恥ずかしながら私は家人に起こされるまでまったくしりませんでしたが、、、、
朝になって部屋に配達された新聞(左)をみてビックリしました。
地震の大きさもさることながら、震源地が今日の目的地のひとつ、石見銀山そのものだったのです。
その後、本社と連絡を取り合った添乗員から「石見銀山は中止!」のアナウンスがあり、皆がっかりです。 今回の私たちの旅行目的が松江城と石見銀山だっただけに本当に残念でした。
右上地図の左下にある石見銀山がバツ印になっているのはそういった事情によるものなのです。
そんなハプニングもありましたが、私たちは予定されていた最初の目的地である出雲大社に向かいました。
1時間半ほどかけてようやく右手に宍道湖が見えてきました。対岸は島根半島です。
さらに山陰自動車道を西へ、そして481号線を北上します。
出雲大社への到着直前の海岸線にある稲佐の浜に一際目立つ丸い島があり、その島の前で拝礼している白衣の女性を見かけましたが、その凛とした姿は遠方からも目に入り、思わずシャッターを切りました。
この島は弁天島とよばれ、またこの浜から神無月(この地では神在月-かみありつき)に出雲大社に集まる全国の神々が上陸すると伝えられています。
到着後、神楽殿へ向かいました。
ここは立派な建物ですが、本殿は別にあります。神楽殿の注連縄は遠目でも大きく見えますが、近くでは圧倒されます。(右)
長さ13.5 メートル、重さ4.5 トン は日本最大級です。
この神楽殿で昇殿参拝し、お払いをしてもらいましたが、その際に礼拝は二拝四拍手一拝の作法であると教わりました。たしか以前来たときも、、、、
こちらがご神体がお祭りしてある本殿(左写真の右上に屋根だけ見えます)の入口です。私たちは特にこの門内に入れていただき、教わった作法で参拝しました。
ここでもボランティアの案内人さんに付いていただきましたが、何でも出雲大社本来のご神体は社殿の背後にある八雲山そのもので須佐之男命(スサノヲノミコト)が祀られており、一方社殿には娘婿の大国主命(オオクニヌシノミコト)が祀られています。
そのような事情から当の大国主命は後ろが気になって正面を向いておられず、左(西)向きに座しておわすとのことなのです。
ということで私たちは本殿の左方に移動して(右写真)改めてお参りしました、もちろん作法に従って。
このあたりでもサクラはすでに終わっていましたが、境内のヤエザクラは今が盛りと咲き誇っていました。
このあと、昼食に出雲蕎麦をいただき、午後はちかくにある、「島根県立古代出雲歴史博物館」を見学することとなりました。
ここは、出雲大社の東隣りにあり、出雲大社関係の展示はもちろんのこと、石見銀山・たたら製鉄・青銅器・風土記神話など、島根県全域にわたる歴史と文化を紹介する、2007年3月に開館した博物館だそうです。
右写真にあるようになかなかシャレた建物だとおもったら、設計は槇文彦氏によるものでした。
氏の主な作品には911で崩壊してしまった「ワールドトレードセンター」、「幕張メッセ」、「京都国立近代美術館」などがあります。
左写真は、この博物館の目玉の一つである「宇豆柱」です。これは約20年前、出雲大社境内遺跡の3カ所から発見された、スギの大木3本を1組にし、直径が約3mにもなる巨大な柱(残っているのは根元部分)です。
このことから、かつて社殿は40m以上の高いところにあったという話が真実味を帯びてきます。
右写真は館内に展示されていた社殿の想像模型です。
左は「古事記」でこのような古文書も多数展示してありました。
それらにもまして圧倒されたのが、銅鐸や銅剣などの出土品です。
右は島根県加茂岩倉遺跡から出土した銅鐸(39個)で国宝になっていますが、この展示には圧倒されました。
詳しくは知りませんが、これら銅鐸は祭器のようで、その造形には計り知れないものを感じます。
左は銅剣で、大きな部屋の壁一面に展示してありましたが、上側半分は研究のため作られたレプリカで、下側半分が本物です。(写真内の左右はその拡大)
日本ではこの銅剣(青銅製)の時代には同時に鉄器も存在しており、銅剣の刃や切っ先も鋭くないことから、これら銅剣も銅鐸と同様に祭器であったとされています。
今回行けなかった石見銀山の展示もありました。
そのなかで上写真で手にとって観ているのは銀山の産品である「丁銀」の模型です。
丁銀は約150g前後あり、額面も記載されておらず、量目によって貨幣価値が決まる秤量貨幣なので、銀座などにおいて豆板銀(小玉銀、小粒銀)を足して一定重量にしたものを紙封印し、恩賞、贈答、取引の決済などに使用したようです。もちろん150gもありますので財布の中にはちょっと、、、、
ということで石見銀山に行けなかったのは残念でしたが、「島根県立古代出雲歴史博物館」は十分堪能しました。
そのあとワイナリー(島根県はブドウでも有名だそうです)に立ち寄り、試飲ののち玉造温泉に向かうべく、9号線で宍道湖畔を東進しました。
今回宿泊したこの宿の庭園は、アメリカの日本庭園専門誌であるThe Journal of Japanese Gardening(ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング)が主催する、「日本庭園ランキング2017」で第5位となったそうですが(左写真)、、、、もちろん第1位は明日訪れる「足立美術館」です。
玉造温泉は、その名前からも分かるように、出雲地方の玉つくり(勾玉)の中心地で弥生時代の遺跡も多いとか。
また温泉も奈良時代開湯といわれる古湯で、清少納言の枕草紙にも「湯はななくりの湯、有馬の湯、玉造の湯」の三名泉のひとつとして紹介されていますし、さらには成分である、硫酸塩・塩化物の効能として美肌効果があるとされ人気があるそうです。
まだ陽も高いことですから、さっそく散歩に出かけました。
この温泉街は玉湯川の両側に並んでおり、サクラ並木もあって、もう1週間早ければ、、、と悔やまれます。
玉湯川の川床には遊歩道もあり、風情を楽しませてくれています。
前方に足湯場が見えましたので近づいてみましたが、皆さん全員足を上げています。「熱くて足を入れていられない!」だそうで、近くに「温泉 53度」の表示がありました、納得、、、、
両岸の道路のあちこちには神話にちなんだブロンズのオブジェなどがありました。(上)
玉作湯神社は「出雲国風土記」や「延書式」などの古書にも記載されている古社で、出雲玉作部(たまつくりべ)の祖神が祀られているそうです。
左写真は、宮橋から見た神社への上り口です、ここから石段を上って参拝します。
新緑の中に、いかにも清楚な感じがする神社です。
裏へ廻って本殿を拝観しましたが、小さくても手の込んだすばらしいつくりで、伝統を感じました。
右上は境内にある、触って祈れば願いが叶うと言われる「願い石」で、島根県内でも人気のスピリチュアルスポットだそうです。
そのすぐ脇に春蘭(シュンラン)がみごとな花をつけていました。
玉造温泉街から宍道湖方向(北)を見てみました。
遠くに見えているのは山陰自動車道の高架橋です、明日は松江城、足立美術館を経て帰宅の途につきます。
さて、宿へ帰り、夕餉を楽しみにゆっくりと湯に浸りましょう。
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