早いもので、もう1年が過ぎ、新しい年・令和最初の大晦日がやってきました。
今年も例年のごとく、お飾りを作りましたが、後で調べてみたら、昨年と同じデザインになっていました。決して手を抜いたわけではないのですが、結果、松竹梅プラス南天です。
平成から令和へのバトンタッチの年ではありましたが、大は50年に一度とかの天災、小は天候不順があり、庭の木々・花々がいかにも当惑しているようでした。
わけても昨年文字どうりの鈴なりであったキーウイも格段に結実数が少なく、皆がっかりでしたが、味だけは極めてよいのが救いでした。
お正月の花もユリとランで、家人が形よく活けたのですが、暖冬の故か、あっという間に花開き、晦日には終っていました。
右写真は、庭で咲いたスイセンですが、これはこれで風情があり、よしとしましょう、、、、
我が家にとって今年一年はスイミングに明け暮れた年でした。
水が苦手の私も、おかげさまでなんとか泳げるようになり、健康増進の源となっています。
一方の電子工作も、レトロ・パソコン(Z80)が一段落し、来年はRF(ラジオ)またはAF(オーディオ)のどちらかをまた手掛けてみたいと思っています。結果はまたブログにて、、、、
右写真にあるように、ダイダイはほどほど実をつけ、日々その色を濃くしつつあります。私たちもあやかっていつまでも元気で日々を過ごせるよう精進したいと思っています。
来る年も相変わりませずよろしくお願い致します。
2019年12月18日水曜日
晩秋の京都ツアー
12月の初めに京都ツアーに出かけてきました。 いままでに京都へは車か新幹線を使った個人旅行がほとんどでしたが、今回は喜寿の記念ということで、少しだけバブリーなツアーを利用しました。
例によって最初に旅程を紹介します。
第1日目は京都駅から瑠璃光院、昼食を京都ホテル・オークラで摂り、午後は錦市場へ、夜は高台寺和久傳で間人蟹(たいざがに)。
第2日目はホテルで朝食後、京都国立近代美術館で丸山応挙展を観た後、昼食のため秋津洲に向かい、そののち買い物をして帰途につく、、、というものでした。
瑠璃光院は叡山電車の終点、「八瀬比叡山口駅」から高野川の清流「右写真)に沿って歩き、10分足らずで到着です。
「八瀬」の地は、「矢背」とも記されるように、壬申の乱で背中に矢傷を負われた大海人皇子(天武天皇)がこの地で傷を癒されて以降、平安貴族や武士たちが好んで「やすらぎ」を求めて訪れたとか、、、
師走に入ってのことなので、紅葉は諦めていたのですが、暖冬の故かまだあちらこちらに色とりどりの木々が散見されました。
瑠璃光院の山門です。ここは毎年の春と秋の2回、比較的短い期間のみ参観ができ、さらには直前にNHKテレビで紹介されたそうで、20人程度の人が入門の順番を待っていました。
瑠璃光院はそれほど古いものではなく、大正末から昭和の初めにかけて、12,000坪の敷地に延べ240坪の京数奇屋造りに大改築するとともに、自然を借景とした名庭をもあわせ造営して、現在の姿となったようです。
「瑠璃の庭」を見下ろす、2階の書院です。
部屋の中央に置かれた大きな黒い漆塗りの机に四季おりおりの風情が映るのがよいとか、、、
右は展示してあった巨大なラピスラズリの原石です、こんな大きなものはめったに見られません。
これが「瑠璃の庭」です、
瑠璃色に輝く浄土の世界をあらわした、数十種の苔のじゅうたんをぬって一条のせせらぎが清らかに流れています。
この庭を眺めながら、ゆっくりとお茶を一服、お菓子は「八瀬氷室」、おいしくいただきました。
右下写真は、もう一つの庭「臥竜の庭」です。
天にかけのぼる龍を水と石で表した池泉庭園で眺める人の心を解放し、昇運をもたらすといわれています。
心配された雨も降らず風もなく、比較的穏やかな一日となりそうです。
京都市役所前・河原町御池にある、京都ホテル・オークラにやってきました。 ここはかつて長州藩邸があったところで、一角に勤皇の志士、桂小五郎の像がありました。
今はクリスマス・シーズンということでフロアには大きなクリスマスツリーが飾られていました。
最上階のスカイレストラン、ピトレスクにもドイツ製の食器ブランド、Villeroy & Boch(ビレロイ ボッホ)のクリスマス用陶磁器グッズが置かれていました。
このレストランは、眼下に鴨川、遠くに東山を一望にできるすばらしいところでした。
料理はフレンチで、前菜、スープ、そしてメイン・ディッシュは鶏肉でしたがどれもおいしく、満足のいくものでした。
そして極めつけはデザート・ワゴンでした。
大きなワゴンを押したコックさんが現れた時には、この場の誰もが、おもわず笑顔になったのは言うまでもありません。
先のテーブルで、あれも、これもと、リクエストされたのを良いことに、私たちもしっかりとお皿に盛ってもらいました。
最後にチョコレートつきのコーヒーを、ゆっくりと頂いてから午後の予定を再検討しました。
本来は錦市場へ出向いての買い物散策でしたが、私たちはそれをパスして、ひさしぶりに鴨川の散策路を歩く事にしました。日差しはないけれども、幸いにして風もなく、のんびりと時間をかけ、張りつめたお腹のケアをしました。
右写真は途中で見かけた、一之船入です。船入とは船が方向転換するための、川の流れに対し直角に造られた、ポケットです。
写真中に当時の高瀬舟の復元模型がありますが、高瀬川の川幅に対し、船はすれ違うのがやっとということが分かります。
それもそのはず、高瀬川は鴨川の水を取り入れて造られた小さな運河なのです。森鴎外の「高瀬舟」から得たイメージとはかなりかけ離れています。
小一時間の散策ののちに、ホテルへ帰り、ホテル内のプールへ出かけることにしました。
一念発起、年初から始めた水泳の成果でようやく泳ぐことができるようになったので、腕試し?も兼ねています。
プールは3レーン・20mの小さなものでしたが、予約制で(レーン占有)、ここでもしっかりトレーニングできました。
夕刻になったので、本ツアーの目玉でもある、間人蟹(たいざがに)を味わうためにいざ出発です、場所は高台寺和久傳。
ズワイ蟹は地方によって名前が変わります。丹後・山陰地方では「松葉蟹」、福井県や石川県では「越前蟹」、その他の地方では「ずわい蟹」などなど、、、、
間人蟹も同様にズワイ蟹で、京都府の北部、日本海に突き出した丹後半島の京丹後市丹後町に、間人(たいざ)という地名があり、ここで水揚げされた蟹のブランド名なのです。
和久傳はこの間人蟹を扱っている数少ない店だそうです。
お店の板前さんが色々な蟹料理を次々と出してくれました。
一通り食べ終わった後で、誰かが小さな声で言いました「所詮、蟹はタラバだな!!」
ホテルに帰りつくと、クリスマスのイルミネーションが点灯していました。
二日目の朝はビュッフェスタイルで始まります。
私たちもビュッフェスタイルには慣れてきています。
先ず一回りメニューを観察してから、自分の胃の腑の大きさを勘案し、少量多種類の料理をピックアップして、ゆっくり食べるよう心がけます。
でもなぜか、少し多そう、、、、
京都平安神宮の大鳥居です。
京都国立近代美術館はこの鳥居の横にあります。
企画展「円山応挙から近代京都画壇へ」が開催中でした。
18世紀に円山応挙が出現するまでは、絵画の基本はやまと絵か中国画でありましたが、 応挙は自然や花鳥、動物を生き生きと写し取った斬新な応挙の画風、いわゆる写生画という分野を開拓したのです。
このことに始まって、多くの弟子が連なり、後の丸山派、四条派へ受け継がれていく様がぼんやりとわかったような気がしました。
もっともっと時間をかけて観るべき、内容の深い企画展でした。
つぎは昼食のため、上賀茂にある「秋津洲」へむかいました。
「AIC秋津洲倶楽部」という、より多くの若者にグローバル教育の機会を提供するための、スカラーシップ(奨学金)の募集・運用に協力するメンバーの集う会員制倶楽部があり、ここ「秋津洲」はそのクラブハウスでもあるとか、、、、
建物の外観は和風、内部は洋風です。
勿論庭は和風で、植栽、石、水の流れをあしらった美しいもので、晩秋の風情をしっかりと残していました。
ランチメニューは小鉢八寸盛りと江戸前の握り8貫(写真にはありませんが、もう一皿)でした。
案内された部屋が洋風でゴージャスさを前面に押し出したテーブル席でしたので、なんとなくメニューとのイメージが不釣り合いですこし落ち着きませんでした。
でも、広い窓越しに見える庭は、折からの薄日に映えて、大変美しく見えました。
ということで、こののち市内へ引き返し、京漬物の御土産屋さんに立ち寄ったのち、帰途につきました。
多少、京都には馴染みがありましたので、ツアーのイベント以外にもいろいろ楽しむことができ、いい二日間でありました。
例によって最初に旅程を紹介します。
第1日目は京都駅から瑠璃光院、昼食を京都ホテル・オークラで摂り、午後は錦市場へ、夜は高台寺和久傳で間人蟹(たいざがに)。
第2日目はホテルで朝食後、京都国立近代美術館で丸山応挙展を観た後、昼食のため秋津洲に向かい、そののち買い物をして帰途につく、、、というものでした。
瑠璃光院は叡山電車の終点、「八瀬比叡山口駅」から高野川の清流「右写真)に沿って歩き、10分足らずで到着です。
「八瀬」の地は、「矢背」とも記されるように、壬申の乱で背中に矢傷を負われた大海人皇子(天武天皇)がこの地で傷を癒されて以降、平安貴族や武士たちが好んで「やすらぎ」を求めて訪れたとか、、、
師走に入ってのことなので、紅葉は諦めていたのですが、暖冬の故かまだあちらこちらに色とりどりの木々が散見されました。
瑠璃光院の山門です。ここは毎年の春と秋の2回、比較的短い期間のみ参観ができ、さらには直前にNHKテレビで紹介されたそうで、20人程度の人が入門の順番を待っていました。
瑠璃光院はそれほど古いものではなく、大正末から昭和の初めにかけて、12,000坪の敷地に延べ240坪の京数奇屋造りに大改築するとともに、自然を借景とした名庭をもあわせ造営して、現在の姿となったようです。
「瑠璃の庭」を見下ろす、2階の書院です。
部屋の中央に置かれた大きな黒い漆塗りの机に四季おりおりの風情が映るのがよいとか、、、
右は展示してあった巨大なラピスラズリの原石です、こんな大きなものはめったに見られません。
これが「瑠璃の庭」です、
瑠璃色に輝く浄土の世界をあらわした、数十種の苔のじゅうたんをぬって一条のせせらぎが清らかに流れています。
この庭を眺めながら、ゆっくりとお茶を一服、お菓子は「八瀬氷室」、おいしくいただきました。
右下写真は、もう一つの庭「臥竜の庭」です。
天にかけのぼる龍を水と石で表した池泉庭園で眺める人の心を解放し、昇運をもたらすといわれています。
心配された雨も降らず風もなく、比較的穏やかな一日となりそうです。
京都市役所前・河原町御池にある、京都ホテル・オークラにやってきました。 ここはかつて長州藩邸があったところで、一角に勤皇の志士、桂小五郎の像がありました。
今はクリスマス・シーズンということでフロアには大きなクリスマスツリーが飾られていました。
最上階のスカイレストラン、ピトレスクにもドイツ製の食器ブランド、Villeroy & Boch(ビレロイ ボッホ)のクリスマス用陶磁器グッズが置かれていました。
このレストランは、眼下に鴨川、遠くに東山を一望にできるすばらしいところでした。
料理はフレンチで、前菜、スープ、そしてメイン・ディッシュは鶏肉でしたがどれもおいしく、満足のいくものでした。
そして極めつけはデザート・ワゴンでした。
大きなワゴンを押したコックさんが現れた時には、この場の誰もが、おもわず笑顔になったのは言うまでもありません。
先のテーブルで、あれも、これもと、リクエストされたのを良いことに、私たちもしっかりとお皿に盛ってもらいました。
最後にチョコレートつきのコーヒーを、ゆっくりと頂いてから午後の予定を再検討しました。
本来は錦市場へ出向いての買い物散策でしたが、私たちはそれをパスして、ひさしぶりに鴨川の散策路を歩く事にしました。日差しはないけれども、幸いにして風もなく、のんびりと時間をかけ、張りつめたお腹のケアをしました。
右写真は途中で見かけた、一之船入です。船入とは船が方向転換するための、川の流れに対し直角に造られた、ポケットです。
写真中に当時の高瀬舟の復元模型がありますが、高瀬川の川幅に対し、船はすれ違うのがやっとということが分かります。
それもそのはず、高瀬川は鴨川の水を取り入れて造られた小さな運河なのです。森鴎外の「高瀬舟」から得たイメージとはかなりかけ離れています。
小一時間の散策ののちに、ホテルへ帰り、ホテル内のプールへ出かけることにしました。
一念発起、年初から始めた水泳の成果でようやく泳ぐことができるようになったので、腕試し?も兼ねています。
プールは3レーン・20mの小さなものでしたが、予約制で(レーン占有)、ここでもしっかりトレーニングできました。
夕刻になったので、本ツアーの目玉でもある、間人蟹(たいざがに)を味わうためにいざ出発です、場所は高台寺和久傳。
ズワイ蟹は地方によって名前が変わります。丹後・山陰地方では「松葉蟹」、福井県や石川県では「越前蟹」、その他の地方では「ずわい蟹」などなど、、、、
間人蟹も同様にズワイ蟹で、京都府の北部、日本海に突き出した丹後半島の京丹後市丹後町に、間人(たいざ)という地名があり、ここで水揚げされた蟹のブランド名なのです。
和久傳はこの間人蟹を扱っている数少ない店だそうです。
お店の板前さんが色々な蟹料理を次々と出してくれました。
一通り食べ終わった後で、誰かが小さな声で言いました「所詮、蟹はタラバだな!!」
ホテルに帰りつくと、クリスマスのイルミネーションが点灯していました。
二日目の朝はビュッフェスタイルで始まります。
私たちもビュッフェスタイルには慣れてきています。
先ず一回りメニューを観察してから、自分の胃の腑の大きさを勘案し、少量多種類の料理をピックアップして、ゆっくり食べるよう心がけます。
でもなぜか、少し多そう、、、、
京都平安神宮の大鳥居です。
京都国立近代美術館はこの鳥居の横にあります。
企画展「円山応挙から近代京都画壇へ」が開催中でした。
18世紀に円山応挙が出現するまでは、絵画の基本はやまと絵か中国画でありましたが、 応挙は自然や花鳥、動物を生き生きと写し取った斬新な応挙の画風、いわゆる写生画という分野を開拓したのです。
このことに始まって、多くの弟子が連なり、後の丸山派、四条派へ受け継がれていく様がぼんやりとわかったような気がしました。
もっともっと時間をかけて観るべき、内容の深い企画展でした。
つぎは昼食のため、上賀茂にある「秋津洲」へむかいました。
「AIC秋津洲倶楽部」という、より多くの若者にグローバル教育の機会を提供するための、スカラーシップ(奨学金)の募集・運用に協力するメンバーの集う会員制倶楽部があり、ここ「秋津洲」はそのクラブハウスでもあるとか、、、、
建物の外観は和風、内部は洋風です。
勿論庭は和風で、植栽、石、水の流れをあしらった美しいもので、晩秋の風情をしっかりと残していました。
ランチメニューは小鉢八寸盛りと江戸前の握り8貫(写真にはありませんが、もう一皿)でした。
案内された部屋が洋風でゴージャスさを前面に押し出したテーブル席でしたので、なんとなくメニューとのイメージが不釣り合いですこし落ち着きませんでした。
でも、広い窓越しに見える庭は、折からの薄日に映えて、大変美しく見えました。
ということで、こののち市内へ引き返し、京漬物の御土産屋さんに立ち寄ったのち、帰途につきました。
多少、京都には馴染みがありましたので、ツアーのイベント以外にもいろいろ楽しむことができ、いい二日間でありました。
2019年12月13日金曜日
FRG-7 のリペア(2) 照明用ムギ球の交換
FRG-7 には左写真のように、PRESELECT、MHz、その右にある周波数読み取りの3箇所にツマミを廻して数字を白いカーソルにあわせる、操作があります。
ところがこの個体は照明用のランプが切れており、夜間は当然のことながら、昼間でも見えづらく、早々に照明用ランプの交換が必要です。
右写真は分解して、照明用のユニットを取り出したところです。
これはPRESELECTのドラムの中にあって、バンドSWと連動して対応する数字のみを表示させる仕組みになっており、そのために4個のランプ(いちばん右(下)はカバーを外して、立ててある)
これがランプで、ムギ球と呼ばれるものです。昔ながらのタングステンフィラメントですので、経年劣化によって黒っぽく変色しています。
同様のものは入手可能で、白熱灯の優しい色にも未練はありますが、やはり今の時代はLEDでいくべきでしょう。昼光色のLEDを使い、ムギ球でも使ってあった、光拡散用のシリコンゴムカバー(右上写真参照)をかければよいと思います。
右写真はLEDのテスト中で、定格の20mAを流しています。左のLEDは先端を平らに削り、表面を荒らしたもので、この写真ではよくわかりませんが、光がマイルドによく拡散しています。
左図上は、オリジナルの回路です。
下は今回の改造回路です。大きな違いは、バンドSWと連動して対応するPRESELECTのドラム数字のみを表示させる仕組みを止めたことですが実用上は問題ありませんでした。
LEDは直列接続で使う必要がありますが、電源電圧(14V)との兼ね合いで、2本ずつ4組で使っています。
PL7、PL8は周波数読み取りドラムの中に設置するもので、若干広い範囲を照らす必要から、先端を平らに削ったLEDを用い、電流も25mAと少しだけ多く流しています。
右写真は前述の照明ユニットをLED化して通電したところです。
なかなかいいかんじ、、、、
ということで、出来上がり写真です。少し色は白っぽいですが、白熱球のティストも少し残っており、大成功、、、、というべきでしょう、自画自賛?
ところがこの個体は照明用のランプが切れており、夜間は当然のことながら、昼間でも見えづらく、早々に照明用ランプの交換が必要です。
右写真は分解して、照明用のユニットを取り出したところです。
これはPRESELECTのドラムの中にあって、バンドSWと連動して対応する数字のみを表示させる仕組みになっており、そのために4個のランプ(いちばん右(下)はカバーを外して、立ててある)
これがランプで、ムギ球と呼ばれるものです。昔ながらのタングステンフィラメントですので、経年劣化によって黒っぽく変色しています。
同様のものは入手可能で、白熱灯の優しい色にも未練はありますが、やはり今の時代はLEDでいくべきでしょう。昼光色のLEDを使い、ムギ球でも使ってあった、光拡散用のシリコンゴムカバー(右上写真参照)をかければよいと思います。
右写真はLEDのテスト中で、定格の20mAを流しています。左のLEDは先端を平らに削り、表面を荒らしたもので、この写真ではよくわかりませんが、光がマイルドによく拡散しています。
左図上は、オリジナルの回路です。
下は今回の改造回路です。大きな違いは、バンドSWと連動して対応するPRESELECTのドラム数字のみを表示させる仕組みを止めたことですが実用上は問題ありませんでした。
LEDは直列接続で使う必要がありますが、電源電圧(14V)との兼ね合いで、2本ずつ4組で使っています。
PL7、PL8は周波数読み取りドラムの中に設置するもので、若干広い範囲を照らす必要から、先端を平らに削ったLEDを用い、電流も25mAと少しだけ多く流しています。
右写真は前述の照明ユニットをLED化して通電したところです。
なかなかいいかんじ、、、、
ということで、出来上がり写真です。少し色は白っぽいですが、白熱球のティストも少し残っており、大成功、、、、というべきでしょう、自画自賛?
2019年12月11日水曜日
30万回達成!!!
先月末に私のブログを開いてみたところ、アクセスカウンターが30万回を超えているのに気がつきました。
このカウンターについてはいろいろな解釈はありましょうが、ここでは単に数字にのみ着目しました。
ブログを開始して7年間、我ながらよく続けられたものだと思っています。これも、その時々に頂いた、いろいろなコメントをありがたい励ましと理解して、コツコツと続けてきた結果で、みなさんには感謝感謝です。
今後も私の座右の銘である「継続は力」を杖代わりにして、さらに続けていきたいと思っています。
たまたま今年は平成から令和へのバトンタッチがあった年です。
別にどうってこともないのですが、手元にあった10円玉の写真を掲げておきます。
このカウンターについてはいろいろな解釈はありましょうが、ここでは単に数字にのみ着目しました。
ブログを開始して7年間、我ながらよく続けられたものだと思っています。これも、その時々に頂いた、いろいろなコメントをありがたい励ましと理解して、コツコツと続けてきた結果で、みなさんには感謝感謝です。
今後も私の座右の銘である「継続は力」を杖代わりにして、さらに続けていきたいと思っています。
たまたま今年は平成から令和へのバトンタッチがあった年です。
別にどうってこともないのですが、手元にあった10円玉の写真を掲げておきます。
2019年11月30日土曜日
松平東照宮の紅葉
11月もそろそろ終わりという日に、松平東照宮の紅葉を観るべく、親しい友人ご夫妻と出かけてきました。
今年の夏の気候は、ただひたすらに暑い暑いの毎日でしたので、秋の到来もあまり感じないままにもう紅葉も終わりかけていました。
松平東照宮はこれまでに何度か来たことがありましたが、この季節は初めてです。
とはいえ赤く色付いたモミジはいつ見ても安らぎを感じます。ここ松平の地は比較的植物の種類も多く、モミジの赤に始まって、黄、黄緑、緑がそれぞれに映え美しい錦を織り成していました。
左写真は、松平東照宮の手前に巡らされた、堀と石垣ですが、水面に浮かぶモミジの葉と黄色いイチョウの葉がゆったりとした流れに乗って移動していく様は、春の花筏に負けず劣らずの感があります。
右写真は堀にオーバーハングしたモミジですが、色のグラデーションがきれいです。これで秋の高い青空があれば、、、は期待しすぎ?
大鳥居の左手奥にある手水舎(ちょうずや 参詣の際に手を清める)の屋根を見て驚きました。屋根に降り積もったイチョウの葉が折からの雲間の陽に輝いて、まるで黄金で葺かれた屋根のように見えました。
大鳥居をくぐりぬけて、振り返ると写真の同好会のメンバーなのでしょう、何人もの人が、手に手にカメラや三脚を持って傑作をモノしようと被写体に向かっていました。
かくいう私も同類ですが、、、、
境内の片隅には御宮の修復の際に出たものか、、、三つ葉葵の紋どころを打った瓦類が積んでありました。
東照宮とは、1616年に徳川家康が駿府城で没した際、遺言で柩が近郊の久能山に収められ東照社となり、日光にも社が造営され、この2社に朝廷より東照大権現の神号が宣下され、家康も神格化されました。
その後、日本各地の大名などが東照大権現の御分霊をいただきお祀りし500社以上の東照宮が日本各地に造営された、とあります。
ここ松平東照宮も同様に、久能山東照宮から御分霊をいただきお祀りしてあるとのこと、、、、
この神社の一角に、家康が産湯をつかった時の井戸があるとのことで、少し脇道に入って行きました。
このように少し奥まった所は、常緑の木々も多く、その中にあるモミジは、ハッと驚くような、いっそう鮮やかなコントラストを見せてくれます。
次いで私たちは、さらに奥にある松平氏の菩提寺、高月院を目指しました。
その途中にある、松平氏の祖、松平太郎左衛門親氏の銅像も紅葉に彩られていました。
さらに少し行ったところに、行きつけの天下茶屋があります。
この地を訪れるときは立ち寄って一休みすることが多いですが、今回も少し早いですが昼食をとることにしました。
人気メニューは「麦飯とろろと半そば定食」なので、今回はこれに五平餅を一本追加しました。
五平餅(ごへいもち 御幣餅)は、中部地方の山間部に伝わる郷土料理で、粒が残る程度に半搗きにした粳米飯(うるちまいめし)にタレをつけ、串焼きにしたものです。
かたちも上写真の御幣型、団子型、それを平たくしたものなどいろいろありますが、たれも各地独自のものがあります。
ここの五平餅は団子を御幣型にし、団子のたれをかけたようなもので、あっさりしたものでした。
高月院への参詣道の脇に小さなせせらぎがあり、水音を聞きながらその水際の石段を歩くのも一興でした。(左写真)
松平東照宮から高月院までは約200mの緩やかな登り道ですが、こちらのほうも綺麗に紅葉していました。「右写真)
傍らの足元に目をやると、モミジの葉の絨毯ができていました。
今年の天候不順の話にも触れましたが、下の写真は、季節外れのツツジです、紅葉モミジとツツジのツーショットは珍しいかも、、、、
季節はずれはツツジだけではありません。
こちらはシャクナゲです。ただ花は小さく、房咲きにはなっていません。
高月院とある扁額を掲げた山門です。
高月院は元は南北朝時代に静寂寺として建立されたものが、前出の松平氏の祖、松平太郎左衛門親氏が本尊阿弥陀仏をはじめ、堂・塔のすべてを寄進して高月院と改め、松平氏の菩提寺としたとされています。
幸い心配された雨も降らず、帰途につく頃には少し青空も見えるようになりました。
モミジを背景にした、残り柿の木は懐かしい子供時代も思い出させます。
久しぶりに友人とともに山里の秋に接し、ゆったりとした時間を共有することができました。お互い健康であることに感謝、、、です。
今年の夏の気候は、ただひたすらに暑い暑いの毎日でしたので、秋の到来もあまり感じないままにもう紅葉も終わりかけていました。
松平東照宮はこれまでに何度か来たことがありましたが、この季節は初めてです。
とはいえ赤く色付いたモミジはいつ見ても安らぎを感じます。ここ松平の地は比較的植物の種類も多く、モミジの赤に始まって、黄、黄緑、緑がそれぞれに映え美しい錦を織り成していました。
左写真は、松平東照宮の手前に巡らされた、堀と石垣ですが、水面に浮かぶモミジの葉と黄色いイチョウの葉がゆったりとした流れに乗って移動していく様は、春の花筏に負けず劣らずの感があります。
右写真は堀にオーバーハングしたモミジですが、色のグラデーションがきれいです。これで秋の高い青空があれば、、、は期待しすぎ?
大鳥居の左手奥にある手水舎(ちょうずや 参詣の際に手を清める)の屋根を見て驚きました。屋根に降り積もったイチョウの葉が折からの雲間の陽に輝いて、まるで黄金で葺かれた屋根のように見えました。
大鳥居をくぐりぬけて、振り返ると写真の同好会のメンバーなのでしょう、何人もの人が、手に手にカメラや三脚を持って傑作をモノしようと被写体に向かっていました。
かくいう私も同類ですが、、、、
境内の片隅には御宮の修復の際に出たものか、、、三つ葉葵の紋どころを打った瓦類が積んでありました。
東照宮とは、1616年に徳川家康が駿府城で没した際、遺言で柩が近郊の久能山に収められ東照社となり、日光にも社が造営され、この2社に朝廷より東照大権現の神号が宣下され、家康も神格化されました。
その後、日本各地の大名などが東照大権現の御分霊をいただきお祀りし500社以上の東照宮が日本各地に造営された、とあります。
ここ松平東照宮も同様に、久能山東照宮から御分霊をいただきお祀りしてあるとのこと、、、、
この神社の一角に、家康が産湯をつかった時の井戸があるとのことで、少し脇道に入って行きました。
(写真左)
このように少し奥まった所は、常緑の木々も多く、その中にあるモミジは、ハッと驚くような、いっそう鮮やかなコントラストを見せてくれます。
次いで私たちは、さらに奥にある松平氏の菩提寺、高月院を目指しました。
その途中にある、松平氏の祖、松平太郎左衛門親氏の銅像も紅葉に彩られていました。
さらに少し行ったところに、行きつけの天下茶屋があります。
この地を訪れるときは立ち寄って一休みすることが多いですが、今回も少し早いですが昼食をとることにしました。
人気メニューは「麦飯とろろと半そば定食」なので、今回はこれに五平餅を一本追加しました。
五平餅(ごへいもち 御幣餅)は、中部地方の山間部に伝わる郷土料理で、粒が残る程度に半搗きにした粳米飯(うるちまいめし)にタレをつけ、串焼きにしたものです。
かたちも上写真の御幣型、団子型、それを平たくしたものなどいろいろありますが、たれも各地独自のものがあります。
ここの五平餅は団子を御幣型にし、団子のたれをかけたようなもので、あっさりしたものでした。
高月院への参詣道の脇に小さなせせらぎがあり、水音を聞きながらその水際の石段を歩くのも一興でした。(左写真)
松平東照宮から高月院までは約200mの緩やかな登り道ですが、こちらのほうも綺麗に紅葉していました。「右写真)
傍らの足元に目をやると、モミジの葉の絨毯ができていました。
今年の天候不順の話にも触れましたが、下の写真は、季節外れのツツジです、紅葉モミジとツツジのツーショットは珍しいかも、、、、
季節はずれはツツジだけではありません。
こちらはシャクナゲです。ただ花は小さく、房咲きにはなっていません。
高月院とある扁額を掲げた山門です。
高月院は元は南北朝時代に静寂寺として建立されたものが、前出の松平氏の祖、松平太郎左衛門親氏が本尊阿弥陀仏をはじめ、堂・塔のすべてを寄進して高月院と改め、松平氏の菩提寺としたとされています。
幸い心配された雨も降らず、帰途につく頃には少し青空も見えるようになりました。
モミジを背景にした、残り柿の木は懐かしい子供時代も思い出させます。
久しぶりに友人とともに山里の秋に接し、ゆったりとした時間を共有することができました。お互い健康であることに感謝、、、です。
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