2018年11月27日火曜日

Z80 SBCへの CP/M 搭載(1)

 今年の秋はことのほか多忙で、なかなかブログ作成に割く時間がとれず、しばらく間が空いてしまいました。


 私のブログ、Z80 SBC(シングルボード・コンピュータ)の製作 (1~6でとりあえず、Z80 シングルボード・コンピュータがモニター・ベースで走るところまで紹介しました。

 今回からは稿を改め、Z80 SBCへの CP/M 搭載 として話を続けたいと思います。



 CP/MControl Program for Microcomputer)とは1970年代にデジタルリサーチ社 (Digital Research Inc.) の創業者ゲイリー・キルドールによって開発、1976年に発売された、パソコン用のシングルユーザー・シングルタスクのオペレーティングシステム (OS) です。

 CP/Mは①8080マイクロプロセッサおよびそのZ80などの上位互換CPU、②0番地から配置されたメモリ、③フロッピーディスク、そして④シリアル端末があれば動作させることが出来ました。

 同時代に出現したフロッピーディスク(発明は中松氏でなくIBM?)を利用して、ファイルの管理が出来るこのCP/Mシステムはそれこそ最先端の技術であり、垂涎の的で、個人が所有するなどは夢のまた夢でした。

 今の時代にこのCP/Mシステムを再現することは、我々老人のノスタルジーには違いはないものの、当時の最先端の膨大なソフト・ウエア(BASIC,FORTRAN,COBOL,ALGOL,Cなどなど)が商用に供さない限り自由に使うことが出来、興味はつきません。 冒頭の写真は Z80 SBC で CP/M をスタートさせたところですが、「 62K CP/M 2.2 Copyright 1979 (c) by Digital Research 」の記述は何度見ても飽きません。

 さて、Z80 SBCCP/Mを搭載するに当たって、前述の必要項目①~④のうち欠けているのは、③のフロッピーディスクのみです。
 いまさら入手困難な絶滅種のフロッピーディスクでもありませんので、ここはSDカードといきたいところですが、Z80に接続するには、インターフェースおよびソフトウエアの面で煩雑さが伴います。

 ということで、残された選択肢はCFカードと言うことになります。CFカードも絶滅危惧種ではありますが、このような用途に使用する1Gb以下のもの(かつて産業用に使われた?)はネットで安価に入手できます。







 CFカードは少し前にHDDなどで使われたIDEバスの規格に準じていますので、そのままZ80のバスに接続できますし、興味があるならIDEバスを持ったHDD(シリコンドライブが良いかも)やFDDも接続できそうです。









 その後確認したことですが、SD-CFカード・アダプターを使えば、左写真のように、SDカードも、マイクロSDカードも使うことが出来ました。

 右に配線図を示します。IDEコネクタは差し込まれる端子を上から見たものです(要注意!)。/CS0 はアドレス・デコーダ(74HC138)の14ピン(08H) へ接続です。


 また、40ピンIDEコネクタはVCC(+5V)がありませんのでこれも注意です。

 40ピンIDEコネクタはあまりにも場所をとりすぎますので、私は独自に18ピンのコネクターを作り使っています。(左)


 ということで過日述べたように、 CPUville 」という Donn Stewart さんのサイトをお手本にして、Z80 SBCへの CP/M 搭載の準備ができました。

では、次回、、、、

2018年11月6日火曜日

富士山とともにゴルフ、金時山登山

 先月末、同窓会のため御殿場に出かけました。

 またとないチャンス、、、、ということで、少し早めに御殿場に到着、ゴルフを楽しみ、夜は同窓会、そして翌日は健脚組という仲間に入れてもらい金時山登山にチャレンジすると言う計画を立てました。

 左写真は午前8時30分頃、富士川SAから遠望した富士山です。雲ひとつない富士山を見るのは久しぶりです。


 御殿場はなにせゴルフ場の多いところなので、目的地とは違ったゴルフ場に行き着いてしまい、少しあわてましたが、定刻にはティー・オフすることができました。

 ここ御殿場のゴルフ場はほとんどのホールから富士山を眺望できるように造ってあり、幸い雲ひとつない天候にも恵まれて、18ホールをホール・アウトするまでずっと富士山にはお付き合いいただけました。

 もっとも、次々と目にするすばらしい景色に心を奪われ、スコアはもうそっちのけの態ではありましたが、、、、

 



 ホテルに到着後、少し休息してから、敷地内で開催されているイルミネーションを観るために散策に出かけました。

 実のところあまり期待はしていなかったのですが、なかなかのものでした。後日聞いたところ以前から毎年開催されており人気のスポットだとか。
 
 面白いディスプレイをみつけました。

 1富士、2鷹、3茄子、そうです、縁起のよい初夢のことですが、鷹と茄子はつくりものですぐに分かりますが、富士は?? ありました、赤い橋の上に本物の富士山が影富士となって見えています。これも好天に恵まれたおかげです。

 そして久しぶりに再会した友人たちとの同窓会です。


 一夜明けて、今日も晴天で、富士山を見ながらの朝食もなかなかのものです、山に登る、、、ということで、しっかりカロリーも摂取しました。


 当初、2日目もゴルフの予定でしたが、金時山登山を「素人でも登れるよ」と勧めてくれた友人のおかげでチャレンジしてみることにしました。

 コースは左の日本山岳会の地図どうり、国道138号線(乙女道路)を御殿場側から登り、乙女トンネル直前の乙女峠バス停からスタートです。


 乙女峠に登り、長尾山を経て金時山を目指し、帰路は公時神社に至る、行程約5km、高低差約500mの初心者向けコースとのことでした。

 ちなみに金時山は山頂(1213m)が神奈川県と静岡県の県境に位置した箱根外輪山の最高峰であり、金太郎伝説発祥の山です。


 また公時神社は、大江山の酒呑童子退治伝説にある源頼光の四天王の一人である坂田公時(成人した足柄山の金太郎)が祀られており、金時神社ではありません。

 写真はスタート地点からの富士山で、この御殿場側からの姿も美しいとされています。

 いざ、先ずは乙女峠目指して出発です。

  この登山は、ホテルがサービスで計画しており、ボランティアの引率者、我々8名そして地元の参加者(ほとんど女性)をいれて総人員25名の大きな集団になりました。







 乙女峠から見た富士山です。
 この日は無風で暖かく、少し雲が出てきたようです。
 右写真は、反対側の箱根町の景色です。

 中央に白っぽく見えているススキの草原は仙石原、奥に高く見えるのは神山(1438m)、その手前に白くたなびいているのは大涌谷の水蒸気で、まさに箱根です。

 少し休憩して、いざ出発です。

 紅葉した木々はあまり多くはありませんが、でもこうして見ると秋景色です。

 見上げると、カエデでしょうか、紅葉しています。

 坂道を登っているときは、どうしても足もとばかり見てしまうので、なかなか気づくことはありません。







 長尾山山頂(1144m)です。でもただの平地で山頂らしくありません。ここで面白いものを見つけました。

 左が御殿場市、右が箱根町、それぞれが立てた道標です。この地は県境でもあるのです。



 比較的平坦な尾根を歩いていくと、左側に、木々の間から富士山が見えました。


 秋になって、木の葉が落ち、少し見通しがよくなったからでしょう、これも幸運のひとつです。

 ガイドさんの声で右上を見上げると、我々の目指す、金時山の頂上が見えました。

 ほんの近くに見えたのに到着するまでにまだ40分必要でした。





 少し、足もとの草木に目をやるゆとりが出てきたようです。







 ようやく金時山頂上にある、金太郎茶屋が見えてきました。
















 皆さん、思い思いに休息中です。
 この左側に金時茶屋がありましたが、閉まっていました。


 右写真は、金時山のモニュメントと金太郎のシンボル、鉞(マサカリ)です。
 もともと同じ場所にあったとのことですが、離れていたのでツーショットにしました。

 左上には本来、富士山があるはずですが、このころには雲が多くなり、稜線の一部しか見えていません。


 モニュメントの下に記入してある金時山の標高は、1212mとなっており、これまでの資料より1m低く記入されています。キチンと書き直されているので、最新のGPSによる測定結果(精度はmm単位だそうです)なのでしょう。



 左は箱根方向の写真です。
 前出の写真に加え、右上方向に芦ノ湖が遠く見えていますし、その手前にはゴルフ場も沢山みえています。

 ちょうど昼食時でしたので、金太郎茶屋で山菜蕎麦を食べましたが、あとで金太郎飴をひとつずつ頂きました。



 ということで、正午に下山開始です。

 公時神社分岐に来ました、往路は多少緊張していたせいもあって、あまり感じなかった足腰の疲れが、帰路になって徐々に感じられるようになってきました。

 特に、往路に比べて帰路は平均して下り勾配がきつく、足腰が弱っても体重の変わらない高齢者にはきわめてシビアでした。 

 そんな中、我々を和ませてくれたのは数少ない草花でした。
リンドウ(竜胆)とリュウノウギク(竜脳菊)です。リンドウはなぜか帰路に多く観られました。


 また回りを見ると根が露出した木々が登山道周辺に多く観られました。

 登山者が多く、登山道が踏み固められることによって、植物が生育せず、雨水によって容易に土が流れ去った結果で、いわゆる裸地化の現象です。また別の見方をすれば、金時山登山はこれほど人気が高いということでしょうか。


 前方に、注連縄を張り巡らした、真っ二つに割れた大岩が現れました。

 金太郎が母である山姥と住んでいたという金時宿り石です。割れ目は比較的新しいのですが、なぜ割れたのかは分かっていないとか、、、、


 多くの登山者たちによる、細い枯れ枝の支え棒には、大岩と対照的で、なにかしらユーモアを感じます。


 ようやく公時神社にたどり着きました。

 8名全員、無事に完歩できました、めでたしめでたしです。

 今回友人に紹介、勧められ、意を決して参加しましたが、好天に恵まれて久しぶりの仲間との得がたい思い出ができました。
 感謝!感謝!です。


 さて、明日はテニスの日だっけ、、、、