2019年9月8日日曜日

ライカ (LEICA IIIf) 救出

 先月の末、久しぶりにカメラ屋さんに出かけてきました、と言ってもついでに立ち寄ったというべきでしょう。

 カメラ屋さんではありますが、今はデジカメプリントが主で、カメラの販売スペースはずいぶん狭くなりました。
 私のお目当てはさらに狭いスペースにある中古カメラゾーンですが、ここには時々掘り出し物が並びますので覗いてみる楽しみがあります。

 この日もハッセルブラッドのプロシェードやプリズムファインダーなど心惹かれるものがありましたが、、、我慢です。と、その奥にじっとこちらを見ているものがありました、それが冒頭写真のライカ(LEICA IIIf)でした。値札をチラと見ると¥35kをありましたので、まあそんなものかな、、、と帰りかけましたが、何かがおかしいのです。値札の最後の0が一つ少ないのです、¥3.5k!!!

 このライカ(LEICA IIIf)は開発者のオスカー・バルナック氏にちなんで、「バルナックライカ」または「バルナック型」と呼ばれます。これは氏がドイツの名門「カール・ツァイス」から「エルンスト・ライツ(現ライカ)」に転職し、1914ライカ24×36mmカメラを試作し、1955年ごろに新しいモデルのMシリーズが出るまで続いた伝説の名品なのです。

 さっそく手にとってチェックしました。巻き上げは少し硬いもののシャッターは切れます。ファインダーはまあまあ、距離計の2重像はダメでした。スプールも入っているし、大きな問題はありません。

 店員いわく、修理にお金がかかりすぎるので、AS-ISで飾り物にでもして頂くつもりの値付けです、とか。これは飾り物としても破格の安値です、勿論連れ帰りました。






 不具合箇所が分かっているので、さっそく分解整備にかかります。ほとんどがネジで固定されていますので、小さなマイナスドライバーで分解できますが、スペシャルツールを使うと便利な場所もあります。

 右はトップカバーを外したときに内部のボデーに刻印してあるシリアルナンバーをチェックしているところです。(ナンバーの一部は隠してあります)

 この番号の一致で先ずは一安心です。ライツ社はこの番号を管理していますので、さっそく資料を調べてみました。それによれば、このライカは1951~1952に造られたIIIf型であるとされていました。
 また、トップカバーのシンクロメモリが黒色で刻印されており、セルフタイマーも付いていません。

 こんな感じでどんどん分解していきます。










 このカメラが造られた1951年と言えば戦後復興に注力していた時期ですが、世界で珍重されたこのライカが外貨獲得に一役買ったのは間違いありません。

 




 左写真に見られる、ファインダー用のプリズムを観ても、造りの良さにほれぼれするほど技術は優れており、その時点ではまだ日本のメーカーは足元にも及ばない時期だったと思います。




 布でできた、シャッター幕を透かして見ると、コーティングされたゴムが剥がれ落ち、すだれ状になっています。70年の歳月がしのばれます。



 シャッターのリボンはまだ健在でしたので、幕のみ手持ちの新しいものに取り換えました。

 左下にシャッター幕の新旧をあげておきます。











 距離計のハーフミラーは、表面に蒸着した金属が見事に劣化していました、これではまともに2重像は観られません。

 このミラーは約7x9mmの小さなものです、手持ちのハーフミラーからガラス切りで切り出しましたが、小さいがゆえに結構難しい作業でした。

 ことのついでにスローシャッター用のガバナーも取り出して、清掃しておきました、ジーッという作動音も何か懐かしい感じがします。



 最後に整備後のボディーにお定まりのレンズである、沈胴エルマー、f=5.0cm 1:3.5を装着した晴れ姿を掲げました。

 これでまた1台仲間が増えてしまいましたが、久しぶりのカメラいじりに至福の時を過ごし、絶滅保護種が救出できたことに満足しています。