2014年10月29日水曜日

仲間たちと「喜一郎と仲間たち」へ

 あの豊田佐吉翁の子息にしてトヨタ自動車の創始者である豊田喜一郎氏生誕120周年行事のひとつとして「喜一郎と仲間たち」と銘打った特別見学ツアーへの参加をあらかじめ申し込んでいましたので、つい先日友人たちと出かけてきました。

 幸い当日は天候に恵まれ晴天の心地よい一日でした。
 豊田鞍ヶ池記念館への集合時間は10時ということでしたので、少し早めに出かけて併設のアートサロンに立ち寄ってみました。

 展示内容は「日本の美・伝統と近代」と称した日本画の特集でした。










 主な出品作家は
川合玉堂 「深山抄秋」(左)、
小林古径 「菊花白猫」(下)


上村松園 「つれづれ」(下)のほか、片岡球子、前田青邨、山本丘人など見ごたえのある作品が展示してありました。

 ここ鞍ヶ池アートサロンは展示作品数はせいぜい20点程度と多くはありませんが、3ヶ月ごとに替わる展示作品のどれもがすばらしく、しかも入場無料でゆっくりと楽しむことができるのです。





 定刻となって集合したのは約20名でそれこそ老若男女幅広い年齢層です。記念館の館長さんはじめ皆さんが手分けして熱心にガイド役を務めてくださいました。

 トヨタの歴史はまずこれから、、、、ということで、左は明治29年(1896豊田佐吉翁の発明になる木鉄混製豊田動力織機で、一通りの説明を受けてからの実演です
 ガッシャンガッシャンと大きな音を立てて見事に往年の勇姿を見せてくれました。

つづいては大正13年(1924)に発明された無停止杼換式豊田自動織機(G型)です。前述の織機に比べると重厚な鉄製のフレームを持ったこの機械は格段に工業機械としての進化が見られるようです。
 なにせ横糸を紡ぐ飛び杼(とびひ)さえも糸がなくなった瞬間に新しいものに自動交換でき、縦糸も途中で切断すれば、直ちに機械が停止するようになっています。これらによって職工は一人で40台もの織機を受け持つことができたとか、、、、

 この織機の特許を英国のプラット社に売却し、自動車事業の基金とした逸話はあまりにも有名です。

 次に虹を架けた男たち ・ 豊田喜一郎、夢への挑戦」というビデオで喜一郎氏の創業期における取り組みやエピソードを学びました。 (左)



 そしてここで副館長さんの登場です。
 大柄な身体全体を使い、汗を拭き拭きの熱い説明には参加者全員拍手ものでした。

 右写真は館内説明の最初ですが、ここに展示されていた喜一郎氏の東大時代のノートを見てびっくり、詳細に整った文字でビッシリと挿絵つきで書き込まれていました。それも何冊もあるノートすべてに、、、、

 館内はひろく、かいつまんだ説明が終わった時点では1時間の予定時間をかなり超過していました。

 左の黄色の車は昭和11年(1936)に発売されたトヨタ初の生産型乗用車「トヨダAA型乗用車」です、トヨダで間違いではありません。奥に見えるブルーはトヨペットクラウン(RS型)で昭和30年(1955)に発売されましたが、これ以降日本にも国産乗用車時代が始まりました。

  さて今回のメニューの最大にして最後は、旧豊田喜一郎邸の見学です。この建物は昭和年(1933)に喜一郎氏が名古屋市郊外の八事・南山に建てたものをこの地に移築したものです。

 いつもは外側のみの見学ですが、今回は内部に入っての見学でこのような機会はめったにありません。
 しかしながら残念なことに、内部の撮影はプライバシーを理由に許可されませんでしたのでここには掲載できませんでした。

 内部も同様に、当時の和洋折衷のつくりはなかなかモダンで、センスがよく、明るく軽快な感じがしましたが、この建物は本来別邸として建てられたということでなんとなくわかるような気がします。

 右上の写真は斜面に建てられた家の最下点から観たもので、2階建てプラス地下部分とでもいったところです。右側部分は本体直結の温室です。
 こちらの写真が1階東側で、玄関は北側にあります。

 あっというまに予定の時間を過ぎてしまいました。
 そろそろお昼時なのですが、天気もよいので少し足を伸ばして、五平餅を味わうべくドライブとしゃれこみました。

 ようやく草鞋のように大きな五平餅にありつきました。
 あまりの空腹に耐えかねてか、左上の一本にはすでに一口食べた歯形が、、、、

 帰路の途中、思い立って松平東照宮に寄り道することにしました。

 このあたりはすでに秋に向かってまっしぐらのようです。




 秋によく見られる赤いミズヒキ(ミズヒキソウは俗称)とヤブランの緑色の実が面白い色の取り合わせを見せています。
 


 おもしろいものを見つけました。

 左下の紫色の実はムラサキシキブといいますが、白い実のほうはなんとシロシキブといいます、、、、ホントウです。





  
 辺りを見回しても他に花はあまり見かけませんでしたが、ツワブキだけは今が真っ盛りでした。






 この時期きれいな花ですが、何か物寂しさも感じます。
花言葉は 「愛よ甦れ・謙譲・困難に負けない」などと多様ですが、内面は強いということでしょうか。

 食欲の秋、、、、ではありませんが、あの伽羅蕗(キャラブキ)はこのツワブキを煮てつくったものです。

 あれこれ話が迷走してしまいましたが、とはいうものの楽しい秋の一日を過ごすことができました。

2014年10月14日火曜日

Raspberry Pi(ラズベリーパイ)の味見

 Raspberry Pi(ラズベリーパイ)はかわいい小さな箱の中に入ってやってきました。いまどき珍しく Made in United Kingdom とあります。
 そうです、Raspberry Piは手のひらに収まってしまうほど小さいけれど立派なコンピューターなのです。

 元来英国の学生が入門用として、テクノロジー、エンジニアリング、数学などを学ぶために設計されたものですが、廉価であることも手伝って世界中で、特にホビー用として2009年5月にRaspberry Pi財団が設立され、2012年4月には最初のRaspberry Piが出荷されて以来ここ1~2年で急速に普及しています。 

 写真はモバイル・パソコンのキーボード上で撮影した写真です。

 このように小型であるにもかかわらず、ウエブ・ブラウザ、ワードプロセッサ、ゲームなどをそれなりにこなすことができますし、またその特長を生かしてホームサーバーやプリントサーバー、ハイクオリティーオーディオとしても気軽に使うことができるようです。

(もちろんそのままではなく、自分でインターフェースを設計し、プログラムを組んで)
 ある意味で、これと似たような存在に Arduino (アルディーノ)がありますが、こちらはワンチップマイコン( AVR )をスタティックに働かせるのに対し、Raspberry Piは基本的にあの Windows OSといまや並び立つ Linux OS を走らせているのですが、このことが小さいながらあえてコンピューターと呼ばれる所以です。

 おおよそのスペックを示しておきます。この程度のもので700MHzのクロックはかなり速いですし、HDMI,USB,LAN,AudioはもちろんGPIO,UART,I2C,SPIなどを備え、多用途を意識した設計は本当に魅力的です。

 早速は走らせてみることにしました。とりあえず用意したものは4G以上のSDcard(ハードディスクの代わり、私は16Gを使用)とUSBmicroの端子を持った5Vで1A程度の容量を持った電源です。

 今回はNEXUS 7のものを流用しましたが、そのうち周辺機器への給電をも考えて専用のものを自作しましょう。

 接続の詳細は省略しますが、左写真のようにします。コンピュータボードが小さすぎて多くの接続線にぶら下がっているようです。 このボードには電源スイッチがないので、電源を最後に接続します。

 プログラム・ソフト(OSなど)はマニュアルにしたがって、別のコンピュータで Raspberry Pi財団のホームページからdownload し、SDcardに展開しておきます(http://www.raspberrypi.org/downloads/
 ただし初回はマニュアルどうり図中の Raspbian の zip ファイルを使ったほうがいいと思います。(慣れたらあとで何回でもトライできますので、、、、)



 電源を入れるとモニター画面に詳細なインストール情報が下から上に流れるように表示されていきます。
 感激の瞬間です、この瞬間を味わうためにあれこれやっているようなものです。

 流れが止まったところで既定の、ID:pi Passward:raspberry とインプットすれば作業に入れます。
 さらにstartxとインプットすれば通常見慣れたパソコンの画面が現れます。

 そしてブラウザである Epiphany のアイコンをダブルクリックしてこのブログを捜すと、、、、

 多少スピードは劣るもののブラウジングのみならなんとか使えるレベルです。

 もっともこのボードでインターネット・サーフィンをやるつもりはありませんが、多様な入出力端子を利用して、Linuxの習得、同梱のソフトのJAVAトレーニングソフトそしてかつて憧れであった科学技術計算ソフトウェア Mathematica (もちろんサブセット、確か正規版は4x万、、、、)の使用などなど楽しみがまた増えました。

ネットより
 今回はほんの少しの味見でしたがなかなかの味でした。機会があればまた応用例などアップしたいと思います。

 ちなみに本物?のRaspberry Pi(ラズベリーパイ)の写真をネットで探してみました。

 なるはど魅力的です!こちらもぜひ味見がしてみたいものです。

2014年10月8日水曜日

高原に秋の訪れをもとめて

 高原といっても比較的近い恵那山の西側に位置する標高約900mの根の上高原です。

 先月、少し早いのですが秋の訪れを求めて出かけてきました。今年は気温が下がるのが比較的早かったのですが、秋分の日以前ではさすがに秋の気配はまだまだでした。




 せっかくの機会ということで麓で友人をピックアップして、例の「あかまんま」で他の友人とも落ち合ってゆっくりと昼食を楽しむこととしました。

 あいにく天候は今にも降り出しそうな気配でしたが、友人宅の庭に咲き乱れるコスモスの花は辺りを明るくして出迎えてくれました。

 くねくねと曲がりくねった山道を約30分、高原に到着、早速雨の前に、、、、ということで散策に出かけました。





 薄暗い木立の中を歩いていくと木漏れ日の比較的多そうな木々の間に「ゴマナ」が白い可憐な花をたくさんつけていました。

 葉が胡麻に似ており若菜が食べられることからつけられた名前ですが、キク科のシオンの仲間です。



 近くで遠慮がちに咲いているのは「アキノキリンソウ」でしょう。

 もともとは日当たりの良い山野などに自生するものですので半日陰では少しかわいそうな気がします。



 紅葉にもすこしはやくあちこち目を走らせてようやく見つかるといった風情でした。



 しばらく歩くと前方が明るくなってきました。

 木の柵と足元の渡り板が整備されています、そうですこの先は知る人ぞ知る根の上湖の周辺にある「湿原」なのです。


 湿原はすでに茶色に変わりつつありましたが、その中にいくかの花々が咲いているのを見つけました。


 白色の小さな筒状花が多数集まって、散房状に咲いているのは「ヒヨドリバナ」ですが、すでに盛りを過ぎています。

 右写真は花はすでに枯れていますがミカワバイケイソウ」の実です。








 左写真の「ミカワシオガマ」は東海地方の高酸度・低栄養の湿原だけに生育し、絶滅危惧種に指定されている植物で、地球の寒い時代に生き残り、そして今でも温暖化に適応できるよう、変化しつつある途中だとか、、、、以前の私のブログを参照ください。「矢並湿原(ラムサール条約湿地)散策

 このような珍しい花がなぜかこの高原の湿原に群生しているというのも何か不思議な感じがしました。

 右写真は「ウメバチソウ」です。茎の上部に咲く直径2cm前後白い5弁の花の形が梅鉢紋に似ていることから名付けられたそうです




 「シラタマホシクサ」とまではいきませんが、湿地に小さな白い花が一面に点在する様はなかなか綺麗です。

 もう季節は終わったはずですが、「サワギキョウ」の花が一輪私たちを待っていてくれたようです。

 右写真は根の上湖と湿原の境界あたりですが、ここにもミカワシオガマの花が見られました。



 同様に、こちらには「ヤマドリゼンマイ」の紅葉が見られます。 春に芽吹くいわゆるゼンマイと同様に食用にできますが、味は少し落ちるとのこと、、、、

 右の白い繊細な花は「アケボノソウ」です。白い花びらを明け方の空に、花びらにある斑点を夜明けの星に見立てて名づけられたということです。


 ピンク色を残してほぼドライフラワー状になっているのは「ノリウツギ」です。あちこちに見られましたが、これほど色濃く残っていたのはこれだけでした。



 右写真は「サワシロギク」です。花は最初は白色ですが次第に赤色を帯びてきて、それぞれの色が混在するとさらに趣を増します。


 ふと目をあげたところに「ヤマボウシ」の実がありました。こうしてポツンと生っているのをみるとやはり秋を感じます。


 そして秋の定番は「ワレモコウ」(右)ですが、さらに定番中の定番は「ススキ」でしょう。(右下)





 さすがにここまでくるとはかなく、寂しくなってきますが、、、、

 雨もそろそろ降ってきましたので、急ぎ「あかまんま」に帰り、あとは食事をしながらの楽しい団欒で時の経つのを忘れてしまいます。

 しばしの後、帰路につきましたが友人を家まで送っていって再度コスモスに会い、花束にしてつれて帰ったのはいうまでもありません。