2013年6月30日日曜日

真空管試験機 Tube tester の製作(その2) 製作構想


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 ここのところ南米に出かけたりしてまたまた「真空管試験機 Tube tester の製作」のアップに間が開いてしまいました。
 と、言う事で気合を入れて(その2)を書きました。今回は製作構想ということで、どのような真空管試験機を作るのか、という点に触れてみます。

 左写真はこの世界では超有名なアメリカの軍隊で使用された簡易型真空管試験機 TV-7 です。
 ある意味ではこれは兵器ですので、その洗練された?テイストは同好の士にとっては垂涎ものです。私がこのTV-7に出会ったのはもう50年以上昔で、そのころは行くところに行けばそれこそゴロゴロしていましたが、まだ勉強不足であまり欲しいとは思いませんでした。
 また何十年か経て、欲しいと思ったときはかなり高額になっており、また簡易型とはいえ結構大きなものなので二の足を踏んでいるうちに本当に手の届かないお宝になってしまいました。
 このTV-7の特徴は真空管の優劣が簡単に計測出来、gm値をメータの表示とレンジ切り替えによって直読できることにあります。要は戦場で通信機器がおかしいな?と思ったらこの装置に真空管をさしてGOかNOGOかを判定するものなのです。
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 デザインテイストは私も好きなのですが、いざ使うとなると何か物足りなさを感じます。(簡易、堅牢が主)

 そのうちにイギリス生まれの AVO CT160 を知りました。
 さすがにこちらは真空管の諸特性を測定できるようにいろいろ考えてあるようで、特に気に入ったのは、ダイヤルをセットするだけでかなり正確に電圧値などが設定できるようになっているらしい点です。

 また、インターナットでドイツの「 Röhrenprüfgeräte(チューブテスター)」というサイトをみつけその歴史を含めてシッカリ勉強させていただきました。

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 このサイトは歴史的記述はもちろんもうひとつの「 TV-7 のリペア」もすばらしく、メーターコイルの巻き直しまであり、改めて真空管試験機が回路だけではなくて、使い勝手も含めたメカの設計が大切である事を知らされました。

 そして多くの真空管試験機を見ていくうちに「これだけはやってみたい、、、、」というメカニズムを見つけました。
 一般に真空管試験機では、真空管のピンにどのような信号回路を接続するかというメカニズムにかなりのスペースを取られますが(電極などのピン配置が真空管ごとに異なる場合が多い)、上写真の例ではきわめてスマートにこの問題を解決しています。
 すなわち、白丸で示した、多くの穴が開いたベーク版の上に、右下のように黄色い「カルテをきっちりと置き、指示された部分(穴が開いている)に写真のようにピンを差し込めばOKです。
 さらに気が効いているのはカルテにいろいろなデータをあらかじめ記入しておく事が出来る点です、これにはまいりました。そしてカルテは真空管の種類ごとに左のスペースに格納されます。

 となるともう自分で製作するしかありません。
 ということでおおよその構想がまとまったのは、(その1)にも書いたように約10年、、、、おおげさな!!!

 1. できるだけコンパクトにまとめる。
 2. gm直読機能は必要

 3. 真空管はGT,MT(9p、7p)の3種類のみ、STなどその他はアダプタで。
 4. 入力値(電圧、電流)は精度の良いダイヤル式とし、メータでの確認をしない。

 5. プレート電流が100mA以上の場合は、手持ち部品で別途バラック回路で実施。
 6. メータは中央に1個だけ。(精密に読み取るための外部端子を別途備える)
  (DMMが安価に入手できるが、DMMがずらりと並んだ様は想像するのもいや!

、、、、ということで、いよいよ次回からはより具体的に、、、

2013年6月29日土曜日

遥か南米へ4万キロの旅 その5(ブエノスアイレス)

さて今回はペルーの首都リマへ帰るわけですが、飛行機の便の関係で、ブエノスアイレス経由になっています。
 かつ、時差が2時間貸して?ありましたので、ブエノスアイレスでの乗り継ぎ時間を利用して、ここでもミニ観光をしようというわけです。
 したがってリマに帰り着くのは深夜になりますが、折角遥か南国の都まで来たのですから見聞を広げるのは大いに嬉しい話です。

 朝食後、ブラジル側にあるホテルを出発して、再び国境をバスで越え、アルゼンチン側にあるイグアスの滝国際空港(本当にこれが正式名です)に向かいました。


 右図の空港の右にあるのが、昨日観光した「イグアスの滝」です。イグアス河は右から左に流れていますので、ちょうど胃袋の出口にあたるところに滝があるのです。

 いよいよ空港を出発です。ちいさな管制塔が見えていますが、設備がないので、お客さんは昔ながらに建物から飛行機まで歩いて、タラップを使って搭乗します。(これがまた楽しい、、、、)

  離陸、上昇中の左側に、、、、みえました。水煙を上げるイグアスの滝です。
 まるで別れを惜しんでいるような、、、、
 画面の傾きはそのまま飛行機の上昇角度です。
 
 
 この便は国内便なのですが、イグアスの滝国際空港が細く突き出たアルゼンチン領にあるので、かならず隣国のパラグアイかブラジルの領空を通過します。

 



 約2時間ほどで「ホルヘ・ニューベリー空港」へ到着です。さすがに国内便空港にいる飛行機はどれもナショナルカラーで統一されておりきれいです。



 到着後直ちにバスで市内観光です。
 首都のブエノスアイレスはスペイン語で「buenos(良い)aires(空気、風)」の意味で、順風が街の名前になっているのは大航海時代の名残でしょうか、、、、
 ところが、街中は多くの人出があり、太鼓の音も威勢良く響いています????お祭り????

 いやアルゼンチンにとって大切な革命記念日なのです。(1810年5月25日に五月革命)幸か不幸か町中大騒ぎの日に私たちはハチアワセ、、、、


 ブエノスアイレスは南米のパリと言われているように、古きよき時代のヨーロッパの面影を濃く残しています。そしていたるところに国旗も、、、、


 右写真は、街で見かけた、今でも広くアルゼンチン国民に愛されている「エビータ」の像です。エビータはかつてのアルゼンチン大統領フアン・ペロンの妻エバ・ペロンの愛称です。
 幼少期を恵まれない環境で過ごし、女優を経て、大統領夫人になってから貧しい人のために尽くしたとされていますが、1952年にわずか33歳でこの世を去った彼女はまさに偶像的存在なのです。
 彼女をテーマにしたミュージカルは有名ですし、また1996年に「マドンナ」が主演した同名ののアメリカ映画も記憶に残っています。


 さて、今回のミニ観光について左図で説明します。
 これはブエノスアイレス(人口約1400万)の一部ですが、わたしたちは左上の飛行場から下部中央に向かって移動しました。
 中央にあるメトロポリターナ大聖堂は地方から次々に上京したデモ隊(政治団体)のために道路が占拠されており、近づく事が出来なくて見学を断念しました。
 右側はラ・プラタ河(スペイン語: Río de la Plata プラタは銀)ですが、最初の地図でわかるようにむしろこれは湾でしょう。 ラ・プラタといえば映画「戦艦シュペー号の最後、原題:The battle of the river Plate」を思い出します。

 最初に行ったところはレコレータ墓地(La Recoleta Cemeteryです。

 これは墓地というより町ですが(右google写真)、いわば高級共同墓地、、、、
 この墓地は1882年に開設されたもっとも由緒あるもので、芸術的な墓地としても世界的に有名だそうです。なかの通りはこんな具合(右写真)
 150m四方に6400の納骨堂があり、そのうちの70は国の文化財で、歴代大統領13人の墓もここにあるとか、、、、

 いろいろな様式のもの、彫刻などもたくさん見られました。

 なかでもエビータの墓は今でも大勢の観光客がひっきりなしに訪れています。右下写真は墓に取り付けられたプレートです。
 ちなみにここはすべて土葬、、、、。










 次いで向かったのはコロン劇場です。
 前方に見えているのは、1936ブエノスアイレスが最初に開かれてから400年目を記念して建てられたオベリスコ(現地風に、、、、)です。その近くにはすでに群集が集まり始めていて交通規制が始まっていましたが、幸いコロン劇場は二つ手前の交差点を右折です。

 






 コロン劇場は(スペイン語:Teatro Colón, テアトロ・コロン)でコロンブス・シアターだったんだ、、、、
 ここは世界で最も音響効果のいい劇場の一つでパリのオペラ座、ミラノのスカラ座とならび、 「世界三大劇場」のひとつとされています。
 残念ながら中には入れず、西側正面を垣間見たのみでした。

 そろそろ夕方に近くなってきていますので、手に手に旗や太鼓などの楽器を持った人たち(子供も大勢います)が街の中心にどんどん集まってきています。この道路も封鎖です。バスは飛行機の出発時間を気にしながら、迂回に次ぐ迂回で、メトロポリターナ大聖堂をあきらめ、ボカ地区へ、、、、
 現地ガイドさんの説明によれば、この人たちは現政権に反対するグループが、地方からバスを使って動員しているとのこと、毎年この日になるとブエノスアイレス市民は店を閉めて郊外へ移動とか、、、、

 いよいよボカ地区です。
 ボカという名はどこかで聞いた事があると思っていたら、この地区を本拠地にしている有名かつ伝統のある「ボカ・ジュニアーズ」というサッカークラブチームをおもいだしました。そうです、あのマラドーナです、彼もここでは国民的英雄です。

ボカ地区は、古くからの港湾地域で、ヨーロッパから移民は、ここから、新しい生活をはじめたとのこと。19世紀末には、スペイン、イタリア系を中心とした、ヨーロッパからの移民や、アフリカ系の人々など多種多様な人々でにぎわっていたということですが、経済活動が他に移動してしまった今でもその面影を残しているようです。

 左上写真は今は静かな港、上写真は今は稀にしか列車が通らなくなった臨港線です。

 そんななかタンゴ様々な文化の混合によってこの地で誕生したそうですが、既述の図中図のボカ地区にある、白い円で囲んだなかの、一本だけある斜めに港に向かっている道が、フィリベルト作のタンゴの名曲「カミニート小径」を記念して彼の親友であるボカ生まれの画家、キンケラ・マルティンによって造られた家々の壁やテラス、屋根が原色で大胆に塗り分けられている独特の一角の中心です。

 ボカ地区は、カミニート通り周辺のみ警察官などが多く配置され、安全が保たれてますが、カミニートから離れると安全は保障しないとか、、、、

 左上はこの地独特の色使いの絵を売っている画家たち、、、、上はこの地区を紹介する誰もが引き合いに出すお土産屋さんで、テラスで愛嬌を振りまいているのは左から、マラドーナ、エビータ、そして大統領?

 上写真はカミニートを港側から見た写真です。角の家のバルコニーからも誰かご挨拶、、、、家々がカラフルに塗られているのがよくわかります。木々も色づいて、、、、おっとこちらは晩秋でした。陽も傾きかけているせいか、これらの色とはうらはらになんとなく淋しさが感ぜられました。

 ここからはうまく高速道路に上がれ、予定時間に郊外のミニストロ・ピスタリーニ国際空港へ到着です。
 ペルーに向けての出発は20:00でリマのホテル着は午前様の01:10、そして明日はいよいよマチュピチュに向け出発です。

 ただしホテル発 06:15 !!! いつ寝るの???

2013年6月22日土曜日

遥か南米へ4万キロの旅 その4(イグアスの滝-2)

 さて午後はブラジル側からの観光です。

 左の地図で示したように、午前中は右下にある、トロッコ列車出発駅から右上、さらに進み、終点まで行き、そこから渡り回廊にて展望台まで歩き、300余あるイグアスの滝の中で最大の滝、「悪魔の咽喉笛」を間近に見下ろす形で見物しました。
 中央を左右に分断しているのが、イグアス河で、この河の右側がアルゼンチン、左側がブラジルになります。下部中央に先回紹介した国境の橋があります。
 地図でわかるように、右側のアルゼンチン側にはブラジル側に比較して多くの滝がありますが、見物するには当然ブラジル側がベターだと思います。
 
 またこの時点でヘリコプターが飛ぶかどうかは不明でした。

 右の写真はブラジルの国立公園入口ですが、多くの観光客が訪れるのにもかかわらず、意外とすっきりした感じがしますが、これは多くの広告看板がないからだと気がつきました。アルゼンチン側も同様でしたが景観保護の観点からしっかり管理されているのでしょう。

 左写真は、この建物の中です。入場券を買って、ゲートを通り、先方にあるバスに乗って滝の見物に出発していく仕組みのようです。
 我々はツアー客ですので自前のバスが先回りして待っていました。

 上の図にあるホテル・ダス・カタラタス(滝のホテル)でバスを降り、そこからブラジル側展望回廊を渡って滝見物です。
 このきれいなホテルはイグアス国立公園内に建つ唯一のホテルだそうで、壮大なイグアスの滝はホテル側から目と鼻の先に下写真のように見えています。



 さあ出発です。

 ここイグアスではもうひとつの名物がいます。 それはハナグマ(鼻熊 クアチ coati)で、愛嬌を振りまき食物をねだりますが、当然それは厳禁です。
 時には人の持っている食べ物などを失敬するそうで、見かけによらず獰猛なようで要注意です。

 このハナグマもまるまると太って、、、、








 アルゼンチン側にある滝の多くはこのように二段になっています。そしてその数の多い事、、、、本当に壮観です。
 滝の上部が横一線になっているのは、河面が広く、そこから一斉に流れ落ちている事によるものです。

 写真の下方にはボートに乗り込んでこの川を遡り、滝見物をしながら、ゴールの「悪魔の咽喉笛」の滝つぼを目指すの人たちが写っています。






 とおくを見通せる地点に来ました。中央上部に上流の河面そして「悪魔の咽喉笛」が水煙を上げているのが望まれます。

 今は乾季のはずですが、河の水がにごっているのはいつになく水量が多いということでしょう。


 当然のことながら、この地域の水資源を有用化するプロジェクトがおこなわれてきました。 世界最大の水力発電所であるイタイプ発電所発電出力は1,400万キロワットは、イグアスの滝からさほど遠くないパラグアイとブラジルの国境にあり(正確にはイグアス河が少し下流で合流するパラナ河の上流)、エネルギー源の少ないこの地域の国々にとって重要なものとなっています。

 河面近くの回廊です。
 河幅がせまく、水の流れは圧倒されるほどに多く、迫力があります。
 写真に見えているように、このあたりは滝があげる水煙と瀑風によってあっというまにずぶぬれになってしまうので、あらかじめ用意した防水具を皆それぞれに身につけています。わたしたちは山で使う雨具上下を持参しましたが、防水は完璧でした。(遠路ここまで運んだ甲斐がありました)



 回廊上から下流を見たところです。

 写真ではなかなかその迫力が表現できないのが残念です、、、、





 この写真は多少、臨場感があります。


 左中央にこれから行く回廊の突き当りが見えますが、そこから「悪魔の咽喉笛」が見えるということです、、、、




 さらに進むとまた別の景観が、、、、

 かつてここを訪問した米大統領夫人が思わず「ナイアガラがかわいそう、、、、」と口走ったという逸話はおそらく真実だったと思いますョ。


 ついに回廊の先端に到着というより、瀑風による強烈な横殴りの水と風に逆らってようやくたどり着きました。(脆弱な?防水装備の人たちは途中で引き返していきました。)

 ほんの一瞬風がやんだタイミングでシャッターを切りました。

 中央、遠方に「悪魔の咽喉笛」が偶然日の光を浴びている様子が、なんとも神々しく見えた一瞬です。


 これは河面からうえに上がるエレベーター塔で、午前中のアルゼンチン側の展望台から霞んで見えていたものです。

 右写真は上昇するエレベーターの中からシャッターを切ったものですが、滝の上方はかなり雲も晴れ、ところどころ青空が見えています。

 「ヘリコプターが飛べる!」という情報が入ったのはこの直後でした。
 思わずみんなで{バンザイ!!!」

 ヘリポートから順次空からのイグアスの滝を見物です。




 上昇してしばらくで、前方に水煙が見えてきました。「あ! 滝だ!」




 「悪魔の咽喉笛」の部分にかなり接近したときの写真です。


 左側が赤っぽいのは、光線の加減で窓移りしているからです。
 渡り回廊と展望台が見えています。(どの写真もクリックで大きくなります)




 イグアスの滝をほぼ下流側から観た景色です、多くの滝の全容がよくわかります。

 左側に前述の「ホテル・ダス・カタラタス(滝のホテル)」が見えています。先刻、ここから河辺の回廊に降りていったのです。

 また中央に見えるのが「セント・マルチィン島」です。もちろん左上の水煙が「悪魔の咽喉笛」だということはいまでは容易にわかります。

 ということで、空からの見物も無事にこなし、本日の予定は終了です。明日はリマへ帰りますが、途中アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで少し観光の予定です。

2013年6月17日月曜日

遥か南米へ4万キロの旅 その3 (イグアスの滝-1)

 今回はベースキャンプ?のリマからイグアスへ2泊3日の旅に出ます。目的地はブラジルですがイグアスの滝はアルゼンチンとの国境にありますので、その両方からの景観を楽しむという趣向です。

 また2日後には帰ってきますので、スーツケースを1個だけとし、もうひとつはホテルに預けていきます。
 連日のハードスケジュールを解消すべく朝はゆっくり起きて、リマ空港を12:10に出発です。
 飛行時間の4時間に加え時差が2時間ありますので、夕方の18:10現地到着となりますが、何せこちらは冬ですので、もう暗くなっている事でしょう。ということで、この日は移動日となります。

 ホテルを出発して、きれいなピンク色の街路樹を見つけました。 この花は日本語名を「トックリキワタ」という、ブラジル原産のパンヤ科の木で、またの名を「リマ櫻」とか、、、、

  リマの町はカジノの多いところです。街のいたる所にカジノがあります。ほとんど日本で言うパチンコ屋さんでしょう。私たちの宿泊したホテルも地下にカジノがあったとは後で知りました。
 写真は、とある交差点にて、、、、


 私たちが搭乗するLAN航空のエアバスです。LANはA-320系が多いです。


 出国手続きのあとの免税店にあった民俗調の人形です。これからどこかで出会うのかな?

 ということで空路ブラジルのイグアス空港に向けて出発です。


 やはり到着したとき、もう日が沈んでいました。そして月は満月?南半球の宵は美しい!!
 日本との時差が12時間です。まさに日本の裏側です、、、、

 ホテルへ着いて、まともな時間の夕食です。(下写真)


 明日はいよいよイグアスの滝です。

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 一夜明けて、イグアスの滝に向かいました。私たちは先ず、バスで国境を越えてアルゼンチンに入り、イグアスの滝国立公園に入園し、トロッコ列車に乗って悪魔の咽喉笛(イグアス最大の滝)をアルゼンチン側から観ようというわけです。

 右は国立公園の入口です。

 イグアスの滝は世界の三大滝(カナダのナイヤガラの滝、南米のイグアスの滝、そしてアフリカのビクトリアの滝)のうち、アルゼンチン (80%)とブラジル(20%)の二国にまたがる、世界最大の滝です。
 イグアス (Iguazu) とは先住民のグアラニ族の言葉で大いなる水 (Y Guazú)という意味だそうです。

 左の図は公園内にあった案内板で、私たちはこの案内図の右下から入り、トロッコ列車に乗って(白い点線に沿って)右上を大きく廻って、上中央部左にあるトロッコ列車の終点に行きます。

 当然のことながら、この滝を含むアルゼンチンのイグアス国立公園(この図のほとんど・川の右側)ブラジルのイグアス国立公園(河の左側、午後そちらから見学)は、ともにユネスコ世界遺産に登録されています。
 滝は水量の多いときには300余も出現しますが、その多くがアルゼンチン側なので、景観はブラジル側からがベターだと思いました。


 この滝の地形を理解するために、午後遅く、天候が好転して(薄い霧が晴れた)ヘリコプターで上空から眺める事が出来たときの写真を先に掲げておきます。(右写真)

 写真中、左上のトロッコ列車終点を上の案内図と重ねて考えれば理解が出来ると思います。そこから河を渡り回廊(小さく見えています)で横切って展望台に至り、イグアスで最大の滝「悪魔の咽喉笛・落差80m」を至近で観ようというのが午前中のメインイベントなのです。

 この写真で河(イグアス河)の上流は左下ですが、河の勾配が小さいため、広く浅い河面から、中央の右上に向かって見える谷に向かって、三方から水が流れ込み、多くの滝を形成しているのです。

 ではさっそくトロッコ列車に乗って出発です。

 この路線は単線ですが、途中に交換ゾーンがあり、対抗列車の後部を撮しました。

 終点駅に到着です。
 冬に近いとはいえさすがに熱帯で、緑は濃いです。もうすぐイグアスの滝が見えると思うとなんとなく興奮します。

 渡り回廊はこんな感じです。
 大人が楽にすれ違えるほどの広さがあります。河面まではそれほど距離はありませんし、流れも見た目緩やかなので怖さは感じません。しかし、、、、

 いましたいました。でも、ガイドさんの説明ではこれはカイマンでおとなしく、いつもここで昼寝をしているとか、、、、


 回廊の右側には、1992年にあったという大洪水で破壊された回廊の残骸が残っていました。
 遠くにも見えていました。


 今は乾季で水は少なめですが、この静かな流れもひとたび、、、、




 ずいぶん歩いた気がしましたが、しばらくすると重低音のドーッという音が聞こえ始め、前方に水しぶきが見えてきました。「お! 滝だ、、、、」

 ようやくにして「悪魔の咽喉笛」と称される滝にやってきました。

 周りの景色が広大なので、あまり威圧感は感じませんでしたが、それよりも「遥か来ぬるものかな、、、、」という感慨が胸をよぎりました。

 

これがこの滝の全景です。下のほうは水煙で何も見えません。

 そういえば私たちは時間の都合でチャンスがありませんでしたが、ボートでこの下の滝壷まで来るオプションツアーがありました。


 対岸はブラジルですが、滝の下から上に登るエレベーター塔が水煙にかすんで見えています。その塔頂にはブラジル国旗も、、、、

 このあと3~4時間後に、そこに私たちがいるなどとはこの時点では想像だに出来ませんでした。




 程なくして帰路につきましたが、トロッコ列車を途中で下車して、ミニ・トレッキングをすることになりました。
 前方に赤信号が見えています、駅です。
 トレッキングの人たちが見えています。




 踏切を横切って左手の林の道へ、、、、




 やはりもう冬に近いので花は多くはありませんでしたが、それでもあちらこちらに、、、、

 
 なんという名前か忘れてしまいましたが、なかには木の実もなっていました。




 それでも、これまでは飛行機、バスなど乗り物が多かっただけに、短時間ではありましたがトレッキングが出来たことで全員大喜びしました。



 このあとバスで再びブラジルへ再入国し、昼食後滝をブラジル側から眺める予定です。


 このイグアス河がアルゼンチンとブラジルの国境になっています。したがって橋の中央は見てのとうり、国旗の色が変わったところが国境です。


 昼食はシュラスコ料理とか、要は焼肉です。

 このあたりはレストランが少ないのか、観光客が押し寄せるので大繁盛。右写真が、あっという間に左写真に!!!


 われもわれもと列をなして焼いた肉を切り取ってもらいます。
 このご婦人もお皿に山盛りの肉をもらって大満足でした。
 そうはいっても私は草食系! 肉はいろいろな部位のものを少しずつ(完全に負けています)、、、、が、左のお皿で大満足です。

 レストランを出ると手作りのアクセサリーを並べている人たちがいました。どれも色鮮やかな手の込んだ品々です。 こちらでは機械で作ったものが手作りのものより高価だとか、、、、