2013年2月26日火曜日

タイ ゴルフ合宿 第5日  「レム・チャバン・インターナショナル・カントリークラブ」 と 「仏の丘」 経由 シーフードレストラン「リンパ・ラパン」


 今日でタイに来てからもうすでに5日目、ゴルフは4回目になりますが、幸い何事も無く全員皆元気で何よりです。
 今日のラウンドは「レム・チャバン・インターナショナル・カントリークラブ LAEM CHABANG INTERNATIONAL COUNTRY CLUB」で、パッタヤから北東に40分ほど行ったところです。


 このコースは我々の仲間のうち、2人がメンバーで、池や木々も多く起伏に富み、かつメインテナンスも行き届いたすばらしいコースです。










 右はスコアカードの表紙ですが、ジャック・ニクラウスが手掛けたと言うだけあって難易度は高くチャレンジのし甲斐は十分にあります。


 クラブハウスにはクリスマスと新年の飾りが同居しています。ここでは両者の間隔が約1ケ月あるのですから、、、、
 片隅には不思議な笑いをたたえた木像が私たちを見ていました。ひざに小銭があるところを見ると仏様???













 下右写真はスタートホールのティーグラウンドから前方を見たものですが、この狭き門を先ず抜けねばなりません。

 朝日を浴びて第1組のオナーがティーショットをしたところです。皆異口同音に「お! 抜けた!、、、、」 皆無事に門を通って行きました、ただ一人を除いて、、、、 

 林の中を抜けて次のホールに進みます。遠くにグリーンとバンカー見えています。














 やはり冬の季節ですので花は少ないですが、それでも南の国です、見上げると南国らしい花が咲いています。

 少し日陰にはハマユウを想像させる、しかしもっと大きな白い花も咲いていました。




 途中にあった休息場所で変わったものを見つけました。飲料類を冷却するガラス張りのクーラーの足が載せてあるのです。、、、、あ、解かりました。虫除けです。中に水が入れてあるので、2重の堤防をアリなどの虫が越えられないようになっています、日本ではあまり見かけません。
 また、コースにはこのような池もあり、景色とはうらはらに苦労させられました。

 そしてこれが18番の名物ホールとか。506ヤードの緩やかな登りのロングホールなのですが、最後に来て、なんとグリーンが正面の大きな木の向こうにあるのです。
 気息奄々の我々にとってこれはもう「意地悪!!」としか言いようがありません。やはりニクラウスです。
 、、、、などの試練を楽しみながらも何とかホールアウトしました。

 少し遅めの昼食を例によって「シンハ・ビール」とともにたのしんだ後、次の目的地へ出発です。明日もラウンドはしますが、ゴルフを終えた後はゴルフ場で軽く食事を摂ってそのまま空港へ向かい、夜行便で帰国する予定になっています。


 ということですが、まだ夕食には間があるので「仏の丘 BUDDA HILL 」に途中寄り道をしてミニ観光を楽しむことになりました。
 境内に入り、丘の上の仏様を見上げたところです。相変わらずの微笑で見返していただいています。参道の両側は七つ頭のヘビとなっていますが、いずれも黄金色に輝いています。(左写真)

 丘の上に上ったとき「ハプニング」です。ロシア人と思われるカップルが結婚式の衣装で現れました。










一番大きな仏様の前で、付き添いのタイ人から所作のアドバイスを受けながら礼拝していましたが、日本の神前結婚式も似たようなもの?、、と納得です。

 丘の上にはその他何体かのさまざまな仏様の像がありました。真っ赤なブーゲンビリアと黄金色に輝く仏様が綺麗です。

 また左写真のおなかの大きな仏様は手前からおへその穴をめがけてお賽銭を投げ入れるようになっていますが、なかなか入りません。最後は手でお賽銭を拾っておへその穴に入れ、その後お祈りしながらおへその周りを撫で回すのです。

 多くの人がお願いをしたようで、おへその周りが黒くなっているのがわかります。

 こちらの写真では(右)石の上に刻まれた「渦巻き模様」の上にお賽銭のコインを立て、その間にお祈りをするようになっています。ためしにやってみましたが意外と簡単にコインが立ちました。(右隅の写真で右から出ているのが私の手です)それを見ていたロシアの人たちがたくさんやってきて大騒ぎ、、、、

 また、この丘は見晴らしがよく、(この日は水蒸気で少しボンヤリしていましたが)多くの人たちが景色を楽しんでいました。と、目の前にある展望台と思しき建物に目が止まりました。

 上部の展望階から地上に向かって斜めに張ってある線が見えますが、何かぶら下がっているように見えました。
 写真内の白丸部分ですが、ごみの点のようにしか見えません。カメラの倍率を上げて何枚か撮って成功です。(右下部分)なんと人です!!人がぶら下がっていました。それこそ100m近くあるだろう高所から何かしら道具をつけて地上へ、、、、


 バンジージャンプほどではないにしろ、私はごめんです。

 寄り道と言ったものの十分に楽しんだ後、今日の夕食、いやディナーのレストランに向かいました。というのもタイで最初で最後の(まともな?)レストランでのディナーをタイ在住の友人が計画してくれたのです。(感謝!!!)


 そのレストランの名は「リンパ・ラパン Rimpa-Lapin 」といい、パッタヤからさらに南へ15kmくらい下ったところの海岸の崖に面しています。

 ここへは地元パタヤのみならず、はるかバンコクからも富裕タイ人や外国人がその魅力にひきつけられてやってくるとか

 このレストランは「海岸の崖」という特異な環境を心憎いまでに生かし、その「景色」と「シーフード」そしてゆったりと流れる「時」といったものが何か渾然とした世界を作り出しているような感じがしました。
 またこのレストランのオーナーはタイでは著名な女優である「リンダ・クロスさん」とか、、、、2007年にオープンして以来、タイではテレビ、新聞そして雑誌などに頻繁に取り上げられているそうで、そんななか日曜日の夕方、席にありついたなどはまったくの僥倖ものでした。なぜならここは予約は受け付けないとか、、、、

 このレストランの席は基本的に、どの席からも海が見えるようになっているそうですが、圧巻なのは崖に造られた、相撲の升席のような客席です。我々は後から飛び込んだので、母屋のそれもかなり後ろのほうの席でしたが、それでも日没の景色はそれなりに味わえました。








 早速に「シンハ・ビール」で乾杯ですが、タイでの最後の晩餐?とて、今夜は大きなピッチャーをオーダーしましたが、それもあっという間に空になってしまい、「、、、、おかわり!!!」

 毎回タイに来たときは食べ物や水に注意するのですが、かなり慣れたので思いきって「生の海老」(といっても処理はしてあるような)を食してみました。なかなか、、、、です。

 サイドミュージックも加わり、タイの夜は更けてゆきます。我々(日本人の爺様たち)を意識してか、PPMやビートルズなどのオールド・ナンバーを何曲か演奏してくれました。




 それこそ次々に出てくる料理を鱈腹たいらげて、みなさんご満悦でした。







 最後に世界の3大スープのひとつとされる、タイの伝統的な「トムヤンクン」で仕上げです。私はあまり好みではありませんが、特に「香菜」の強いものはどうにもいけません。







 ということで、「リンパ・ラパン」を後にしましたが、」そのころには電飾がいっぱい、、、、


さて、これからホテルに帰って帰国のためのパッキングです。


2013年2月22日金曜日

RADIOの製作(1) 中国製6石トランジスタラジオ・キット

 ふと出来心が起こり、本当に久しぶりにラジオを組み立ててみました。

 ラジオ暦としては小学校4年生のころ、父に買ってもらった鉱石ラジオを組み立てて以来なので、ほぼ60年くらいになるでしょうか、、、、あのころの鉱石ラジオは本物の?鉱石(おそらく方鉛鉱)が使ってあり、今でもそのブランド名である「FOXTON]は何故か克明に覚えています。そして始めて完成したそのラジオからの音は極めて強い衝撃を私に与え、その影響は今にまで、、、、

 たまたま部品入手のため、ネットを眺めていたら「中国製6石トランジスタラジオ・キット」なるものが極めて安価に売り出されていましたので、後でバラして部品にしても良いや、、、、と言うわけで入手しました。

 トランジスタラジオはこれも約60年前、1955年、東京通信工業(東通工、現:ソニー)が日本で初めて世に出したわけですが、今ではラジオもIC化されており、ディスクリートなキットなどを組み立てるのは本当に酔狂なのでしょう。

 、、、、というわけかどうか、「組み立て説明書なるものが無い」とのことなのですが(それで安価?でも配線図は有)、プリント基板面のプリントをみながら何とかなるだろう、、、、と始めました。

 キットを袋から出すときはいつでも「少年気分」です。ディスクリートだと意外に部品点数が多いナ、と言うのが正直な感想です。でもこれだけの部品をいちいち集めたら時間も、代金もそこそこ、、、、だけどチェックしたら、抵抗が1本不足でした。(抵抗などは手元に十分あるので心配はありません)


 回路図も特段変わったところの無い回路ですが、トランスを使った低周波出力部分は、さらに昔の回路です。

 早々と組み立てに入りますが、抵抗は数値が間違っていないかを確かめてから組み付けました。
 左写真は部品面、右写真はハンダ付け面です。作業は手馴れている?私でも約2時間かかりました。プリント基板の精度もまあまあでしたし、片面基板によくあるジャンパー配線もありませんでした。
 電池をセットして、毎度のことながら多少緊張しつつ、電源スイッチを入れます。トランジスタ特有の「サー」と言うノイズが聞こえます。ひとまず安心です。


 早速、調整にかかります。このラジオは「スーパーヘテロダイン方式」ですので、「トラッキング調整」が必要ですが、このための装置は手元にありますのでなんら心配なく短時間で済ませました。

 いくつかの放送波を受信しながらチェックしました。感度はそこそこですが、音質が極めて悪いです。もう少しじっくりと回路を見ながら、部品定数を変えたり、回路そのものを変えたりして、出力波形や周波数特性などを追求しても良いのですが、またの機会に、、、、

 最後にケースの写真を上げておきますが、これではなんとも、、、、やるならケースデザインまで自分で手を入れなければ、、、、

 今回は久しぶりにラジオキットを組み立てて見ました。

 今や、このキットに使ってあるようなディスクリート部品は日本ではほとんどが中国からの輸入になっていますし、ディスクリート部品そのものも表面実装部品への転換でレッドブックに記載されつつある?ような現状です。本当に技術の進展は速いですね、、、、

2013年2月17日日曜日

古いCDプレーヤーのリペア


 親しい友人のところから、TEAC製のCDプレーヤーがやってきました。「動かなくなったから適当に処分してくれ」とのことです。

 型番はCD-P1800といい20年近く前のエントリー機だと推測しましたが、ググッてみても名機たちとちがいなんの情報もありません。

 早速通電してみました。CDのローディングは出来るのですが、演奏のシークエンスになると多少作動しようとする意欲は感じられるのですが、、、、確かに動きません。
 私の経験からすると、おそらく光ピックアップ・ヘッドの駆動部に何らかの故障があるのでしょう。

 カバーをあけてなかをのぞいてみました。 大きな筐体のわりには、中はガランドウです。中央にメカニズム、左側にディスクリートで組んだ回路部分(とはいっても裏側に肝心な、いくつかのPCM関連のLSIは装着されていました)です。そして右下に電源トランスがあります。

 注意深くヘッド駆動部をポリアセタールの歯車を介して動かしてみましたが、、、、お、固着しています。

 この現象は、長期間経過したときに潤滑用のグリースが酸化・固化してしまったものでしょう。あまり使いたくは無かったのですが、浸透性潤滑材を少量、ガイドにしみ込ませながら、何回も何回も辛抱強くすこしずつ動かしていくと、ようやく固着から開放されました。あとは出来るだけ浸透性潤滑材をふき取り、写真のようにモリブデングリースを再度、ヘッド駆動部のガイドに塗布すれば終わりですが、、、、
 このプレーヤーのカバーをあけたとき、中が意外と綺麗だったことと、仕事?をしながら聴くセカンドシステムのCDプレーヤーを物色しているところでしたので、この際リペアしてみる事にしました。
 リペアと一言で言ってもいろいろ手があります。全体の清掃、駆動系の手入れ(ゴムベルトを使っていないようで助かりました、でなければ交換)、コンデンサーの交換(リ・キャップ replace capasitors )、システムクロック(16.9344MHz)の低ジッタ化、制震材の貼り付け・塗布などなどこの道は際限がありません。

 いろいろ考えて、最終的にコンデンサーの交換(リ・キャップ replace capasitors )をすることにしました。もちろんピックアップ・レンズ(右上写真の左に見えています)はていねいにクリーナーで清掃してやります。(ちなみにこういった用途にはオリンパスのEEクリーナーの右に出るものは無いでしょう)

 左上写真の、黒い円筒状のものがコンデンサーですが、よくみるといまどきの表面実装部品ではありませんので比較的簡単?に交換できそうです。でも全てチェックしたら三十数本ありました。

 右写真は交換すべきコンデンサーです。オーディオ用の「ニチコンMUSE」で全てそろえてみました。



 左写真の右下が交換前、左上が交換後です。基本的には同じ容量のもので交換しますが、耐圧が大きくなっていたりして、多少サイズが大きくなっています。

 リペアの他の項目は、もともと本機がエントリーレベルである事、イージーリスニングが目的である事、自分の耳のf特性の劣化など考えてやめておきました。

 ということでいそいそと試聴にかかります。最初はリ・キャップの作法どうり、音が安定するまでに時間がかかりますが、徐々に音の繊細さに加え、つややかさが感じられるようになってきました。さらに聞き込めばもっと良くなる、、、、でしょう。

 少し遅いですが、「チェット・ベイカー(Chet Baker)のMy Funny Valentein 」 、ロシアの隕石から思い立って「1812年」、そして辻井伸行のデビユーアルバム、、、、とソースをとっかえひっかえ楽しんでいます。

 このプレーヤーをくれた友人に感謝!です。



2013年2月15日金曜日

タイ ゴルフ合宿 第4日   パッタヤ早朝散歩 と            グリーンウッド・ゴルフクラブ

 タイも今日で4日目、合宿は3日目ということになり、少し慣れてきましたが油断は禁物です。


 今日のラウンドはグリーンウッド・ゴルフクラブ( Greenwood Golf Club )ですがティーオフが正午過ぎになりますので、少し早めにと言ってもいつもの時間で6時過ぎですが、朝食を摂ってパッタヤの街に出かける事にしました。

 パッタヤの街の地図にある「HOTEL」からブルーの線に沿って散歩しました。

 パッタヤは何といっても夜の街です。朝陽の下の街はあの夜の輝きをまったくと言っていいほど失っていて、その気配さえありません。ただ雑然としたむなしさを感ずるのみですが、一抹の懐かしさもあるような気がします。

 右写真は、海岸に向かっている道で、まさにツワモノども、、、、

 その街の通りで不思議な光景を見ました。黄色い衣をまとったお坊さんたちが何人もやってきてしばらくお祈りをしていたかと思ったら、店々の前の祭壇上のお供物をきれいに回収して小型のバスに乗って次なる、、、、


 お坊さんがお供物を一人では持ちきれないので、従者を連れて托鉢しているのを見たことがありますが、ここまでシステム化されているとは、びっくりです。

 通りを突き当たるとパッタヤの海岸に出ます。パッタヤの海岸はほぼ南北に走っていますのでここは真西を向いている事になります。

 今日は割合と風が強く、少し波立っていますが、空は朝陽の下でも、もう水蒸気のモヤがかかっており真冬とは言いながらさすが南国です。

 左下写真は南方向(海に向かって左)、右写真は北方向(海に向かって右)となります。

 左手の山の中腹にある「PATTAYA]の文字は久しぶりですし、右手のリゾートホテルやマンション群は以前より増えたような気がします。
 そして中央(真西)には早朝にもかかわらず、ボートセーリングや、パラセーリングを楽しんでいる人たちでにぎわっていました。


右写真はパンフレットからです。


 海岸通りを散歩しているといろいろな人とすれ違います。
 人種としてはロシア人が圧倒的に多いです。現地人か、ロシア人かというくらいで、街の看板も読めないロシア語がタイ語とならんでいます。日本語の存在は一時より小さくなってきており、少なくともここパッタヤでは探してやっと、、、、と言った具合です。


 警察官の人形が並んでいる、、、、と思ったら、「パッタヤ・シティー・ポリスステーション」とありました。

 カップルもいろいろあり、見るからにリタイア後を楽しんでいるようにみえる年配夫婦、これは新婚旅行中なのでしょうか、初々しい感じの若い二人、そしてもう一種類、年配の男性と、妙にケバケバしく、服装のアンマッチな中年女性との組み合わせです。


 しばらく歩いてようやく「人魚とイルカの像」のある交差点まで着きました。ここから右折して東に向かいます。(パッタヤ地図参照)

 道端の椰子の木にはたくさんの実がなっています。また生垣には馥郁と香る白い花が咲いています、何という名の花なのでしょうか?



 朝の道路はまだまだ空いていて、横断も楽に出来ます。
 向こうから「テンソウ」が走ってきました。


 これは手を上げると乗せてくれて、降りたいところで荷台にあるブザーのボタンを押すととめてくれます。降りて運転手に10バーツ渡してOKというきわめて安く、便利な大衆の足です。ただ我々にはどこへでもいけるわけではなく、海岸通りの週回路くらいがまだ限度です。



 おっと、道端で懐かしいダイハツの「ミゼット」をみつけましたが、さすがにタイでも現役ではなく、看板代わりにおいてありました。







  お昼近くにホテルを出発し、グリーンウッド・カントリークラブに向かいました。この時間になってもあまり熱さは感じませんが、それでも30℃は越えているでしょう。


 このコースは今回の5ケ所のうちで一番遠く、なだらかな山手にあります。ただコースは少しワイルドで、ここで働いている人たちもそんな感じでした。

  ちょっと見にはフェアウエーとラフの境界がはっきりせず、名前のように全体が緑一色で、集中力に欠ける感じではありましたが、帯同した男性キャディーとイキが会い、何とか無難にホールアウトできました。

 今日は午後のラウンドとなったので、夕食は少し遅くなりました。ホテルへ帰って、海岸通りの周回路で「テンソウ」に乗り食事場所の「ショッピングセンター」まで出かけましたが到着したときは7時を過ぎていました。(前述地図のピンクのライン参照)

 右写真が手を上げて止めた「テンソウ」、左写真が「テンソウ」のなかから見た後方の景色です。

そしてショッピングセンターに着き、ようやくにしてありついた日本食店での夕食です。

 夕食後センターの中を少しぶらぶらとしましたが、さすがここはパッタヤでも高級なモールで、タイにいるという実感を忘れそうになってしまいます。

 お土産をと、、、、いろいろ物色しましたが、適当なものが無く、最後に地下の民芸品店(写真)で綺麗で重い南洋材で出来た70cmくらいの「靴べら」をみつけました。






 ショッピングセンターの吹き抜けにはお正月の飾りがありました。「Happy Chinese New Year]とあります。そうです、こちらのお正月(春節)は2月中旬なんです。

 でも何故かモティーフは同じヘビですが、、、、でなくケムシ???