このブログで現在連載中の「Z80 SBC(シングルボード・コンピュータ)の製作」がしばらく滞っているのは、「Z80-MBC
を Z80-MBC2 に改造」に注力していたからです。
過日ブログで紹介した、HACKADAY.IO のホームページに掲載されている「 A
4$, 4ICs, Z80 homemade computer on breadboar 」はまさに秀逸であり私も早々に組み上げてそのすばらしさを享受しました。
さらに、かねての予告どうり、その改良版である Z80-MBC2 がこの夏発表されたのですが、ソフト類の完成が少し遅れていて、10月になってようやく全体像がはっきりして来ました。
ハード・ウエアについては、早い時期に回路図がKICadデータも併せて発表されていましたので、 Z80-MBC2 基板はすでに入手してありました。
ということでさっそく製作にかかろうとしたのですが、 Z80-MBC2 の基板が Z80-MBC の基板に比べてなんとなくチープで二の足を踏んでいました、、、、が、思い立ってZ80-MBC の基板を改造して Z80-MBC2 を構築してみることにしました。
結果、完成したのが冒頭の写真です。
ちょっと見にはほとんど分かりません、左上のSDカードと左側中ごろのトランジスタ2本が目に付く程度です。
改造に先立って、 Z80-MBC と Z80-MBC2 の違いを Z80-MBC の回路図上に書込み、修正していきました。
ありがたいことに新規部品はほとんど使っておらず(前述のトランジスタ2本くらいのもの)、 何とかいけそうな気がしてきました。
改造点はあまり多くなく、以下にその概要を挙げておきます。
・アドレス・バスの A1~A14 を10kΩでプルアップする。(データ・バスはそのままでよい)
・従来LED点燈に使用していた74HC00のNANDロジック2個をメモリ・バンク切り替えに使うため、トランジスタ(2SA1015)2個と置き換え。
・アドレス・バスA1、A2、A3、A4、A5、A6、A7からATMEGA32AのPIN25,26,27,28,29,16,17,18へのそれぞれの配線をカット。
・コントロール・バス/WR、/RD、/MREQ、/RESETからATMEGA32AのPIN5,6,7,8へ行っている、それぞれの配線をカットし、PIN25,26,27,28へ接続する。
・自由になったATMEGA32AのPIN5,6,7,8はSDカード用の/CS、MOSI、MISO、SCKとして使う。(/CS、MISO、SCKは10kΩでプルアップ)
・その他いくつかについても同様に回路図を比較して修正する。
パターン・カットは左写真のようにルーターを使うときれいに、速く、確実にできます。
また、データ・バスのプルアップには小さな表面実装用の抵抗を使いましたが、右写真のようにポリイミド・テープを使ってうまくいきました。
左写真に完成して、作動中の基板裏を示します。思ったより簡単で、すっきりできました。
中央に左下から右上に伸びている4本撚り線はSDカードアダプターソケットへの配線ですが、配置の関係でやむなくこうなってしまいましたが、無事動いています。
この Z80-MBC 基板は自由に使える蛇の目部分があっていろいろな応用が可能なようで、つくりもよく、今後も少しストックを持っていようか、、、、とも思いました。
ただ、この蛇の目は隣同士つながっている部分が多く、十分なチェックとパターンカットが必要なので要注意。
SDカードアダプターはebayできわめて安く入手できますが、この実験に間に合わせるために自作しました。
SDカード・ソケットとレベルシフト用のCMOS Buffer MSM4050RS、および5V→3.3V降圧3端子レギュレータをかき集めて、右の回路図に従って作り上げました。
ソフトは、最新版のS220718-R190918_IOS-Z80-MBC2.hex ( arduino で .ino ファイルをコンパイルすればpreference.txt で指定したフォルダーにできる)をTL866AプログラマーでATMEGA32Aに書き込みました。
フューズ・ビットはCF、D9を指定します。
SDカードはFAT32でフォーマットしておき、これに SD-S220718-R191018-v1 フォルダーの中身をそのままコピーしました。
右に Z80-MBC2 がスタートして CP/M2.2 が立ち上がり、DIRコマンドで Disk A の内容を見たものを示します。
コマンドの切り替えで、CP/M 3 なども使用可能で、ディスク・ドライブはA~Pまでの16ドライブが使用可能で、各容量は8Mバイトもありますのでいろいろ試してみたいものと思います。
2018年10月10日水曜日
さようならボストン美術館
さようならボストン美術館と言っても米国マサチューセッツ州のボストンにあるボストン美術館ではありません、左写真にある名古屋ボストン美術館のことなのです。
名古屋ボストン美術館は本家ボストン美術館の姉妹館と称してはいますが、自らの収蔵品は一切無く、本家ボストン美術館の収蔵品を借り受けて展示・公開する、実態はいわば本家の出先のようなものだと思います。
とはいうものの世界有数の所蔵品を誇る本家ボストン美術館の収蔵品を比較的容易に鑑賞できたメリットは大きなものがありました。
1870年に設立されたボストン美術館はボストンが貿易港としてアジア諸国との関係が深かったこともあり、早くから中国、日本、インドなどアジア地域の美術の収集に力を入れており、中でも日本美術のコレクションは、日本国外にあるものとしては質・量ともにもっとも優れたものとして知られています。
また20世紀の初めには、日本の伝統美術の復興、文化財保護などに多大な貢献をした岡倉天心が在職しており、英文の著作を通じて日本文化を外国へ紹介することにも尽力したとか、、、、
名古屋ボストン美術館は、このボストン美術館と20年間の契約で1999年に開館したものが、この10月8日に契約を延長できずに残念ながら閉館となったもののようです。
私は当初から趣旨に賛同して、開館当時からの個人メンバーシップでした。右写真のメンバーカードの左下に、199904すなわち1999年4月の文字が読み取れます。
ということで先日、閉館を前に最後の展示を鑑賞すべく出かけて来ました。
最後の展覧会は、ボストン美術館の所蔵作品のなかから、古今東西の人々が求めてきた「幸せ(ハピネス)」について思いを巡らせたものだとか、、、、
左は事前に配布されたポスターです。
また右写真は美術館前にあった看板です。
これらには今回の展示品の目玉がいくつかありますが、左上ポスターの上段中央は「江戸時代の画家、曽我蕭白の襖九面にも及ぶ、琴棋書画図(きんきしょがず)」ハピネスの文字の下、左は「メリーゴーラウンドの豚」、右は「踊るシヴァ神」で、いづれも本邦初出展でした。
右は記念に頂いた「名古屋ボストン美術館20年のあゆみ Bridge of Arts ~美の架け橋~」という冊子の表紙・裏表紙です。
なるほど名古屋ボストン美術館を Bridge of Arts ~美の架け橋~ とはうまく表現したものだと思いました。
右上はゴーギャン、時計回りにルノアール、モネ、北斎、蕭白、大観とこれまでに出会った名作がまさに走馬灯です、、、、
そして中にはさらに多くの思い出が圧縮してありました。
閉館に際しての何よりの記念品です。
開館当初はボストンからはるばる里帰りした、日本の美術品を鑑賞する際に、いくばくかの苦々しさが伴うのを禁じえませんでしたが、今となってはよくぞ大切に保存して置いてくださった、、、と心から感謝できるようになりました。
岡倉天心、フェノロサなど先人の努力に敬意を表します。
名古屋ボストン美術館があるこのビルディングには、ANAクラウンプラザ・ホテルグランコート名古屋もあります。
せっかくのことだから、、、ということでホテルの30階にあるレストラン「スターゲイト」で少しだけ豪華なランチを味わってから帰宅しました。
名古屋ボストン美術館は本家ボストン美術館の姉妹館と称してはいますが、自らの収蔵品は一切無く、本家ボストン美術館の収蔵品を借り受けて展示・公開する、実態はいわば本家の出先のようなものだと思います。
とはいうものの世界有数の所蔵品を誇る本家ボストン美術館の収蔵品を比較的容易に鑑賞できたメリットは大きなものがありました。
1870年に設立されたボストン美術館はボストンが貿易港としてアジア諸国との関係が深かったこともあり、早くから中国、日本、インドなどアジア地域の美術の収集に力を入れており、中でも日本美術のコレクションは、日本国外にあるものとしては質・量ともにもっとも優れたものとして知られています。
また20世紀の初めには、日本の伝統美術の復興、文化財保護などに多大な貢献をした岡倉天心が在職しており、英文の著作を通じて日本文化を外国へ紹介することにも尽力したとか、、、、
名古屋ボストン美術館は、このボストン美術館と20年間の契約で1999年に開館したものが、この10月8日に契約を延長できずに残念ながら閉館となったもののようです。
私は当初から趣旨に賛同して、開館当時からの個人メンバーシップでした。右写真のメンバーカードの左下に、199904すなわち1999年4月の文字が読み取れます。
ということで先日、閉館を前に最後の展示を鑑賞すべく出かけて来ました。
最後の展覧会は、ボストン美術館の所蔵作品のなかから、古今東西の人々が求めてきた「幸せ(ハピネス)」について思いを巡らせたものだとか、、、、
左は事前に配布されたポスターです。
また右写真は美術館前にあった看板です。
これらには今回の展示品の目玉がいくつかありますが、左上ポスターの上段中央は「江戸時代の画家、曽我蕭白の襖九面にも及ぶ、琴棋書画図(きんきしょがず)」ハピネスの文字の下、左は「メリーゴーラウンドの豚」、右は「踊るシヴァ神」で、いづれも本邦初出展でした。
右は記念に頂いた「名古屋ボストン美術館20年のあゆみ Bridge of Arts ~美の架け橋~」という冊子の表紙・裏表紙です。
なるほど名古屋ボストン美術館を Bridge of Arts ~美の架け橋~ とはうまく表現したものだと思いました。
右上はゴーギャン、時計回りにルノアール、モネ、北斎、蕭白、大観とこれまでに出会った名作がまさに走馬灯です、、、、
そして中にはさらに多くの思い出が圧縮してありました。
閉館に際しての何よりの記念品です。
開館当初はボストンからはるばる里帰りした、日本の美術品を鑑賞する際に、いくばくかの苦々しさが伴うのを禁じえませんでしたが、今となってはよくぞ大切に保存して置いてくださった、、、と心から感謝できるようになりました。
岡倉天心、フェノロサなど先人の努力に敬意を表します。
名古屋ボストン美術館があるこのビルディングには、ANAクラウンプラザ・ホテルグランコート名古屋もあります。
せっかくのことだから、、、ということでホテルの30階にあるレストラン「スターゲイト」で少しだけ豪華なランチを味わってから帰宅しました。
登録:
投稿 (Atom)