2018年6月20日水曜日

初夏の東北歩き 3/3 (奥入瀬渓流)

 3日目もよい天気に恵まれそうです。

 今日の予定は、ホテル2から十和田湖の対岸にある子ノ口に行き、そこから奥入瀬(おいらせ)渓流を下りながら散策し、その後青森市内で昼食を摂り、午後の比較的早い時間に青森空港から帰途につくという、これまた少しせわしいことになっています。





















 昨夜はホテルの心地よいサービスでリラックスでき、よく眠れたせいか、早い時間に目覚めました。







 朝食にはまだ時間があるので湖畔の散歩に出発です。


 朝陽の木漏れ日を楽しみながら湖の近くまで行ってみましたが、遠くの山々と空が湖に写りこみ、まだ残っている靄が程よくあしらわれてすばらしい景色でした。


 ホテル近くの草原には名も知らぬ紫色の小さな花がそれこそ絨毯のように咲き乱れていました。










 ホテルのテーブルからも同様の景色ですが、また趣が変わっています。

 昨夜と違い、ビュッフェスタイルですが、料理もおいしくゆっくり・沢山いただきました。


 少し早めにホテルを出発し、十和田湖の南側を反時計回りで子ノ口に向かいます。

 左写真は十和田湖の最南端から中山半島の岬越しに見えた八甲田山系ですが、まだ雪が残っています。







 奥入瀬渓流(おいらせけいりゅう)は、十和田湖東岸の子ノ口(ねのくち)から北東に、焼山までの約14kmおよぶ奥入瀬川の渓流で、渓流沿いにはいくつもの滝が点在し、「瀑布街道」とも呼ばれています。
 また、十和田八幡平国立公園に属しており、国指定の特別名勝及び天然記念物となっています。

 上図はホテルでいただいた案内図ですが、私たちは図上、左端の子ノ口から少し下った赤丸の「銚子大滝」から遊歩道に入りました。

 銚子大滝は奥入瀬渓流の本流にかかる随一のダムのような滝で、高さ7メートル、幅20メートルの堂々たる滝です。 

 この滝は十和田湖への魚の遡上を妨げ、魚止の滝とも呼ばれており、そのため長いあいだ、十和田湖には魚がすめないといわれてきました。
 十和田湖にヒメマスを定着させた「和井内貞行」の名前は小学校時代に読んだ伝記を思い出させます。


 前述の案内図で私たちが歩いたのは2つの赤丸の間で、「滝エリア」と呼ばれる部分です。








 本来奥入瀬渓流は川下の「森エリア}から「渓流エリア」そして「滝エリア」と登っていくのが景色がよいとされていますが、高齢者の多い旅行社のプランでは仕方がありません。

 そのかわり、よく整備された遊歩道を左写真の道標を見ながら、渓流に沿って歩いていくのはほとんど負担は感じませんでした。

 この時節、奥入瀬では花はほとんどありませんでしたがたまたまニリンソウが咲いているのを見つけました。

 左写真は、「九段の滝」で、その名のとうり階段状の斜面を落ちています。






 最初にあった「銚子大滝」以外のすべての滝は両側の山から川へ流れ込んでいるものばかりです。


 右写真は、一休みついでに上流からの流れを観てみたものです。

 緑の木々の中を、豊かな水が瀬音をたてて、大小取り混ぜた石の間を流れ下ってくる様はこれぞ奥入瀬と言ったところです。


ここには多くの木々、草、コケなどがありますが、樹木でいえば左写真のトチ、ナラ、カツラ、サワグルミなどが多く、ブナはあまり多く見られません。
 水の多い渓谷は苦手なのでしょう。

 緑の木々、水のせせらぎ、そして空気を五感で感じながら時折休息の時間をとりつつ下っていきます。

 またひとつ滝が見えてきました。
 「不老の滝」でしょうか、川から離れていて、間に木立があるのではっきりとは見えません。
 手前の大きな木は「カツラ」です。

 そうこうするうちに、前方から私たちの添乗さんが急ぎ登って来ました。
 「時間に余裕がなくなってきたのでこの先でバスに乗車してください、、、」とのこと。

 実はこの奥入瀬渓流に沿って国道102号線(十和田道)が走っているので、予定時間を見計らって我々をピックアップするのはどこでも容易にできるのです。(国道の併走は自然情緒を半減してしまいますが、、、、)

 
 ということで、さらに下流にある「阿修羅の流れ」を車中から観ることになってしまいました。(右写真)

 ここは、奥入瀬渓流で一番人気の場所で、ほとんどの観光ポスターがここの流れを映したものだそうです、残念。
 

 奥入瀬渓流に後ろ髪を引かれる気分で私たちはさらに北上、八甲田山系を横断すべく道路(国道103号線)標高は徐々にあがっていきます。
(冒頭掲載の地図参照)

 道路脇の針葉樹林にも残雪があります。
 前方に雪を頂いた八甲田山系が見えて来ました。

 八甲田山は標高1584m、かつて詠んだ新田次郎の小説「八甲田山死の彷徨」がよりリアルに思い出されます。

 尾根と尾根との谷筋を抜けるとき、残雪の手前にある湿地帯に、沢山の白い点が見えて来ました。
 さらに目を凝らすと、それらはすべてミズバショウであることが分かりました。

 まったくの想定外で、これほどの大群落を観ることができて本当に幸運でした、良いこともあるんですね。

 青森市内に到着後、ただちに昼食となりましたが、ことのついでに青森駅を観てきました。

 奥羽本線の終点である青森駅は、古くは青函連絡船の本州側玄関口であり、北海道と本州をつなぐ、全国的な交通網の要でありました。

 上写真からは歌謡曲「津軽海峡・冬景色」の歌詞にある情景はなかなか浮かんできません。

 そののち青森空港に移動し、帰路につきました。 右上写真は、八甲田山を背にした私たちの帰路便です。

 今回の旅行は初日の雪中行軍?(あとになってみればこれも思い出)こそあったものの初夏の若緑に満たされた楽しいものでした。
                            

2018年6月13日水曜日

初夏の東北歩き 2/3 (白神山地)

 2日目になりました。今日は朝から気持ちよい青空が見えています。

 今日の予定は、左図のホテル1を出発して白神山地に行きそこで森林散策を楽しんだのち、岩木山をぐるりと時計回りに巡り、途中で昼食を摂ったのちに十和田湖へ向かう、、、、と言うものです。











 右写真は、青森県と言えばリンゴ、その広大なリンゴ畑の向こうに見えている岩木山(おいわきやま)です。


 白神山地の総合案内所(アクアグリーンビレッジANMON)に到着し、いよいよ散策開始です。
 
 左写真の暗門(あんもん)大橋(岩木川の支流暗門川に架かっています)を渡るとユネスコ世界遺産(自然遺産)の白神山地へ近づいていきます。

 橋を渡って右折すると右写真のように暗門川の上流が見渡せ、傍らに世界遺産地域・入口の標識がありました。


よく見ると標識に大きな鳥?が留まっています、、、、日本最大のキツツキの仲間、クマゲラで全長約45センチもありますが、赤いベレー帽には愛嬌があります。



 白神山地は左地図のように、青森県と秋田県にまたがる広大な山林で、法隆寺地域の仏教建造物姫路城屋久島とともに、1993、日本で最初に世界遺産に登録されました。 





 ただし世界遺産に登録されたのは、白神山地の中でも人為的な開発がまったく行われていなかった中心地域約1万7千ha(東京ドーム3600個分)で、白神山地全体では13万haもあり、東京ドーム28000個分にも相当します。
 右は現地の案内板ですが、私たちが居たところは、散策場所と記された右上に赤い丸印のついた場所です。
 そして散策するのは赤丸の内側の2kmを2時間掛けて歩くのです。右図の青色部分は世界遺産の核心地域でここに分け入るのは許可が必要とか、、、、今回の散策は核心地域の外側にある緩衝地域で、それもほんの入口なのです。

 そうはいっても今回の旅行で最も楽しみにしてきた目的が目の前です。
 「世界遺産の径・ブナ林散策道」とある道標を見ながら階段を登って、いざ出発です。




 散策道とはいってもそこは山の中、道は平坦ではありません。

 絶えず起伏があり、歩いている間はなかなか頭上の景色を観ることは難しく、ひたすら足下に注意しての散策でした。

 でも、森林独特の空気であるフィトンチッド(phytoncide)を感じることができますし、木漏れ日が多いブナ林の明るさも体感できました。


 はじめは数少なかったエゾハルゼミの涼しげな声も陽がたかくなるにつれて、蝉時雨になっていきます。

 一息つくために立ち止まって周りを見回したとき、美しい若葉の色に一瞬我を忘れました、、、、


 右写真のようにときおりガイドさんを中心にブナ林についての野外講座が始まります。

 こうして見ると、ブナ林の木漏れ日がよくわかりますし、地表が比較的空いているのもわかります。

 ブナは生長するにしたがって、根から毒素を出すので、一定の範囲にブナだけがほどほどの間隔を置いて残り、ブナだけの林になっていくのだそうです。


 かつてブナは、木+無の漢字「橅」があてられていたように、水分が多く、重いので、筏での搬出が難しく、腐りやすい上に加工後に曲がって狂いやすいため、用途がないとされてきました。


 しかしながら近年では治山治水の観点からブナ林は「緑のダム」とまで呼ばれるようになってきました。

 秋に黄葉が終わり、林床に落ち葉がうず高く積もりますが、その量は、1ha当たり2.3トンとも言われています。

 ブナの葉で集められた雨水は幹を伝い(樹幹流)長時間かかってできた腐葉土の中で、ミネラルを主体とした栄養分をたっぷりと含んだ地下水として蓄えられ、数十年という長い年月を経て地表に湧出してくるのです。

 ブナは保水力の極めて高い木で、樹齢 200年のブナの木が蓄える水の量は本あたり年間トンといわれていますし、土壌が1時間に水を吸い込む量は森林では平均  260 mm、特に良い森林では最大400mm  も及ぶとの研究結果もあり、集中豪雨もモノともしません。



 もうひとつ忘れてならないのが、ブナの実です。

 昔からブナの実は「ブナの実一升、金一升」といわれるほど大事にされ、小粒ながら栄養分に富んでいます。

  ただ、実をつけるまでには5~60年かかりますし、そしてその後は年に一度しか実をつけないのが難点ですが、山に生きる動物たちにとっては大切なものなのです。(左上写真は小さなブナの実)

 約2時間かかって出発点へ戻ってきました。

 売店でりんごソフトクリームが売られているのを発見、おいしくいただきました。







 もうそろそろお昼時も近づいていますが、食事場所までもう少しの我慢です、いざ出発。

 右写真は途中立ち寄った「乳穂ヶ滝(におがたき)」です。今回は水が少ししかなく、糸を引いたようにかすかに見えますが、冬季、この落差33mの滝が上下から氷結を始め、右側(観光案内から)のように柱状になるそうです。

 ただそれは毎年のことではなく、上下連なった年は豊作だとか、、、、


 岩木山をぐるりと廻る環状道路へやってきました。
 この道路にはサクラが植えられており、シーズンには岩木山のサクラの首飾りとなるのだそうです。

 日本100名山のひとつである岩木山は標高こそ1625mではありますが、その独立峰の気高さは青森の人たちにとって精神的な存在であることは十分に理解できました。


 ようやくにして昼食となりました。

 お店の看板に「マタギ飯」とありました(右写真上)、マタギとは猟師のことなので、ひょっとしてクマ、イノシシ、シカなどの肉を使っているのかと興味津々でお店の人に聞いてみましたら、「お客様によってはそういったものを嫌われる方がおられますのでここでは普通のものをお出ししています、、、、」とのこと。

 でもビールとともにかき込んだマタギ飯がおいしかったのは空腹だったからではありません。


 お店に小型の「ねぶた」が置いてありました。

 青森では「ねぶた」、弘前では「ねぷた」と呼ばれ、人形型は両者にありますが、扇型は弘前独特のものだそうです。




 駐車場で、スズランが咲いているのを見つけました。こちらはまだ春なんです。








 散策の心地よい疲れと満ちたお腹のせいで、気がついたら十和田湖に到着です。

 左写真は十和田神社の入口で、ここから「乙女の像」に至る道をなぜか「開運の小径」というのだそうです。

 「乙女の像」は詩人で、彫刻家でもあった高村光太郎晩年の作で、除幕式は1953年におこなわれました。

 氏はこの像のテーマについて「湖水に写った自分の像を見ているうちに、同じものが向かい合い、見合うなかで深まっていくものがあることを感じた。それで同じものをわざと向かい合わせた」とあり、思い入れの深い作品だったようです。

 像の体のモデルは分かっていますが、顔については最後まで布で覆われ誰も見ることができませんでしたが、発表後「智恵子夫人ですか?」の問いに対し、そう思うならそれでも良い、、、、との答えでした。 

 ホテルに到着後、一休みしてからレストランで夕食です。

 夕刻で、徐々に色が変化していく十和田湖を静かに眺めながらのディナーは久しぶりのくつろぎの時間です。





 おいしい料理に加えて、ホテルのサーヴ・マナーも心憎いほどで、ついつい時間をかけてしまいました。




 食後、散歩のために外に出てみました。


 陽はすでに落ちて気温も下がり始めていますが、軽い酔いも手伝って心地よい気分です。

 この分では明日も天気はよさそうです。

2018年6月4日月曜日

初夏の東北歩き 1/3 (八幡平)

 先回、5月末に山陰へ出かけたばかりと言うのに一月も経たないうちに今度は東北です。

 ブログでもご紹介したように、5月連休中の猿投山ハイキングを無事終えたのに気を良くして、かねてから出かけてみたい、、、、と思っていた東北のハイキングに出かけてきました。

 ルートは左図に示すように、先ずいわて花巻空港に飛び、東北自動車道を北上して、八幡平、そしてホテル1へ、2日目は白神山地から岩木山を経由して十和田湖畔のホテル2へ、そして3日目は奥入瀬から八甲田山系を抜けて青森へ、最後は青森空港から帰途に着く2泊3日の旅です。

 この中で、文中で太字にした、八幡平白神山地、奥入瀬の3箇所で軽いトレッキングをするのが大きな目的なのです。

 予想された天候も快方に向かっており、機上からの富士山も何とか観ることができました。










 空港から釜石自動車道に乗り、花巻JCTを経て東北自動車道を北上して一路最初の目的地、八幡平を目指します。

 途中、岩手山SAで一休みです。
 前方(北)に岩手山(2038m)が見えていますが頂上付近は雲に覆われています、なんとなく不吉な予感が、、、、

 その後、松尾八幡平ICを降り、八幡平アスピーテラインで八幡平を目指します。
 アスピーテとは盾を伏せた形状の火山のことで、岩手から八幡平を抜けて秋田へむかう景勝・県道23号線を八幡平アスピーテラインと呼んでいるようです。

 ところが、徐々に標高が高くなってゆくにつれて様相が一変しました。
 雪です、それも所によっては1m以上の積雪が残っています。

 今年は季節の移り変わりが速いなどと勝手に思い、旅行社のパンフレットのお花畑を想像していたのが大間違いでした。

 八幡平はまだ雪の中で、その上今日は天候が悪く雲の中だったのです。
 バス路の両側には春の八幡平アスピーテライン開通のために切り開いた切り通しの跡が見えています。(右写真)

 そんな中、八幡平パークサービスセンターへ到着しましたが天候はさらに悪化、強風に加え雨が足下から吹き上げてきています。

 センターの中で八幡平山頂まで歩くかどうか、思案投げ首でしたが、ガイドさんの「雨や風はここが一番強く、先々はそれほどでもありません、、、」とのお言葉で、出発を決意しました。

 雨具も万が一を思って上着は持参しましたが、ズボンを持ってこなかったのが悔やまれます。

 そうこうするうちに、左写真のように決死の?思いで雲の中へ出発です。
 今回の参加者のほぼ半数はセンターの中で帰りを待つことになりましたが、なかにはご夫婦別々と言うケースもありました、もちろん留守番に廻ったのはご亭主、、、、
 

 右図は八幡平頂上付近の案内図です。

 中央下の水色の丸で示した、八幡平パークサービスセンターを起点として、矢印に沿って八幡平の頂上を目指し、帰りは右回りにガマ沼に沿って下ってくる短いルートが荒天のため選ばれました。


 ルートには左写真のように、ピンク色の目印をつけたポールが設置してありましたが、2mはあるかと思われるポールがここまで埋没しているのは積雪が1m以上あることを示しています。

 幸いなことに、八幡平の頂上付近はその名の示すとうり、思ったより平坦で助かりましたが、それでも滑りやすく慣れない雪道には疲れました。

 下写真上は途中にある鏡沼の写真ですが、雲で霞んで見えています。
 下写真下の写真は、ネットの観光案内から借用した、この鏡沼にできた龍の目(ドラゴンアイ)です。

 この現象は5月下旬~6月上旬にかけてこの鏡沼においてのみ見られる神秘的な景観で、気候に左右されるため出会うのは稀だと言うことです。

 春になって沼の周囲の雪が解け、水になると雪や氷は水より軽いため中央部の雪や氷が水面に浮かび、さらにその島状の氷の中央が解け、目のようになるのだと言います。

 私たちが通り過ぎたときにはこの龍の目はまだ眠ったままだったのですが、後日調べたら1週間後には今年もめでたくお目覚めになったとの書き込みがありました。

 八幡平は前述したように、頂上はなだらかですが、れっきとした火山で、いたるところに噴火口があり、いまではそれが沼や湖となって景観をなしているのです。

 ようやく頂上に到着しました。

 十和田湖八幡平国立公園にある標高1630mのこの頂上には木製の展望台がありましたが風雨が強く登るのが躊躇されました。(左写真)

 

 



 風雨は思ったより強くは無かったものの、雨具のない下半身は冷え、早々にして帰路に着きました。

 右写真はガマ沼の水面です。ほとんど見通しはききませんが、水に手を入れてみました。さすがに冷たく思わず手を引っ込めました。







 同じくガマ沼にある展望台です。
 ここからは、見下ろすと名前に反し、きれいな沼の景色が見えるはずでしたが、、、、今はただ何も見えません。


 こんな山頂でも唯一、雪の無いところには春を告げる蕗の薹が咲いていました。

 センターに戻り、石油ストーブで暖を取りホッと一息つきましたが、今となっては得がたい体験でありました。

 こののち私たちは八幡平を秋田県側へ下り、さらに北上して、鹿角八幡平ICから再び東北自動車道に乗り、一泊目のホテル、青森ワイナリーホテルへと向かいました。