2013年11月30日土曜日

カンボジアへお寺参り (その2 ホイアン)

 午前中をホーチミンで過ごし、午後国内線で、ベトナム中部の90万都市ダナンに向かい北に飛びました。

 ダナンには2泊し、左地図のホイアンともう一箇所のミーソン遺跡をそれぞれ観光の予定です。

 飛行機は順調に飛びましたが、ダナン空港着陸寸前に、ふと窓から地上を見てあっと驚きました。
 見渡す限り茶色の水に覆われた中に、家々がポツポツと浮かんでいるように見えます。これはどう見ても大洪水です。(左地図上の水色斜線部)

 そういえば、日本出発直前に、フィリピンを襲ったあの台風30号の次に31号がはやくも発生して西方に進んでいるというニュースは聞いていましたが、おそらくその後遺症に違いありません。


 確かにホーチミン離陸後に機長が現地の気象状況が、、、、などといっていたのを思い出しました。
 とはいうものの何事もなく着陸態勢に入っていくわけで、現地到着は問題ないとしても、ホテルまでたどり着けるかが、次に心配になってきました。

 ダナン市内はこの日の午前中まで豪雨が降っていたというものの無事バスが走ることが出来ました。
 でも、左写真の最近開通した龍の形をあしらった(尻尾から見ています)橋からは今にもあふれそうな水面が見えていました。


 最初に私たちが訪れたのは、ピンク色にそびえには鶏の像があることから「鶏教会」とも呼ばれ親しまれているダナン大聖堂です

 たまたまミサの時間でしたが、教会内部に入ることができ、荘厳な時間を垣間見ました。

 今日の夕食は、敷地内に世界遺産の『ミーソン遺跡』が復元されているという「アプサラ」というなかなかしゃれたレストランです。

 店内も雰囲気が十分に出されており、たくさんの人でにぎわっていました。食器類にはすべて右写真のような図があしらわれており、また壁面のデコレーションも右下写真のようであり、いっそう気分を盛り上げています。

 この地のビールはなんとタイガービールです!!!
 阪神フアンなら大感激といったところでしょうか、、、、



 一夜明けて、ホテルのレストランで朝食です。

 ここの入り口にもミーソン遺跡からの発掘品のレプリカが飾ってあり、いっそう期待を大きくさせます。
 しかしながら、洪水の影響が大きく、予定が変更になってしまいました。先夜予定のホイアン・ランタン祭りは今夜出かけることとして、ミーソン遺跡には道路の開通を見極めて明日に延期、、、、ということです。

 でもゆったりとした旅程のおかげで、このような自由度があるのです、よかった!!!

 ホテルのレベルがこれまで同じようなものなので、食べられるものも似たり寄ったりですが、オムレツやパンケーキなどは専任のコックさんがいてその場で注文に応じたメニューで焼いてくれたりしています。

 左写真は朝食をとったレストラン、右はプライベート海岸に作られたプールです。でも、ここは共産国家なんです。

 残念ながら、台風でかなりの損傷を受けたようで、使用不能となっており、これから修復工事を行うための資材が運び込まれていました。(せっかく水着を持っていったのに、、、、) 

 左写真は、ホイアンに向かう途中の町で見かけた風景です。水深はたいしたことは無いので、バスは走行できますが、バイクには微妙なところです。さすがのバイク群も水に入るのを左上で躊躇していますが、子供を乗せたバイクが意を決して入ってきました。

 ダナンの南方30kmのホイアンにつくと早速シクロ(人力車、ほかにもバイク車もありますが)に乗って近くをまわります。音もない、静かな走行中に、ふと空を見上げたり、目をつむったりするとずいぶん癒される思いがします。

 一行20人のシクロ行列は壮観で、さすがのバイクも道を譲るしかありません。

 黄色い壁が印象的な、旧市街地です。もちろんここは世界遺産に登録されています。
 1600には徳川家康江戸幕府との朱印船貿易取り引きが急速に拡大し栄え、日本人町などができましたが、30後、江戸幕府の鎖国により日本人の往来もなくなってしまいました

 この街並みはベトナム戦争時代に破壊されることもなく残され、、現在に至るまで当時の繁栄ぶり伝えています。


右写真は、海のシルクロード博物館(貿易陶磁博物館)でこの中には当時の貿易船の模型(左写真)や、古い日本の陶磁器類などが展示してありました。




 右写真は、右上写真の二階ベランダから屋並みを見渡したものです。

 こちらの屋根瓦は縦にして、密度高く葺かれており、もしかして台風対策かも、、、、
 いづれにしても何百年かの歴史が無言で何かを語りかけてくれているような気がします。



 ここは来遠橋(日本橋)といって、前述の1600年ごろこの地にいた日本人たちが造ったという屋根つきの小さな太鼓橋です。全景は船に乗らないと撮影できなかったので、右下に内部を挙げておきました。

 右写真は橋の中央部にあった落書き?で1999、2007そして2009年には水がここまで上がったよ!というしるしです。ということはこの地方では洪水は茶飯事で、水害ではない、、、、ということでしょうか。

 たしかにこの一帯は大きな河(トゥボン河)の三角地帯で水耕も盛んであり、毎年の洪水が山から運んでくる栄養分が天恵なのかもしれません。

 左写真はまだ水の引かない地域に船が行きかうのをバイクが見ているところです。

 右は町のところどころで見かける、雰囲気たっぷりな街路灯です。


 ホイアンの市場を散策しました。色とりどりの野菜、果実類です。もちろん肉や、魚もありますが、こちらには冷蔵庫がほとんどないので、近寄らないほうが、、、、


 右写真は中国風の建物です。なんと言ってもこちらでは主流のようです。門にランタン(提灯)が下がっていますが、今夜のランタン祭りはあるのかな?

左写真は中国風のお寺?の中にあった、祈願用の巨大なお線香です。蚊取り線香のように作ってあり、真ん中をつるすと写真のように円錐形になるのです。このお線香に願文をつけ、点火すると長いものではほぼ一ヶ月の間燃え続けるとか、、、、


 昼食後、いったんダナンに帰り、当初計画に無かった、チャム彫刻博物館にでかけました。

 ここは明日訪れる予定のチャンバ王国の聖地ミーソン遺跡やそれ以外の周辺地域から出土された同時代の遺産が多数展示されているのです。
 当然発掘物は引き揚げられてここに来ているので、事前に見学するのはベストです。

 展示物はいずれも見事なもので、人こそ少なかったですが、欧州人らしき人たちも結構多く、根強い人気が推しはかられます。





 ほとんどがヒンドゥー教由来のもので、われわれが後日訪れるここから500kmほどの、カンボジアのアンコール方面の影響も強いのではないかと思われます。











 見学後、ホテルで少し休息した後、ランタン祭りを見学かたがたホイアンのレストランへ出発です。


 ランタン祭りとは毎月の旧暦14日におこなわれるもので、日本のお盆にイメージが重なります。
 家の前にご先祖をお迎えするような飾り物も見ることが出来ました。
 日暮れとともに、次々と電球などの人工的な光が消され、灯りとしてはランタンのぼんやりとした小さな光のみになって、
歴史保存地区では日暮れから夜にかけて、バイクや車の通行は禁止され完全に歩行者天国となる、、、、はずでしたが
 さすがに台風と洪水の直後ということでほんの一部しか見られませんでしたがせめて雰囲気だけでも、、、、(写真)






 ということで、この後夕食後ホテルに帰り明日に備えました。

2013年11月25日月曜日

カンボジアへお寺見物 (その1 ホーチミン)

 ことし年央にマチュピチュに出かけて、遺跡に馴染んだわけではないのですが、アンコール遺跡群の見物に出かけることにしました。ついでと言っては何ですが、ベトナムの各地もツアーの予定に入っているので、それも楽しみです。

 左図に今回の日程を示します。
 セントレアからベトナム航空でホーチミン(かつてのサイゴン)に飛び、ついでダナンで2泊し周辺観光をします。
 つぎにカンボジアのシェムリアップ(アンコール遺跡群の所在地)で2泊、そしてベトナムのハノイに移動し、ハノイ・ハロン湾上1泊ずつする9日間の旅です。
(最後の1泊はハノイ発24時15分の機上泊です)

 今回のツアーはベトナムとカンボジアがひとつになっていること、連泊が多く到着・出発にゆとりがあること(ほとんどが6時前にホテルに着き、朝は8時から9時の出発が多い)から選択しました。もうひとつ、ホテルはすべて五つ星というのもありました。

 最近できたという、セントレアからホーチミンへの直行便の利用です。

 朝の10:30に出発して、所要時間約5時間で、時差が2時間の現地時間14:00に到着予定です。

 左写真は空港にいた、新規開発機・ボーイング787シリーズの部品をアメリカの組立工場に輸送するために、中古の747-400を改造した大型特殊貨物機747-400LCF型で愛称は「ドリームリフター」(Dreamlifters)といい、世界で4機しかありませんマニアがあちこちから飛来スケジュールを調べて撮影に訪れています。ということは、ラッキー!!!


 定刻に出発してから、何事もなく無事ホーチミンに定時到着です。

 このハノイと並ぶベトナムの700万都市は「サイゴン」という呼び名がなぜか馴染みます。右写真はサイゴン川を横切って、これからタンソンニヤット空港に着陸するところです。



 左写真は空港で見かけたアオザイを着て颯爽と歩く女性です。
 アオザイはベトナム語で「長上着」を意味し、日常着青色、未婚女性用白、既婚女性それぞれ着用する習慣がありましたが、現在は色とりどりだそうです。このピンク色はおそらくベトナム航空のCA用制服でしょう。(最新は赤)

 到着が少し遅れた送迎バスに乗って、いよいよ市内観光に出発です。

 走り出して真っ先に驚かされたのが道を行くバイクの数です。ベトナムでは移動の足としてバイクがもてはやされており、二人に一人が所有しているとのこと、、、、そして道路はバイクが最優先で人や車は遠慮しながら動いています。
 バイクはホンダが最もポピュラーかつ高級品で、ここではバイクのことを「ホンダ」と呼び、スズキのホンダという言い方が一般的だとか、、、、一方車ではトヨタが圧倒的でした。



左写真は統一会堂です。
 1975年のベトナム戦争終結時に、北ベトナム軍の戦車が当時は大統領府であったこの建物のフェンスを破り突入し、南ベトナムの首都サイゴンが陥落したのです。


 その当時のソ連製戦車が敷地内展示されているのが見られました。(右写真)

 左は高級ホテル街のドンコイ通りから西を見た写真です。

 右下写真はドンコイ通りの歩道です。そろそろ暗くなりかけていますが、大勢の観光客が行き来しています。

 その中の一軒、「MissBee」という店に案内されてしばしお買い物タイムです。



 左写真のように細長い5階建てのビル?の1・2階が店舗になっていました。

 商品の多くは色とりどりの布や糸を使った手作り雑貨です。こちらでは機械加工品よりも手作りのほうが安価だったりして、、、、

 店内は右写真のような雰囲気です。商品を選び、そして値段交渉です。金額もさることながら、同じ金額でもうひとつサービス、、、、というのが主流のようです。(ただし5個以上)


 そろそろ暗くなりかけて、サイゴン川のクルーズ・ディナーです・幸い雨も風もそれほどひどくはありません。波止場から乗船です。(左写真)揺れるかな?

 船内のレストランはほど良い広さでした。右写真のように民族音楽や、舞踊を披露してくれました。


 食事の折、早速注文した地ビールのサイゴン・スペシャルです。
 こちらのビールは少しアルコール分が少ない(4~5%)ですがすっきりしておいしいです。







 右写真は船上からサイゴン中心のホテル街を見たものですが、右側に聳え立つのはビテクスコ・フィナンシャルタワーで、高さ262メートル、地上68階建てです
 その49階に位置するスカイデッキからはホーチミンを一望できるそうですが、もともとそのスカイデッキはヘリポートとして設計されたのですが、ヘリコプターが無いので、レストランになってしまった、、、、とはガイドさん。
 左写真は今夜宿泊するホテルのアプローチにある飾り物です。



 一夜明けてサイゴン市街見物に出発です。右写真は信号待ちのバイク群です。市内の信号には信号が変わるまでの時間(秒)が大きく表示され、それがカウントダウンしていき赤が青に変わるので、これはまさにバイクレースのスタートです。左側の歩道をもたくさんのバイクが機をうかがって占拠しています。

 左写真は道端に座って前方を見つめるおばあさんです。
 気分を出してモノクロにしてみました。

 右写真は市内でよく見かける風景です。色とりどりのものがごっちゃに売られており、露天での飲食も盛んです。そして道路には水が流れて、、、、




 下の写真はサイゴン大教会です。


 今日は土曜日なので?教会の周りには幾組もの婚礼衣装姿のカップルをみかけました。幸せそうな顔をした花嫁さんです。

 こちらの男性が花嫁を迎えることがいかに大変なことかを独身(29歳)の現地ガイドさんが切々と説明してくれました、、、、


 左写真は教会内部です。










 次に中央郵便局に移動しました。
 赤の地に黄色の星がひとつあるカンボジアの国旗が鮮やかなこの建物は1891年に当時のフランス領インドシナの郵便・電信施設として建築されたそうです

 またこの建物はパリのオルセー美術館をモデルにしたと言われており、鉄骨設計は、あのエッフェル塔のギュスターヴ・エッフェルが手がけたとか、、、、

 左写真はその内部で、奥に掲げられているのは、ホーチミンさんの写真です。

 このようにここホーチミンはフランス統治時代の文化がのこっており、それがこの町の魅力であり、サイゴンという名が懐かしく感ぜられる所以でしょうか。


 このあと昼食後国内便でダナンに移動するために飛行場に向かいました。
 飛行場にはいろいろなものが売られていましたが、右写真の値札を見てびっくり!!なんと八百六十万ベトナム・ドンとあります。日本円にして41,000円、でも高い?

 一路ダナンへ、、、、