2014年1月7日火曜日

カンボジアへお寺参り (その7 ハノイ・ハロン湾クルーズ)

 昨夕ハノイに到着、一夜明けて今日はハノイから左図の右上にあるハロン湾へ移動です。
 そこでクルージングしながら一泊し、明日またハノイに帰り、市内観光後、深夜便にて帰国となります。

 ホテルを出発の際には、ドア・ボーイならぬドア・ガールがお見送りです。彼女の顔を見ていたら、、、、アンコール遺跡にあった観音様を思い出しました。





 ここハノイは急成長の真っ只中で、バスの窓からも近代的なビルの建設ラッシュですし、日本からのビジネスマンともお会いしました。

 でもそれは一部のことで、従来どうりの生活もあり、それが発展途上の国でよく見られるように、共存しています。


 ハロン湾までは一般道路で、一車線しかなく(拡幅工事中のところが何箇所もありました。)、バスで約3時間強かかりました。

 
 ようやくハロン湾の島々が遠くに見えてきましたが、ハノイに入ってからは天候も下り坂で、霞んで見えています。


 港に到着し、早速乗船です。客室は18室で2階建ての、こちらでは中型船?そのためか、船客は私たち以外にはなく、貸切、、、、ということでした。早速キャビンに入ってみましたが、狭いですが何とか寝られそうです。

 船のデッキに上がって周りを見てみると、私たちと同じような船があちこちに浮かんでいます。




 しばらくして、出港です。危惧していた揺れはまったくなく、快適そのものです。船首にたって前方を見てみました。赤地に星ひとつはベトナムの国旗です。ちなみに赤地に鎌のマークは共産党の旗だそうです。


 ハロン湾とは空飛ぶ龍が降り立った場所」という意味だそうで、大小2000を超える島々はもちろん世界遺産で、映画「007シリーズ」でもよく使われているのを思い出しました。



 午後は水上生活の人々の見学です。
 近くに到着すると、そこから4人ずつ小さな手漕ぎボートに分乗して遠くに見えている村?へ出かけました。

 ライフジャケットが物々しいですが、着用が徹底されていました。
 家々は船の上に住居を構えたよく見られるものでしたが、私たちは、保育園を見学させてもらいました。

 子供たちは身軽に船の上(といっても板が広く敷いてある)を元気に駆け回って、遊んでいました。
 現地ガイドさんに教えられてみてみると、日本からの援助の痕跡が、、、、(写真左下)。

 途中、よくPR資料に見られた、岩の下にポッカリとあいた大きな水路がありました。



 これらの手漕ぎボートは二本の櫂を両手でうまく操って漕ぐものですが、オール(またはパドル)のように水を掻いて進むのではなく、日本で見られる和船の櫓のように水を切って進むのです。

 このことを見つけて感激しました、やはり東南アジアは日本とは縁が深いです。


 本船に帰ってきました。右側が船首で、二階船首側がレストランになっています。


 船の上では、いろいろと催しを考えてくれていました。
 左写真は春巻きを巻く(もちろん亭主連が)ための下準備です。さまざまな形のものができましたが、うまく揚げてもらっておいしくいただきました。
 ディナーの中の1品です。お皿に船名「ブハヤ(Bhaya)」が書かれていました。

 ここでのビールは、もちろん「ハノイ・ビール」です。

 食後のアトラクションに、タオルやナプキンを使っていろいろなものを作って見せてくれました。

 犬に見えますか?



 そして夜も次第に更けていき、デッキへ出て驚きました。煌煌とライトをつけたクルーズ船が、次々と集まってきていました。
 なるほどここは錨地(船のパーキングエリア)なのでしょう。
 まだイカ釣りなどの行事もあったようですが、疲れもあり早々にキャビンに行き、おやすみなさい。

 今日こそは!!と念じつつ早起きをしましたが、残念ながら空は曇りで、昨日のサンセットも、今朝のサンライズも観ることができませんでした。
 右写真はわずかに明るくなった東の空ですが、昨夜見た船(上写真)も見えています。
 2000余りあるという島々の景色は、瀬戸内海を思い出しましたが、規模はそれよりもずっと大きなものです。


 さらに周りにはたくさんの船が、、、、



 私たちがいるのを見つけてか、舟が何艘もあつまってきました。物売り舟です。

 よくみると(拡大してみてください)、面白そうな貝殻や真珠などで作った装身具などが広げてありました。
 写真のように長いさおの先につけたかごの中に商品やお金を入れてやり取りをするようです。
 
 右写真は物売りも一段落した売り子さんたちが停泊中のクルーズ船を背に朝食中です。

 朝食後、今度は少し大型の渡し舟に乗り換えて鍾乳洞見物に出かけました。
 前方に私たちのグループの先行船が見えています。

 島の中ほどに見えているのが鍾乳洞で、一巡りするのに階段を300段あまり登らなければならないと聞いて、一瞬「大丈夫かな?」。


 ようやくにして鍾乳洞の入り口にたどり着きました。

 振り向いてはるか見下ろすと、きれいな景色です。これで天候が快晴だったら、、、、


 鍾乳洞の内部は、種々の色照明がいたるところにされており、見るべきものも見えないありさまでした。




 左上写真は写真をモノクロにしてみましたが、左上の穴ボコ状の鍾乳石が珍しいとのこと、、、、
 右写真は出口から中を振り返ったところです。小さく写っている人に比べて、規模がわかります。(照明も)

ということで船に帰り、昼食後港からハノイへの帰途に着きました。

 写真はバスの車窓から見た、典型的な(都市部でも、農村部でも)ベトナムの住宅です。

 どの家も間口が狭く・一定で、奥行きと、高さで容量を変えるしかないようです。

 ハノイ市内の繁華街で懐かしい看板を目にしました。マリリン・モンローです。
 ここは共産主義国家だっけ?でもあなたはいつでもどこでも輝いています。

 市内で最初に行ったのは世界遺産のタンロン遺跡です。左写真は城門で、大勢の学生?が何か集まっています。卒業祝いでしょうか。

 タンロン(昇龍)はハノイの旧称で、紀元1010年から約800年間、ベトナム諸王朝がここに都を置いたのでそれぞれの時代の遺跡が重なっているのが特徴で

 広場には男女が楽しそうにそれぞれ時を過ごしていますが、右後方に目をやると、旧ソ連のミグ戦闘機です。
ベトナム戦争の戦勝記念でもあるのでしょうか。



 左写真はかつて王宮の階段を飾ったと思われる龍の彫刻です。左右一対の左側ですが、世界遺産といわれなければ気付かない存在です。

 これも古い時代の城門です。(右写真)
 数人の女性がこちらに歩いてきますが、アオザイを着ていません。先ほどの広場の女性はみな白いアオザイを着ていました(独身)が、、、、
 次に私たちは、ホーチミン廟をおとずれました。
 すでに夕闇が迫っていましたが訪れる人は後を絶ちません。遠くに衛兵に護られたホーチミン廟を背にベンチに腰掛けた若い恋人たちは何を語り合っているのでしょうか。

 最後にこの地方の伝統芸能である、水上人形劇を鑑賞しました。

 ベトナムには各地に水上人形劇があるそうですが、ここハノイのホアンキエム湖の湖畔にあるタンロン水上人形劇はつとに有名で人気が高いそうです。

 舞台は、階段状の観客席の前に見下ろされるように設置されており、両側の演奏者席で奏でられる民族楽器と唄にあわせて中央のプールの中で演じられます。
 人形はイチジクの木で作られており、日本の操り人形のように舞台の後ろ側から操作するものと思われます。

 もちろん仕掛けなどは水面下にあり観客には一切見えない工夫と技があります。

 演目は、ベトナムの民話・伝説・神話など題材としたもので情緒のあるベトナム民謡の調べや女性歌手の歌声にのせ速いテンポとコミカルな人形さばきで私たちを楽しませてくれました。


 上写真は「田植え」です。

 演技終了後、演者がそろってご挨拶です。(舞台の大きさがわかります)


 このあと、レストランに移動し、これまでの無事を祝って、シャンパンで乾杯、その後深夜便にて日本への帰国の途に着きました。

 
 今回の旅は、アンコール遺跡を主体に考えていたのですが、その他いろいろな文化に触れることができ、大変楽しく、有意義でした。同じツアーでお世話になった方々にも感謝したいと思います。

                     ----- 完 -----

2014年1月6日月曜日

ニューイヤー・コンサート 2014

この写真を含め、今回の写真はすべてパンフレットなどより
 ニューイヤー・コンサートといっても残念ながらウィーンに出かけたわけではありません。

 地元での演奏会でしたが、ヨハネス・ヴィルトナー指揮のウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団で、よく日本でも演奏している全員本場?のメンバーです。

 写真はウィーン楽友協会の大ホール黄金のホール)での実際の演奏風景ですが、今回もホールの大きさもほぼ近いですし、オーケストラの編成、人員(約40名)そして楽器配置もほとんど同様でした(花の飾りつけも、、、、)

 指揮のヨハネス・ヴィルトナーさんオーストリア生まれの57歳で、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団にヴァイオリニストとして在籍経験があります。

 その後スロヴァキア国立コシツェ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者、プラハ国立歌劇場の首席指揮者、ライプツィヒ歌劇場の第一常任指揮者ノイエ・フィルハーモニー・ヴェストファーレンの音楽総監督などを経て、現在はこのウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団の指揮者とBBCコンサート・オーケストラの首席客演指揮者を務めているとのことでまさにヨハン・シュトラウスにピッタリです。

 上の写真は彼のバイオリン奏者でもある一面を披露しているところで、今回の演奏会でも、ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「ウィーン気質」では指揮をしながら、コンサートマスターとのすばらしいデュオを聴かせてくれました。

 今回の演目は、
ヨハン・シュトラウスⅡ世:歌劇「ヴェネツィアの夜」序曲
ヨハン・シュトラウスⅡ世:狂乱のボルカ Op.260
ヨハン・シュトラウスⅡ世:ワルツ「南国のバラ」Op.388
ヨハン・シュトラウスⅡ世:ポルカ「オーストリアからの挨拶Op.359
ヨハン・シュトラウスⅡ世:ポルカ「恋と踊りのときめき」Op.393
ヨハン・シュトラウスⅡ世:ワルツ「ウィーン気質」Op.354
 そして休憩を挟み、
ヨハン・シュトラウスⅡ世:山賊のギャロップ Op.378
ヨーゼフ・シュトラウス :ワルツ「天体の音楽」Op.235
ヨハン・シュトラウスⅡ世:メロディーエン・カドリーユ Op.112
ヨーゼフ・シュトラウス :鍛冶屋のポルカ Op.269
ヨハン・シュトラウスⅡ世:チック・タック・ポルカ Op.365
ヨハン・シュトラウスⅡ世:ワルツ「美しく青きドナウ」Op.314
 と、ニューイヤー・コンサートのお約束どおり、シュトラウスファミリー作曲のものに限定されています。

 コンサートは後半に入ると徐々に盛り上がり、鍛冶屋のポルカでは打楽器奏者が巨大な金床たたいて見せました。左写真にあるのは本場のコンサートで指揮者自らがたたいている様子で、写真の右下が今回の金床の形です。

 またアンコール曲のヨハン・シュトラウスⅡ世ポルカ「クラップフェンの森にて」 Op.336 ではカッコウ笛が使われましたが、手でフイゴを押すタイプははじめてみる珍しいものでした。右写真は参考に、、、、

 そして、ワルツ「美しく青きドナウ」のイントロでの拍手はなかったものの、アンコール曲最後の ヨハン・シュトラウス世:ラデッキー行進曲 Op.228 では指揮者の指示曲の強弱に合わせ大きな手拍子、小さな手拍子と客席も演奏に参加してオーケストラと一体になって曲が進行していきました。


 まさにこの、生きることと幸せを感じる瞬間こそが、ニューイヤー・コンサートの醍醐味というものなのでしょう。

2014年1月1日水曜日

新年のご挨拶


 新年明けましておめでとうございます。
 本年も相変わりませず、よろしくお願いいたします。

 早いもので、もう1年が過ぎ、新しい年がやってきました。今年はなんといっても午年で、私の干支です。千里を駆け抜けるという元気にあやかって一年を過ごしたいと思います。

 左写真は毎年私が手作りしているお飾りです。
 とはいっても、あちこちで材料を集めてきて、全体をひとつにしただけのものですが、このなかの松の小枝がなかなかなくて苦労しました。

 家を建てたン十年前は周りにいくらでもあったのですが、今回は朝の散歩の折ようやく1本だけ見つけた松からいただいたものです。長い期間で見ると、まわりの植物相もずいぶん変化しているものだといまさらながら感じ入りました。



 部屋の中の飾り花もナンテンの赤が映えて美しいです。





 そしてお飾り餅です。

 我家ではこれも毎年つくりますが(もちろん餅つき機でコネてかたちをつくるだけ)、そこそこの姿につくるには、紙で鉢巻状の輪をつくり、そのなかにとりわけて粗成形した餅をいれて、ほどほど時間を置いて少し固まってから輪をはずすとうまくいきます。でも今年は少し、オーバー・デコレィション??


 左写真は家人のお友達からの頂き物です。

 飛騨地方でよく見かける「猿ぼぼ」が細い木の枝に8体並んでいるのを右下手前のミドリの「猿ぼぼ」がボートレースのコックスのように何か応援しているように見えますが、謂れは聞きそびれました。でも色と形がお気に入りです。


 右写真は年末ギリギリにやってきた Nexus7 2013 のLTEモデルです。
 これまで時間をかけて、いろいろ調べていましたが購入することにしました。スマート・フォンにはあまり乗り気ではなかったのですが、最近になって家人がiPadをスイスイと使いこなしているのを見て、私も、、、、いよいよタブレット1年生です。


 左写真はロンドンにあった自然保護団体(ナショナルトラスト)の店からつれて帰ってきた木製のアヒルです。
 
 なんとなく愛嬌があって気に入っていますが、このアヒルたちのように今年もなかよく、健康にすごしていきたいと思っています。



 申し遅れましたが、もちろん皆様のご多幸をもお祈りしております。