2018年12月31日月曜日

平成最後の大晦日

 また今年も一年が経ち、大晦日がやって来ました。
 それも、喧しい言い方をすれば、「平成最後の大晦日」と言うことになります。

 今年は気候変動が激しく、それに伴う災害も多くありましたが、こうして1年を無事に終わってみると、平穏な毎日のありがたさがつくづくと感ぜられます。

 今年の松飾りをどうしようかと、思案投げ首の毎日でしたが、縁起ものの「松竹梅」で行くことにしました。




 と、いうのも今年は暖冬のせいか、庭のロウバイ(蝋梅)が早くも蕾を膨らませ始めたのにヒントを得たことによります。

 となれば、あとは松と竹ということですが、どちらも朝の散歩道の山際に自生しているものを利用させていただくことにしました。








 注連縄(シメナワ)は百均のものを利用し(少し小さくなった?)、ダイダイは我が家の庭からの収穫品です。

 ダイダイは例年以上に元気で、色が鮮やかに見えるのは気のせいでしょうか、、、、






 出来上がりは冒頭の写真ですが、このままでは少し彩りに掛けますので、センリョウ(千両)の簪を挿してみました。

 ここ2~3年は、弱りきって赤い実をほとんどつけない年が続きましたが、ようやくにして右写真のように元気を取り戻しました。







 これというのも、春先の施肥、夏場の水遣り、草取り、などなど、、、、と家人の丹精があり、まさに「結実した」とはこの事をいうのでしょう、感謝です。








 これに応えて、負けじとばかりに、我家の50年もののキウイも今年は「鈴なり」そのものとなりました。(上写真)


 そして、しんがりは我家のシンボルツリー、クロガネモチで、キウイと同様、年末の雪で化粧した様は、赤、緑、白の3色で、来るべき新しい年を寿いでいるかのようです。



 一方、お鏡餅も作りましたが、ウラジロ(裏白)に加え、「難を転ずる」として縁起がいいとされるナンテン(南天)を追加してみました。

 謹賀新年とあるデコレーションは、松飾りに使った百均の注連縄の残りです、さすがに不評ではありましたが、捨てるにはモッタイナイ、、、、



 右写真の、来年の干支にちなんだ、己亥(つちのと い)とある書は、高名な書家でもある友人が私たちのためにプレゼントしてくれたものですが、これを飾ると、いやがうえにもお正月の気分が盛り上がります。

 そんななか、今年1年無事過ごせた喜びを噛みしめ、感謝しています。

 おかげさまで、このブログのカウンターも23万件を越えました、この1年で6万件の増加です。


 私共も健康に留意しながら来る年を仲良く過ごしていきたいと思っています、もちろん皆様にとっても幸多く良き年でありますように、、、、

2018年12月17日月曜日

Z80 SBCへの CPM 搭載(2)

 先回の予告とは異なって、もう少しCFカード搭載の話を続けたいと思います。

 CFカードはIDEのコネクタに接続可能だと言いましたが、正確には左写真のように、CFカードをアダプターに挿し、そのアダプターがIDEと同じ配列の40ピンコネクタを持っていると言うことです。

 ちなみにこの写真にあるアダプターはebayで安価に入手(国内でCFカードソケットのみを購入すると同じくらい)できますが、オーダーしてから4週間ほど待たねばならないのが毎度のことながら難点です。

 参考までに、GRANTさんの図をリファインした、CFカードのピン配置を以下に示します。


 これは正面からの図ですが、左右両端のガイド溝(細い楕円で囲まれた部分)の大きさで左右を判定します。

 ピンは50ピンありますが、必要なのは、前回お話したように、このうち18ピンのみです。もちろんGNDなど共通なものは1ピンとします。


 左写真は、今回製作した Z80 SBC にCP/M-80を搭載した際に設置したCFカードソケットの様子(写真上部)です。

 こうして見ると結構大きく、場所をとりますので、CFカード・ソケットが手元にあったのを幸い、カードアダプターも自作してみました。












 ベースは秋月のユニバーサル基板で、これにCFカード・ソケットと18ピンを載せただけのものです。

 ただピンが微細にこみいっていますので、ハンダ付けには細心の注意が必要です。

 左写真に詳細を示しましたが、プル・アップ用1kΩの表面実装用がうまく半田付けされています。

 そして右写真は、AKI-80を用いた、CP/Mボードですが、前述の Z80 SBC よりも一回りコンパクトに収まっています。


 と言うことでいよいよ本題に入っていきます。

 CP/Mでは、ディスク上の任意の1セクターのREAD、WRITEが必須ですが、逆にディスクへのアクセスはこれしかありません。

 したがって、モニタープログラムで、この操作が出来ることをあらかじめしっかりと確認しておくことが必要です。



 上図は、前回も紹介した、 CPUVille のサイトのCP/Mの項目( http://cpuville.com/Code/CPM-on-a-new-computer.html )にある、セクター・リードのプログラムを私流にアレンジして、 Z80 SBC のモニターとして使っているものです。(同様のセクター・ライトのプログラムもあります)

 このプログラムは上側に赤く囲ってあるように、HL:DMAアドレス、E:DRIVE番号、B:TRACK番号、C:SECTOR番号 に、あらかじめそれぞれの数値をいれてコールすれば、目指すSECTORのデータをDMAアドレスから始まる512バイトに読み出してくれます。(今回のCP/Mでは、このうち128バイトしか使いませんが、、、、)

 このプログラムは、CFカードのLBA( Logical block addressing 論理ブロックアドレス指定)方式をつかっています。


すなわち、CFカード上では、左図のようにSECTR番号が右端の0から順に番号付けされていますので、これをLBA2:DRIVE番号、LBA1:TRACK番号、LBA0:SECTOR番号 に割り振ってあるのです。


 今回移植するCP/M-80は標準に近く、DRIVE 4、TRACK 77、SECTOR 26というIBM仕様?になっています。

 LBAを使用するために、プログラム上では中ほどの緑で囲った部分の記述があります。
 E0HをCFカードのポート0FHに出力することでLBAモードにしています。

 CFカードのポートは左図のようにA0~A2のアドレスで設定されますが、アドレス・コーダ74HC138と組み合わせることで今回は08H~0FHの8個のI/Oアドレスを設定しました。

 今回のケースは、LBAモードの図から037F1F Hと読み取れます。229151個のSECTORを使うと言うことで、229151 X 512 = 117325312 となりますので、最低限128MBのCFカードが必要と言うことでしょうか。

 なおこのままだとCFカードは16bitモードのままです。普通に使うには何の支障もありませんが、私は気持ちが悪いので、下記のプログラムをシステム立ち上がりのときに走らせて、8bitモードにして使っています。



 これまでに入手した、CFカードはほとんどが支障なく使えましたが、なかにはダメなものもありました。何故だかは分かりませんが配線を最短に、とかバッファーを入れるとよい、、、、ナドト言われています。(私は試していませんが)

 CFカードについては参考に出来る資料があまり多くはありません。今回述べたことは、たまたまの成功体験を自己流に解釈しているだけですので、いい加減な説明をご容赦ください。

 以下は次回です。

2018年12月11日火曜日

晩秋の 棟方志向と柳宗悦 展

 先日「 棟方志向と柳宗悦 特別展 」へ出かけてきました。

 棟方志向はあの独特な創作表現であまりにも有名ですが、柳宗悦は少し理解が必要かもしれません。

 柳宗悦は陶芸家の河井寬次郎、濱田庄司などとともに、1926年(大正15年)に始まった民藝運動の主催者です。

 この活動は日本各地の焼き物、染織、漆器、木竹工など、無名の工人の作になる日用雑器、や遊行僧(木喰など)の仏像など、いわゆるファインアートでもなく高価な古美術品でもない、無名の職人による衆的美術工の美を発掘し、世に紹介することでした。

 今年の秋は、もう12月だと言うのにまだまだ暖かでしたが、ようやくにして、モミジもきれいに色づいていました。

 棟方志向と柳宗悦の出会いは、1936年に国画会会場で、柳が棟方の「大和し美し」即決で買い上げた時とされています、棟方33才、柳47才でした。

 いまでこそ棟方志向の作品は国際的に評価されていますが、当時宗悦は、「志向の作品は、ひとめでそれと分かる個性の強いものではあるけれども、それが決して自意識の過剰な現れではないことに、その美しさの理由がある。自我に縛られていない彼の作品には、名を残そうなどという意思は毛頭ない職人によって、ただ一心に作られた器や道具に通じる自由さがある。」、、、と判断したようです。

 以後志向宗悦を生涯の師と仰ぎ、作品の制作に当たっては細部にわたって意見を求め、宗悦もよくこれに答えたという二人三脚の様子が、今回展示されていた二人の書簡のやり取りからも伺えました。

 左(これら写真は展示会のホームページより)は「般若心経経文板画柵」で、一文字ずつ版画に彫られたものをならべてありますが、ところどころにある空白は宗悦が指示した結果なのです。

 冒頭にある、「今日モアリ オホケナクモ」とある心偈頌(しんげしょう、こころうた)は宗悦折々の心境を6、7字から多くても10字くらいの句に託したものを志向が版画にしたもの(七十二柵あり)の1枚です。
 「オホケナクモ」の意味は、「勿体なくも」とか「忝じけなくも」と言う意味のようです。

 右は、観音経曼荼羅「阿修羅の柵」です。

 この仏法の守護者は三面六臂(三つの顔に六つの腕)で表現されることが多いですが、志向はこのことを動きの表現として使っているのがおもしろいです。
 まさに、阿修羅のごとく、、、、

 志向は版画だけではなく、画もこなしています。
 下は、倭画「曇雨御鯉魚」コイの画ですが、シンプルでかつ力強さが魅力です。


 今回の 棟方志向と柳宗悦 」特別展示は、2つの会場に亘り、当初考えていたよりはるかに多くの作品を堪能することが出来ました。

 さらには志向の多岐にわたる才能と、あわせて宗悦とのかかわりを学び、当時の時代背景も思いやり、たいへん意義のある時間を持つことが出来、十分に満足でした。

 ここの民芸館は敷地も広く、ようやく色付いたモミジを愛でながら散策するのもなかなかのものですが、春には数多くあるサクラを楽しむことも出来ます。

 常設展示館には地域の人形や道具類が展示してあり、これはこれでまた興味が持たれます。





 左はその内部で、炉辺の様子が再現され、いろいろな道具類が展示されていました。










 右上は、展示されていた、土で焼かれた12個の干支です。
 奥のネズミから始まって、今年のいぬ、そして一番右が来年のイノシシです。

 一回り見学して退館のおり、入口のガラス扉のデザインが逆光で美しく、目に留まりました。
 まさにこれぞアール・デコ!!!


 すばらしい展示物に夢中で、少し歩き疲れました。敷地内には勘桜亭という茶室がありますので、そこでとりあえず一休みです。
















 上は、茶室へのアプローチで先方に茶室が見えています。

 左上は茶室内から観た外側の景色で、紅葉した木々の下には矢作川が流れています。写真内、左下にあるのは、茶菓子「紅葉」、結構なお手前、、、、でした。

 茶室を辞して、あらためて矢作川を眺めてみました、少し曇っており遠景が霞んでいますが、モミジの赤い色はきれいです。(右)



 暫時休息ののち、これも敷地内にある、「さなげ古窯本多記念館」に行ってみました。
 事務所の方に声を掛け、鍵を開けていただき入館です。

 ここは、地域の古陶磁研究家である故本多静雄氏が収集された、猿投古窯、古瀬戸などのコレクションが展示してあり、以前から気になっていたところです。

 下写真のような出土品を始め、陶片など多くが展示され、詳細な説明もありました。


 古墳時代から鎌倉時代にかけての約千年間操業したこの地の猿投窯は、瀬戸焼・常滑焼の源流ともなった日本屈指の大窯業地で、古くから窯業が盛んであったことを再認識しました。

 もう師走に入ったというのにもかかわらず、この暖かさのおかげで、美しい紅葉と棟方志向・柳宗悦を十分に堪能できました。

2018年11月27日火曜日

Z80 SBCへの CP/M 搭載(1)

 今年の秋はことのほか多忙で、なかなかブログ作成に割く時間がとれず、しばらく間が空いてしまいました。


 私のブログ、Z80 SBC(シングルボード・コンピュータ)の製作 (1~6でとりあえず、Z80 シングルボード・コンピュータがモニター・ベースで走るところまで紹介しました。

 今回からは稿を改め、Z80 SBCへの CP/M 搭載 として話を続けたいと思います。



 CP/MControl Program for Microcomputer)とは1970年代にデジタルリサーチ社 (Digital Research Inc.) の創業者ゲイリー・キルドールによって開発、1976年に発売された、パソコン用のシングルユーザー・シングルタスクのオペレーティングシステム (OS) です。

 CP/Mは①8080マイクロプロセッサおよびそのZ80などの上位互換CPU、②0番地から配置されたメモリ、③フロッピーディスク、そして④シリアル端末があれば動作させることが出来ました。

 同時代に出現したフロッピーディスク(発明は中松氏でなくIBM?)を利用して、ファイルの管理が出来るこのCP/Mシステムはそれこそ最先端の技術であり、垂涎の的で、個人が所有するなどは夢のまた夢でした。

 今の時代にこのCP/Mシステムを再現することは、我々老人のノスタルジーには違いはないものの、当時の最先端の膨大なソフト・ウエア(BASIC,FORTRAN,COBOL,ALGOL,Cなどなど)が商用に供さない限り自由に使うことが出来、興味はつきません。 冒頭の写真は Z80 SBC で CP/M をスタートさせたところですが、「 62K CP/M 2.2 Copyright 1979 (c) by Digital Research 」の記述は何度見ても飽きません。

 さて、Z80 SBCCP/Mを搭載するに当たって、前述の必要項目①~④のうち欠けているのは、③のフロッピーディスクのみです。
 いまさら入手困難な絶滅種のフロッピーディスクでもありませんので、ここはSDカードといきたいところですが、Z80に接続するには、インターフェースおよびソフトウエアの面で煩雑さが伴います。

 ということで、残された選択肢はCFカードと言うことになります。CFカードも絶滅危惧種ではありますが、このような用途に使用する1Gb以下のもの(かつて産業用に使われた?)はネットで安価に入手できます。







 CFカードは少し前にHDDなどで使われたIDEバスの規格に準じていますので、そのままZ80のバスに接続できますし、興味があるならIDEバスを持ったHDD(シリコンドライブが良いかも)やFDDも接続できそうです。









 その後確認したことですが、SD-CFカード・アダプターを使えば、左写真のように、SDカードも、マイクロSDカードも使うことが出来ました。

 右に配線図を示します。IDEコネクタは差し込まれる端子を上から見たものです(要注意!)。/CS0 はアドレス・デコーダ(74HC138)の14ピン(08H) へ接続です。


 また、40ピンIDEコネクタはVCC(+5V)がありませんのでこれも注意です。

 40ピンIDEコネクタはあまりにも場所をとりすぎますので、私は独自に18ピンのコネクターを作り使っています。(左)


 ということで過日述べたように、 CPUville 」という Donn Stewart さんのサイトをお手本にして、Z80 SBCへの CP/M 搭載の準備ができました。

では、次回、、、、

2018年11月6日火曜日

富士山とともにゴルフ、金時山登山

 先月末、同窓会のため御殿場に出かけました。

 またとないチャンス、、、、ということで、少し早めに御殿場に到着、ゴルフを楽しみ、夜は同窓会、そして翌日は健脚組という仲間に入れてもらい金時山登山にチャレンジすると言う計画を立てました。

 左写真は午前8時30分頃、富士川SAから遠望した富士山です。雲ひとつない富士山を見るのは久しぶりです。


 御殿場はなにせゴルフ場の多いところなので、目的地とは違ったゴルフ場に行き着いてしまい、少しあわてましたが、定刻にはティー・オフすることができました。

 ここ御殿場のゴルフ場はほとんどのホールから富士山を眺望できるように造ってあり、幸い雲ひとつない天候にも恵まれて、18ホールをホール・アウトするまでずっと富士山にはお付き合いいただけました。

 もっとも、次々と目にするすばらしい景色に心を奪われ、スコアはもうそっちのけの態ではありましたが、、、、

 



 ホテルに到着後、少し休息してから、敷地内で開催されているイルミネーションを観るために散策に出かけました。

 実のところあまり期待はしていなかったのですが、なかなかのものでした。後日聞いたところ以前から毎年開催されており人気のスポットだとか。
 
 面白いディスプレイをみつけました。

 1富士、2鷹、3茄子、そうです、縁起のよい初夢のことですが、鷹と茄子はつくりものですぐに分かりますが、富士は?? ありました、赤い橋の上に本物の富士山が影富士となって見えています。これも好天に恵まれたおかげです。

 そして久しぶりに再会した友人たちとの同窓会です。


 一夜明けて、今日も晴天で、富士山を見ながらの朝食もなかなかのものです、山に登る、、、ということで、しっかりカロリーも摂取しました。


 当初、2日目もゴルフの予定でしたが、金時山登山を「素人でも登れるよ」と勧めてくれた友人のおかげでチャレンジしてみることにしました。

 コースは左の日本山岳会の地図どうり、国道138号線(乙女道路)を御殿場側から登り、乙女トンネル直前の乙女峠バス停からスタートです。


 乙女峠に登り、長尾山を経て金時山を目指し、帰路は公時神社に至る、行程約5km、高低差約500mの初心者向けコースとのことでした。

 ちなみに金時山は山頂(1213m)が神奈川県と静岡県の県境に位置した箱根外輪山の最高峰であり、金太郎伝説発祥の山です。


 また公時神社は、大江山の酒呑童子退治伝説にある源頼光の四天王の一人である坂田公時(成人した足柄山の金太郎)が祀られており、金時神社ではありません。

 写真はスタート地点からの富士山で、この御殿場側からの姿も美しいとされています。

 いざ、先ずは乙女峠目指して出発です。

  この登山は、ホテルがサービスで計画しており、ボランティアの引率者、我々8名そして地元の参加者(ほとんど女性)をいれて総人員25名の大きな集団になりました。







 乙女峠から見た富士山です。
 この日は無風で暖かく、少し雲が出てきたようです。
 右写真は、反対側の箱根町の景色です。

 中央に白っぽく見えているススキの草原は仙石原、奥に高く見えるのは神山(1438m)、その手前に白くたなびいているのは大涌谷の水蒸気で、まさに箱根です。

 少し休憩して、いざ出発です。

 紅葉した木々はあまり多くはありませんが、でもこうして見ると秋景色です。

 見上げると、カエデでしょうか、紅葉しています。

 坂道を登っているときは、どうしても足もとばかり見てしまうので、なかなか気づくことはありません。







 長尾山山頂(1144m)です。でもただの平地で山頂らしくありません。ここで面白いものを見つけました。

 左が御殿場市、右が箱根町、それぞれが立てた道標です。この地は県境でもあるのです。



 比較的平坦な尾根を歩いていくと、左側に、木々の間から富士山が見えました。


 秋になって、木の葉が落ち、少し見通しがよくなったからでしょう、これも幸運のひとつです。

 ガイドさんの声で右上を見上げると、我々の目指す、金時山の頂上が見えました。

 ほんの近くに見えたのに到着するまでにまだ40分必要でした。





 少し、足もとの草木に目をやるゆとりが出てきたようです。







 ようやく金時山頂上にある、金太郎茶屋が見えてきました。
















 皆さん、思い思いに休息中です。
 この左側に金時茶屋がありましたが、閉まっていました。


 右写真は、金時山のモニュメントと金太郎のシンボル、鉞(マサカリ)です。
 もともと同じ場所にあったとのことですが、離れていたのでツーショットにしました。

 左上には本来、富士山があるはずですが、このころには雲が多くなり、稜線の一部しか見えていません。


 モニュメントの下に記入してある金時山の標高は、1212mとなっており、これまでの資料より1m低く記入されています。キチンと書き直されているので、最新のGPSによる測定結果(精度はmm単位だそうです)なのでしょう。



 左は箱根方向の写真です。
 前出の写真に加え、右上方向に芦ノ湖が遠く見えていますし、その手前にはゴルフ場も沢山みえています。

 ちょうど昼食時でしたので、金太郎茶屋で山菜蕎麦を食べましたが、あとで金太郎飴をひとつずつ頂きました。



 ということで、正午に下山開始です。

 公時神社分岐に来ました、往路は多少緊張していたせいもあって、あまり感じなかった足腰の疲れが、帰路になって徐々に感じられるようになってきました。

 特に、往路に比べて帰路は平均して下り勾配がきつく、足腰が弱っても体重の変わらない高齢者にはきわめてシビアでした。 

 そんな中、我々を和ませてくれたのは数少ない草花でした。
リンドウ(竜胆)とリュウノウギク(竜脳菊)です。リンドウはなぜか帰路に多く観られました。


 また回りを見ると根が露出した木々が登山道周辺に多く観られました。

 登山者が多く、登山道が踏み固められることによって、植物が生育せず、雨水によって容易に土が流れ去った結果で、いわゆる裸地化の現象です。また別の見方をすれば、金時山登山はこれほど人気が高いということでしょうか。


 前方に、注連縄を張り巡らした、真っ二つに割れた大岩が現れました。

 金太郎が母である山姥と住んでいたという金時宿り石です。割れ目は比較的新しいのですが、なぜ割れたのかは分かっていないとか、、、、


 多くの登山者たちによる、細い枯れ枝の支え棒には、大岩と対照的で、なにかしらユーモアを感じます。


 ようやく公時神社にたどり着きました。

 8名全員、無事に完歩できました、めでたしめでたしです。

 今回友人に紹介、勧められ、意を決して参加しましたが、好天に恵まれて久しぶりの仲間との得がたい思い出ができました。
 感謝!感謝!です。


 さて、明日はテニスの日だっけ、、、、