2014年7月27日日曜日

北欧へ (7) オスロからフィヨルド地域へ

 いよいよフィヨルド地区に向けて出発です。
 今日は左図の右下にあるオスロから、ハダンゲルフィヨルドの岸辺にあるホテル、ウーレンスバングまで、一般道・国道7号線を250kmあまりをバスで走破します。
 途中の番号は例によって文中説明の補助です。

 ホテルを出発して王宮の近くに来たとき、その南東にナショナルシアターをみかけました。昨日午後の散策時に立ち寄ればよかったとは、あとの祭りです。①

 左は②で車中から見かけたホビック教会です。




 内陸部に向かってしばらくするとテューリフィヨルド湖が見えてきました。③


 同じく④で湖に注ぐ川の橋を渡るときに湖の奥を観たものです。

 いずれも風のない穏やかな水面に夏の朝の青空がきれいな北欧の景色です。


 走行中にふと道端のガードレールを見て驚きました、支柱が木でできているのです、注意してみるとほとんどそうなっていました。

 確かにガードレールの支柱は車が衝突したとき、衝撃を分散させるために倒れるか、抜けるような設計になっていたと記憶しています。

 それほど強度を必要としないなら、木材でもいいのでしょう、あとは耐久性の問題だけですね。

 ⑤ 出発後約1.5時間して湖畔の小さなレストランの駐車場で小休止です。機会到来とばかりに、さっそくISにチャレンジしました。
 IS(イース)とはノルウェー語でアイスクリームのことです。いろいろなバリエーションがありましたが、とりあえずベーシックなストロベリーで、、、、おいしかった。

 写真で見える湖は二つ目のクロデレン湖です。

 このあたりの道端にはヤナギランの群生が多く見られます、日本では毎夏出かける蓼科高原でよく見られます。確かのこのあたりは緯度でいえば樺太のはるか北、バイカル湖の北なんですね。

 ⑥ のあたりで見かけた巨大なクマさんです。今朝見かけたトラといいこちらの人は巨大動物がお好きなようです。

 でも、ここいらで生息するのは、ホッキョクグマで白いはずなんだけど、、、、


 側面をザックリと削り取られた山が車窓から見えています、おそらく大昔に氷河によって侵食されたのでしょう。⑦


 バスの右手に見えていた川の景色です。

 無風で波もなく、上下対象の景色はきれいというよりも幻想的です。
 






 約3時間で中間地点のゴール(!?)という小さな町に到着です。⑧ ここではスターブ教会を観て、その後昼食です。

 教会に行く道にもヤナギランが咲いていました。奥にキャンプ用のバンガローらしい3角形の小屋が見えます。



 スターブ教会(stavkirke)とは、11世紀にかけて世界に散っていったヴァイキングたちの子孫がキリスト教に帰依し、その後里帰りして建てた木造の、独特の形をした教会をいいます。
 12世紀から14世紀のの間に、1000棟以上が建てられたそうです現在では30棟ほどしか残されていません



「スター」とはノルウェー語で垂直に立った「支柱」意味す。
 塔のように尖った教会の屋根は一面うろこのようなこけら板で覆われていて、屋根の両端にはヴァイキング船の船首船尾ものと同様に、魔よけを意味る龍頭があります。



 教会の構造もヴァイキング船の造りに似ていますし(右)、入口部分や壁、柱に多く見られる彫刻(左)は龍や蛇、北欧神話の架空の動物などがモチーフで、これもヴァイキング時代の装飾にあるもののようです。

 私たちが観たこの教会は、もともとこの地にあったオリジナルがオスロに移転されてしまい、地元の強い要請で復元された新しいものとのことですが、建築技術が残っておらず、復元にはずいぶん苦労したそうです。

 私たちは本物のあるオスロからはるばるこの地へコピーを観にきた、、、、?でもオスロでは、コピーというよりはクローンと呼ぶべき、の教会に入って触ったり、撮影したりはできなかったでしょう。

 足元に白い花の咲いた草花をみつけました。スズランの花のような形をしていますが名は不明です。

 そして昼食の時間になりました。メニューは左からサラダ、魚料理そしてデザートで、これにビール、パン、コーヒーがついていました。

 比較的ゆったりとしたペースのせいか、ツアーメンバー全員、今日まで何事もなく豊かな時間をすごしています。

 左写真はこのレストランの駐車場にあった小屋?ですが、おもしろいのは屋根に土が載せてあり、草を生やしてあることです。
 このような屋根はあちこちで見かけましたが、断熱?または強風対策?よくわかりません。

 たっぷりと時間をかけた昼食を終えて今日の旅程の後半が始まります。

 30分も過ぎると山々にポツリポツリと残雪が見られるようになり、さらに ⑨ までくると右写真のような景色になりました。

 右に見えている山小屋風のレストランには標高1000mとありました。

 さらに進み ⑩ のダム湖で撮影タイムです。

 ここまで来るとすでに森林限界を超え、ハイマツのような小さな植物しか生えていません。

 岸辺にはたくさんのケルンがありましたが、ちなみにこちらではこのような風習はないそうです。

 白い小さな花が咲いていました。つかの間の夏を心ゆくまで楽しんでいるようです。

 ハダンゲルヴィッダ高原(Hardangervidda)にさしかかったようです、バイクでの旅行者でしょうか、かたわらにオートバイがおいてありました。⑪


 ⑫ の地点からはるか右側を見ると、氷河です。
 急いで望遠レンズで狙ってみました、短い時間をモノにした写真が右側です。
 高低差は余りありませんが、先端部のうしろには計り知れないエネルギーがあるのが想像されます。

 しばらくすると分水嶺を越えたようで川の水が前方へ流れて行きます。

 ⑬ で駐車場に入りました。休息をかねて「ヴォーリングの滝」見物です。

 景色が雄大なので、大きさがはっきりしませんが、右上の家と比較してみてください、なんと落差は182mもあるのです。

 滝は3つの部分にSの字状に分かれ、2段目が一番大きく、3段目は2段目の滝つぼにできた池から写真下方に落ちています。
 水煙もまた規模の大きさを誇るように立ち登っています。


 駐車場から遠方の山に氷河の爪あとがみられます。



 道路側の斜面にはお花畑ができていました。
 この地の夏はあっという間に過ぎ去るので、もう秋はそこまで来ているものと思います。



 さらに下って ⑭ まで来るとそこはもうハダンゲルフィヨルドの最奥地です。

  空とU字谷そして海はまさにフィヨルドの風景です。ニュージーランドの南島にあるミルフォードサウンドを思い出していました。


 当然のことながら、ここは海抜0m、外洋からの巨大客船が直接ここまで入ってくるのをまのあたりにした驚きの景色です。
 船名はアイーダ、デンマーク籍のようです。

 ⑮ そして本当のゴールのホテル、ウーレンスバングへ到着です。

 9時間30分かかりました、お疲れ様でした。

2014年7月26日土曜日

北欧へ (6) オスロオペラハウスへの早朝散策

 今回の旅行は当初の心配に反して、北欧に来てからもさいわい順調な日々が続いています。加齢のせいか夜も比較的睡眠をとることができ、朝も予定時間(朝食の1,2時間前)には目覚めることができています。

ネットで見つけた真夏のオペラハウス








 ということで、今朝もオペラハウスにむけて散策をすることにしました。上図のようにそれほど遠くないので30分もあれば足りましょう。


 オペラハウスのような大きな被写体はなかなかいい撮影場所がないので、ネットから引用しました。このシーンだと「海に浮かぶ氷山」というコンセプトがはっきり理解でき、特に海との境界が絶妙な感じです。

 私たちは右上写真の手前スロープを歩いて最上部まで登ろうと思い立ちました。

 上写真はホテル前の電車通りです。昇り始めた陽が駅前ビルの上部を照らしています。

 その反対側(西側)にあるオスロ大聖堂の尖塔も朝日を浴びて輝いています。比較的早朝のせいなのでしょう、人影はまだ疎らです。

 駅に向かって少し歩いて振り返ると、私たちのホテルも光っています。こうしてみるといい場所にあったんですね!








 駅のすぐ西横を南に向かうと、工事中の緑地にある、モニュメント上の二人が日の出を眩しそうにみていました。

 そしてその向こう側にはオペラハウスが見えています、意外と近い感じです。
 
 オペラハウスに到着して、対岸にあるホテルらしい建物を見ています。歴史と文化に裏打ちされた風情はまさに「北欧」ですし、そして今日の晴天を予測するような空の色も、海面に映った影もみな美しいです。



 目を転じて北の方角を見てみました、中央少し左上にホテルが光って見えています。前方白い建物の向こう側が、オスロ中央駅になります。
 また下側に見えているいくつかのパネルは、上演予定のオペラを紹介するパネルです。



 左写真はスロープを登り始めて、中段あたりで下方を見た写真です。見下ろしてみると思ったより勾配が感ぜられますが、白い大理石のブロックの表面は適度に凹凸がつけられ、すべるようなことはありません。
 太陽を真後ろにして影が長く見えています。

 さらに登って、南東の方角を見ています。先方の低い山の方角にムンクのアトリエがあったと昨日聞いたような、、、、





 左写真で、南側の海面に見えるガラスでできた小さな氷山もこのオペラハウスとセットでデザインされているようです。
 




 さらに遠く南方にはオスロ港入口がみえ、右下は先ほど説明した小氷山です。



 そしてスロープの最上部にきました。先端に向かうにつれて、大舞台に望むときの緊張感のようなものを感じました。
 いいデザインは遠くから見ても、その間近にいてもすばらしい。

 ホテルへの帰り際、工事現場で家人が声をあげました。「あ、ムンクがいる!!」なるほど、オスロでは工事用のブロックにもムンクの「叫び」が、、、、

 また再度駅のそばを通りかかると人の背丈ほどもある巨大なブロンズのトラがノッシノッシと闊歩しています。オスロは本当に面白い街です。



 ホテルに帰着し、急ぎ身支度をして朝食に出かけました。
 欧米のホテルによくある建物の中央全体が吹き抜けになっている様式で、右写真のようにガラス張りのエレヴェーターでレストランに向かいます。

 もちろんビュッフェスタイルの朝食ですが、ずいぶんモダンな感じがします。食卓は奥に見えるピンクのナプキンが見えるところです。



 北欧料理では前評判どうりニシンなど魚類の酢漬けがさっぱりして食べやすいと思いましたが、右写真のように何種類ものバリエーションがあり楽しめました。

 他のモノはインターナショナルなお馴染みの味です。

 さて今日はオスロからフィヨルド地域までのバスの旅です。
 今回の旅程の中では、唯一最もハードな一日なのでしっかりと腹ごしらえをして出かけましょう。

2014年7月25日金曜日

海王丸とアメリカ建国200年祭の思い出

 あの練習帆船の海王丸が蒲郡港にやって来ると聞いて出先から都合をつけて観に出かけました。
 
 残念ながら接岸岸壁は立ち入ることができず、少しとおくから全形を眺めるだけにとどまりました。(左写真)

 海王丸は日本の航海練習船であり、大型練習帆船です。現在の海王丸は2代目で、初代は1930年(昭和年)に進水し約半世紀にわたり「海の貴婦人」として親しまれてきました。
富山新港の海王丸パーク恒久的に係留中の
初代海王丸です。(ネットより)

 その後海王丸II世が1989年(平成元年)に改装・大型化して就航しそのあとを引き継いでいますが、ちなみに建造は民間の寄付でなされたそうです。
 
 海王丸II世の主な諸元は、総トン数 2,556トン、船型は「4バーク型帆船」で全長 110.09 m 、全幅 13.8 m 、船楼甲板からのメインマスト高43.5 m あり、総帆数36総面積2760平方メートルです。
 この規模の大型帆船は今では珍しく世界でもあまり多くはありません。


 この海王丸の姉妹船に日本丸があります。
 日本丸も海王丸と同じく初代は1930年(昭和年)に進水し「太平洋の白鳥」などと呼ばれ親しまれてきましたが、1984年(昭和59年)退役しています。

 日本丸は退役間近な1976年に、米国建国200年祭の主要行事である「帆船パレード」(左ポスター)に参加するため老骨に鞭打って太平洋を渡り、ニューヨークまで遠洋航海をしました。

 まさにそのとき私は出張でニューヨークにいたのです。


当時の写真(ネットより)
 そのような歴史的な行事があるとはまったく知らず、現地での大騒ぎでそれと知り、マンハッタンに出かけたのです。

 右に示した、当時の写真にあるように、ハドソン川の岸辺は人々でごった返していました、川の中ほどを帆船が進んでいますが、このように帆船が、次から次へと通り過ぎて行きました。


消火艇の放水アーチのなかを自由の女神
を背景に進むパレード先頭の
イーグル号(米) (ネットより)
 その数は 世界中から集まったToll Ship と呼ばれる大型帆船だけでも21隻で、そのなかに日本丸もいたのです。








 右写真はネットでようやくみつけた日本丸です。

 右手に自由の女神が見えています。川の中にゴミのように見えているのはお祭りを祝っている大小とりどりの船です。


 当日のニューヨークタイムズも見つけました。
 ニューヨークの摩天楼を背に先導する放水アーチとイーグルです。さすがにプロのカメラマンはしっかりと決めています。



 1976年といえばもう38年も昔のことですが、今回海王丸を見て当時のことを昨日のことのように思い出しました。

 懐かしい思い出に浸った蒲郡の夕暮れでした。