2015年10月23日金曜日

パソコン連動コンセントの製作

 過日数年以上使っていたIIYAMAのディスプレイが壊れたので新しく買い直しました。
 今回も同じくIIYAMAでしたが、先回の19インチに対して23インチワイドとかなり大きくなって見やすくなりましたが、価格はむしろ安いくらいでこの世界も確実に進歩しているようです。

 かなり昔使っていたパソコンは本体をシャットダウンするとディスプレイもそれに連れて電源が切れるコンセントがパソコン本体についていましたが、最近使っているものはそれがなく、別途ディスプレイの電源を切る必要があるのです。
 
 最近のパソコンはシャットダウン操作を終えてもなにやら勝手に動いており、特にプログラムのアップデート時には完全にシャットダウンが終わるまで延々と時間がかかります。
 したがってその場を離れる場合はディスプレイの電源を切るためにまた戻って来なくてはなりません。

 ということで、前置きが長くなりましたが、ソコン連動コンセントの製作記です。

 一般的には、AC100Vコンセントとパソコンを結ぶ電源回路の中に電流検出センサを置いて、パソコンへの電流の有無でディスプレイ用コンセントの電源をオン・オフしているようです。
 電流センサを使うのは王道ですが、回路が複雑になりコストもかさむので、今回はパソコンのUSBポートに供給される5Vをセンサ代わりに使うことにしました。

 5Vの有無でディスプレイ用コンセントの電源をオン・オフするとなれば、これはもう簡単で、秋月のソリッドステート・リレー・キットを使うだけです。
  このキットは以前私のブログにアップしたいまさら初歩の電子工作 (光センサーSW)」 に述べていますが、この光センサは今日までなんの故障もなく毎日ガレージの照明を点灯・消灯しています。上にキットの部品写真と回路を上げておきました。

 構想がまとまれば部品集めですが、今回は百均部品を多用しました。
 ・左下が ダイソーのコード付きタップ
 ・中央の黒いのが USB 延長コード
 ・プラケースは4個口で百均の1個
 ・右下に小さく見えている四角いものは秋月のソリッドステート・リレー・キットを組み立てたもの
 
 回路図を示します。

 左端はUSB 延長コードから5Vを検出する部分です。コードを途中で切断し、+(赤)、-(黒)からそれぞれ取り出していますが、+、-が赤、黒だという保証はありませんので要注意で、確認を要します。

 右に完成写真を示します。
 USB 延長コードをマウスまたはキーボードとパソコン本体の間に装着し、タップにディスプレイや外付けHDDの電源コード(小電力のもの)を接続すれば当初の目的どうり、パソコン本体の電源オン・オフにタップが連動します。

 思い立って2~3時間で作り上げました、モノ作りはやはり楽しいです。

ご注意!
 今回の記事は感電、発火の危険がありますので真似をしないでください。

2015年10月20日火曜日

秋の日の熊谷守一つけち記念館

 家人がお気に入りで、以前から出かけてみたかった中津川市付知町にあった熊谷守一の美術館が、「熊谷守一つけち記念館」としてリ・ニューアルされたとの話を耳にし、さっそく親しい友人共々出かけました。

 熊谷守一は1880年(明治13年)中津川市付知町にうまれた極度の芸術家気質で「画壇の仙人」と呼ばれた日本画家です。

 70歳半ばを過ぎ、脳卒中で倒れて以降、故郷のこの地に帰って小さな家に住み、自然を愛し文化勲章や勲三等叙勲を辞退するなどまさに仙人、、、、

 一方でチェロやヴァイオリンなどを奏でる音楽愛好家で、作曲家の信時潔とは彼の子息と信時の娘が結婚するほど親しい間柄でした。


 この日はまさに雲ひとつない絶好のお出かけ日和で、我が家の天使たちに見送られて、いざ出発です。

 中津川ICからは国道257号線で木曽川を渡り、さらに256号線を下呂に向けて北上し、約45分で到着しました。

 思っていたより小さな建物でしたが、端正ですばらしい記念館でした。上写真は入口のポールです。

 そして建物正面の白壁には彼が好んでよく描いた猫がアレンジしてありました。
 さらに入場券がこの猫の絵の栞だったのは思いがけず、嬉しいハプニングでした。
 記念館内は撮影禁止でしたので、その様子をインターネットの記念館ホームページより以下に転載しました。
記念館ホームページより


記念館ホームページより

  1階の最初の部屋は熊谷守一の東京美術学校時代から年代を追ってフォービズムとなり、晩年のシンプルな抽象画風に変わっていく様子が展示されていました。


記念館ホームページより

 次の部屋は今私たちがよく目にする熊谷守一の世界が展開されます。

 熊谷様式と言われる極端なまでに単純化された形それらを囲む輪郭線、そして平面的な画面構成抽象度の高い具象画スタイルの多くの作品に圧倒されました。
記念館ホームページより


 2階には晩年(97歳没)に近い作品が多く展示してありましたが、どの作品も素晴らしい物ばかりでした。






 左の写真は2階の廊下で、壁には熊谷守一が愛した写真家、藤森武が撮影した写真がズラリと並んでいました。


 この廊下の突き当たりにある窓から外の景色を撮ったのが左写真です。
 前に見えるのが付知川で、対岸(東側)の町並み、山々がからりと晴れた秋空のもと何か心安らぐものを感じさせてくれました。

 右写真は、帰り際に気がついた記念館テラスの敷石です。

 花崗岩で敷き詰めてありますが、色の組み合わせといい形といい熊谷守一の作品イメージぴったりです。いづれ優秀なデザイナーの作なのでしょう。

 熊谷守一の作品はあまり大きなものが無いようで、このことがこの可愛らしい記念館の中身を質的にも量的にも十分に密度の高いものにしていると感じました。

 ということで充実した時間を満喫しました。

 少し早いですが、そろそろ昼食を、、、、ということで以前この地の旧友に教えられた「追分茶屋」という国道257号線沿いの饂飩屋に立ち寄りました。

 早速いつもの定番で「梅ころ冷やし饂飩」の天麩羅つきをオーダーです。ここの饂飩は目の前でご主人が打ってくれており美味しいのですが、なにせ量が多くて、、、、小盛りもあるそうです。

 イッパイになったお腹を減らすため?これまた近くの苗木城址を訪れることにしました。

 苗木城は鎌倉時代の初期に後年女城主で名高い岩村城の遠山氏が築城したもので、紆余曲折はあったものの明治になるまで城主遠山家が12代も続いたのはなかなかのものですが、禄高が全国城持ち大名中最下位の1万石ということでも知られています。

 木曽川を170mもの足下に見る自然の大岩の上に立つ天守閣(左写真)は今はなく、代わりに建っている展望台の柱組が見えています。(右下はその拡大写真で歩いている人が見えます)

 そしてその場所に立って見下ろすと、大矢倉跡の石垣があたかもマチュピチュの遺跡のように見えました。

  
 左下写真は天守の石垣上から恵那山を遠く眺めたところです。

 足元には木曽川が流れ、秋を告げる柿の実の色も澄み渡った空に映えて美しく、この場所は春には代わって右側の桜が咲き、私の好きな景色なのです。









 帰路の途中、案内板にしたがってNHKの朝ドラ「花子とアン」で仲間由紀恵が演じた「柳原白蓮」本人が昭和28年この地を来訪した時詠んだ歌の歌碑に立ち寄りました。



 写真では光の加減で露出が定まらず、もちろん実際に肉眼で見てもはっきりしませんでしたので、帰宅後調べて彼女の直筆色紙を並べておきます。

 「城あとに やかたも人も いまなくて
         かたるは何ぞ 山鳥の声」


 最後に中津川の市内に出て、お土産を求めついでに、この地出身の画伯である前田青邨の生家に立ち寄りました。

 中津川といえば栗きんとんですが、今では雨後の筍のごとく多くの店で売り出しています。このヤマツ食品でも栗きんとんは売られていますが、きんとんに絞る前の栗のペーストを売っていますので、これがお目当てだったのです。

 そしてこの店の二階が「前田青邨記念ギャラリー」である前田館になっているのです。

 ここはそれほど広くはないのですが、手紙を始めとして彼に関する多くの資料が何気なく展示してあります。 1階のお店で売り子さんに「2階を見せてもらえますか?」と声をかけると「はい、どうぞ」と照明のスイッチを入れてくれるという知る人ぞ知るという場所です。(もちろん無料)

 そうこうしているうちに帰途につく時間になってきました。

 今回は「熊谷守一つけち記念館」を訪れ、あらためて彼についてじっくりと時間をかけ、理解を深めることができましたし、昼食、苗木城址、前田館などもあわせ素晴らしい秋晴れにも恵まれ中身の濃い一日でした。

 ほんに楽しい一日だったにゃ~

2015年10月13日火曜日

名古屋栄生の赤レンガ工場跡

 先日名古屋の友人宅を訪問した折、近くの赤レンガ工場跡へ昼食と食後の散策にでかけました。

 これらの赤レンガ造りの建てものは明治から大正のはじめにつくられ、昭和の永きにわたって日本を支え続けてきたものなのです。
 そしてこれらの赤レンガ工場跡は今では「トヨタ産業技術記念館」と、これにほぼ隣接して「ノリタケの森」になっているのです。

   
 「トヨタ産業技術記念館」はトヨタグループ発祥の地である旧豊田紡織の本社工場跡ですし、「ノリタケの森」は、これも旧日本陶器(ノリタケカンパニー)の本社・工場跡地です。

 昼食の時間を見計らって少し早めに出かけたのですが、やはり人気が高く、順番待ちの状況でした。

 左写真はレストラン「BRICK AGE」のエントランスですがうまくデザインしてあって名前の「レンガ時代」の雰囲気がよく出ています。

 しばしメニューをあれこれ吟味しながら時を過ごした後ようやくにして昼食のスタートです。

 我々がオーダーしたのは折角だからということで、その名も「赤煉瓦ランチ」です。右写真にあるのはワンプレートのメインとデザートですが、この他にサラダ、パン、ドリンクがついていて空腹のお腹を満たしてくれました。

 多少料理が並ぶのに時間がかかったのはそれぞれにしっかり手がかかっていたのだと知りました。

 昼食が目的なので見学はまた孫とでも来ることにしてざっと目についたものは、、、、

 、、、、環状織機です。

これはかの豊田佐吉翁が1906年(明治39年)に発明したもので、通常の織機は横糸を紡ぐ飛び杼(とびひ: シャトル)が左右の往復運動であるのに対し、環状織機ではとどまることなく円運動をしながら織っていくのですから当然出来上がりのスピードが違います。


 また右写真は1898年製の蒸気機関でトヨタ産業技術記念館の設立趣旨に共感してはるばるドイツからやって来たものだそうです。



 こうした光景はかつて訪れたデトロイトのヘンリー・フォードミュージアムを想いださせます。



 そして大勢の人集りのまえには、、、、ロボットの演奏です。


 司会のお嬢さんの口上が終わると、ロボット君?は徐ろにヴァイオリンを顎の下に持ち上げ、弓を当て、曲が流れ始めました。

 でも何か変です。ピッチがあっていないのでしょうか?でもそのことが本当に演奏していることを示しているのですが、まだまだ指使いの制御が難しいのでしょう、早々にその場を引き上げました。

 次に向かったのは「ノリタケの森」です。隣接とは言っても10分ほど歩きました。

 公園側から入場しましたが、いまはモニュメント化された6本の旧工場の煙突越しに名古屋駅前のビル群が見えています、ルーセント・ビルもあります。

 たまたま休日のこととて家族連れも多く、小さな子どもたちがはしゃぎまわっていました。

 公園の片隅にはビオトープもあり、都会の中の安らぎを指向しているのでしょうか。

 右は、旧日本陶器の赤煉瓦作りの工場群です、ここであのオールド・ノリタケなどが作られたのでしょう。




 工場設備もモニュメントとして飾ってありました。









たまたま
GoGreenMarket in Nagoyaというイベントが開催されていました。

 Go GreenコンセプトはRe-USE(再利用)、Re-DUCE(軽減)、Re-CYCLE(資源再生)の実行と共に「地球環境にやさしく、資源を大切にシンプルな暮らしを送る」という意味を持っており、美しい緑の庭で、厳選されたジャンク雑貨やアンティーク、クラフトやファブリック、植物の寄せ植えやフードなど、その道のスペシャリスト達による様々な提案を楽しむ(主催趣旨より)、、、、というイベントだそうです。


 草木もいろいろ販売されていましたが、家人が可愛らしい木を見つけました。オーストラリア産のドドナエア(Dodonaea) という木です。

 それほど大きくならず、姿も良く、季節に応じて葉の色が変化し、小さな花が咲いて、できた実が蝶のような形、、、、連れて帰りましたが先々が楽しみです。

 私もちいさな鉄製のクランプをゲットです。
 表面に FORGED STEEL / HEAT TREATED 裏面に CINCINATI TOOL CO. とあります。
 鍛造品を熱処理したもので米のシンシナティ産のようで、アメリカのモノ作り全盛時代のものなのでしょう、入念な手作り感と表面の色が何ともいえません。 空は多少曇り気味でしたが、楽しい一日でした。

2015年10月12日月曜日

さらに頑張って咲いた一夜花

 先日のブログで紹介した「一夜花」ですが、その後小さな2つの蕾はじっと耐え、最近になって徐々に成長をはじめ、そして見事な美しい花をそれぞれ咲かせてくれました。

 左写真は今回最後の、5つ目の花です。
 最後だからというわけではないのですが、これまで咲いた中で一番だったような気がしました。


 
  




 家人に言われて気がついたのですが、僅かにある芳香も今までのものより少し豊かに感じました。








 思ってもみなかった今回の開花はその美しさを十分に堪能させてくれました。

 来年もまた咲いてくれるように念じつつ短い出会いに別れを告げました。