2023年1月31日火曜日

またまたパソコンの蘇生

 たまたパソコン蘇生お話です。
 新しい年になってしばらくしてから左写真のパソコンがやってきました。「もう10年ちかくにもなるし、遅くてとても使えないから処分して、、、」とのこと。

 さっそく立ち上げてみましたが、確かに超スローモーで、次の画面が現れるまで,一昔前なら「ちょっと一服」するほど時間がかかります。
 この手の現象にはよく出くわしますが、能力の低いCPU と大容量のハードディスクの組み合わせに加えて、やたら多くのソフトを搭載したマシンによくあるようです。

 スペックを調べてみました。パソコン名は NEC LaVie S(LS150NEW)で、201310 発売でした。
 
CPU :Intel Celeron 1005M、HDD750GB、15.6型ワイド液晶、OSWindows8.1(Windows10にUpgrade)、Office Home and Business 2013搭載 そしてカラー:エクストラホワイト でありました。

 話を聞いてみると量販店で購入したようで、安価で見栄えもよく、ストレージ(HDD)も大きく、至れり尽くせりのソフト満載、、、、思ったとうりでした。

 ここでひと思案、、、よく知っているワン・ユーザが丁寧に使ったパソコンで、エクストラホワイトのボディは美しい、かつWindows10にUpgradeしてあり、Officeも搭載、、、を考慮して、普段使いできるように、できるだけ安価にという条件で手を入れることにしました。

 私が普段やっている方法のうちで今回も実施することは、
 1. HDD の SSD 化
 2. メモリの増設(もともと4GBを8GBへ)
 3. CPUの上位換装(本機搭載の Intel Celeron 1005M は右表で最下位に近い性能、本来は Core i7 にしたいところですが、バランスよく Core i5-3210M で我慢)
 4. 不必要なソフトは極力削除
です。

 この機種は、ハード部品のメインテナンス性が良く、左写真に示した本機裏側にある2枚のカバーをそれぞれ、左下2本(HDD)、右側5本(メモリ、CPU)のねじを外すことで容易に部品を交換できます。

 真っ先にやるべきことは現状HDDのクローンを作成することです。現状HDD(750㎇)はさいわいWesternDigital製でしたので、クローン・ソフトにフリーの Acronis True Image WD Edition を使うことが出来ました。(詳細はネット記事参照) 結果、750GBのHDDを180GBのSSDに交換することが出来ました。(もとのHDDの使用領域は180GB以下だったから)

 予め、バッテリーと電源コードは外しておきます。  右写真は上写真の右側カバーを外したところです。
 先ずはメモリの増設です。










 用意したメモリ(上写真4GB)は上右写真のメモリとある場所にインストールされています。

 左写真はBIOSでシステムを読みだしたものですが、メモリは8192MB(8.192GB)となっており、CPUが
Intel Celeron 1005M のままであることがわかります。
 右上写真中のCPUとある部分に見えているのは、放熱器なので、注意して赤丸で示したネジ4本と、その右にあるシロッコファンのネジ
1ヶ所(他の裏ブタとの兼用ネジはすでに外れている)を外すと左写真のようにCPUが現れます。CPUは写真上部の黒いネジをマイナス・ドライバーで左に回すとソケットが緩み、右に回すと締まります。(このあたりは非常に繊細な作業なので初心者は手を触れないように、、、)

 写真はすでにCPUを差し替えた後のもので(同じ形をしている)、チップの表面には熱伝導をよくするための白い熱伝導性グリースが塗ってあります。

 同様にBIOSをチェックしてみると、
CPUもIntel Core i5-3210M に換わっていることがわかります。

 右写真は、
前出写真に示した本機裏側の左下にあるHDDのカバーを外したものですが、これもHDDに代わりすでにSSDがセットしてあります。

 以上でハード的な作業は完了です。

 あとはインストールしてあるソフトの整理とアカウントの変更です。これらの作業は、ハード部品の交換などより多くの時間を必要としますので、慎重にゆっくりと作業することです。

 アカウントの変更と前の所有者のアカウント削除、パソコン名の変更などで個人情報など過去の痕跡はなくなりました。

 ディスプレイのサイズが標準より少し小さい欠点はありますが、セカンドPCとして十分に使えると思います、というかあちこち触って十分楽しんだ!!!というのが本音???

2023年1月16日月曜日

新春の山城(大給城)

  あけましておめでとうございます、今年もよろしくお願いいたします。今年のお正月は暖かい晴天続きでゆっくりとくつろぐことが出来ました。

 偶々1月3日に、NHK-TVであなたも絶対行きたくなる!日本「最強の城」スペシャル13弾 徳川家康ゆかりの城】を放映していたのを観ました。
 いつもならば寒さに縮こまっているのですが、この暖かさ、カエルでなくともどこかへ出かけたくなります、、、ということで1月5日に前述の番組で紹介された、大給城(おぎゅうと読む!)へ出かけてきました。

 愛知県豊田市松平町にある「松平氏館跡、松平城跡、大給城、高月院」の4カ所が「松平氏遺跡」として、平成12年(2000)に国の史跡に指定されているとのことです。

 ところが地図で見当をつけたのですが、近くまで来ているはずが、全くわかりません、最後の手段として、近くの家で恐る恐る路を尋ねました。 幸い気持ちよく教えていただき感謝です。地蔵さんに突き当たって右へ、、、あった!!これこれ、、、

 幸い比較的早い時間だったので、駐車も道路わきにできましたが、本来の駐車場なる場所は4~5台くらいのスペースしかなく、見学の車が増えてきたら大変そうです。

 車を降りてからは親切な案内標識があちらこちらにありました。その一つに、、、











 既述のTV番組が1月7日に再放送される旨の案内ビラが貼ってありました。




 山の頂上につくられた山城だけあって、ここからはどんどん登っていきます。













 尾根と思しき所で、大給城址とは反対側に、大給松平家の祖である松平乗元の墓所がありました。多くの大きな石を使ったこの山頂の墓所は場所が場所だけに思い入れを感じます。

 ここで家康から見た松平家の系譜をたどってみます。右下の徳川家を興した家康の高祖父である松平長親の兄が
松平乗元で、いわゆる大給松平氏の祖となります。

 大給(おぎゅう)とは読んで字のごとく、おおいにたまわるという意味で縁起も良さそうです。この大給松平家は江戸時代には譜代大名家を輩出しており、なかなかの名家です。

 ことのついでにさらに遡って見ていくと、松平家の祖は松平親氏であることがわかります。
 これらの家系図は江戸時代に編纂されたものなのですが、未だに詳細は不明だとか、、、確かなのは三河の山中の出自で、子宝に恵まれた家系だということです。ちなみにさらに遡った部分は、家康が征夷大将軍の位を受けるため清和源氏の血筋をアピールする常套句?であって、別途細部をも見ると足利氏も系譜に含まれていました。

 右図は途中にあった大給城址の縄張り図です、かつての時代にしてはずいぶん大きく立派であったと思われます。でも
 1590年に家康が関東へ国替えになったのに伴って、時の城主6代家乗も上野の国(群馬県)へ移ったため廃城となっていまに至っているとのこと。廃城となって430年、時間の長さを感じることが出来ます。
















 どうでしょうか、土井晩翠の詩「荒城月」の城のモデルは仙台市の青葉城や、会津若松市の鶴ヶ城で、作曲の滝廉太郎がイメージしたのは大分県竹田市の岡城とされていますが、どれも廃城になったのは明治以降なので、大給城が感じさせてくれるものは、、、、


 そして、標高204mの物見岩からの眺望です、、、


 この季節にしては暖かい陽に誘い出されて、三河の地にやってきました。

 せっかくの家康ブームに乗っかって、往時を偲んでみました。
 TVドラマは少し漫画チックで、なにか時代考証も変に感じられますが、思いめぐらせてみれば我々も吉川英治の「新書太閤記」や山岡荘八の「徳川家康」というフィルターを通して感じているにすぎません。
 そんな私たちを大給城址はどんな思いで観てくれているのでしょうか。この古城址は悠久の自然を感じさせてくれました。

ということで、ちょうどお昼になりました。
 この地方の名物、おおきな五平餅のソバ定食です。
 いつもならば木曜日は定休日なのですが、お正月なので特別に営業しています、、、とのこと、ラッキー、、、おいしかった!!!