2017年5月23日火曜日

初夏の安曇野

 思い立って安曇野に出かけてきました。
 安曇野は長野県松本市の北側にあり、分水嶺のある塩尻に発する梓川と奈良井川が合流して犀川となる地点にあります。
 犀川はさらに千曲川と合流し日本一長い川・信濃川となって日本海に注ぎます。

 また安曇野は糸魚川と松本を結ぶ千国街道にあり、この街道は「塩の道」とも言い、かつて上杉謙信が武田信玄に塩を送ったことで有名です。

 私たちは長野自動車道を北上し梓川SAで早い昼食後、ここのスマートICから安曇野入りすることにしました、ここは前述した梓川と奈良井川の合流点の近くです。

 SA内の木陰にテーブルとベンチを見つけ早速昼食です。


 同行の友人が携えてきたおおきなバスケットを開けると、、、、そうです、手作り弁当のお披露目です、竹皮に包んだおにぎりは何年振りでしょうか。
 くわえて天候に恵まれた青い空と新緑、そしてさわやかな薫風も伴ってまたとない至福の時間です。


 そして西側には常念岳をはじめ2000mを超える北アルプスの山々がまだ雪を頂いて連なっていました。


 今回の小旅行はこれといった目的があったわけではなかったのですが、直前に親しい友人から道祖神のことを聞き、穂高駅周辺を散策することにしました。

 道祖神は、厄災の侵入防止や子孫繁栄、旅の安全等を祈願するために村の境界やの辻などに石碑や石像の形態祀られる神様なのです。
 とりわけ安曇野市には約400体の石像道祖神があり、市町村単位での数が日本一であるとか、、、、 

 左案内図の穂高駅を始点とし、水色の破線を右回りに穂高神社まで散策しました、図上番号の赤丸は道祖神に出会った場所です。


 街中には写真のような面白そうなお店がありましたが日曜日の午後にもかかわらず閑散としていました、ゴールデン・ウィークのあとだったからでしょうか。

 JR大糸線のこの穂高駅はなかなかおしゃれに造ってありますが、列車はほぼ1時間に一本です。
 駅舎の近くにあった子孫繁栄を願う双体像です。

 ②の道祖神は丸山菓子舗の側にありました。本来はここで名物の水饅頭を味わうつもりでしたが、残念ながら既に売切れ!!!

 でもここには3体も祀られています、左は双体像、中央は庚申塔そして右は二十三夜塔です。

 庚申塔は道祖神ではありませんが庚申講を3年間(18回)続けた記念に建てられたものです。
 庚申講とは庚(かのえ)申(さる)の日に、人間の身体から三匹の虫が抜け出して人間の悪行を神様に告げ口するのを、皆が集まって徹夜をして妨げた講だそうで、もちろん夜っぴて宴会をしていたのでしょう。この三匹の虫は「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿に見立てられており、猿田彦を通じてこの猿が路を守ることから庚申塔が道祖神と同じ場所に設置される事が多かったようです。

 二十三夜塔庚申講と同様民間信仰のひとつ、月を信仰の対象した「二十三夜講」を行い、その記念や供養のあかしとして建てられたものです。

 また二十三夜講とは「下弦の月」で、月が出る時間がほぼ午前0時である二十三夜仲間が集まり、飲食をし、お経などを唱えて勢至菩薩にみたてた月を拝み、悪霊を追い払うという月待行事のことです。






 街中を歩いていると面白い街路灯を目にしました、右側はワサビでしょうが、左側はなんでしょう?

 右写真は道祖神③です。
 道路に面した個人のお宅の庭にありました、花々できれいにしてもらって双体像もしあわせそうです。






 左写真は道祖神②と③の間で見かけた「あづみ野バザール若松屋」です、安曇野出身の自由民権家「松沢求策」の築120年越えの生家を利用した雑貨屋・喫茶店です。店内は無国籍、無時間、無ジャンルでなんとも不思議なお店でした。

 左写真は道祖神④にあった石塔で左は道祖神と彫ってありますが、右奥は「商人中」と読めます、調べてみましたがわかりませんでした。

 右写真の道祖神⑤はかなり新しいもののように見受けました、観光用?



 穂高神社の表参道からの入口です。
 穂高神社はこの地の本宮(里宮)のほか、上高地奥宮奥穂高岳山頂に嶺宮があることから、「日本アルプスの総鎮守」の通称があるそうで、厳かな雰囲気です












 左は境内にある大きな欅の木です。これには昭和45年に川端康成、東山魁夷、井上靖の3巨匠が揃ってご夫妻で参拝された折に大絶賛されたと言う逸話があり、のちに井上靖が短編小説「欅の木」でモデルにしたとか、、、




 境内には「塩の道道祖神」と称して多くの道祖神や石塔が集められていました。(右写真)
 流石にここは道祖神それも双体像が多いようでした。
























 極めつけは左写真にあるステンレス製の巨大道祖神?で、ここにはしっかりと賽銭箱が置かれていました。








 少し早めにホテルに向かいましたが、途中で見かけた道祖神です、中央には恵比寿様と大黒様が並び、ご本尊様は申し訳なさげに脇におわしました。

 今回はたまたま道祖神や石塔に出会うことができました(多くは観光用)、今ではいろいろな理由から本来の姿を見ることはむつかしいとは思いますが、ゆっくりとあるがままの姿を拝見したいものです。

2017年5月6日土曜日

急ぎのミシン修理

 連休の真っ只中、ミシンの修理が持ち込まれました。
 左写真はキャリング・カバーをつけた状態ですが、とても40年以上も前のものとは思えないほどすばらしいデザインです。そして持ち上げるとずっしりと重く、まさにミシンの名の由来であるマシーン( machine )の質感そのものです。





 右上には「SINGER」とあります。もともとシンガー社(Singer Corporation)は、19世紀の半ばに設立されたアメリカのミシン製造会社で、日本では戦前に日本製鋼所と合弁で設立されたシンガー日鋼(株)(現在は解散して別会社)が製造・販売しており、持ち込まれたミシンに前述した感想を持ったのも納得できました。







 右上写真はアンティーク・ミシンとして人気の SINGER ミシン、左上は持ち込まれたミシンの「使用の手引き」冊子にあるシンガー日鋼の表示です。

 キャリング・カバーを取り去ると右写真のような本体が現れましたが、そのデザインの洗練さに再度驚きです。アルミ・ダイカスト?をベースに樹脂パネルで全体を覆う構造になっています。使いやすさ、機能性、安全性、耐久性などが凝縮されているのがわかります。
 モデル名は「mon ani Lune」とありました。

 ところで不具合は?ときいてみると、、、縫いのピッチがまったくコントロールできない、、、とのことでした。

 たしかに、左写真のピッチ・コントロールレバーを動かしてみましたが少し手ごたえが無いようで、内部のリンク機構(この時代はまだ電子制御ではない、、、)がおかしくなっているのではないかと見当をつけました。

 さっそくカバーをはずしての分解にとりかかりましたが、これが思った以上に大仕事でした。
 よく考えられた家庭用耐久消費財だけあって簡単には分解できません。まるで寄木細工のカラクリ箱を開けるようでうまく隠されたビスを探し、時には正しい分解順序に戻るために再度組み立てたり、また時には力任せ?でようやく内部が点検できるようになりました。

 右上写真ははずした部品と何種類かのビスです。今回は急いでいたので分解過程をデジカメで記録せず、あとで後悔しましたが、このひと手間は必須です。

 左写真中、①は前述のピッチ・コントロールレバーで、これを左右に動かすことで②の歯車(白い樹脂歯車の奥の少しだけ大きな鉄製の歯車)が回転し、これと噛み合った③の歯車を動かすようになっていました。
 よくチェックしてみると③の歯車と軸が緩んでおり、レバーの動きが伝わっていませんでした。


 六角レンチで③の歯車を右写真のようにしっかり固定し(2箇所)出来上がりです。

 この機会に再度ミシンのメカニズムを観てみましたが、きっと多くの技術者が十分な時間をかけてつくりあげたのでしょう惚れ惚れとするようなすばらしさでした。(左写真)

 ただ今回緩んだネジや組み立て用のネジにロック剤やスプリング・ワッシャーなどを使っていなかったのは何故か?の疑問が残りました。(ユーザーと販売店の修理屋さんが仲良しになるため?)

 右写真が結果の確認です。
 縫い目のピッチは上から中、広、狭となっており無事完了です。

 今回は少し甘く見て、初物なのにあまり深く考えずにいきなり分解を開始しましたが、やはり計画的にデジカメなどで経過を記録しながら進めることが必要だと思いました。

 そういえばかつて新入社員時代のエンジン分解実習のとき余ってしまったビスをこっそりポケットに入れて帰ったやつがいたっけ、、、、