2018年5月22日火曜日

猿投山に登ってきました。

 5月の連休中に猿投山に登ってきました。

 猿投山は愛知県豊田市と瀬戸市にまたがる標高629mの山で、愛知高原国定公園に含まれており、東海自然歩道が通っています。

 それほど険しくも無く、老若男女が楽しめると言うことで人気の高いコースだそうです。

 私たちは左図のように猿投山山麓の猿投神社を出発しました。

  猿投神社 ― 御門杉 1.6k 30分
  御門杉  ― 東の宮 2.5k 60分
  東の宮  ― 山頂  0.9k 25分
と 5km・約2時間のコースで標高差は489mです。


 出発地点にある猿投神社は日本書紀の記述にもある古い神社で、主祭神が大碓命(おおうすのみこと)とされたのは近世以降で、それ以前は猿田彦命だそうです。

 猿投神社は猿投山の麓にこの本社、猿投山東峯に東宮、西峯に西宮がそれぞれあります。

 当日は連休中のこととて、9時前でしたが、駐車場はすでに満車状態で、同行してくれた帰省中の息子と孫が少し離れた駐車場へ、、、、私たちは先行して出発です。


 途中見かけた水神さまを祀った跡でしょうか、いかにも歴史を感じさせます。

 




   




 今年は春の訪れが早く、すでに若葉の季節になっていましたが、それでもところどころにきれいな花が咲いていました。

 トロミル水車目指して緩やかな舗装路を登っていきます。
 昨日までの暑さとは異なり、今日はなぜか身体を動かしていないと我慢できないくらいの涼しさです。ザックから上着を出して着込みました。

 右写真がトロミル水車(復元)です。
 水車の回転軸に取り付けられた、円筒形の容器の中にサバ土とこれを粉砕するクリ石や鉄球をいれて長時間回転させることで良質な陶磁器(瀬戸焼)の原料を作るためのしかけで、昭和40年ごろまで多く使われたと説明板にありました。



 タニウツギでしょうか、ピンク色の花がきれいです。








 最初の目標地点の御門杉(ごもんすぎ)まできました。
 ここまでは鼻歌交じりでしたが、舗装路ともお別れし、山道にはいっていきす。









 があちこちにあるのは当然ですが、登山道は思いのほか整備されていて、あまり危険は感じられませんでした、人気のある理由のひとつかもしれません。








 ツツジもそれほど多くはありませんでしたが、よく見かけました。










 登山道のところどころにある道標です。出発点から3km/5kmで1時間とあります。

 距離は3/5なのですが時間は1時間、、、ということは、これから登りがキツくなるということ?



 東の宮への入口にある鳥居まできました。
 ここには御門杉から登山道に入らず、舗装路を登って来ることもできます。(自動車も可)
 またお手洗いがあり、小さな駐車場もあります。









 東の宮へ到着しました。
 比較的小さなお社でしたが、静かで厳かな佇まいでした。



 ここから猿投山山頂へは、0,9km・25分とあります。
 先に行った孫たちは影も形もありません。



 途中みかけたカエル石です。この猿投山には大きな石が多くありこれもそのひとつです。










 横から見るとカエルのように見えることから、命名されたそうですが、この石は、「古代の磐座(神社の本殿にあたるもの)であった」とも言われています。
 でも、落書きはいけません、、、、

 山頂付近は比較的なだらかな道になっていました。
 ただ残念なのは、山頂でも木々が生い茂っているので、折角高いところに登ってもあまり眺望がよくないことです。

 また登山道のあちこちに木の根が浮き上がっているとことが多くあり、歩きにくくなっていました。(左写真)
 これは、長い時間かかって表面の土が雨で流されてできたものと思われます。猿投山ももう何センチmかは低くなっているかも、、、、


 ようやくにして山頂・629mに到着です。

 写真は北側の瀬戸市方向の眺めです。(南側は木々が茂っており何も見えません)

 晴れた日には御嶽山も見えるとのことですがこの日はあいにくでした。


 まちかねていた孫たちと持参のおにぎりを食べました、そのおいしかったことは筆舌に、、、、!!

 帰路は万が一を考えて東の宮の鳥居から舗装路を下りましたが、その距離は思ったより長く、路を間違えたのではないかと思ったほどでした。
 途中見かけた藤の花がきれいでした。


 体力については、往復で4時間ほどかかりましたが、それほどゆっくりの道程ではなく、ごく普通でしたので多少自信になりました。


 帰宅して、もしかして私たちが最年長?と話したら、息子いわく、山頂であった女性は80歳超だとおっしゃっていたよ!だって、、、

2018年5月5日土曜日

春の山陰旅行 その3/3(松江城、足立美術館)

 さて、きょうは3日目の最終日、左地図の⑥玉造温泉から⑦松江城、そして⑧の足立美術館を経て帰路に着く予定です。

 特に松江城は今回最も楽しみにしていたところで、期待が大きく膨らみます。


 玉造温泉から松江は10km程度で宍道湖を左手に見ながら進みます。 右写真の「嫁ヶ島」が見えてきましたので松江はもう間近です。

 このあたりは名物のシジミ漁が盛んだそうで、漁船が何艘も見えています。

 松江市外に近づくにつれ軽い渋滞がありましたが、程なく松江城が見えてきました。


 立派な石垣の上に櫓が見えています。
 左が「南櫓」、右が「中櫓」です。
 そしてさらに右手には「太鼓櫓」があります。






 ここ松江城は、関が原の合戦で戦功のあった堀尾吉晴(右写真)が、出雲・隠岐両国を拝領した子の忠氏と共に、浜松から月山富田城に入ったが、松江の将来性に着目して城地を移すことを決意し、もともと城普請の名人であった吉晴は、孫の忠晴を助け松江城と城下町を建設し、完成したのが最晩年の1611年だったのです。

 ところが皮肉なことに1633年には忠晴が死去したのち、嗣子がなくて堀尾氏は3代で改易となってしまったのです。




 そのあとに京極忠高が若狭国小浜藩から入封しましたが、彼も嗣子なくして没し、次いで信濃国松本藩より松平直政が出雲186千石で入封、以後、明治維新まで続いたのです。

 左写真の広場は「馬溜り」跡、左上に見えているのは「太鼓櫓」で上写真の右続きとなっています。


 そして右方向は、大手門跡です。
 案内してくださったボランティアさんの話では、大手門を再現したいけれど、図面などの資料が無く、ただいま500万円の賞金つきで募集中だとか、、、、




 天守閣がみえてきました。
 全体が少し黒っぽいですがキリリとして美しい城だと思います。

 千鳥が羽を広げたように見える曲線を持った三角屋根を「千鳥破風」と言い、松江城の天守にはそれが東西南北の四方に乗っていることから千鳥城とも呼ばれています。


 今回は修復のためか、天守内の展示物がほとんど無く、上写真のように柱が林立している様子を詳細に観ることができました、こんな機会はめったにありません。

 右写真は、天守から見下ろしたものです、松江の街が朝もやで霞んでいます。











 左上は、約3年前に松江城の天守が国宝に指定されたときの国宝指定書です。

 それまで日本における国宝天守は、松本城、犬山城、彦根城、姫路城、の4城にありましたが、これに松江城が加わって、5城となったのですが、私たちも今回の旅行、でめでたく国宝5天守登攀が達成できたと言うわけなのです。

 これまでこの松江城は、国宝級と称されていたのですが、国宝となるための、建設された時期を特定する資料がなかったのです。

 これを見つけるために500万円の懸賞金を掛けて探していたのですが、3年前に近くの神社から左写真に見られる祈祷札が2枚発見されたのです。(この祈祷札は左右2枚あり、写真は左側で、もちろんレプリカ)

 さらに、見つかっただけでは不十分なのですが、祈祷札が柱に釘で打ち付けられていたと見られる穴がそれぞれ2箇所ずつあり、手分けして城内の釘穴跡をくまなく探したところ、これらの所定の場所でピッタリ合致する跡が特定され、メデタシメデタシ、、、、と相成った次第なのです。

 右写真は天守にあった鯱鉾(旧)で木型に銅板を貼り付けてありますが、ほぼ2mあり現存するものでは日本一、左側の雄はうろこが大きくしてあるなど興味津々です。







 天守を出てしばらく散策です。

 左写真はかつて小泉八雲(ラフカディオハーン・Patrick Lafcadio Hearn)がこの前を通り、松江城内を抜けて島根県立中学に通勤したという城山稲荷神社です。

この境内には千体を越えるキツネ像がありますが、この入り口には狛犬とキツネが仲良く並んで出迎えています。




 私たちが進む方角がお城の北側なので、満開のサクラがまだ数本残っていました。
 ツバキが赤いアクセントとなっています。

 堀を渡る稲荷橋上から堀川めぐり遊覧船を見送りました、少し時季をはずしているせいか、乗客は1カップルのみ。
  右写真は、その少し先にあった小泉八雲記念館(右隣は小泉八雲旧居)です。
 時間が無いので今回は立ち寄りません、、、とはあんまりな!!

 またこの近くには武家屋敷などが多い塩見縄手などもあり、さらには、大名茶人で名高い出雲松江藩7代松平治郷(不昧公)没二百回忌記念(平成30年)とかで盛り上がっていました。是非もう一度、、、、



 後ろ髪を引かれる思いで、次は30分強かけて足立美術館です。


 左写真は足立美術館の駐車場から遠望した、難攻不落とされた月山富田城(前述)です。

 ここは170年間の尼子氏六代の盛衰の舞台で、あわせて山中鹿助の名も思い出されます。



 足立美術館を訪れるのは初めてではありません。












 足立美術館は地元出身の実業家・足立全康氏が1970年、氏が71歳のときに開館したもので、横山大観の作品集蔵数は130点にものぼり、質量ともに日本一とされていますが、もちろん他の著名な作家の作品も数多く収蔵されています。

 足立美術館のさらなる特色は、面積5万坪にも及ぶ広大な日本庭園で、「庭園もまた一幅の絵画である」という全康氏の言葉通り、絵画のように美しい庭園は国内はもとより海外でも高く評価されています。
(上は額縁に見立てた窓からの庭、右はパノラマ写真)


 過日、「春の山陰旅行 その2」で述べた、アメリカの日本庭園専門誌であるThe Journal of Japanese Gardening(ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング)が主催する、「日本庭園ランキング2017」で15年連続1位となっています。

 先回できなかった館内レストラン「大観」での食事を実現すべく、少し早めに入店しました。

 ランチはメニューも多くないですが、気にかかっていた笹巻きおこわをオーダーしました。(左上写真)
 島根和牛、赤貝、そしての三種類の笹巻きおこわを日本一の庭を眺めながら、おいしくいただく時間は最高でした!!

 もうひとつの懸案はお茶室でお茶をいただくことでした。

 館内には「寿立庵」(伝統的な建築の茶室)と「寿楽庵」(和風カフェ)があり、お目当ては前者です。

 「寿立庵」は京都・桂離宮にある「松琴亭」の意匠を写して建てられた茶室で、庵号は、裏千家15代前家元・千宗室氏によって命名されたとの説明を受けました。


 ランチより高価な茶代のせいか、空いており、先客は1組のみでゆっくりとした時間が持てました。
 お菓子も、地元の風流堂のお菓子だとかで、お茶の味をいっそう引き立ててくれたように思いました。

 右写真は茶室内の様子です。
 壁のムラやシミなどは職人さんが腕を振るって古色を出したとか、右下の襖の引き手は左が松葉、右が櫂をデザインしてある、、、、などなど。


 ガラス越しに観た庭園です。

 お庭へもどうぞ、、のお許しを得て、沓脱ぎ石にならんだ和風スリッパ?を履いて庭に出てみました。






 




 








 素人の私にはよくわからないことばかりでしたが、ありとあらゆる点に妥協することなく、心血を注いであるのではないかと想像しました。

 そのようにしているうちに時はあっという間に過ぎ去り、帰途に着くことになりました。

 遠くに見えているのは中海です、ところどころに見られる梨畑には真っ白な花が満開です。

 往路と同様に、少し山を上がっていくと左写真のような見事な櫻並木も観られました。





 伯耆富士(大山)も最終日にはようやくきれいな姿を見せて見送ってくれました。

 また今回は地震のハプニングもありましたが、十分に楽しめた山陰旅行でした。