訪れてみたい場所です。

 釧路駅からは「スーパーおおぞら6号」で約4時間かけて根室本線-石勝線で札幌に向かいます。 見難いですが先頭車両のヘッド・マークには2羽のタンチョウが舞っています。

 このあといよいよカシオペア、、、、

   ―― つづく 

2017年2月15日水曜日

流氷・丹頂・カシオペア (2)

 さて一夜明けて今日は左地図の右上、ウトロから網走港へそして阿寒湖に向かいます。

 ここ知床と言えば森繁久彌が作詞・作曲を手がけた「知床旅情」が知られていますが、これは1960年、ウトロと隣り合う当時の羅臼村に長期滞在して制作された映画「地の涯に生きるもの」の打ち上げの際、羅臼の人々の前で「さらば羅臼よ」という曲名で初めて披露されたといわれています。

 下のパノラマ写真は朝起きて、ホテルの窓から目に飛び込んできた景色ですが、手前のウトロ漁港から遥か沖合いまで流氷ですべて真っ白に埋め尽くされています。
 
 左にあるお椀を伏せたような岩が「オロンコ岩」、その右が三角岩です。

 積雪で危険だと言うことで行きませんでしたが三角岩の前には前述の「知床旅情」の歌碑があるそうです。


 ホテルを出発して程なく「オシンコシンの滝」に立ち寄りました。
 オシンコシンは滝が2本あるのではなく、「川下にエゾマツが群生するところ」を意味するアイヌ語名前の由来で、落差50m、滝幅30mある日本の滝百選の一つですがなにせ厳寒の折流れているだけでも良しとしましょう。
 近くの売店の温度計はマイナス5℃を示していましたが朝にしては暖かい、、、、




 昨日来た知床国道(334号線)を西へ網走に向け走行中車窓右側に接岸したばかりの流氷を観ることが出来ました。

 よく観ると小さな氷片と海水が混在しているのがわかります、これらが徐々に厚い氷になり一面の氷原になるのも間近なのでしょう。


 沖合いの流氷原に曇天の雲の切れ間から一条の陽が差しています。

 景色もきれいですが、天気予報どおり好天に向かっているようで気持ちも晴れやかになってきました。




 網走港の近くまで来たときに突然バスが停車しました、前方左手奥に国の天然記念物オジロワシがいるということです。

 かなりの距離を置いてですが、黄色いくちばし、所々ある白い羽などたしかにオジロワシのようです。体長70-100cm、翼幅180-240cmそして体重3-7kgとかなり大きな鳥ですが、冬季になると集団で休息する事もある、とかでまさにそのシーンなのでしょう。


 網走港に着きました。写真は私たちが乗船する流氷観光砕氷船オーロラ号で、この船は当初から観光目的の砕氷船として建造されたものであり世界でも珍しいとのことです。

 砕氷方式は船の自重によるもので能力は80cmです。



 オホーツク海の流氷は、アムール川から流れ込んで塩分が低くなった海水が凍り、凍る過程で塩分が排出されたものだといわれています。

 流氷には植物プランクトンが付着しており、春になるとこの植物プランクトンは一気に増殖し、これを餌に動物性プランクトンもまた増えオホーツク海の漁場を豊かにするのです。  

 沿岸に流氷の接岸が確認できたそのシーズンの最初の日を「流氷接岸初日」といわれますが今年の知床での流氷接岸初日」は私たちの到着とほぼ同時だったようです。


 われらのオーロラ号は沖合いの流氷目指してどんどん近づいていきます。

 流氷帯に近くなると右写真のように海面がまだら模様になり、その中にたくさんの小さな氷片が浮いているのがわかりました。



 そろそろ接氷かと思うまもなく、ズンと小さな衝撃が船体に走り、ついでゴリゴリゴリという連続音に変わりましたが、船は何事も無かったように前進をつづけます。

 1階席にいた私たちも急ぎデッキに移動しました。

 目の前を砕かれた氷が次々と流れていきます。乗客は皆この珍しい体験に少々興奮気味で、それぞれ感嘆の声を上げていました。

 氷は直径2~5mの大きさに砕かれ、中には上下反転して裏側を上にするものもありました。
 流氷の表側は積雪のため真っ白できれいですが、裏側はたしかに藻類などで少し汚れた色が見られました。

 アッパーデッキを船尾へ移動してみました。

 網走港を出発して約30分ほど経ったでしょうかそろそろ帰港のために反転が始まったようで、航跡が弧を描いています。

 真っ白な流氷原の中に緑の航跡、翻る日の丸の旗、晴れ間の見える空そして遠く網走の地が望めます。



 流氷原を抜けると再び氷のシャーベットがマダラになっているところに出てきました。

 遠くに見えてきたのは網走海岸の北にある能取岬(のとろみさき)ですが雪に化粧されたその姿はイギリスのケント州にあるドーバー海峡に面した白亜のホワイト・クリフ)を彷彿とさせます。


 網走市内で昼食後阿寒湖に向けて出発しました。

 写真は途中車窓から観た網走駅の看板です。網走で赤レンガと縦書きの看板で連想されるのは、そうです「網走番外地」、、、、







 右は網走川を隔てて対岸に見える網走刑務所で、赤レンガの永い壁の向こう側に件の建物が見えています。

 番外地の由来としてはは、不動産登記のされていない土地、たとえば国有地などには、必ずしも地番が付くとは限らないので、網走刑務所の住所は「網走市字三眺官有無番地」となっており、これが語源でしょう。


 網走に別れを告げ、小清水国道(391号線)を南下し、阿寒国立公園に入ると峠の上から大きな湖が見えてきました。

 この屈斜路湖(くっしゃろこ)は北海道の東部、弟子屈町(てしかがちょう)にある日本最大のカルデラ湖(火口湖・周囲長57 km平均水深28.4 m最大水深117.0 m)ですが、まだ全面結氷には至っていないようです。
 湖中央部(写真右手)には、日本最大の湖中である中島がみえています。

摩周湖(パノラマ写真)
 屈斜路湖をあとに東に進路をとると今度は摩周湖です。

 摩周湖(ましゅうこ)も同じく弟子屈町にあるカルデラ湖(火口湖・周囲長19.8 km・平均水深137.5 m・最大水深211.5 m)で日本でもっとも透明度の高い湖です。
 現在は19mとされていますが、1930年にバイカル湖の40.5m(1911年調査)をしのぐ41.6mの透明度(世界最高)記録したこともあります。

 めずらしくこの湖は流入・流出河川がない閉鎖湖で、河川法による「湖」ではないので国交省の管理ではなく単なる水溜りとして国が管理しているとか、、、、それにしては大きな水溜り!
 また摩周湖と聞けば布施明の『霧の摩周湖』(1966年)を連想するのが私たち世代ですが、霧が発生しやすいのは夏のシーズンで今回は雪に囲まれた「摩周ブルー」の絶景を観ることが出来ました。

、、、ということで傾きかけた陽に染まった雄阿寒岳の方向にある阿寒湖畔の宿を目指してバスはひた走ります。

   ―― つづく 

2017年2月12日日曜日

流氷・丹頂・カシオペア (1)

 先週北海道に出かけてきました。
 この厳寒の中、出不精の私たちが重い腰を上げたのは「流氷・丹頂・カシオペア」の文字に惹かれたからなのです。

 旅行社に申し込んだ時点ではまだ流氷は未着でしたが、出発の1週間ほど前に「流氷来る!」の報に接しやれやれといったところでした。

セントレアから鈴鹿山系を望む(パノラマ写真)
 往路は飛行機で女満別まで飛び、お目当てのカシオペアは札幌から上野までの帰路です。

 天候はおり良く寒波通過のあとで現地での晴天が期待できそうでした。上写真は飛行場から雪を戴いた鈴鹿山系を遠望したパノラマ写真です。(拡大してみてください)

 飛行機は定時に出発しましたが、直前に空港でボヤ騒ぎがありました。けたたましく警報音が鳴り響いたのですが、誰一人あわて騒ぐ様子は無く、これでいいのか悪いのか?少し不安を覚えました。

 いつものように空路は一旦新潟を目指しますが、その途中、翼越し東方に富士山が遠望できました、いつ見ても美しいです。

 約1時間50分ほどで女満別飛行場へ到着です。流石に冬の北海道の飛行場だけあって私たちには珍しい景色でしたし、ターミナルへ移動する途中から深々とした寒さが感じられました。 

 降り積もった雪に澄み切った青い空はきれいに見えます、左は女満別空港のターミナル正面です。
 流氷見物の船は近くの網走港から出るせいかこの季節にもかかわらず飛行機は満席でした。

 バスに乗車して一路ウトロに向けて出発です。
 見慣れない景色ですが、バスは50~60kmのスピードで何事も無いように安定して走行していきます。
 
 車窓の左(北)側のオホーツク海に遠く流氷が見えました。

 流氷はこの地域の海岸にはまだ接岸していませんので白い流氷の手前に青い海面が見えています。

 時計を見るとまだ午後4時10分ですが、北海道は日没時間が少し早いのでもう夕暮れ時の景色です。


 海岸側を平行に走っている釧網本線(せんもうせん 釧路-網走 間)にある北浜駅です。

 ここはオホーツク海まで20mと極めて近く、地の果てのイメージを出しやすいことからたびたび映画の撮影に使われているところです。



 なかでも1965年に封切りとなった高倉健主演の映画「網走番外地」で「網走駅」として囚人を駅から護送するシーンのロケ地として用いられたことで知られており、いわば「健さんの聖地」のひとつなのです。

 濤沸湖(とうふつこ)にやってきました。
 行く手左側にオホーツク海、その砂浜(砂州)は小清水原生花園そして釧網本線と我々が走っている国道244号線さらに右側に濤沸湖(海とつながる汽水湖)となっています。

 この湖はラムサール条約に登録されており、野鳥が毎年数万羽飛来するそうですが、我々が到着したときにはオオハクチョウがひと群れ見られただけですし、近くへは鳥インフルエンザ予防のため行けず寂しい湖畔があるのみでした。ときは4時半日没の景色は空気も澄んでおり美しいです。

 並走する釧網本線は本線とはいいながら単線で、しかも2~3時間に一本運行の過疎線です。

 そんな中、前方から一両の電車がやってきましたが、バスガイドさんの「走っているのを見たことが無い」という説明を待つまでも無く極めて稀なことだと思いました。 

 暮れなずむ荒野を、乗客も疎らな車両がすれ違って網走方面に去っていく様はなぜか宮崎駿の「となりのトトロ」に出てくる猫バスを連想してしまいました。

 日も沈んだ6時ごろ知床半島のウトロにあるホテルに到着しました。

 ロビーを見回していたら変わったものを見つけました、そうです「クリオネ」です、それも多量に私たちをお出迎えです。

 クリオネは寒流域に生息し、流氷の天使」あるいは「氷の妖精」と呼ばれますが映像では観たことがありましたが実物は初めてです。体長約1~2cmのこの妖精の正体は「ハダカカメガイ」という巻貝の仲間だそうです。


 今夜はゆっくり温泉に浸かって明日は流氷見物です。

   ―― つづく