2018年4月23日月曜日

春の山陰旅行 その2/3(出雲大社、玉造温泉)

 突然の話ですが、昨夜、、といっても今日の午前一時半ごろですが、山陰地方に大きな地震がありました。
 恥ずかしながら私は家人に起こされるまでまったくしりませんでしたが、、、、

 朝になって部屋に配達された新聞(左)をみてビックリしました。
 地震の大きさもさることながら、震源地が今日の目的地のひとつ、石見銀山そのものだったのです。 
 その後、本社と連絡を取り合った添乗員から「石見銀山は中止!」のアナウンスがあり、皆がっかりです。 今回の私たちの旅行目的が松江城と石見銀山だっただけに本当に残念でした。

 右上地図の左下にある石見銀山がバツ印になっているのはそういった事情によるものなのです。


 そんなハプニングもありましたが、私たちは予定されていた最初の目的地である出雲大社に向かいました。

 1時間半ほどかけてようやく右手に宍道湖が見えてきました。対岸は島根半島です。

 さらに山陰自動車道を西へ、そして481号線を北上します。

 出雲大社への到着直前の海岸線にある稲佐の浜に一際目立つ丸い島があり、その島の前で拝礼している白衣の女性を見かけましたが、その凛とした姿は遠方からも目に入り、思わずシャッターを切りました。

 この島は弁天島とよばれ、またこの浜から神無月(この地では神在月-かみありつき)に出雲大社に集まる全国の神々が上陸すると伝えられています。

 到着後、神楽殿へ向かいました。



 









 ここは立派な建物ですが、本殿は別にあります。神楽殿の注連縄は遠目でも大きく見えますが、近くでは圧倒されます。(右)
 長さ13.5 メートル、重さ4.5 トン は日本最大級です。

 この神楽殿で昇殿参拝し、お払いをしてもらいましたが、その際に礼拝は二拝四拍手一拝の作法であると教わりました。たしか以前来たときも、、、、

 こちらがご神体がお祭りしてある本殿(左写真の右上に屋根だけ見えます)の入口です。私たちは特にこの門内に入れていただき、教わった作法で参拝しました。

 ここでもボランティアの案内人さんに付いていただきましたが、何でも出雲大社本来のご神体は社殿の背後にある八雲山そのもので須佐之男命(スサノヲノミコト)が祀られており、一方社殿には娘婿の大国主命(オオクニヌシノミコト)が祀られています。

 そのような事情から当の大国主命は後ろが気になって正面を向いておられず、左(西)向きに座しておわすとのことなのです。

 ということで私たちは本殿の左方に移動して(右写真)改めてお参りしました、もちろん作法に従って。



 このあたりでもサクラはすでに終わっていましたが、境内のヤエザクラは今が盛りと咲き誇っていました。



 このあと、昼食に出雲蕎麦をいただき、午後はちかくにある、「島根県立古代出雲歴史博物館」を見学することとなりました。

 ここは、出雲大社の東隣りにあり、出雲大社関係の展示はもちろんのこと、石見銀山・たたら製鉄・青銅器・風土記神話など、島根県全域にわたる歴史と文化を紹介する、20073月に開館した博物館だそうです。

 右写真にあるようになかなかシャレた建物だとおもったら、設計は槇文彦氏によるものでした。

 氏の主な作品には911で崩壊してしまった「ワールドトレードセンター」、「幕張メッセ」、「京都国立近代美術館」などがあります。


 左写真は、この博物館の目玉の一つである「宇豆柱」です。これは約20年前、出雲大社境内遺跡の3カ所から発見された、スギの大木3本を1組にし、直径が約3mにもなる巨大な柱(残っているのは根元部分)です。

 このことから、かつて社殿は40m以上の高いところにあったという話が真実味を帯びてきます。



 右写真は館内に展示されていた社殿の想像模型です。




 左は「古事記」でこのような古文書も多数展示してありました。


 それらにもまして圧倒されたのが、銅鐸や銅剣などの出土品です。


 右は島根県加茂岩倉遺跡から出土した銅鐸(39個)で国宝になっていますが、この展示には圧倒されました。

 詳しくは知りませんが、これら銅鐸は祭器のようで、その造形には計り知れないものを感じます。
 左は銅剣で、大きな部屋の壁一面に展示してありましたが、上側半分は研究のため作られたレプリカで、下側半分が本物です。(写真内の左右はその拡大)

 日本ではこの銅剣(青銅製)の時代には同時に鉄器も存在しており、銅剣の刃や切っ先も鋭くないことから、これら銅剣も銅鐸と同様に祭器であったとされています。


 そのほかの出土品もあちこちに展示されておりいくら観ても観たりないほどでした。

 今回行けなかった石見銀山の展示もありました。













 そのなかで上写真で手にとって観ているのは銀山の産品である「丁銀」の模型です。

 丁銀は約150g前後あり、額面も記載されておらず、量目によって貨幣価値が決まる秤量貨幣なので、銀座などにおいて豆板銀(小玉銀、小粒銀)を足して一定重量にしたものを紙封印し、恩賞、贈答、取引の決済などに使用したようです。もちろん150gもありますので財布の中にはちょっと、、、、

 ということで石見銀山に行けなかったのは残念でしたが、島根県立古代出雲歴史博物館」は十分堪能しました。


 そのあとワイナリー(島根県はブドウでも有名だそうです)に立ち寄り、試飲ののち玉造温泉に向かうべく、9号線で宍道湖畔を東進しました。



 ほどなくして玉造温泉に到着しましたが、前述のように旅程が変更になったので、午後3時半というお早いお着きとなりました。



 今回宿泊したこの宿の庭園は、アメリカの日本庭園専門誌であるThe Journal of Japanese Gardening(ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング)が主催する、「日本庭園ランキング2017」で第5位となったそうですが(左写真)、、、、もちろん第1位は明日訪れる「足立美術館」です。



 玉造温泉は、その名前からも分かるように、出雲地方の玉つくり(勾玉)の中心地で弥生時代の遺跡も多いとか。

 また温泉も奈良時代開湯といわれる古湯で、清少納言の枕草紙にも「湯はななくりの湯、有馬の湯、玉造の湯」の三名泉のひとつとして紹介されていますし、さらには成分である、硫酸塩・塩化物の効能として美肌効果があるとされ人気があるそうです。

 まだ陽も高いことですから、さっそく散歩に出かけました。
 この温泉街は玉湯川の両側に並んでおり、サクラ並木もあって、もう1週間早ければ、、、と悔やまれます。



 玉湯川の川床には遊歩道もあり、風情を楽しませてくれています。
 前方に足湯場が見えましたので近づいてみましたが、皆さん全員足を上げています。「熱くて足を入れていられない!」だそうで、近くに「温泉 53度」の表示がありました、納得、、、、


 両岸の道路のあちこちには神話にちなんだブロンズのオブジェなどがありました。(上)

 玉湯川の上流です、少しだけサクラが残っており、赤い橋(宮橋)が見えています。この橋は玉作湯神社の入口にかかっています。

 玉作湯神社は「出雲国風土記」や「延書式」などの古書にも記載されている古社で、出雲玉作部(たまつくりべ)の祖神が祀られているそうです。





 左写真は、宮橋から見た神社への上り口です、ここから石段を上って参拝します。
 
 













 新緑の中に、いかにも清楚な感じがする神社です。

 裏へ廻って本殿を拝観しましたが、小さくても手の込んだすばらしいつくりで、伝統を感じました。

 右上は境内にある、触って祈れば願いが叶うと言われる「願い石」で、島根県内でも人気のスピリチュアルスポットだそうです。


 そのすぐ脇に春蘭(シュンラン)がみごとな花をつけていました。


 玉造温泉街から宍道湖方向(北)を見てみました。

 遠くに見えているのは山陰自動車道の高架橋です、明日は松江城、足立美術館を経て帰宅の途につきます。

 さて、宿へ帰り、夕餉を楽しみにゆっくりと湯に浸りましょう。

2018年4月14日土曜日

春の山陰旅行 その1/3(鳥取砂丘、三朝温泉)

 久しぶりに山陰へ二泊三日で出かけてきました。

 ことの起こりは、旅行社からのお誘いパンフレットで、松江城、石見銀山、温泉そしてサクラの花が強くヒットしたようです。(出雲大社、足立美術館、鳥取砂丘は再度となりますが、、、)

 ところが出発の時期は例年とは異なり、サクラはすでに一週間以上前に終わっており、楽しみが一つ欠けてしまいましたが、それでも気持ちはいそいそと。

 第1日目は上図の①~③の旅程で、鳥取砂丘、白兎神社を経て三朝温泉泊まり、とバスでの移動です。
 
 ところが当日はこれまでとは違いずいぶん寒い天候で、中国山脈を越える際には雪がちらついていました。そのおかげ?で所々にはまだサクラが残っており、私たちを出迎えてくれました。
 

 鳥取砂丘への到着はお昼を過ぎていましたので、さっそく昼食、そして砂丘へと繰り出しました。


 左写真は鳥取砂丘の航空写真ですが、私たちは食事場所から赤い矢印に沿って、「馬の背」と呼ばれる赤丸地点まで歩きました。

 砂丘と言うのは、風によって運ばれた砂が堆積して出来た丘状の地形をいうのだそうですが、ここ鳥取砂丘は「山陰海岸国立公園」の特別保護地区に指定されており、南北2.4km, 東西16kmに広がっています。


 そして、この鳥取砂丘、吹上浜(鹿児島県西海岸)、遠州灘砂丘(静岡県)を日本三大砂丘に数えることもあるようです。

 ただ日本最大の砂丘は、青森県の下北半島の東海岸にある猿ヶ森砂丘(さるがもりさきゅう)で広さは鳥取砂丘の約30倍ありますが、自衛隊が使っており立ち入り禁止とか、、、、
 
 上と左の写真から分かるように、前方の小高い砂丘!!が「馬の背」と呼ばれるところで、高さが約50mあり、その手前にある「おおすりばち」(オアシスとも呼ばれます)とあわせてすばらしい景観となっていました。

 歩き出してみると、砂は思いのほか細かく、密で、丘を上り下りした後でも靴の中にはほとんど入っておりませんでした。


 右写真は、「おおすりばち」を「馬の背」の上から見下ろしたものです。

 ここにたまっている水は、陸側から湧き出したもので真水だそうです。涸れることなく独自のビオトープが形成されていることでしょう。

「馬の背」から日本海を一望しました。

 風は相変らず強く、寒いですが、天候は徐々に回復してきているようです。 


 右にある「因幡の白うさぎ」は鳥取砂丘の解説をしてくださった「砂丘マイスター」さんのクイズで正解を出していただいた賞品です。

 クイズとは、「前述の砂丘パノラマ写真を撮影した地点と、「馬の背」と比較してどちらが高いか?根拠を示して答えなさい」というものでした、、、、もちろんわかりますネ!  でも半数の人は不正解でした。

 次に私たちは白兎神社へ移動しました。

 鳥取砂丘から少し西にある海岸が白兎海岸と呼ばれていますが、そうです、ここがあの因幡の白うさぎ伝説ゆかりの場所なのです。

 左写真右上は白兎神社、左上はシンボルの白うさぎ、下は神社の正面近くにある、白兎がいたとされる淤岐島(おきのしま)で鳥居が立っています。

 この神社の主神は白兎神で古事記や日本書紀に登場する「因幡の白うさぎ」そのもので、大国主命に助けられた因幡の白うさぎ」が命と八十姫の仲を取り持ったこと、さらには伝説の内容から皮膚病など病の治癒、ということで結びの神、医療の神として信仰を集めているそうです。


 その後さらに西へ進み、少し山手に入ったところにある三朝温泉に向かいました。

 恥ずかしながら、「みささ温泉」は耳には馴染んでいましたが、三朝と言う漢字が当てられていることを今回知りました。





 右写真は前方に見えてきた三朝温泉街で、手前の川は三徳川です。
 この三朝温泉にはラジウムやラジウムがアルファ崩壊したラドンが含まれており、世界でも有数の放射能泉で、新陳代謝が活発になり、免疫力や自然治癒力が高まるそうです。

 街中にあるこの三徳川にかかる三朝橋のたもとに有名な屋外温泉場「河原温泉」がありますが、たまたま通りかかったバスの上からパチリ!おやお客さんがいました、、、、

 宿に到着しました。

 この旅行のコンセプトに「ゆったりと温泉」というのがあり、2日とも少し早めに宿へ到着します。 


今回は、折角だからということでオプションで宿のランクをアップしました。

 右写真は部屋の窓から中庭を見下ろしたところです。
 まっ先に口に出たのは、「サクラの花がまだあった!!」 シダレザクラでしょう、きれいに咲いています。


 池と石造りの能舞台の取り合わせもなかなかのものでしばらく見入っていました。
 赤いシャクナゲもさいています、やはり時期が少し早いでしょうか。

 さて、、、ということで温泉を楽しみに出かけます、そして夕食も、、、、