2016年11月30日水曜日

晩秋の鎌倉

 11月もそろそろ終わろうかと言う時期に鎌倉へ出かけてきました、気まぐれ以外の何者でもありません。

 今回は由比ヶ浜にホテルを取り、長谷寺に参拝し、大仏さんと久々の再会をし、友人から教わった「段葛 こ寿々」なる店で蕎麦を手繰ろうと言うわけです。

 でも地図で調べて驚きました、長谷寺と「段葛 こ寿々」はずいぶん離れています、およそ2kmはあるでしょうか、まあいいか、、、、

 前日に新幹線の車窓から富士山を撮影しました。お定まりの、富士川鉄橋越しの冠雪富士です、カレンダーの絵のようにうまく撮れました。

 私たちが宿泊したホテルです。
 多少古いですがその分落ち着きがあり十分にくつろげました。

 翌朝少し早起きをして朝食前の散歩に出かけました。
 シャレた家々をあれこれ観察しながらものの10分もかからずに由比ガ浜に出ることができました。


 左写真は東方向にある逗子海岸を遠望したものです。
 
 天候はあまりよくはありませんが雨の心配はなさそうです。

 朝食は洋食を頼んでおきましたが、配膳方式で気を良くしました。この歳になるとビュッフェ・スタイルは疲れます。

 ホテル前の由比ヶ浜大通りから西側を望むと突き当たりに長谷寺の大屋根につけられた金色の飾りが見えました。なるほどこの道路は「観音大通り」とも称されるのでしょうか。(写真中の右上)

 昨日ホテルに着いたときにはこの道路は渋滞していましたがさすがに朝は車も少なく、まだ開店してはいないものの古い店々の佇まいも楽しみながら歩を進めました。

 まもなく山門に到着しました。赤い大提灯が下がっていますが、浅草の浅草寺をはじめ観音様を祭ってあるお寺にはよく見かけるようですが何故かはわかりません。

 きれいに刈り込まれた門前の松と写真中の右側に見えるタブの樹(椨 クスノキ科)が印象的でした。

 ここの本尊である十一面観音像の由来は、大和の長谷寺奈良県桜井市)の開基でもある徳道楠の大木から体の十一面観音を造り、その体を本尊としたのが大和の長谷寺であり、もう体を祈請の上で海に流したところ、その15年後に相模国の三浦半島に流れ着いたとありますが像の高さは9.18メートルもあり、木造の仏像としては日本有数だそうです

 これを鎌倉に安置して開いたのが、鎌倉の長谷寺(海光山慈照院)であり長谷観音とも呼ばれているのです。

 長谷寺は花の寺とも呼ばれ紅葉も期待していたのですがほどほどでした。


 境内の回遊路にはアジサイなどが多くあり、季節には佳い眺めになることでしょう。
 そんななかでもいくつかの花が彩りを添えていました。
 ピンクのシュウメイギクは珍しい?



 




 こちらはシャクナゲですが季節はずれです。




 濃い赤が際立った黒光と言う名前のボケ(木瓜)ですがこれも少し早いようです。





 ふと足下の側溝を見ると先日降った11月にしては記録的な初雪の名残がありました。


 さらに裏山の高みに登ると由比ガ浜と鎌倉の街並みが見渡せました。







 展望台の案内図に従って裕次郎灯台なるものを超望遠で狙ってみました。
 真偽のほどはわかりませんがそれらしいものが沢山のウィンドウサーフィンの向こう側に写っています。

 裕次郎灯台と言うのは故石原裕次郎の三周忌を記念して兄慎太郎が基金を募って建てたものだそうで、正式には葉山灯台といいます。


 長谷寺をゆっくり時間をかけて見物したのち、大仏さんに再会するために出かけました。前にお会いしたのは中学の修学旅行のときでしたからもう60年も経っています。

 長谷寺のすぐ前の参道に古い建物があって何か案内板がありました。

 それによればこの建物は僊閣(たいせんかく)という明治末期からの旅館でかつて高浜虚子がホトトギスの会を開いたとか、与謝野晶子や島崎藤村の奥方が宿泊した歴史が語られる、、現在も営業中。

 絵様肘木風の持ち送り板で支えられた正面の高欄や欄間窓など、社寺建築で見られる意匠が多用された建物です。鎌倉市景観重要建築物にも指定)
 
 この大仏様は大異山高徳院清浄泉寺(しょうじょうせんじ)の本尊(阿弥陀如来像 国宝「鎌倉大仏」「長谷の大仏」として知られています。

 鎌倉時代に造られましたが室町時代にかけて大風、地震、津波などかさなって建物はありません。
 なお本像の鋳造に際しては宋から輸入された中国銭が使用されたとか、、、、

 料金¥20也を払って大仏様の体内にはいってみました。
 左写真の黒い穴が頭の部分で、その周りにはってあるテープ状のものは耐震補強のFRPです。
 さすがに草鞋も大きいです。

 そろそろお昼のことが気にかかり始めたので冒頭地図の右上、鶴丘八幡宮の蕎麦屋さんに向けて由比ガ浜大通りを東に進みます。

 途中で見かけた鎌倉彫のお店です、何かこだわりを感じます。

 昨日休息のため立ち寄った蕨餅のお店で今から行く「段葛 こ寿々」と同じ店ですがここでは蕎麦は商っていません。

 ようやく六地蔵の交差点までやってきました。
ここは、鎌倉時代、問注所での裁の結果、有罪となった者処刑場の跡地供養のため六体の地蔵が建てられたとのこと。(右端の物陰にもう一体あります)

 六地蔵の背後にある、松尾芭蕉の「夏草や兵どもが夢のあと」が刻まれた句碑にちなんで、この辺を「芭蕉の辻」とも呼ぶそうです。

 この句は奥州平泉で詠まれたものですが、鎌倉にも似合う句ということなのかもしれません。


 ようやく鎌倉駅の西側に到着です。
 隣接した小さな公園に時計塔がありました、調べてみるとこれは昭和59年(1984)旧駅舎を建て替えた際それまであった屋根の上のシンボルをここに移して保存しているとのことでした。

 二の鳥居へ着きました。この奥が鶴丘八幡宮ですが時間の関係でここからのお参りです。

 この参道のことを「段葛(だんかずら)」と呼びますが、この名は、葛石を積み上げて造られたことによります。


 またこの「段葛」は参拝者に鶴岡八幡宮を遠くに見せるため先に行くほど狭く造られています、遠近法の手法は古くからあったんですね!

 そんなわけでこの老舗の蕎麦屋さんの名前「段葛 こ寿々」も納得です。

 左写真の右下の看板もいっそうありがたく見えます。

 やっとお昼にありつきました。
 これが「こ寿々蕎麦」で、お皿に盛った蕎麦の上に天カスと海苔、薬味そして中央には大根おろしが盛ってあり、その上から汁をかけまわして食べるのですが、きわめて腰の強い蕎麦との相性は抜群で、ひさしぶりにおいしい蕎麦をいただきました。

 
 私たちはほとんど待つことなく席に着くことができましたが、食べ終わって外に出たとき、路を歩く人の「ここはいつも混雑している店なんだけれど、きょうはずいぶん空いてるね」という会話を耳にしました、ということは、、、ずいぶん幸運でした。

 おなかも満ちて元気が出てきたので、もと来た道をまたゆっくり江ノ電の由比ヶ浜駅まで再度散策することにしました。

 上写真は途中見かけた紅葉した蔦です。


 由比ヶ浜通りを江ノ電の由比ヶ浜駅近くまで来たとき、帰りの電車の中で食べようと麩まんじゅうを求めました。
 この店は「麩帆(ふはん)」という名の知れた生麩の店で、笹で包んだ麩まんじゅうは皮がしっかりしており中の餡のすっきりした甘さがなんともいえないものでした。

  由比ヶ浜駅で電車が入ってくる様子です、車両は何種類もあるようですが、昔からあるようなおとなしい塗装です。
 今日はひさしぶりによく歩きました、後でチェックしたら16000歩をこえていましたが古い町を気ままに歩くのもいいものだと感じました。

2016年11月29日火曜日

晩秋の庭花たち

 今年の紅葉そろそろ終わりの季節になりました。
 我家の庭に咲く秋の花はあまり多くはありませんが、それぞれに美しく、ブログにアップしようと思い立ちました。

 左写真はこの庭に初登場の花で、家人も植えた覚えが無いのに、、、、と思案投げ首です。

 小鳥たちが運んだか、はたまた風のいたずらか我家ではよくある出来事です。いろいろ調べた結果、どうやらニンニクの花ではないか、と言うことになりました。それが本当ならずいぶん痩せた花ですがでも朝の光をあびた姿は美しいです。

 今年はバラも花数は少なかったですが、花の女王と言われるだけあって秋の寂しい庭で光り輝いています。

 秋から冬への定番と言えばシュウメイギク(秋明菊)でしょうか、昨年までは元気に処理に困るほどたくさんの花が咲き乱れていたのですが、今年は何故かほんの少し申し訳程度に咲いただけでした。


 そんななかで長年白い小さな花をたくさんつけて咲き続けているのはアリッサムです。
 本来は毎年花を咲かせる多年草なのですが、高温多湿に弱く夏に枯れてしまうことが多いので、秋にタネをまいて春に花を楽しむ「秋まき一年草」として扱うことが多いようです。花色はほかに赤、紫、ピンクなどもあります。

 ただ我家では春に咲き、夏を越して秋にも咲き、また冬を越す本来の姿を見せてくれていますが、これも家人の丹精のおかげです。


 つづいてはホトトギスです。

 左写真の不如帰の胸の模様に似ていることから同じ名前をもらいました。

 草花ではありませんが左写真はマユミ(檀弓)です。この木は強い上によくしなる為、古来より材料として知られ、名前の由来になりました。
 一昨年枯れかけて処分されるはずでしたが、庭師さんにかろうじて生きている一枝を残し再剪定してもらった結果生き残りようやく実をつけました。
 こののち葉も紅葉して、ゆく秋を彩ってくれます。
 この時期花も終わりに近づいたセージたち3点です。

 右写真はコバルト・セージで細めの枝がまっすぐに上方に向かい、花が終わったあとも枯れ残った姿がなかなかの風情を見せてくれます。 



 左はチェリー・セージです。
 赤と白のコンビ色のものもありますが我家は赤のみです。


 そして最後はメドー・セージです。

 これらのセージは多年草で毎年我家の庭を彩ってくれています。
 もともとセージは薬草なのでハーブとして用いられており、葉を指で揉むと心地よい健康的な香りがします。

 蛇足ながらセージはラテン語のサルビアから来ているそうです。

 ハーブが出たついでに肉料理に良く使われるローズマリーも挙げておきましょう。

 魔よけの意味もあるので我家ではヒイラギナンテンとともに玄関を守ってくれています。

 気をつけて見ないと見落としそうな小さなピンク色の花もかわいいです。






 庭の片隅で静かに咲いているのはニチニチソウです。
 初夏から秋にかけて花が次々と咲き代わっていくことからニチニチカ(日々花)で、これがいつの間にかニチニチソウ(日々草)と呼ばれるようになったとか、、、、

 ならば、と現れたのはセンニチコウ(千日紅)です。これは夏から秋にかけて永い間ひとつの花が咲き続けることからの由来です。

 この花の種子は小さく風で運ばれやすいように翼がついていますので、あちこちに旅をすることができます。

 そしてこちらはピンクの丸い花の登場です。調べたら、ヒメツルソバ(姫蔓蕎麦)と言うのだそうです。

 もともとはヒマラヤ原産の植物で、日本には明治時代にロックガーデン用に導入されたというだけあって丈夫でグランドカバーに用いられます。

 当初は雑草だとばかり思っていましたので、園芸店で売られているのを見たときは本当にびっくりしました。 

 (左)私はハーブは嫌いではありませんが、このバジルだけは少しだけ苦手です。
 日本では冬越しができないので、秋も更けそろそろ種子を作るために花が咲いていますが、シソの親戚だけあって形が良く似ています。

 右写真のツワブキ(石蕗)も秋の庭草の定番で、この印象的な黄色は秋の終わりを告げてくれます。

  このツワブキも通常のフキと同じように葉柄を食用にしますが特に佃煮にしたものが私は好物です。

 最後に登場した花もこの庭に初登場の花です。
 中学時代の友人にいただいたものなのですが、残念ながらこの繊細で野趣に満ちた花の名前はわかりません。

 秋の庭花たちをざっと観てきましたが、花はこれで終わったわけではなく、ビオラ、サザンカ(山茶花)、ツバキ(椿)、カンアヤメ(寒菖蒲)などとつながっていきます。今年は何故かヒマラヤユキノシタがもう元気に咲き始めました、次々に花が楽しめるのはありがたいことです、、、、家人に感謝です。

2016年11月18日金曜日

80年前の映画を観てきました

 先日古い映画を観てきました。
 1933年の公開ということですので、正確には83年前と言うことになります。

 「会議は踊る」がこの映画の題名ですが、今になるまで機会が無く、今回ようやく念願がかなったのです。

 以前このブログで紹介した(チャップリンの 「街の灯」をオーケストラ・ライブで観てきましたアメリカ映画であるチャップリンの「街の灯」は1931年でしたので、ハリウッドからの映画の波はヒトラーが台頭しつつあるドイツにも例外なくトーキー化の技術と共に押し寄せたのでしょう。

 淀川長治の世界クラシック名画100撰集に選ばれているとは言うもののあまり一般的でないのも確かですが、この映画の主題歌、「 Das gibt's nur einmal 」(日本語訳の題は「唯一度だけ」または「命かけて只一度」)はいつかどこかで耳にしたメロディとして多くの人の心の中に根付いているものと思います。

 また、宮崎駿の「風立ちぬ」の挿入歌にも使われていますが、時代背景が似ていると言うだけではなく、宮崎監督自身の心に根付いていたものが表現されたのではないかと私は思います。

 物語はナポレオンが失脚しエルバ島に流された後の戦後処理のために開かれた1814年のウィーン会議を時代背景にしています。


 この会議はオーストリア外相メッテルニヒが主宰したものですが、晩餐会・舞踏会・音楽会ばかりで一向に議事が進行しない様を風刺して同じくオーストリアのリーニュ侯爵シャルル・ジョセフが発したといわれる「会議は踊る、されど進まず」(Le congrès danse beaucoup, mais il ne marche pas.)と言う言葉が有名で、映画の題名も『会議は踊る』( Der Kongreß tanzt )です。(侯爵はフランス語、映画の題はドイツ語)

 いよいよ映画の始まり、、、、(右は映画の題字)

 この乱痴気騒ぎのウイーン会議にやってきた気まぐれ気味のロシア皇帝アレクサンダー1世とその気まぐれに本気になってしまう皮手袋店の売り子娘(リリアン)の一時の恋がテーマです。

 左は皮手袋店の店頭でのリリアン、お客はただの下士官ですが、テーブルの上の肘置きが面白く、こうして手袋のフィッティングをしたようです。

 ビアガーデンのような酒場で意気投合した皇帝とリリアンですが彼は終始一貫して彼女との距離を置いた振る舞いをしています。

 ここで酒場の歌手が歌うもうひとつの主題歌「 Das muß ein Stück vom Himmel sein 」(日本語訳の題は新しい酒の歌」または「歌あればこそ世は楽し」)はウイーン情緒あふれた宵にふさわしい名歌だと思います。

 そして翌日、彼女は皇帝差し回しの馬車で彼の別荘へ向かうわけですが、このときに歌う歌が「 Das gibt's nur einmal 」(日本語訳の題は「唯一度だけ」または「命かけて只一度」)なのです。
 長時間の移動シーンで、馬車の彼女も、周りの景色の移り変わりに伴って現れる道々の人々も皆心からこの歌を歌うのです、Das gibt's nur einmal」を

 別荘に行っても彼とは会えず、時たま登場する彼の影武者とのぎこちないやりとりのみでした。

 この影武者は自室に入ると何故かいつも嬉々として刺繍をしています、それも「ボルガの船曳歌」を歌いながら、、、、

 紆余曲折あってのち、二人は舞踏会で再会し、再度あの酒場での語らいを楽しむ、、、、間もなく、ナポレオンがエルバ島を脱出したとの知らせが入り彼は急ぎロシアへ帰ることになります。

 薄暗闇で彼女が別れの手を振っています。その白い手袋が印象的なラストシーンです。

スタッフ
 監督:エリック・シャレル
 製作:エーリヒ・ポマー
 脚本:ノルベルト・ファルク
 撮影:カール・ホフマン
                 音楽:ヴェルナー・リヒャルト・ハイマン

キャスト
 アレクサンダー一世と替玉ヴィリー・フリッチ
 手袋屋の娘クリステル  :リリアン・ハーヴェイ
 宰相メッテルニヒ    :コンラート・ファイト
 伯爵夫人        :リル・ダゴファー
 酒屋の歌手       :パウル・ヘルビガー

 この映画はまぎれもなくドイツ映画ですがそのストーリー構成はすばらしく、楽しさ・もの悲しさはまさにミュージカル映画そのものです。

 終わって気づいたのですが、この映画のテイストが「マイフェア・レィデイ」と同じだったのです。「会議は踊る」の監督エリック・シャレルも「マイ・フェア・レディ」の監督ジョージ・キューカーも共に舞台での監督を経験しているからなのでしょうか。

 大銀幕と大音響で80年前の音と映像を堪能しました。