2016年7月17日日曜日

ハリクラフターズ S-38 のレストア

 このタイプのラジオ(トランスレス・ラジオ)は感電の危険がありますので、ラジオと家庭用コンセントとの間に絶縁トランスを必ず入れてください。


 ハリクラフターズ社とは 1930年代から1980年代までの約50年間、第二次大戦をはさんで名声をはせたアメリカのラジオ・無線機メーカーです。

 ハリクラフターズ S-38 は戦後間もない1946年から1961年までの15年間にわたって発売されたS-38シリーズの初代で、以降 S-38A から S-38F まで次々とニューモデルが発表されていきますが、無印の S-38 が、BFO発振器も独立して内蔵した最高の機種で、年代と共に機能の省略化・低コスト化が進み、やがて S-38 のコピー商品を引っさげてUS市場に登場した日本製品に駆逐されていきます。

 左は1947年当時の S-38 の商品カタログで定価47.5ドルとあります。


  過日入手しておいた、このハリクラフターズ S-38 (写真右)をいよいよレストア(修復)しようと思い立ちました。

 この S-38 の人気はその軽快な性能は勿論ですが、このフロントデザインがフランス人で米国で活躍したデザイナー、レイモンド・ローウィ( Raymond Loewy )のものであることにもよります。(幅330x高さ170x奥200)

 彼はインダストリアルデザインの草分けとして知られ、巨大な流線型の蒸気機関車、コカコーラのボトル、タバコのラッキーストライクなど著名な作品は多岐にわたります。

 本機は70歳にもなるお爺さんなのでそこそこ錆も浮いてきていますし、中央のハリクラフターズの社章も名誉?の向こう傷があります。

 正面左上には MODEL S-38 とあり、右上には the hallicraftars co. の文字が読み取れます。(最初の t の字が消えていますが)

 右写真は裏側からのものです。GT管と呼ばれる真空管が見えていますが、黒く背の低いのはメタル管、右側のガラス管はその改良品です。

 本来なら裏側と底面にはカバーがつけられていたはずですが本機では欠如しています。
 これらカバーの材質は3~5mmのボール紙ですし、デザインもネットで紹介されていますので、そのうち作成してみましょう。

  S-38 はその原型が1941年初頭発売のエコーフォン・コマーシャル EC-1にあり、回路コンセプトは基本的に同じで、 S-38F まで延々と引き継がれていますのでレストアの情報はたくさんあるといっていいと思います。
 左にあるのはそのひとつ、マニュアルで今回はこれを主に用いました。

  右はマニュアルにあった回路図です。

 特徴は
 ① GT管によるトランスレス方式で、ライン・アップは 12SA7 (周波数変換)- 12SK7(中間周波増幅)- 12SQ7(検波・低周波増幅)- 35L6GT(低周波出力)- 35Z5GT(整流)- 12SQ7GT(BFO発振)の5球スーパー + BFO発振の計6球構成です。
 ちなみにこれらの数字を足すと118となりますので、このラジオは米国の家庭用電源110~120Vで使用するようになっていることがわかります。

 ② 受信周波数範囲は BAND1 540kc-1650kc、BAND2 1650kc-5.0mc、BAND3 5.0mc-14.5mc、BAND4 13.5mc-32.0mc の4バンドです。

 ③ この受信機の位置づけは海外短波放送のイージー・リスニングだとおもいます。第二次大戦で勝利した米国は自国での戦闘はなかったものの、世界中へ派兵した結果、それこそ世界各地の情報に大きな興味を持ったことでしょう。
  S-38 は見た目こそ通信型受信機ですが、中身は家庭用の5球スーパーラジオだとおもいます。

 このことは S-38 の価値を下げるわけではなく、誰もが簡単に遠く海を越えてくる情報に接し得たことの意味は大変に大きかったものとおもいますし、多くの青少年が S-38 に触れる事で科学技術分野に興味を持ち、その発展にも貢献したことでしょう 

 左上写真はシャシー上の部品配置、左下写真はシャシー内の様子です。
 これらは前述したように、1941年初頭発売のエコーフォン・コマーシャル EC-1のスタイルを踏襲しています。

 シャシー内を観察した結果、限りなくオリジナルに近く、手が加えられていないように見受けました、うれしいことです。(抵抗やコンデンサーの交換は必要でしょう)


 電源系をテスターで慎重にチェックしたのち絶縁トランスを介した電源(110V)に接続して様子を見ました。
 よかった点は無事パイロット・ランプと真空管が点灯したこと、よくなかった点は大きなハム音のみしか聞こえなかったことでした。ということで意を決してフル・オーバーホールをすることに決めました。

 ダイアル・パネルは右上写真のようになっており、左がメイン・スケール、右がスプレッド・スケールです。
 各々の指針はバリコンの軸に直結しており、操作上はダイアル軸から糸でバリコン軸にセットされたプーリーを減速しながら回す構造で安価かつ確実でよいフィーリングの得られるシステムだとおもいます。

 左写真はバリコン(バリアブル・コンデンサー)で特徴的なのはスプレッド機構(小さいプーリー側)が内蔵されている点です。

 このバリコンの容量をLCRメーターで測定してみましたがANT側とOSC側がよく揃っていました。
          メインバリコン                      スプレッドバリコン
     ANT 435.3(max) 251.9 67.86 34.78(min)  435.5-414.2   34.76-13.48
      OSC  433.5(max) 252.4 67.26 34.24(min)   433.5-414.0   34.25-13.78

 また既知のインダクタンス値のコイルでQをチェックしてみましたが新しいバリコンと比較しても問題はありませんでした。70年前の部品の精度と耐久性に驚かされました。

 最も心配していたバリコンが使えそうなので、次いでIFTです。





 写真に見られるようにC同調タイプでした、パッディング・コンデンサーの劣化が心配でTTTさんのブログにあった「管球式IFTの測定ツール」を引用させていただきFRMSと組み合わせてチェックした結果無事作動することがわかりました。
 左写真は測定中の様子です。

 右写真は上がアンテナコイル、下が局部発振コイル(局発コイル、OSCコイル)です。各バンドのコイルは同じボビンに巻かれていますBAND4のANTコイルのみは別)し、分厚いワックスで保護(IFTコイル、BFOコイルも同様)されています。

 バンド切り替えスイッチです。
 銀メッキが酸化して黒ずんでいる部分が多かったので軽く磨いてごく少量の接点復活剤を塗っておきました。

 右写真はCW(無変調の電信電波)を聞くためのBFO回路に使うコイル(367u)で、周波数調整はコイル中のコアをネジで出し入れすることでおこなっています。





 この S-38 で使われているツマミで大が2個、小が3個あります。

 大きいツマミの裏に
HALLICRAFTARSの文字が見られますが、オリジナルのパーツが揃っていることはレストアにはうれしいことです。
 取り外した抵抗(左)とコンデンサー(右、右下)です。
 抵抗はソリッド抵抗器と呼ばれるものが使われていました。丈夫で断線もせず、高周波特性もいいのですが温度係数が大きく、経年変化に弱いので今ではあまり見かけません。
 抵抗値を実測してみると平均して2~3割大きくなっており、中には5割を越える物もありましたのですべて通常のカーボン抵抗器に交換しました。

 コンデンサーは数値そのものはあまり変わっていませんでした。上列のペーパー・コンデンサーはすべてフィルム・コンデンサーに交換しましたが、下列のシルバード・マイカ・コンデンサーとオレンジドロップはそのまま使いました。 もちろん右写真のブロック電解コンデンサーも交換です。


 左は部品清掃後再取り付け、交換、再配線をした後のシャシーの中の様子です。

 オリジナルに比べ多少すっきりした感じがします。(前述写真参照)


 いよいよ調整に入ります。 S-38 と家庭用コンセントとの間に絶縁トランスを入れ安全を期しました、100V:110Vで S-38 には110Vが供給されていることになります。
 
 調整はマニュアル中の手順に沿い、IF調整に始まって、BFO周波数あわせ、BAND 4、BAND 3、BAND 2、BAND 1、の順に実施していきます。
 手元にSSGがありましたので難なく終了しました。

 その結果すべてのバンドにおいてダイアル指針どうり、ピッタリとなり、調整の容易さと再現性の高さに再度驚かされました。


 実際に使用してみました。

 数mのアンテナを窓に垂らしダイアルを回してみました。もちろんHAMバンドなどは実用になりませんが、すべてのバンドがごく普通に聞こえます。

 今の技術をもってすれば容易に高性能化できるとはおもいますが、1947年のラジオ(当時の誰でもが容易に海外短波放送がきけるというコンセプト)にできるだけ近い形にしておきたいという当初の目的は達成したとおもいます。

 夜照明を少し落としてタングステン・ランプに照らされたダイアル表示をみながら海外短波放送(今はかつてのVOAやBBCなどはなく東南アジアのものが多いですが)を聴いているとノスタルジックな感じがします。

 そうですこれは70年前のラジオなんですから、、、、

2016年7月6日水曜日

今年もまたニッコウキスゲ (2/2)

 通称「八島湿原」は八島ヶ原高層湿原のことで、標高1632mは尾瀬ヶ原の1400mより高いところにあります。またここの泥炭層は約8mあり、1万2千年前に誕生したとされています。

 今回は左図のように駐車場から八島湿原を一周して帰るコースを辿りました、ゆっくりコースと呼ばれ所要時間約90分です。また図中の番号は本文の記述と対応しています。

昭和24年にNHKのラジオ歌謡として放送された横山弘作詞・八洲秀章作曲による「あざみの歌」歌碑が①にあります。

 これは昭和20年復員してきた当時18歳の横井弘が、疎開先の下諏訪の八島高原で、野に咲くアザミの花に自らが思い抱く理想の女性の姿を重ねて綴った歌詞に、八洲秀章が作曲したものなのです。

♪~ 山には山の 愁いあり
   海には海の 悲しみや

  ましてこころの 花園に
  咲きしあざみの花ならば 

 ②では「オオカサモチ」がたくさん咲いていました。
 草丈はそこそこ大柄ですが、花は白くて繊細です。

 ③は「イブキトラノオ」です。その名のとうり伊吹山にもたくさんありましたが、ここ八島湿原と伊吹山は植生が似ていると聞いたことがあります。


 ④には「ダケカンバ(岳樺)」の木がありました。白樺によく似ていますが、樹皮の色が多少ピンク色をしており、白樺より標高の高いところに分布しています。
 遠くに湿原が見えています。



 ⑤地点から遠く八島が池を望んだところです。
 今年は雨が比較的多かったせいか池の水が豊富です。

 下の写真は今回見かけた、、、いやポーズをとってくれたチョウたちです。



 写真の左はヒョウモンチョウの雄、中は雌そして右はヤマトシジミだとおもわれます。



 ⑥の場所にかかわらず、今はこの「キバナノヤマオダマキ」が全盛です。
 オダマキは青や紫の色が多いようですが、この花は名前のとうり黄色です。5本の角のような形が上にあるのはオダマキの花の特徴です。







 ⑦「ハクサンフウロ」もあちこちに散在していました。
 花は小さいですが、緑の中でピンク色が実に鮮やかに自己を主張しています。

 ⑧こちらは「グンナイフウロ」ですが同じフウロソウの仲間でもかなりイメージが異なります。

 ⑨地点でいったん湿原の外に出ますが、ここにはシカの侵入を防ぐためのゲートが設置してありました。








 ⑩地点から南方の御射山にある旧御射山遺跡(もとみさやま)を見たところです。
 鎌倉時代、ここに諏訪、甲斐を中心に武士たちが集って軍神、諏訪大明神を祭って御射山の祭りが開かれましたが、このときの見物席(スタジアム?)が階段状にみえています。

 ⑪小さな流れに架かった橋の上から上流を見てみました。綺麗な水が豊富に流れています。

 ⑫は「ウツボグサ」です。ウツボの名前は魚ではなく、昔武士が矢を入れて背中に背負う太い筒の形をした武具「靫(うつぼ)」に似ていることに由来するそうです。



 ⑬ハート型をした八島湿原の先端部にやってきました。道標の八島ヶ原湿原・旧御射山方向からやってきて、これから鎌ヶ池・八島ヶ原湿原方向を目指します。
 天候は曇りで比較的涼しく雨の心配はあるのですが快適です。


 ⑭「シシウド」の花が咲き始めています。
 これから夏にかけて全盛となります。









 ⑮地点から八島湿原を経て対岸にそびえる鷲ヶ峰1798mを見たところです。

 ⑯足下に白く特徴的な花を見つけました、「カラマツソウ」で、花の形がカラマツの葉に似ていることから名づけられたそうです。

 ⑰「オオヤマフスマ」でしょう、ごく小さな花が足下にひっそりと咲いていました。おそらくハイカーのほとんどが気づくことなく通り過ぎていったことでしょう、でも見れば見るほどにその端正さに心惹かれます。

 ⑱ 少し離れた湿原の中に大き目の黄色い花を見つけました、立ち入り禁止なので近寄れませんでしたが、どうも「キンバイソウ」のようでした。

 ⑲「鎌ヶ池」を左に見ての八島湿原の180度パノラマ写真です。
 中央前方が御射山方向になります。









湿原の中での「コバイケイソウ」と「レンゲツツジ」のツーショットです。
 レンゲツツジは6月上旬の花なので、ちょうどコバイケイソウに季節のバトンをタッチしたところでしょうか。






 またこのふたつの植物は何れも毒性が強く、シカなどの食害をまぬかれて生き延びているという共通点があります。

 (21)「ニガナ」です、黄色い小さな花を上部に数個つける、比較的よく見かける花です。
 (22)もちろん八島湿原の陸側にもニッコウキスゲは咲いています。昨日の場所で見たものにくらべて、一つひとつの花がすっきりと気品さえ感じるのは何故でしょうか?(周りの緑が色濃い、、、)






 (23)これは「ケブカツルカコソウ(毛深蔓夏枯草)」という何となくおかしさのある名称の草花です。
 ちなみに「ツルカコソウ(蔓夏枯草)」とはアジュガのことでした。

 (24)八島ヶ池のパノラマ写真です。大小たくさんの島が浮いているように見え「七島八島(ななしまやしま)」と呼ばれることもあり、また八島湿原そのものを七島八島湿原ということもあるようです。

 (25)「アカギキンポウゲ」です、前出の「ニガナ」と同様の黄色い小さな花ですが花弁が厚めでしっかり感があります。










 (26)ユリの仲間の「アマドコロ」です。たくさんの花が(この写真では10個)釣り下がっていますが、下から順に開花してきた様子がよくわかります。


 (27)「オオバギボウシ」です、これから花枝が花を咲かせながらどんどん伸びていくのでしょう。

 (28)「タカトウダイ」です、紅葉するのは秋のはずですが、、、、これも異常気象?



 、、、、ということで無事にスタート地点に戻ってきました。
 急な坂道がほとんどなく、歩道も木道部分が多く(かなり痛んでいる箇所がありましたが)疲れることなく約2時間ほどかけてのウォーキングでした。

 まだ時間に余裕があるのでどこかへ足を伸ばそうとした矢先雨となってきました、まさに危機一髪です。

 どこかで昼食を、、、、と考えた末に伊那の「かんてんパパ・ガーデン」にある蕎麦どころ「栃の木」へ帰り道でもあることを幸いと足を伸ばしました。
 ところが意外と時間がかかりお店到着が14:30でオーダーストップの札が店先に出された直後でしたが家人の働きで遅い昼食にありつけました(感謝!)。写真は「石臼引き十割天ぷらせいろ」です、おいしかった。

 今回は急に思い立っての旅でしたが、天候にも恵まれてガムラスタン、ニッコウキスゲ、温泉、蛍、富士山そして八島湿原ハイキングと充実した時間を持つことができました、健康に感謝です。