2012年9月30日日曜日

ひさしぶりにオペラ (トスカ Tosca) に行きました。


 ひさしぶりにオペラ(トスカ Tosca)にでかけました。
 家人の記憶によれば、先回トスカを観たのは2003年のことだそうで、もう9年も前の事です。

 このオペラはご存知イタリアの作曲家ジャコモ・プッチーニ(Giacomo Puccini)」によるもので、初演は1900年1月とされており、まさに110年も前の作品ではありますが、今になってもそのすばらしさは増すばかりで、プッチーニの代表作と言えると思います。





 上は今回のトスカのポスターの一部です。

 110年前の初演時に使われたポスター(右)(トスカが刺し殺してしまった警視総監スカルピアを弔っているシーンです、、、第3幕)とスコアの表紙(下)をネットで見つけましたのでアップしておきます。まさに時は「アール・ヌーボー」真っ盛りといったティストでなかなかです。







 また初演の時のフローリア・トスカの衣装スケッチもありましたが、今回の衣装もこれに近いものでした。(右下)



 物語はよく知られていますので省略しますが、一口で言えば、画家カヴァラドッシと、その恋人で有名歌手トスカの物語で。画家は脱獄した政治囚の逃亡を助けたために死刑宣告されますトスカは、彼を救おうと彼女に言い寄る悪警視総監スカルピアを殺してしまいますが、スカルピア」があらかじめ仕組んだ計略でカヴァラドッシは処刑され、トスカまた彼の後を追って自殺する、、、、というものです
 このオペラにも御多分に洩れず、すばらしいアリアがあります。なかでも第2幕でトスカが歌う「歌に生き、恋に生き」第3幕でマリオ・カヴァラドッシ「星は光りぬ」は有名です。

 そして前者の「歌に生き、恋に生き」何と言ってもマリア・カラスでしょう。また後者の「星は光りぬ」プラシド・ドミンゴで決まりです。さいわいマリア・カラス1950の録音(おそらくSPレコードからのディジタル版)が手元にありましたし、プラシド・ドミンゴも、、、、

 今回は、ウイーンの森、バーデン市劇場の公演で、出演者はこの日本公演のため、「オーディションで7人を採用した」とありました。

なかでもフローリア・トスカFloria Tosca(ソプラノ)役の、セシリア・ベルグルンドCecilia Berglund(左)

 バローネ・スカルピアBarone Scarpia(バリトン)役の、アンドゥリイ・シュクルファンAndrij Skhurhan(右)はすばらしいと思いました。
 とりわけ「アンドゥリイ・シュクルファン」は事実上の主役かつ悪役である「スカルピア」を声はもちろん、役も実にうまくこなしていました。

 今回の会場はすこし小さ目(とはいっても千人収容)で、スケール感というよりも出演者の内面的な演技に近寄れたのか、今までに無い興奮と感激をもらうことが出来たすばらしい舞台でした。 というわけで、これはもうイタリアンレストランへディナーに行くしかないでしょう、、、、、

2012年9月19日水曜日

AVRによるAD9850_DDSユニットのキーパッド制御


 私の好きな「電子工作」も、スイス旅行とこの夏の暑さでエネルギーを使い果たしてしまい、実験ノートの日付を見たら二ヶ月近くブランクが出来ていました。
 そこで、リハビリと言っては大げさですが、DDS制御の簡単な実験をしてみました。

 DDSとはDirect Digital Synthesizerの略称でデジタルデーターを与えるとその設定値の周波数をサイン波で出力するICチップです。特にAD社Analog Devices)のAD98xxシリーズのチップは我々アマチュアにとって一般的で、手元に「AD9834」「AD9851」があり以前にもすこし実験しています。

このシリーズのICチップ「AD9850」を使用した、中国製のDDSユニット(写真左)が大変廉価に出回っているのは同好の士なら常識とするところですが、今回は私もこれを入手して、前に紹介した「Arduino IDE」で開発したプログラムを載せた「AVR( Atmega328)」で制御してみました。

 前述のように、任意の周波数出力を得るにはデジタルデーターをDDSユニットへ、マイクロコントロール・チップ 「AVR( Atmega328)」 経由で送らねばなりません。いわゆるユーザーインターフェースです。

ここに、プッシュボタンやロータリーエンコーダなどシステム設計者の腕の見せ所があります。

 そこで以前から試してみたかったキーパッド(key pad)に思い当たりました。利用するのは「玩具箱」から探し出してきた、古い電話機用のキーパッドです。(写真右)

 写真で見られるように12個のキーがありますが、結線図に示すように、それぞれのキーは縦3本、横4本のどれかの交点にあり、コンピュータ(AVR)が7本の線をスキャンしチェックすることで7本の線で12個のスイッチのどれが押されたかを知ることが出来ます。

 さいわいこの動作はarduinoのホームページからライブラリをダウンロードする事で簡単に実現できました。

 配線図をおこすまでも無いので、ピン接続を参考までにアップしておきます。
 ArduinoとAtmega328のピンは同じもので、呼び方のみ違います。

 DDSユニットは信号線は4本だけですが、当然電源ピン、GNDピン(それぞれ2ヶ所)は接続してください。また ピン17(D2)もGNDに落としておく事を忘れないでください。

 LCDは液晶パネルの事です。



左に全体を接続した写真を示します。








 早速電源を入れ、キーパッドで数字を打ち込んでいくと、電卓のようにLCDの上側に、打ち込んでいく都度数字が表示されます。
 右上の写真は 10000000 、すなわち10MHzを打ち込んだところで、次にキーパッドの右下の”#”を打ち込むと確定した数字がLCDの下側に移り、DDSユニットから10MHzのサインウエーブが出力されます。

 出力を直接ディジタルオシロでチェックしてみたのが右の写真です。さらに次々といろいろ周波数を変えてみましたが、的確に反応してくれました。

 まずはスケルトンの完成ですので、さらに構想をねりあげて、いろいろなユーティリティーをつけたり、回路的にはLPFなども検討していきたいと思います。
 久方ぶりの電子工作が出来てすこし満足の気分です。

    でも相変わらず暑いな、、、、、、

2012年9月16日日曜日

妻籠・桃介橋へドライブ


 毎日の暑さに耐えかねて、少しでも涼しいところに行こうということで、妻籠・桃介橋へドライブに出かけました。暑さしのぎというよりは、気分転換といったほうがあたっています。妻籠・桃介橋はともに国道19号線を北上し、岐阜県から長野県に入ったところにある、木曽郡南木曾町にあります。
 また、「夜明け前」の島崎藤村でも有名な馬籠は妻籠とは馬籠峠で隔てられた(山道で約8km)隣同士の宿場です。

 妻籠宿からすこしだけ山手に上がったところに「妻籠小学校」があります。ここは映画「キツツキと雨」沖田修一監督 主演 役所広司 小栗旬)で使われた場所です。
 開校は明治6年(1873年)で、右写真の「妻籠の子らこの地に学ぶ」と刻まれた石碑と、その右に小さく写っている百周年(昭和47年)の記念碑がありました。廃校は1997年で、124年も続いた事になります。もちろん途中で増改築がされているでしょうが、その姿は私たちが入学した当時を思い出させるには十分でした。

 休日でもなく、夏の暑い昼下がりの事とて、妻籠宿を縦断する旧中仙道にも人影はそんなに多くはありません。


 これは妻籠宿本陣あとで、島崎藤村の母の生家です。


 先回来たときに食べた饅頭がおいしかったのを思い出しました。
 
 街道が暑い事もあって店を探し(満寿庵)、涼みがてら上がりこみました。普通の饅頭ですが、お茶と、漬物でゆっくり味わうと、それはそれで満足できました。(1個でも、、、、)


 宿屋の行灯看板の破れも何か風情が、、、、

 先に述べたように、隣には有名な馬籠宿がありますが、この二つを比べると好対照です。
 馬籠宿はよく洗練されており、まさに現代の町のイメージですが、この妻籠宿はむしろ歴史の重みと落ち着きを感じさせ、私はどちらかといえば妻籠宿がベターです。


 街並みにはいろいろな店がありますが、郷土色あふれた商品のある、雑貨屋さんなどが面白いです。 

 と言っているうちに「いさばや」という櫛屋さんに家人は吸い込まれるように、、、、、

 ここではもちろん「ツゲ(柘)」の櫛もあるのですが、「みねばり」の木で作られた、同じ中山道の薮原宿の特産「お六櫛」が、昔お六という頭痛もちの娘さんが、みねばりの木で櫛を作り髪をとかしたら病が治った」というこでお勧めでした。

この「みねばり」の木(オノオレカンバ)が土間においてありましたが、持ち上げてみて、その重かった事、、、、

 確かに硬い木であることがわかりました、なにせ比重が0.9~0.94で日本一重い木「斧折れ樺」ですから、、、、それでいて静電気がおきず櫛に最適とか、、、、なんとか、「はい、お櫛一本お買い上げ!!!」



 今回はもうひとつお目当てがありました。和紙(この近くでできる田立の和紙)を購入する事でした。お店の名は、「寺下丁子屋」で記憶を頼りに、、、、あ、見つけました。野草が花入れにさしてあります。

 ここは和紙だけでなく、漆器、和布、など面白そうなものを扱っています。女主人いわく、「跡継ぎが無くってもう作る人がいないんです、、、、」次に来たときにはもう無いかもしれません、すこし多めに、、、、


 相変わらず暑い陽が路上に降り注いでいます。



 妻籠宿をあとに、今度は初めて行く桃介橋へ移動します。桃介橋はここから車で数分のJR中央線南木曽駅近くの木曽川にかかっています。



 福沢桃介(福沢諭吉の娘婿養子)はその事業家、政治家、としての手腕、さらに日本初の女優川上貞奴の艶話など枚挙に暇が無く、、、、省略。

 彼は電力王としての実力を誇示するためもあってこの日本最大級の木製吊橋「桃介橋」を建設したとされているが、彼の「一河川一社主義」は結実し、いまだに「木曽川水系がなぜ関西電力なの?」といった状態になっています。

 この桃介橋」は全長247m幅2.7mで、近くにある読書発電所(よみかき 大正12年完成)を建設するための資材運搬用に建設され、その後は生活道路として使われているが、平成2年に老朽化のため建替え、平成6年に国指定重要文化財の指定を受けています。


 右は一部が残されている、建設資材を運んだトロッコのレールです。

 左は橋の下から主塔を見上げたところ。橋脚部13m、鉄筋コンクリート部13.3mで26m強の高さです。橋の裏側の構造(木造)がよくわかります。


 右は片側4本の主索ケーブルを固定するアンカー部。この橋の設計コンセプトは、アメリカからのようですが、後年瀬戸内海を渡る大きな吊橋として進化していったルーツにふれた想いでした。

 ふと目をやると木曽川の清流にこの暑さをモノともせず鮎釣り人が長い竿を振っていました。
 周りの石の大きさ、橋の長さや高さにくらべると本当に豆粒のようでした。

 今回のドライブはスイスから帰ってしばらくしてからだったのですが、あらためて日本の良さを見直しました。また私の出生地がこの近くなので、帰りに産土神社にお参りしてこれまでのお礼と今後の健康をお祈りしました。


2012年9月9日日曜日

スイス旅行_13 第9日 ジュネーヴから帰国 (最終回)


 いよいよ今日は帰国の日になりました。今までに何回となく海外へ来ているのですが、滞在時間があっという間に過ぎて、もっと居たいと思ったのはめったにないことです。

 朝食後、バスでジュネーヴ空港まで行き、そこからフランクフルトで乗り継いで中部国際空港(セントレア)まで帰ります。せっかくジュネーヴまで来て何もせずに、ただ帰るだけというのは残念至極、、、、


 旅先では、毎回の事ですが、すこし早めに目が覚めてしまいます。この旅の最後の宿となったのはホテル街からすこし離れたホテルの屋根裏部屋でした。とはいっても「なかなかこんな部屋には泊まれない、映画に出てくるような、、、、」とは家人のお言葉。確かにこういった部屋は「B&B」でも利用しないとお目にかからないでしょう。下手をすると頭を打ちそうな狭い部屋ですが、楽しめました。


 斜めに空に向かって着いている天窓?はいろいろ工夫が凝らしてあって興味津々です。


早朝散歩に出かけましたが、まだ人通りも少なく、アパートかホテルのような建物があちらこちらにありました。大きな木のある街角の公園です。


 バスに乗って空港に行く途中にある、国連前の広場に展示された巨大椅子のオブジェを見ました。高さが12mもあるそうですが、4本の脚のうちの1本が折れています。


 これは地雷やクラスター爆弾への反対を象徴しており、ジュネーヴを訪れる政治家にこれらの兵器のことを思い起こさせる役目を果たしているそうです。


 程なく空港に着きました。



 ジュネーヴ空港内の様子です。これからいろいろ手続きがあり、面倒ながら緊張の時間が続きます。





 途中何の問題もなく、(スイスに入るときフランクフルトの出発が二時間以上遅れた)フランクフルト空港でセントレア行きの機体に乗り込んでいるところです。





 ということで、その後無事日本に帰り着きました。開口一番、「暑い!!!」、、、、

 今回の旅行では同行した方々や、添乗さん、その他多くの方々のお世話になりました。
ありがとうございました。
 
またこの「スイス旅行シリーズ」を最後まで見ていただいた方々にもお礼申し上げます。

(完)

2012年9月8日土曜日

スイス旅行_12 第8日 ツェルマット ~ シャモニー                          ~ モンブラン ~ ジュネーヴ


 さて今日は今回の旅行の実質的な最終日です。ここツェルマットから国境を越えてフランスに入り、シャモニー( Chamonix 1035m)で昼食、そしてモンブラン Mont-Blanc 4811m)を見るためにエギーユ・デュ・ミディ( Aiguille du Midi 3842展望台にロープウエイで昇ります。
 そして下山後バスで再びスイスに戻りジュネーヴで宿泊、翌日は朝食後そのまま空港に向かい、フランクフルト経由でセントレアに帰ります。

 朝、目が覚めたらほとんど満月に近い月がでていました。朝陽に染まったマッターホルンとツーショットです。私たちのホテルからはマッターホルンが少ししか見えません。でも「・・・が見える部屋」なので偽りではありませんでした。



 このツェルマットを出発するために駅まで歩きます。

 幸いに今日もいい天気です。この町は排気ガスを出す自動車の乗り入れが禁止されていますので、バスが待っている次のテッシュ Tasch)までシャトル電車を使うのです。
 写真は駅の近くに客まちをしているタクシーの列です。すべて電気自動車、、、、というか「バッテリーカー」です。
 ここを走っているのは用途は何であれ、皆このような形の直方体デザインの車か馬車しかありません。

 ふと見上げるとここからもマッターホルンが見えました。
 青空と赤い花のコントラストがきれいです。(右)

 町を出てしばらく走るとロータリーにマッターホルンのモニュメントをみつけました。(左)
 さすが土地柄です。先方に見えているのは大きな山崩れの後です。
 近くで見るとさほどではありませんが、昨日の午後スネガ展望台から見たときにその規模の大きさに驚きました。

 (右写真)この電気機関車の模型もロータリーのモニュメントです。おそらく登山鉄道ができたときの初期モデルなのでしょう、三相交流用のパンタグラフや歯が刻まれたラックレールにその特徴がよく表現されています。
 こんなオモチャのモデルが売られていたらほしかったのに、、、、

 バスの車窓から見えた、深い深い谷にかかる橋です。景色もすばらしいですが、橋のデザインもなかなかです。このような建築構造物をあちこちで見かけましたが、周りの景色によく溶け込んでおり、やはりオトナです、、、、

 途中で休憩のために立ち寄った、いわば「道の駅」のようなスポットの屋外テーブル席で、絞りたてのフルーツジュースを飲みながら見た景色です。水面が静かで、朝陽に照らされた景色が湖に映っています。
 でも右のほうに風車があります、ということは、いつもは風が強い場所なのか、、、、ラッキー!!
 スイスは水力発電が主体ですが、あの原発事故(チェルノブイリ、フクシマ)以来原発を押さえて風力発電に?いや正解はフランスからの買電です。(フランスは原発王国)

 でも地形をよく調べているらしく、風の利のあるらしいところには注意すると風車があちこちに建設されているのが見られます。



 これも車窓からの、ローマ時代の円形競技場の遺跡です。はるか遠く豆粒のようでしたが、うまく写真表現できました、、、、このような場所に?と思ったのですが、スイスがイタリアに接していることを思えば納得です。




 スイスの国境を越えてしばらくすると前方に、華道に使う剣山のような山(シャモニー針峰群)が見えてきました。



 そして氷河も、、、、名前はわかりませんでしたが、何本もの氷河がモンブランの方向から流れ落ちてきており(もちろん目には見えない速さで、、、、)この写真のように、その先端を見せていました。(左写真)


 いよいよシャモニーに到着です。ここシャモニーは我々世代なら誰もが知っている、オードリーヘプバーンの映画、シャレードで、彼女がバカンスを過している設定になっていたところです

 見上げるとモンブランをはじめとする山々が見えています。右の三角形に見えるのがエギーユ・デュ・グーテ Aiguille du Gouter 3817mついでその左がドーム・デュ・グーテ Dome du Gouter 4304m、これはよくモンブランと間違えられるので偽モンブランとも言われるとか、、、、(このことはモンブランが見えているときが少ないということか、、)

 そしてその左にモンブランMont Blanc 4807mが見えるはずですが、雲の中のようです。次いで左がモン・モーデュイ Mont Maudit 4465m一番左がこれから行く展望台のあるエギーユ・デュ・ミディ Aiguille Du Midi 3842mです。

 ちなみに山の名前に付けられている呼称は、エギーユ Aiguille は「尖峰」、モン Mont は「」を指します。例として 「モンブラン」はMont Blanc で「山」「白」すなわち「白い山」となります。

 街中を歩くとヨーロッパ特有の看板越しに雪をいただいた山が見られます。ドーム・デュ・グーテとその左下に見えるボッソン氷河 Glacier des Bossons)です。(左上)
 町並みの家々も風情があります。やはり著名なリゾート地だけあって多くの人が各国から訪れてにぎわっています。中央の白くとがって見える山はこれから行く展望台のあるエギーユ・デュ・ミディです。(上)

 モンブランに初登頂したというシャモニ村の猟師ジャック・パルマ (J.Balmat)医者で登山家の ミシェル・パカール (M.Paccard)の銅像がそれぞれ別々のところにあります。一人で凛としているのが200年後に建てられたパカールの像でスポンサーの名士ソシュール (H.B.Saussure)のそばでモンブランを指差し、ルートを説明しているのがパルマです。別々にいる理由は、、、、(この話はふれると長くなりますのでまたの機会に)
 谷あいにあるこのまちにはアルヴ川が流れていますが、多量の雪解け水が白く濁り、音を立てています。白く濁っているのは氷河の中に含まれていた氷河に削られた岩の粉でしょう。 家々や橋は花で飾られ、国旗などできれいに飾られています。



 町の中心部から歩いて15分程のところにあるロープウエイの駅です。ベンチに座っている人と比べるとかなり大きな建物であることがわかります。(右)

 下は駅の中にあった案内用のディスプレイです。左下が出発駅のシャモニー(正式にはシャモニーモンブラン)で標高1035mとあり、この日は晴天で気温が29℃である事を示しています。
頂上に上がるには途中で一度乗り換えます。
 ① 1本目のロープウェイ75乗りで、一気に プラン・ド・レギィ駅(2317m )へ。 ②ここから、すこしだけ小さいゴンドラ(65人乗り)に乗り換えて頂上駅3778m)へ。
 ここは、真夏でも上はマイナス10と脅されていましたが表示板では0℃となっています。③ そこからトンネル内のエレヴェータにのって展望台(3842m)に上がります。
 私たちが乗るゴンドラが下りてきました。なんとなく興奮します、、、、(右)
 登っていくゴンドラからシャモニーを見たところ、みるみる町が小さくなっていきます。(左上)
 (右写真)中継駅、プラン・ド・レギィ駅(2317m )からこれから行くエギーユ・デュ・ミディ(左上の山)をみんなで眺めているところ。「こんなところを登るんだ!!」

 (左上)よりいっそう町は小さくなっていきます。周りの空気もひんやりと、、、、







 山頂に近くなるとだんだんと真っ白な雪景色も見えてきました。尾根伝いにいくつもの登山グループが一列になって頂上を目指しています。



 

やがて頂上の展望台駅(3778m)に着き、トンネル内のエレヴェータにのって展望台(3842m)に上がります。ありました!!これがうわさに聞いた標高表示板です。「3842m」と書いてあります。



 さすがここは富士山より高い「3842m」です。多少の雲はありますが、見晴らしもよく、はるばる来たものだ、、、、との感慨がよぎります。ふと気がつくと「寒い」、風が吹くといっそう寒さが感ぜられます。

 


 案内板を見ながらモンブランの位置を確認しているところです。中央左の山はモン・モーデュイで、モンブランはその右上にほんのすこし頭を出すはずなのですが、この日は稜線をたどるのがやっとで、頂上はついに確認できませんでした。



と、とつぜん前方のモンブランの稜線にリング状のスポットライトが当たりました。このほんのすこし左上が頂上なんです。まさに天の啓示?、、、、

 頂上テラスから見下ろしたシャモニー・テラスです。ほんにコウノトリの巣のような、、、、はるか下にシャモニーの町が見えます。




 右は、エギーユ・デュ・ミディのてっぺんにあるロケット?いや、テレビ用の送信アンテナとのことです。東京スカイツリー(634m)も真っ青です、こちらは3800m以上もあるのですよ!!!


 下山して、またバスに乗り、夕刻ジュネーヴに着きました。

 これが1955年に作られた有名な花時計イギリス公園内にあります。
 直径5mの花時計には、6500本以上の草花が使われており季節によって組み合わせを変えるとか、、、、花時計の秒針は長さ2,mで、世界一だとか(それほど大きくは見えませんが、、、、でも大きいか、、、、)文字盤の文字の配置が面白いです。

 ここには、私は仕事を含め何回も来た事がありましたが、いつもと雰囲気がまったく違います。そうでした、「建国記念日」(8/1)があったのです。それで今日は休日になっており、多くの人々がどっとくりだしているというわけで、明日からは静かなレマン湖畔に戻るのだそうです。
 このホテル群の前も即席の遊園地などが出来ていますが、いつもは静かなところです。


 レマン湖から流れ出るローヌ川を跨「モンブラン橋」全長250m)で、その欄干には、ずらりと並んだ州旗がはためいていましたこれはホテル街側から対岸を見たもので、遠方に即席の遊園地の観覧車が見えます。

 この「モンブラン橋」の上で信号待ちをしている「プリウス」のタクシーを見つけました。日本でもあまり多くはないのですが、頑張っているのを見てうれしくなりました。

 夕食を終えて外へ出ると、静かに雨が降っていました。スイスに来て雨は初日の午前中と最終日の夜半のみで、きわめて幸運でした。夕方には止まっていたレマン湖の大噴水もいつの間にか動き出していました。

 今回はすこし長くなってしまいました。次回はエピローグに近い最終回です。