2014年7月18日金曜日

北欧へ (3) コペンハーゲン観光

 今日の予定は午前中コペンハーゲン市内観光、昼食後に市外のクロンボー城へでかけ、そして港から大型船に乗って、ノルウェーのオスロに出発することになっています。

 朝の散策から帰って、早速朝食です。例によってバイキング方式ですがバイキングは和製英語で、本来はビュッフェ方式というべきです。(発祥は帝国ホテルです)
 そこで少し変わったものを見つけました、チーズ・カッターです。上のハンドルを回すと棒状のチーズが一定の厚さでカットされるという仕掛けです、面白い!!
 心配していた朝食は果物も多く、まずまずで安心しました。

 コペンハーゲン市は人口50万強の美しい都市です。貿易によって栄えましたが、争いも多く、街全体が濠と城壁で囲まれていたようです。

 図の上方にあるカステレット要塞はその城壁の一部で、その星型はイタリア育ちの中世の要塞の典型的な形をしています。

 この形式は日本にも後年採り入れられ、函館の五稜郭と、長野県佐久龍岡城の二ヶ所があります。


 いよいよバスに乗って出発です。

 まずは上図の左下、ホテルから右上の人魚姫の像までコペンハーゲンの街を時計周りにすすみます。
 途中左写真に見られるような工事があちこちで見られました。この町の歴史は古く、例外なく工事中に遺跡・遺構を掘り当てることになるので、その都度調査が必要になるために工期が長引いて、、、、とは現地ガイドさん。


 上図に午前中、市内観光で回った町の中心部を示しておきました。数字は写真の撮影ポイントの説明のために入れておきました。図のそれぞれに縮尺を入れておきましたが、それほど広い街でもなく、3~4日あれば十分に観光できそうですが、そんな優雅な旅をしてみたい気もします。

 左は、途中幸運にもバスから見た古い城壁の遺構です、今ではなかなか見られないとか、、、、

 右はクリスチャン4世が建てたという旧海軍宿舎で、記念構築物に指定されています。独特の黄色が朝日に映えています。①

 上図左上の赤線はバスの進路を示します。カステレット要塞まで往き、そこからは徒歩(緑線)になります。まだ朝の9時とはいえ日差しは強いです。200mほど歩いてほぼ等身大の人魚姫の像とご対面です。②
 足元、いや足ひれ元にはお定まりの白鳥がいます。(コブハクチョウですよ!)

 そういえば、世界三大ガッカリというのを思い出しました、人魚姫の像、ブリュッセルの小便小僧シンガポールのマーライオンだそうです。前評判の割に小規模で期待を裏切られという意味らしいですが、判る気がします。 



 人魚姫の像を観てそこから徒歩でしばらく南下すると対岸の③に白いスマートな船体が見えました、女王陛下のヨットです。


 さらに南下するとカステレット要塞の星型の先端部がよく見える地点に来ました、④です。より低く構築するというコンセプトがよくわかりますが、新しく出現した、臼砲の頭上からの攻撃にはなるほど脆弱です。

 ⑤の地点からは聖アルバン英国国教会の尖塔と、その左下のゲフィオンの泉が見えてきました。


 

 この象は近くで見ると恐ろしいほどの迫力に満ちています。
 北欧神話の世界ですが、「スウェーデン王から『一晩でとれるだけの土地を授けると約束された女神ゲフィオンは、彼女4人の息子を牛に変え、土地を引っ張らせてスウェーデンからこの地、シュラン島を手に入れることができた。」というのです。領土争いの深刻さをも表現しています。

 次いで、それほど距離はありませんが、時間を惜しんでバスでアマリエンボー宮殿に向かいます。

 ⑦地点から東方の対岸を見ると特徴ある建物が目に入ります。オペラハウスです。⑧(左)

 その反対側⑨はアマリエンボー宮殿です。


 遠方にあるドームはマーブル・チャーチで、宮殿はその手前、八角形の広場の周囲に配されている、4つのロココ様式の建物から成っています。
 その広場中央にある、この宮殿を造営したフレデリク5世の騎馬像も小さく見えています。

 この宮殿は1794年に王宮(クリスチャンスボー宮殿)が焼失したため、買い取って新たに王宮としたもので、現在にいたるまでデンマーク王室の王宮として使われています。

 右の写真の建物(宮殿)が8角形の斜辺の部分に配置されています。縦横は道路(スペース)で右上写真の手前からマーブルチャーチが見通せています。要所には例によって衛兵が立ってはいますが、市民(観光客も)はこの宮殿に自由に立ち入ることができます。



 さらにバスで⑩まで移動しました、ニューハウンです。

  ニューハウン(新たな港という意味)は、幅30~40m、長さ400mの掘削によって作られた小さな港で、左写真は海側の橋の上から港の奥を見た景色です。

 私たちはこの右側を散策しながらストロイエに向かいました。図参照

 立ち並ぶ店々はほとんどがレストランやカフェで店の前にはたくさんの椅子やテーブルが並べてありました。⑪
 右写真はビール・サーバーのコックで、様々なビールの銘柄を示した取っ手が面白いです。

 しばらく街並みを楽しみながら歩くとストロイエに入ってきました。⑫
  ストロイエとは、デンマーク語で「歩くこと」という意味でいわゆる歩行者天国です。通りの両側には多くのショップやカフェ、レストランはじめ、世界的なブランドショップも数多くあります。また大道芸人も名物だそうですが、時間がはやいのか見当たりません。

 右上はコウノトリの泉(中央に小さく写っています)がある広場⑬で、ふり返って左奥の歩いてきた方向を確認したところです。
 さらにこの道をすすむと昨夜散策した市庁舎広場にたどり着きます。

 左写真⑭は中央がロイヤルコペンハーゲン、右側がジョージジェンセンのお店ですがどちらもここが本場、、、、



 昼食後、コペンハーゲンの北方30kmにあるクロンボー城に出かけました。

 往路は海岸に沿った道路を景色を楽しみながらすすみ、クロンボー城観光後は図中茶色の線で示された高速道路で再度コペンハーゲンに戻り、大型船で一晩かけてノルウェーのオスロに向かいます。

 クロンボー城は15世紀にエーレスンド(Öresund)海峡通行税の徴収拠点として造られたということですが、対岸スウェーデンの町ヘルシンボリとはわずか7kmしかないことからも肯けます。(小さな砲台があれば海峡は制圧できる)

 一時は王宮としても考えられたようですが、スウェーデンとの戦争で落城・焼失したり、クーデターなどもあって歴史的価値より観光資源としての意味が大きいように見受けられました。

 途中で見かけた巨大なビール瓶です。

 

  最寄のヘルシンゲルの港からクロンボー城が前方に見えました。すぐ左側にはヘルシンゲル駅があります。
 今日も幸い晴天で日差しは暑いくらいです。

 入城する前に大きな金属製のレリーフを見ているところです。

 このお城も後年改装されて星型要塞となっているのがわかりますが、お城の古いイメージと近代要塞の同居が何かミスマッチな感じがします。



 大砲とお城と観光客である意味平和な風景です。

 この種の大砲に対して星型要塞は十分に機能したでしょう。

 もっともこの大砲は刻印からレプリカとわかりましたし、砲身はセメントでふさがれていました。

 左はシェークスピアのレリーフの前でこのお城との関係を説明する現地ガイドさんです。

 このおシェイクスピアの戯曲『ハムレット』の舞台として有名ですが、シェイクスピア自身がこの城を訪れたことはないそうです。毎年夏には城の中庭演劇が上演されるそうです。

 右・左写真はお城の内部です。
 なかなかきれいに整備されていました。




 1920年代までの約140年間デンマーク軍の基地として使用れていたということでなんとなく優雅さにかける感じです。




 時間が足りなくなったとかで、途中から急ぎ足で観光を終え、いよいよクロンボー城ともお別れです。
 大砲がずらりと並んでお見送り??

 ちなみに燕尾のデンマーク国旗(女王と海軍が使用)は海軍旗です。


 復路は高速道路なのでほどなくコペンハーゲンの港に着きました。遠くのほうに大きな船が見えています。

 私たちが乗船する、クラウン・シーウェイズです。この11階建て?のは1994年に建造されたクルーズフェリーと呼ばれるもので、コペンハーゲン-オスロ間を姉妹船パール・シーウェイと交互に結びます。

 総トン数は35498トン、船長170.6mで1940人の乗客と450台の車を運ぶことができます。ちなみにこの船は2013年1月まではクラウン・オブ・スカンジナビアと呼ばれていました。

 さあいよいよ乗船です。最上階が11階ということはちょっとしたビルディング並みです。ただし船室はシーウェイズ・クラス(並)で寝台列車の客室のようですが海側というのがせめてもの、、、、といったところでしょう。

 午後4時30分、出港の時間ということで、上部デッキに上がってみました。ここからの景色はまさにビルの屋上です。鈍い汽笛らしい音とともに静かに動き始めました。注意して陸の景色を見ていないと動いているのがわからないほどです。

 マストに翻っているデンマーク国旗が澄み切った青空の中で一段と鮮やかです。



 夕食時、窓の外を見るとはるか遠くにクロンボー城が見えていました。
 この地点が先に述べたエーレスンド(Öresund)海峡の巾7kmという最も狭いところなのでしょう。

 これでいよいよデンマークともお別れで、明日の朝目覚めたら、ノルウェーのオスロです。

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