2012年12月31日月曜日

大晦日


 今年も早いもので、もう大晦日です。
 もともと月の最終日を「みそか 晦日」、一年の最終日を「おおみそか 大晦日」と呼ぶのは知られています。晦日の語源は「三十日」らしいのですが、旧暦では31日はないものの29日はあったのでこの場合は「九にちみそか」とも呼ばれたとか、、、、

 また同じ漢字(晦日)を「つごもり」と呼ぶ古い言い方もあるようで、これはもともと「晦」が月が隠れる事を意味するので、「月隠り(つきごもり)」からきたとされています。ということで「大つごもり」というのはもちろん大晦日のことです。たしか樋口一葉の短編に「大つごもり」というのがありました、、、、(一葉の作品は何故か甘酸っぱい感じがするのは私だけでしょうか、、、、)

 いくつかのお正月の準備がありますが、餅つきはやはり良いものです。ですが、家庭で杵と臼を用いたのはせいぜい昭和30年代まででしょう。我が家ではかなり前から餅つき機ならぬ餅こね機を使っています。(右)
 あらかじめ一晩水に漬けたもち米をテフロンコートされたボール状の器にいれ、その下から水を沸騰させた蒸気を送ります。もち米に対して所定量の水は、やがて蒸発してなくなり、容器の温度が急速に上がるとそれを察知してブザーが鳴るというきわめてシンプルな方法をとっており、確実にもち米は蒸しあがります。
 ついで容器の底に付いた撹拌用のモータを回すスイッチを入れると約10分で出来上がりです。写真は約5分経過したところで中から回転しながら餅がせり上がってくるのが見えています。
 あとは「鏡餅」や「のし餅」に加工していくだけですが、上の写真は鏡餅を作っているところです。餅はそのまま置いておくと重力のせいでどんどん平べったくなりますので、あらかじめ紙で輪を作っておきその中に入れ、ほどよく固まってから輪をはずしてやると姿のよい鏡餅が出来ます。

 左は「のし餅を作っているところですが、餅こね機に付属していたパレットに入れて麺棒で「のす」だけです。ただ、餅とり粉は使わず、ラップで上下をはさみ、そのなかで「のす」と餅とり粉でよごれず、あとから切り餅にするときもそのまま切って保管しておけば黴にくいようです。

  右は半紙の上に置いた裏白のうえに鏡餅を置いたところです。てっぺんに乗っているダイダイは庭から切ってきたものですが、今年はなぜか、数も少なく色づくのも遅く、ほど良いものを選ぶのに苦労しました。

   これは玄関の「お飾り」です。100円ショップで購入してきたものを私流に改造してみました。極めてシンプルですが、良しとしましょう。かつては松の枝などを切ってきて使ったものですが、最近はあまり見かけません。
 そしてこれは友達からいただいたミニ門松ですが、なかなかかわいらしく、よく出来ています。

 ということで、あとは紅白、そして除夜の鐘を待つまでになりました。

 年初に始めたブログも何とか1年経過しましたが、想像していたより多い約9000件の閲覧があり、驚くとともに感謝しています。

 ではいいお歳をお迎えください。

2012年12月24日月曜日

チャップリンの 「街の灯」をオーケストラ・ライブで観てきました。

この写真は合成です

 ひさびさに映画を観に出かけました。と言ってもチャップリンのモノクロ無声映画です。たまたまこの日は、午後早くに1916年ごろの映画を4本、活動写真弁士つきで鑑賞し、一時間ほど休憩してから別の会場で、こんどは京都市交響楽団によるライブシネマで「街の灯 city lights」をじっくりと楽しんだ一日でした。

 このような催しははじめてで、左のパンフレットからの合成写真にあるように、ステージに大スクリーンが設置してあり、その前のオーケストラボックスにフルメンバーのオーケストラが映画の進行に同期して音楽を演奏していくものです。
 このとき楽団員は音楽のみならず、一部の擬音もうけもち、とくにピストルの発射音は迫真の演出力でした。

 活動写真弁士つきで映画を見るなどは経験もなく、映画かドラマの中でしか様子を知りませんでしたが、今回は「澤登 翠」さんという日本を代表する現役の女流弁士によるものでした。

演目は
1917年『チャップリンの冒険』The Adventurer
1916年『チャップリンの大酔(午前一時 との訳もある)One A.M.
1916年『チャップリンの番頭』The Pawnshop
1916年『チャップリンの放浪者』The Vagabond
 の4本でした。

 彼の初演作品は1914年ころとされているので、これらはいわゆる初期の短編モノと言う事でしょうか。作品はどれもアクの強い、いわゆるドタバタ喜劇で、アクションが「これでもか!!」と言うくらい強調されており、この時代、映画が大衆に対し懸命にアピールしているような気がしました。

 弁士は出演者の科白を緩急をつけて一人で何役もこなしていくわけですが、基本的にバックグラウンドミュージックはあるわけですし、必要な科白は画面いっぱいに挿入されるので、いなくても十分映画は理解できると思います。
 むしろ、弁士が個性を前面に出し、かつて「徳川夢声」がそうであった様に、独自の世界を作り出すのがわかりやすいと感じました。「澤登 翠」さんはどちらかというと丁寧な通訳さんといった感じでした。

 チャップリンはチャールズ・スペンサー・チャップリン・ジュニア(Charles Spencer Chaplin, Jr.)といい、1889年生まれで 19771225日に没しています。チャーリーは愛称です。

 彼はれっきとしたイギリス人で、アメリカで名を成し、アメリカを追われ(後に名誉を回復)、スイスで没した、映画俳優、映画監督、コメディアン、脚本家、映画プロデューサー、作曲家です。詳しくはネットでどうぞ、、、、


 左、右下写真は「街の灯」の最後の部分で、「サイレント映画史上永遠の名シーン」と言われるところです。

 " You "「あなたでしたの」と、かつて盲目だった花売り娘ヴァージニア・チェリル
、、、、頷くチャプリン "
You can see now ? "「見えるようになったの?」
Yes, I can see now. "「ええ、見えるようになりました」

というところで THE END ですが彼女が夢見ていた相手とはまったく異なった浮浪者です。これからどうなっていくのでしょうか?   本当の物語はここから始まるのでしょう、、、、

 でも最後のシーン(右上)で困惑した表情ではありますが、彼女は彼の手を自分の胸に当てています、、、、


最終部分の科白入り総譜(プログラムより)
 この日のオーケストラは、斎藤一郎さん指揮の京都市交響楽団(響)で見事に全編の86分を休むことなく見事に演じきりました。フル編成でありながらその存在が最後までまったく意識できなかったですし、無声映画の出演者の科白にもピッタリ間が合って、映画と一体化していた、本当にすばらしい演奏でした。

 この『街の灯』City Lights は1931年の作品で、そののち1936『モダン・タイムス』Modern Times、
1952年に『ライムライト』Limelight と続いていきますが、やはりチャップリンはこの『街の灯』に尽きる、と私は思います。

 そして、この映画のなかでたびたび流れるテーマはフランスのシャンソン、「花売り娘」原題は「ラ・ヴィオレテラ "La Violetera"(すみれの花売り娘)」で作曲はJose Padillaですが、これを世紀の歌姫ナナ・ムスクーリの澄んだ歌声で聴くのもまた、、、、

 そんなことでこの暮れに思いがけない時間を持ち、興奮の一日でした。このようないい企画を見つけてくれた家人に感謝です。

2012年12月19日水曜日

ひさしぶりのプリント基板作製


 ひさしぶりにというか、それこそ数年ぶりにプリント基板を作製してみました。

 ことの起こりは、ログアンプであるAD8307を使った高周波ディテクターを作ろうと思い立ち、ざっと完成させて特性を計ってみましたが、さすが周波数特性は申し分ないのですが、ご多分に漏れずフロアノイズが下がらずここ一番気合を入れて作り直そうと思ったわけです。

 ちなみにこのAD8307 (analog devives 社) はこれまでも何回か使ってみましたが、コストパフォーマンスは抜群で、以前私がとった特性図でわかるように、ひかえめにみても+10~-70dBmの入力に対し、リニアリティーのよい綺麗な直流出力が得られています。

 ただし、入力はSSG(Synthesized Signal Generator  昔は Synthesized のかわりに Standard でした)から直接入れてあるので当然と言えば当然ですが、、、、
 このICを実際の回路に入れて使うとフロアノイズが上昇して、-60dBm程度までしか測定できなかったのです。

 いまどきのプリント基板作製は、EAGLE や PCBE などのCADソフトを使い、データをネットでおくり、郵送されてくるプリント基板を待つ、、、、と言う事でしょう。わたしもこれらのCADを使ってみましたが、今回の回路は簡単なものですし、昔ながらのエッチングによる自作と言う事にしました。またパターン・マスクの作製はレーザープリンターの原稿をアイロンで熱接着すると言うもので、広くおこなわれている手法ですが私は初挑戦です。

 パターンは AR_CADというフリーソフトを使いました。私が使用するには、軽くて使いやすく気に入っています。
 
 印刷する用紙は、右上の「画彩 がっさい」を使うのが常道のようで、この日のために数年前に購入してありました。ワンパッケージ100枚ですので、あの世にいっても使える、、、、 
 そしてレーザープリンター(私のは安物で キヤノンのLBP3000です)での出力結果を左上に示します。ここで注意を二つ。
・パターンは上下左右反転しておく事。
・プリント濃度を一番濃く設定する事。

 右写真の中央にあるのが、いわゆる生基板です。これはサイズの大きなものから上に見える「アクリルカッター」で切り出します。厚さ1mm程度の基板なら両面にカッターで深めの筋を入れておけば簡単に折れます。そして右にあるマスクを印刷面が基板に接するようにしてアイロンで熱圧着させます。
 もちろん基板はあらかじめスチールたわしなどでよく磨いた上に、洗剤で油分などを落としておきます。またアイロンは140度(綿?)くらいにしておきます。
 ちなみにこのアイロンもこの日のために、数年前廃棄される運命にあったものをしまいこんでありました。
 左写真が、アイロンがけを終え、水中に入れて紙の部分をそっとはがしたものです。レーザープリンターのトナーがシッカリ基板の銅に接着しており、まだその上に紙がすこし残っています。ここからは念入りに残った紙を除去(最後は消しゴムなどで)しますが、狙いは白く見えている線でトナーを除去してはなりません。またトナーが薄くなっていたり、はがれた部分などは油性のサインペンなどで補修します。写真の左側のマスクのかかっていない部分もセロハンテープを張ったり、サインペンで黒く塗りつぶしたりして、エッチングされないように養生しておきます。当然のことながら、両面基板の場合は裏面の養生が必要となります。

 エッチング液は「塩化第二鉄」の水溶液を使いますが、これは大変強力な酸化剤ですので取り扱い、使用後処理の注意が必要です。

 私は思い立って、画材屋さんからエッチング画用の「腐食液」を芸術家のような顔をして購入しました。電子材料屋さんよりはるかに安いです。実はこれも数年前、、、、

 右上写真が完成したプリント基板です。右にあるのがマスクパターンです。ちょうど鏡対象になっていますね。パターンは特に修正が必要な部分もなく、初めてにしては一発で成功しました。
 エッチングの具合も申し分なく、0.3mmくらいの精度は十分に出ているようですので、次回は専用CADを使ってQFPパッケージ用の基板を作ってみようかと思いました。

 ログアンプ AD8307 を使った高周波ディテクターについてはうまく行ったらアップしましょう。

2012年12月16日日曜日

師走の栄へ出かけました


 時間が出来たので、栄の百貨店から絵画展の案内が来ていたのを思い出し、師走の栄に出かけてみました。

 生憎、朝から小雨がパラつく寒そうな天気で、今ひとつ元気が出ませんでしたが、ここは一番気合を入れなおし出発です。日ごろは渋滞がいやで土、日は避けるのですが、この日はたまたま土曜日でした。
 暮にしてはそれほどの混雑はなく、ほぼ1時間で目的地に到着しました。

 流石にクリスマス・歳末大売出し?の真っ最中で、左に示す今年のモティーフがいたるところに掲げてあり、気分を盛り上げていました。

 先ずは絵画の展示場、、、、とはいっても全て売り物で、とても私には手が出せないものばかりです。ですが、出品してあるものは古今東西のビッグネームのすばらしいものが目白押しで、美術館の展示会も顔負けするくらいです。

 なおかつお客さんが少ないせいか、店員さんが学芸員さん顔負けの詳しい説明をしてくれました。そんなわけであっという間にお昼の時間です。

 すこし早いですが、早速、同じ百貨店内にある「甘み・洋食 松栄堂」に入りましたが、予想に反し隙いていました。ここは「少し懐かしくてそれでいて ちょっとリッチな、そんな気分になるお店」と言う触れ込みに違わず、窓際から久屋大通り公園が見下ろせるという、私も家人もお気に入りのお店です。

 ここでは、三元豚の生姜焼きセットとクリームコロッケセットを注文しましたがドリアもなかなかです。

 デザートに「ぜんざい」をお願いしたら、「ランチタイムではやっておりません、14時以降なら、、、、」とのことでした。忙しい時間帯ではダメ?


 だったら余計に食べてみたい、、、、、でも今はダメ、、、、
 
 と言う事で後は百貨店内、そして周辺をウインドウショッピング、、、、




 雨は相変わらずですがすこし小降りになってきたようです。ちょうどお昼時ですが、大津通りもまだまだです。

 しかしながら駐車場入り口へは長蛇の列、雨が上がりそうになって、そろそろ皆さん活動開始?


 ふと思い立って、テレビ塔が見通せる場所まで足を運んでみました。

 今年の初めにはアナログ放送が終わってテレビアンテナの解体が始まっていましたが、今改めてみるとずいぶんスリムになったような感じがします。

 そうこうしているうちに14時が過ぎました。再び松栄堂に赴き、「ぜんざい」のオーダーです。店員さんが私たちをおぼえていて、嬉しそうに、まさにウインクをせんばかりの笑顔を見せてくれました。

 たしかに、オーダーしてからテーブルの上に出てくるまでには思っていた以上の時間がかかりました。きっと念入りに餅を焼いたのでしょう、、、、もちろん味も満足できるものでした。




ということで、ひさしぶりにゆったりとした一日を過す事が出来ました。

 店中、いや町中クリスマスソングが鳴り止まず、デコレーションやイルミネーションがそれぞれに工夫を凝らして盛り上げようとしていますが、なにかしらもうひとつなのは単に気のせいだったのでしょうか。

2012年12月2日日曜日

廉価なDMMをデータロガーに改造する


 電子工作関連の分野でネットサーフインをしていたら面白い記事に目が留まりました。廉価なDMM(ディジタル・マルチ・メーターつまりディジタル・テスター)を改造してデータロガーにするというものです。
 そこそこ高級な?DMMは読み取った数値をパソコンに送って経時変化をグラフ化したりデータ処理する、いわゆるデータロガー機能があります。

 しかしながら廉価(野口英世さん一枚)のDMMでこれが可能になるとはいったいどういうことなのでしょう。
 早速、気合を入れてしらべて(ググッて)みました。なるほどこれはもう7,8年前からおこなわれており、またこのことはことのほか人気があって、今もおおくの人たちがトライしているようです。ということは再現性があり、成功率が高いと言う事でしょう。
 さらには母体となるDMMが長期にわたって供給されているのも見逃せません。これを取り扱っている、私もよくお世話になる秋葉原の○月電子さんに感謝です。


 冒頭の写真は改造したDMMです。下右に外部出力(RS232)ON-OFFスイッチが、右下にパソコンにRS232で接続するためのジャックが、それぞれ矢印で示してあります。外形はオリジナルと見た目ほとんど変わりありません。

早速分解してみました。使用しているLSIはFS9711-LP3なのですが、ネットでデータシートを探しても見つかりません。「FS9721-LP3が改良バージョンで同様だ」との記事をみつけ、ダウンロードしました。右図がそのなかに掲載されているアプリケーションです。

 なるほど、プリント基板では図中に赤矢印で示した、64ピンのTXDと84ピンのENTXが未使用のままになっています。
 ということは、「LSIは高級品?と同様なものを使い機能のみ殺しある」と言う量産品によくあるパターンです。かつては「高級品はオプションをつける!」といったことでしたが、最近は「廉価品はオプション機能を殺す」と言ったも多いようです。

 やるべきことが見えてきました。
84ピンのENTX(enable TXD)とGNDのあいだにデータを取り出すときにショートすべきスイッチを接続します。
 つぎに64ピン(TXD)から赤いまるで囲ってあるフォトカップラー(わたしは手元にあったPC817を使用)経由で抵抗 1kΩ を介し VDD(電池の+側でかつ電源SWのあと)に接続します。そしてフォトカップラーの二次側にパソコンへ接続するための抵抗とジャックをとりつけます。
 左上はDMMの基板で、LSIが装着されている側です。
 なにせこの100ピンLSIはピン間隔が1mm以下ですので、そろそろ怪しくなってきた私の視力では、半田付け作業も限界に近いです。(右の白いまるがLSIへの半田付け場所)

上写真は基板の裏側に両面テープで接着したフォトカップラー PC817 です。必要な1/8Wの抵抗が2本じか付けされています。

 次いでケースの加工に入ります。ケースはプラスティックでドリル、ヤスリ、カッターナイフなどで簡単に加工できますので、ゆっくりと時間をかけ、傷をつけないように注意をして作業します。
 左写真の大きな部品がジャック(オーディオ用のモノーラルジャック)小さい部品が超小型のスライドSWです。


 右は外側から出来具合を見ているところです。最初からあったように、自然で、我ながらよい出来です。
あちこちに気を配り、慎重に再組み立てをします。そして電池を入れ、息を詰めて POWER-ON ! いつもながら緊張の一瞬です。

 とりあえず左写真のように無事に電源が入りました。セレクタースイッチを回しても特に異常は無いようです。

 そして、もう一度息を詰めて、今回増設したスライドSWをonにします。すると右の写真のように AUTO という表示の上に RS232 という表示が追加されました。おそらくこれでシグナルが送り出されていると思います。

 そこで次は実際にパソコンと接続してみます。左写真のように接続用のコネクターを作製し、接続します。RS232のようなレガシーポートはいまどきのパソコンにはついていない場合が多いのですが、私のは古いので、、、、
 しかしながら、計測の世界ではRS232はまだまだ現役です。次にパソコンを導入するときも私はRS232ポートつきを探します。(もちろん現役でもついているのがあります。)どうしても無いときは、RS232-USB 変換をして接続すればいいのです。


 もうひとつ問題があります。それはこのLSIが送り出すデータは符号化されていて(WENS 20T フォーマット)、ハイパーターミナルやteratermなどでは受信は出来るのですが、怪しげな文字がパラパラ並ぶだけです。

 そんな時、これもネットからユーティティーソフトがフリーでダウンロードできました。作者の方に感謝です。
 Ts Digital MultiMeter Viewer というのがそれです。上は実際に計測しているときのパソコン画面です。このように、経時変化、アナログメーター表示、ロギングなど多くのの機能が盛り込まれています。

 そして計測データは好みのファイル( .txt や .cvs )に落とす事が出来ますので、あとでゆっくり作業できます。

 左は .cvs ファイルで落として、ご存知EXELでグラフ化したものです。ちなみに10秒、17秒付近のノイズと思しきデータは上のリアルタイム表示にはありますが、EXELのグラフでは編集時削除してあります。

 また、見飽きたEXELのグラフのかわりに、別のグラフ作製ソフトをトライしてみました。これなら一般的に使えそうです。

 ということで、当初の目的は達成できました。
その後、「 WENS 20T フォーマット」なるものが判明したので、ようやく慣れてきた Ardiuno を使ってSDメモリにデータを格納できるようにしたいと思っています。

 今回の改造記事はこんな事になりました、ということで決して改造を推奨するものではありません。わけても、DMMは使用中どのような回路に接するかも知れず、安全上厳しい制限があるように聞いていますので、もしトライされる方はあくまでも自己責任ということで、、、、


2012年12月1日土曜日

すこしはやめのクリスマスプレゼント


 冬の弱々しい日差しの中、気晴らしにランチに出かけました。行き先は美術館のレストランです。家人とそれぞれオーダーしたメニューを満足して終え、(ここのレストランはがっかりする事はめったにありません)帰りがけに付属のミュージアムショップに立ち寄りました。

 このお店はそれほど広くはありませんが、我々にとって興味深い品々が数多く置いてあり、よく利用します。今日はレジのところに吊るされている、???なものに目が留まりました。ガラスでできた螺旋のなかをカットされた巨大なダイヤモンドのようなガラス球が上に行ったり、下に行ったりしています。
 さらによく観察すると上下に動いているように見えるのは錯覚で、螺旋が廻るとそのようにみえるハンギング・アクセサリーでした。

 そして売り子さんから「チェコスロバキアからきました、、、、」と聞いて、「すこしはやめのクリスマスプレゼント」と言う事になりました。
 たしか、あの「スワロフスキー Swsrovski & co」をオーストリアに設立したスワロフスキーチェコの出身らしいですし、大相撲の優勝カップの中にも、、、、ということで、やはり「本場のガラス細工」ならと言う事で決まりです。

 さらにお店の中で家人が赤いバッグを見つけました。布製のバッグですが、見た目、触った感じが何か懐かしい感じがします。

 タグを見ると「三河木綿の刺し子織り」とありました。納得です、柔道着や消防刺子に使われていたものと同じものなのです。地域産業を後押しせねば、、、、と言う事で、お買い上げ、、、、本当はこんなのが欲しかった~。


 と、私の目にも留まったものがあります。一冊の本です。山本健吉氏による「芭蕉全発句」(講談社学術文庫)が何故か手招きしていました。
 芭蕉が生涯に読んだ句は約一千句とされていますが、それがこの片手に乗る一冊の本に解説つきで掲載されていると言う事はなんともすばらしい事だと感じました。
 これからは近くに置き、少しずつ時間を割いて味わっていこう、、、、と、今は思っています。

 ということで、今日はおいしいランチと「すこしはやめのクリスマスプレゼント」とで豊かな気持ちになり家路につきました。空も心地明るくなったような、、、、