2023年1月16日月曜日

新春の山城(大給城)

  あけましておめでとうございます、今年もよろしくお願いいたします。今年のお正月は暖かい晴天続きでゆっくりとくつろぐことが出来ました。

 偶々1月3日に、NHK-TVであなたも絶対行きたくなる!日本「最強の城」スペシャル13弾 徳川家康ゆかりの城】を放映していたのを観ました。
 いつもならば寒さに縮こまっているのですが、この暖かさ、カエルでなくともどこかへ出かけたくなります、、、ということで1月5日に前述の番組で紹介された、大給城(おぎゅうと読む!)へ出かけてきました。

 愛知県豊田市松平町にある「松平氏館跡、松平城跡、大給城、高月院」の4カ所が「松平氏遺跡」として、平成12年(2000)に国の史跡に指定されているとのことです。

 ところが地図で見当をつけたのですが、近くまで来ているはずが、全くわかりません、最後の手段として、近くの家で恐る恐る路を尋ねました。 幸い気持ちよく教えていただき感謝です。地蔵さんに突き当たって右へ、、、あった!!これこれ、、、

 幸い比較的早い時間だったので、駐車も道路わきにできましたが、本来の駐車場なる場所は4~5台くらいのスペースしかなく、見学の車が増えてきたら大変そうです。

 車を降りてからは親切な案内標識があちらこちらにありました。その一つに、、、











 既述のTV番組が1月7日に再放送される旨の案内ビラが貼ってありました。




 山の頂上につくられた山城だけあって、ここからはどんどん登っていきます。













 尾根と思しき所で、大給城址とは反対側に、大給松平家の祖である松平乗元の墓所がありました。多くの大きな石を使ったこの山頂の墓所は場所が場所だけに思い入れを感じます。

 ここで家康から見た松平家の系譜をたどってみます。右下の徳川家を興した家康の高祖父である松平長親の兄が
松平乗元で、いわゆる大給松平氏の祖となります。

 大給(おぎゅう)とは読んで字のごとく、おおいにたまわるという意味で縁起も良さそうです。この大給松平家は江戸時代には譜代大名家を輩出しており、なかなかの名家です。

 ことのついでにさらに遡って見ていくと、松平家の祖は松平親氏であることがわかります。
 これらの家系図は江戸時代に編纂されたものなのですが、未だに詳細は不明だとか、、、確かなのは三河の山中の出自で、子宝に恵まれた家系だということです。ちなみにさらに遡った部分は、家康が征夷大将軍の位を受けるため清和源氏の血筋をアピールする常套句?であって、別途細部をも見ると足利氏も系譜に含まれていました。

 右図は途中にあった大給城址の縄張り図です、かつての時代にしてはずいぶん大きく立派であったと思われます。でも
 1590年に家康が関東へ国替えになったのに伴って、時の城主6代家乗も上野の国(群馬県)へ移ったため廃城となっていまに至っているとのこと。廃城となって430年、時間の長さを感じることが出来ます。
















 どうでしょうか、土井晩翠の詩「荒城月」の城のモデルは仙台市の青葉城や、会津若松市の鶴ヶ城で、作曲の滝廉太郎がイメージしたのは大分県竹田市の岡城とされていますが、どれも廃城になったのは明治以降なので、大給城が感じさせてくれるものは、、、、


 そして、標高204mの物見岩からの眺望です、、、


 この季節にしては暖かい陽に誘い出されて、三河の地にやってきました。

 せっかくの家康ブームに乗っかって、往時を偲んでみました。
 TVドラマは少し漫画チックで、なにか時代考証も変に感じられますが、思いめぐらせてみれば我々も吉川英治の「新書太閤記」や山岡荘八の「徳川家康」というフィルターを通して感じているにすぎません。
 そんな私たちを大給城址はどんな思いで観てくれているのでしょうか。この古城址は悠久の自然を感じさせてくれました。

ということで、ちょうどお昼になりました。
 この地方の名物、おおきな五平餅のソバ定食です。
 いつもならば木曜日は定休日なのですが、お正月なので特別に営業しています、、、とのこと、ラッキー、、、おいしかった!!!

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