2020年11月24日火曜日

ふる~いミシンが乾電池で蘇りました

 ふる~いミシンが蘇りました、左写真にあるのがそれです。私たちも金婚式を既に過ぎていますので、このミシンも50歳以上、、、、ということでしょうか。

 その間、いろいろな出来事がありましたが共に過ごしてきました、まさに家族のようなものです。

 このミシンが、突然動かなくなったというのです。新型コロナ対策で、家人がマスクを作る機会が増えていますが、その最中におかしくなったというのです。

 一見したところ、駆動用のモータの動力を本体に伝えるVベルトが経年劣化でボロボロになっていましたので、急ぎネット通販で取り寄せました。

 写真で見られるように、黒色のベルトが古いもので、半透明のものが新しいものです。
 さっそく架け替えてみましたが、モータの動きがぎこちなく、うまく動いてくれません。この時点で、モータの故障、おそらくはブラシがおかしいのだろうと見当をつけ、分解してみました。





 左写真がモータを分解したものです。それこそ50年分のホコリがいっぱいに詰まっていました。











 上写真はロータを刷毛を使って掃除しているところです。電極が少し摩滅していますが特に問題はないようです。

 ところがブラシを見て、というか、はじめはなかなか見つからず、ようやくにして見つけたのが左写真中央にある黒い物体です。

 モータ・ブラシはカーボンでできていて、基本的には消耗品で、すり減ったら交換しなければなりません。
 でも交換した記憶がありませんので、50年前のまま、、、ということでしょうか



 とにかくなくなったものは交換?いや補充せねば、、、、でも手元にカーボン・ブラシなどあるはずはありません。
 と、ここでひらめきました、乾電池の正極が確かカーボンだったはずです。
 右写真は古くなった単四マンガン乾電池を分解して、正極に使ってあるカーボン・ロッドを取り出したところです、太さもほぼ同じです。多少硬さに不安が残りますが、摩滅したらまた交換すればいいのです、大成功!!

 電源コードのゴム製保護ブッシュも劣化していましたので、手持ちのものに交換しておきました。(左写真)







 ということで無事モータが組みあがりました。
 こうしてみると50年前のモータもなかなかのものです、当時の日本はひたすらに追いつけ追い越せの時代でしたので、モノつくりは少しでも良いものを、、、の一念であったのを思い出しました。
 この素晴らしい品質が、使い捨て・利益優先の力に少しずつ押されていったのです。



 ここで珍しいものを見つけました。
 左写真のモータ・コントローラです。この部品は、ミシンを駆動しているモータのスピードを調節するもので、右膝でレバーを右に押すと、左写真中の銅製スライダが赤い矢印のように、次々と接点上を動いてモータと直列に入る抵抗を加減するようになっています。


 そしてこの抵抗がニクロム線らしく、あまりにも正直な造りに感じ入ってしまいました。今なら電子化、、、でしょうか

 ということで、無事、ふる~いミシンが乾電池で蘇りました。
 駆動ベルトも交換して、再び元気に動き出しました。(右写真)

 ついでに機械部分も見てみましたが、特に問題もなく、私たちと同じかそれ以上の寿命を全うしそうです。

 おかげで家人手作りの私用マスクがまた一つ増えました、なんとかこの時期を無事に乗り切りたいものです。

2020年11月17日火曜日

ヒースキット シグナル ジェネレータ (Heathkit SG-6 ) のリペア

 


 ヒースキット (Heathkit) は米国、ミシガン州にあったヒース株式会社(Heath Company)が販売していた製品のブランド名で、主に電子キットを1947年から1992年まで製造していました。

 会社創設者のエドワード・ベイヤード・ヒースは1906年に小型飛行機を製造し、のちにこれをキット化したとあります。

 製品には電子テスト装置、ハイファイオーディオ、テレビ受信機、アマチュア無線機、初期の自動車用の電子点火装置やバイク、さらにはコンピュータなどを、基本的には購入者が組み立てるキットとして販売していました。

 左写真は、ヒースキットのカタログですが、背景にあるキットを組み立てている人物は、まさに私自身をイメージさせます。

 1970~1980年代は、我々エレクトロニクス愛好家にとって素晴らしい時代でした。ヒースキットはそんな中、市販の同等よりも新しく、高品質で、廉価なキットを提供したのです。とは言っても当時の私には高嶺の花ではありました。



                                 最近ヒースキット初期のシグナル・ジェネレータ(Heathkit SG-6)を入手しました。(右写真)

 15x23x12cmの可愛い筐体で、160kHz~50MHzの間の任意な周波数を出力でき、ラジオの調整などに使われるものです。

 ちなみにこのモデルは、初代G-11948 Janに発売され、その6代目にあたり、1950 Sep. ~1952 Augの間販売されました。価格は$19.50でした。

 今回の個体は、製造されて70年近く経っているにもかかわらず、まずまずですが、何カ所か改造されていますので、この際オリジナルに近い形にリペアしてみました。

 ヒースキットの長所としては左写真に示すように、組み立てマニュアルが丁寧にできており、中でもそのイラストは芸術作品の域にあると思います。

 右写真はSG‐6をビス1本に至るまでばらばらに分解した様子です。

 左上に見える、赤丸で示したトランスはオリジナルにはなく、改造・追加されていたものです。

 これは、SG‐6が米国仕様で、電源電圧115Vを想定しているため、使用真空管6C4のヒータにかかる電圧を適正にしようとして、新たに入力100V:出力12Vのトランスで、6C4のヒータを2個直列で点火するように改造したものと思われます。

 試しに、左写真のようにオリジナルのトランスを使用した接続で、6C42本とパイロットランプを点灯させたときの電圧を調べました。5.55Vあれば定格内ですので、良しとしました。それでも心配な時にはパイロットランプをLEDに変更するとしましょう。



 お定まりのコンデンサは良否をチェックし、交換しました。この時代の機器で特に要注意なのはソリッド抵抗です。
 右写真は組み立てマニュアル上に並べたソリッド抵抗で、値が2~30%変化していました。(これまでの経験では、ヒューレッド・パッカード社のものは変化が少ないように思います。)


 左写真のウエハーソケットは発振側のみ新品のモールドタイプに交換です。





















 マニュアルから回路図を転載しました。詳しくはネットでマニュアルが無料でダウンロードできます。
 回路そのものは極めてシンプルなもので、右側の真空管6C4で主発振を、左側の真空管6C4で変調用400Hzの発振をさせています。

 図中の高圧整流回路にはセレン整流器が使われていますが、これはすでに現代のSi整流器に置き換えてありました。このため抵抗 K10(2.7kΩ)と G12(5.6kΩ)を調整して、真空管のプレート電圧を定格の60~80Vに押さえます。

 左写真が、このキットの要の一つである、コイルパックと切り替えスイッチです。このスイッチを使って
バンド A:160~500kHz
バンド B:500~1500kHz
バンド C:1700~5500kHz
バンド D:5.5~18MHz
バンド E:20~50MHz
          と切り替えます。

 右写真は、裏側にあるバリコンの写真で、造りもよく、主軸にはボール減速メカが組み込んであり、周波数を合わせやすくしてあります。
 これらはとても70年も経たものだとは思われないほど、美しくしっかりしています。





 ひと通りくみ上げてケースに収めます。

 ここまで来るには、組み立てマニュアルが大変役に立ちました。これらのアンティーク機器は詳細なマニュアルが入手し易いのもメリットの一つです。

 以下に復元が完成したSG‐6の測定結果について挙げておきます。

 結果として、取り敢えず全バンドとも発振しました。詳細にはバンド Aバンド Eの波形が少し怪しくなっています。

 しかしながら70年前の、主にアマチュアを対象としたシグナルジェネレータの実力としてはこの程度で十分だったものと思われます。

 それよりももっと驚かされたのは、70年後の今、組み立て終わったSG‐6の周波数が、すべてのバンドにおいてあらかじめパネルに印刷してあった目盛と無調整でほぼ一致した点でした。これぞヒースキットの面目躍如と言ったところでしょうか。
 左写真は完成したSG‐6です。
 どのような製作も一通り完成して、電源を投入し、その結果が成功であった時の緊張と興奮は喜寿を過ぎた今でも少年時代のそれと変わることはありません。

 このSG‐6は心臓部がLCユニットで今でも健全なので、より現代風に改良することは容易ですが、多少の精度の甘さは70年前を偲ぶ、、、、という大義名分で、このままにしておきましょう、若き頃の思い出とともに、、、、